閑話: カイト兄ちゃんの恋人探し
「ミナ、王都で評判の紅茶クッキー、食べたことないって言ってただろ?
王都のほどじゃないけど、頑張って作ってみたんだ。
結構上手くできたと思うから、良かったら一緒に食べないか?」
「本当?前にちょっとだけ話したこと、覚えててくれたの?
それに、わざわざ作ってくれたなんて…嬉しい!」
「美味しいよ!グレン兄ちゃん」
桑畑の向こうから聞こえてくる楽しそうな声に、俺は桑の実を摘む手を止めた。
グレンとミナの甘い会話。
グレンが魔法学校から帰ってきて以来、二人の距離はぐっと縮まっていた。
見ているだけで甘ったるい空気が漂ってくる。
「このやろう……お前ばっかりモテやがって」
カイトは心の中で毒づきながら、桑の実を乱暴に籠に放り込んだ。
グレンは昔からよくできた奴で、魔法学校まで出ている。帰ってきてからは魔道具開発にも着手して、もう村の若者たちの憧れの的だ。
それに比べて自分は……
「はあ……」
大きなため息が出る。
ふと、修行時代のことを思い出した。あの頃付き合っていたエリカのことだ。
『都会がいいの。田舎なんて絶対に嫌よ』
故郷に帰ると言った時の、彼女の冷たい表情が今でも胸に刺さる。
「都会か……」
この村では、年頃の女の子たちからは『頼りになるお兄さん』扱いだ。昨日も酒場で聞こえてきた。
『カイトって本当にいい人よね』 『困った時はいつでも助けてくれるし』 『でも恋人にするなら、もうちょっと刺激的な人がいいかな』 『分かる!カイトは安定しすぎてて、ドキドキしないのよね』 『お兄さんって感じよね』
「いい人……お兄さんか」
それは恋愛において死刑宣告に等しい言葉だった。またため息が出る。
「カイト兄ちゃん!」
突然、澄んだ可愛らしい声が響いた。
振り返ると、村の支援隊年少組の女の子たちが走ってくるのが見えた。先頭を切っているのは七歳のルナ、その後ろに六歳のユマ、五歳のナナが続いている。みんなタクマやミナを慕って支援隊に参加している子供たちだ。
「あ、お前ら……どうした?なんか困ったことでもあったか?」
カイトは慌てて桑の実の籠を脇に置いた。
「兄ちゃんが一人で寂しそうにしてるから、遊びに来たの!」
ルナが無邪気に笑いながら言う。
「寂しそう?」
「うん!すっごく暗い顔してた!」
ユマも頷く。
「ナナも心配になったの」
一番年下のナナが小さな手でカイトの服の裾を掴んだ。
(バレてたのか……)
カイトは苦笑いを浮かべた。
「大丈夫だよ、みんな。ちょっと考え事をしてただけ」
「さては〜恋の悩みでしょ?」
ルナがにやりと笑う。七歳にしては妙に大人びた表情だった。
「え?!」
「やっぱり!顔が赤くなった!」
「兄ちゃんにも春が来たんだね〜」
ユマとナナが手を叩いて喜ぶ。
「違う!春はきてない!」カイトは慌てて否定する。
「え?違うの?」
「カイト兄ちゃん、かっこいいのに恋人いないの?」
ユマが無邪気に言葉で俺を刺す。
「うぐっ…大人は色々大変なんだ」
俺は痛む胸にそっと手を当て俯いた。
「大丈夫だよ!」
ルナが胸を張って言った。
「私たちに任せて!」
「わたし達”支援隊”が、上手くいくようお手伝いしてあげるよ!」
ユマが満面の笑みで続ける。
「ナナもお手伝いする!!」
三人に囲まれて、カイトの心は少しだけ温かくなった。
「ありがとう、みんな。でも恋愛は大人の問題だから……」
「大人って大変だね」
ルナが首を傾げる。
「でも兄ちゃんはとっても優しいから、きっと素敵な人が現れるよ!」
「そうだよ!兄ちゃんは世界一かっこいいもん!」
ユマの言葉に、ナナも大きく頷く。
「世界一!」
子供たちの純粋な応援に、カイトは目頭が熱くなった。
「みんな……」
「そうだ!」
ルナが手を叩いた。
「私たちが兄ちゃんの良いところを、村のお姉さんたちに教えてあげる!」
「いい考え!」
ユマが賛成する。
「いや、それは……」
「大丈夫!私たち、お姉さんたちとも仲良しだもん!」
確かに、村の女性たちは年少組の子供たちを可愛がっている。
「エマお姉さんには、兄ちゃんが迷子の犬を助けてくれた話をする!」
