第三十九話 少年、帰還す
あれから数ヶ月。
ベルニス商会との攻防は一進一退を繰り返していた。
そんな中で開かれた秋市場。私たちの糸は、みんなの努力の甲斐もあり、今年も好評を得ることができた。
新規で取引を希望する商会も後を絶たなかったが、正規代理店制度のお陰で、大きなトラブルが起きることもなく、みんなホッと胸を撫で下ろしていた。
そんな十月の朝。
桑畑の向こうから、馬車の車輪が土を踏む音が聞こえてきた。
「あれ?お客さん?」 私は桑の葉を籠に集めながら、首をかしげた。
でも、普通の商人の馬車とは違う。 荷台に大きな木箱がいくつも積まれていて、なんだかとても重そうだった。
「おーい、リィナ!馬車が来てるぞ!」 タク兄が畑の向こうから手を振っている。
私は籠を置いて、タク兄のところに駆け寄った。 馬車は村の入り口で止まって、御者が荷物を降ろし始めている。
そして——
荷台から一人の青年が降りてきた。
背が高くて、落ち着いた雰囲気で、上質な服を着ている。 髪の色や顔立ちに見覚えがあるような気がするけど……
「あの人、誰だろう?なんだか見覚えがあるような……」
「おい、リィナ。よく見てみろよ」 タク兄がにやにやしながら言った。
私はもう一度青年をじっと見つめた。 その時、青年がこちらに気づいて、手を上げた。
「ただいま」
その一言で、私の心臓が止まりそうになった。
「え……ええええええ!?」
「グレン兄ちゃん!?」 私は驚きすぎて、その場で飛び跳ねた。
「知らない人かと思った……!」
青年——グレン兄ちゃんが、いつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
「5年も経てば、そりゃ変わるさ」
「グレン!」
「帰ってきたのか!」
村の人たちが次々と集まってくる。 みんな、グレン兄ちゃんの変わりようにびっくりしていた。
「うわー、こんなに大きくなって……」
「立派な青年になったなあ」
ガイルおじさんとセラさんも駆けつけてきた。 セラさんは涙目になっている。
「お帰りなさい、グレン」
「ただいま、母さん」
グレン兄ちゃんがセラさんを抱きしめると、周りからも温かい拍手が起こった。
「俺の息子ながら、立派になったもんだ」 ガイルおじさんも嬉しそうに腕を組んだ。
カイト兄ちゃんも現れて、グレン兄ちゃんの肩を叩いた。
「お疲れさま。よく頑張ったな」
「兄貴こそ、村のこと支えてくれてありがとう」
私はまだ信じられなくて、グレン兄ちゃんをじっと見つめていた。
「本当にグレン兄ちゃんなの?」
「ああ、本物だ」 グレン兄ちゃんが笑った。
「リィナも随分大きくなったな。もう立派な組合のリーダーじゃないか」
「そ、そんな……まだまだだよ」 急に照れくさくなった。
「いや、パスカさんからも聞いた。王都での活躍、すごかったらしいな」
「グレン兄ちゃんこそ!魔法学校を卒業したんでしょ?」
「ああ。そして、お前たちのために色々と持ち帰ってきた」 グレン兄ちゃんが馬車の荷台を指した。
「これ、全部グレン兄ちゃんの荷物?」
「そうだ。設計図に、道具に、色々とな」
私は興味深々で荷台を覗き込んだ。
「何が入ってるの?」
「それは後でのお楽しみだ」 グレン兄ちゃんがウィンクした。
(グレン兄ちゃんのウインクなんて初めて見た!都会に行ってちょっと変わった!?)
その時、父さんと母さんも姿を現した。
「グレン、よく帰ってきてくれた」 父さんが深々と頭を下げる。
「セイランさん、5年間、支援をありがとうございました。それに、みんなのことも」
グレン兄ちゃんも礼儀正しく頭を下げた。
「大したことはしてない。お前が今まで貢献してくれてた分の手当を支払っただけだ」
「そうよ。”糸が売れたら支払う”って約束だったでしょ。そんなことより、元気に帰ってきてくれてよかったわ」
母さんも嬉しそうに笑った。
グレン兄ちゃんは辺りを見回して、驚いたような顔をした。
「村が……こんなに変わってるなんて」
確かに、5年前とは大違いだった。
組合事務所は増築されて、第二圃場も立派な桑畑になっている。
「ここまで発展してるなんて……」 グレン兄ちゃんが感嘆の声を上げた。
「俺がいなくても、みんなでこんなに」
「最初は大変だったけどな」 カイト兄ちゃんが苦笑いした。
「でも、リィナが引っ張ってくれたから」
「私一人じゃ何もできなかったよ」 私は慌てて首を振った。
「みんながいたから、ここまで来れたんだ」
「そうか……」 グレン兄ちゃんが静かに笑った。
「お前らしいな、リィナ」
その瞬間、私の胸が熱くなった。
グレン兄ちゃんが帰ってきた。 5年間、ずっと待ってた。
「とりあえず、荷物を運ぼうか」 タク兄が声をかけた。
「グレンの"お土産"、気になるしな」
「ああ、頼む」
みんなで協力して、荷物を事務所に運んだ。 木箱の中身は、まだ秘密だった。
「さあて、