「リサお姉さんには、重い荷物を運んでくれた話!」
「ナナは……えーっと……」
一番年下のナナが一生懸命考えている。
「兄ちゃんがナナを膝の上に乗せてお話してくれた話!」
「それも素敵だけど、もっと具体的に……」
ルナが苦笑いを浮かべる。
その日から、年少組の女の子たちによる『カイト兄ちゃんの素晴らしさアピール作戦』が始まった。
「エマお姉さん!聞いて聞いて!」
「ルナちゃん、どうしたの?」
「昨日、カイト兄ちゃんが迷子の子犬を探して、村中を走り回ってたの!それでね、見つけた時すっごく嬉しそうだった!兄ちゃんって動物にも優しいんだよ!」
「まあ、そうだったの。カイトは本当に優しいのね」
一方、ユマは別の女性に話しかけていた。
「リサお姉さん、カイト兄ちゃんのこと知ってる?」
「もちろん知ってるわよ。頼りになる人よね」
「そうなの!この前、おばあちゃんが重い薪を運べなくて困ってた時、兄ちゃんが全部運んでくれたの!それにね、兄ちゃんの作る桑の実ジャムは村で一番美味しいんだよ!」
「優しいのね。みんなの『お兄さん』って感じよね」
ナナは年上の女の子たちに話しかけていた。
「お姉ちゃんたち、カイト兄ちゃん知ってる?」
「知ってるよ〜。どうしたの、ナナちゃん?」
「兄ちゃん、すっごく優しいの!ナナが泣いてた時、膝の上に乗せてお話してくれた!」
「まあ、可愛い。将来良いお父さんになりそうね」
その頃、グレンとミナは村の中央広場で話し込んでいた。
「ミナ、今度の祭りの準備、手伝ってくれるか?」
「もちろんよ、グレン兄ちゃん。何でも手伝うわ」
「ありがとう。君がいてくれると心強いよ」
グレンがそっと微笑むと、ミナは頬を染めた。
「グレン兄ちゃん……」
二人の甘い空気を遠くから見ていたカイトは、また心の中で毒づいた。
(このやろう……本当にお前ばっかりモテやがって)
夕方、年少組の三人がカイトのもとにやってきた。
「兄ちゃん!今日はどうだった?」
ルナが期待に満ちた顔で聞く。
「何が?」
「だから、村のお姉さんたちの反応!」
「え?」
カイトは首を傾げた。
確かに今日は何人かの女性から声をかけられたが、いつも通りの挨拶程度だった。
「もしかして、みんな何かしたの?」
「えへへ……」
三人が揃って頬を染める。
「みんなに兄ちゃんの素晴らしさを教えてあげたの!」
「みんな『いいお兄さん』って言ってたよ」
ユマが胸を張って答える。
「そっか……」
カイトは苦笑いを浮かべた。やはり『いい人』の壁は厚い。
その時、村の入り口の方から馬車の音が聞こえてきた。
「あれ?今日は誰か来る予定だったっけ?」
カイトが首を傾げていると、美しい女性が馬車から降りてきた。
黒髪に青い瞳、上品な雰囲気を漂わせている。年の頃は二十歳前後だろうか。
「すみません、この村の村長さんのお宅はどちらでしょうか?」
女性がカイトに声をかけてきた。
「あ、はい。あそこの大きな家です。俺で良ければ案内しましょうか?」
「ありがとうございます。助かります」
女性は微笑んだ。
「あ、私はアリサと申します。治癒魔法の修行をしていまして、この村で働かせていただくことになりました」
「治癒魔法!すごいですね。俺はカイトです」
「カイトさんですね。よろしくお願いします」
その時、年少組の三人がカイトの後ろからひょっこり顔を出した。
「わあ、綺麗なお姉さん!」
「本当だ!お人形さんみたい!」
「すっごく綺麗!」
アリサは子供たちを見て、顔をほころばせた。
「可愛い子供たちですね。皆さん、カイトさんの妹さんですか?」
「違うよ!」
ルナが首を振る。
「私たちはカイト兄ちゃんの”支援隊”なの!」
「兄ちゃんの良さをみんなにわかってもらう活動してるの!」
ユマが胸を張って言う。
「兄ちゃんは優しくて、一番かっこいいんだよ!」
ナナも負けじと続ける。
アリサは驚いたような顔をして、それからカイトを見た。
「子供たちに慕われているんですね。素敵です」
カイトは頬を赤らめた。
村長の家まで案内する道中、アリサはカイトに色々と話しかけてきた。
「この村は本当に穏やかで素敵ですね」
「そうですか?僕にとっては生まれ育った場所なので、特別だとは思わなかったんですが」
「私は都市部の出身なんです。でも、都会の喧騒に疲れてしまって……こういう場所で、人を助ける仕事がしたいと思っていました」
(都会の出身……)
カイトの心に、修行時代の恋人の言葉が蘇った。
『都会がいいの』
しかし、アリサの言葉は正反対だった。
「都会よりも、こういう場所の方がお好みなんですか?」
「はい。人と人とのつながりが感じられて、温かいんです」
アリサの笑顔に、カイトの心は大きく揺れた。
もしかしたら……本当に運命の人に出会えるかもしれない。
その夜、年少組の三人は秘密会議を開いていた。
「あのお姉さん、兄ちゃんのこと気に入ってたよね」
ルナが言う。
「うん!すっごくにこにこしてた!」
ユマが頷く。
「兄ちゃんも赤くなってた!」
ナナが手を叩く。
「でも……」
ルナが急に真剣な顔になった。
「もしあのお姉さんと兄ちゃんが結婚しちゃったら、どうしよう?」
「え?」
ユマとナナが首を傾げる。
「だって、兄ちゃんには奥さんが必要でしょ?でも……私、兄ちゃんのこと大好きなの」
ルナの言葉に、ユマとナナも頷いた。
「私も兄ちゃん大好き!」
「ナナも!」
三人は顔を見合わせた。
「そうだ!」
ルナが立ち上がった。
「私たちが兄ちゃんのお嫁さんになればいいんだよ!」
翌日、カイトが桑畑で作業をしていると、またあの三人がやってきた。
「カイト兄ちゃん!」
「みんな、今日はどうした?」
カイトが振り返ると、三人は手を繋いで一列に並んでいた。
「大切なお話があるの!」
ルナが代表して前に出る。
「兄ちゃん、私がカイト兄ちゃんのお嫁さんになってあげる!」
「え?!」
カイトは目を丸くした。
「私も!」
ユマが手を挙げる。
「ナナも兄ちゃんのお嫁さんになる!」
一番年下のナナも声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと待って……」
「私たちがいれば、兄ちゃんは絶対に幸せになれるよ!」
「兄ちゃんだーいすき!」
三人は口々に言いながら、カイトに駆け寄ってきた。
「カイト兄ちゃん、だーいすき!」
ルナがカイトの右頬に小さなキスをした。
「兄ちゃん、だーいすき!」
ユマが左頬に。
「だーいすき!」
ナナが鼻の頭に。
三人に囲まれて、頬や鼻にちゅっちゅっと小さなキスをされながら、カイトは動けずにいた。
「み、みんな……」
「兄ちゃんは私たちの一番大好きな人だから!」
「ずっと一緒にいるからね!」
三人の純粋な愛情表現に、胸がいっぱいになった。
村の年頃の女性たちからは『いい人』扱い。修行時代の恋人には『都会がいい』と言われて振られた。
でも、この子たちにとって自分は『世界一かっこよくて優しい兄ちゃん』なのだ。
「これはこれで……幸せか」
カイトは小さく呟きながら、青い空を見上げた。
桑の実が風に揺れて、やわらかな日差しが頬に当たる。三人の小さな手が自分の服を掴んでいる温かさ。
恋人は確かに欲しいけれど、こんなに自分を慕ってくれる子供たちがいるなら、それも悪くない。
「兄ちゃん、笑った!」
「やっと元気になった!」
「よかった〜」
三人がほっとしたような顔で見上げている。
「ありがとう、みんな。兄ちゃんは幸せだよ」
カイトは三人の頭を優しく撫でた。
「よし、みんなで桑の実ジャムでも作るか」
「わあい!」
「兄ちゃんのジャム、大好き!」
「やったー!」
桑畑に響く子供たちの笑い声を聞きながら、カイトは心から笑顔になった。
恋の行方はまだ分からないけれど、今この瞬間は確かに幸せだった。
―完―
カイト、いい年なのにそう言えば浮いた話ひとつでてないな、、、と気になったので作ってみた閑話です。
カイトは「お兄ちゃん」ポジションが似合いますよね〜
そんなカイトに、いつかは本物の春が来るといいな…と思いながら書いたエピソードです。
6月21日12:00より第2部スタートです!是非こちらも読みに来てくださいね!
お待ちしています!!




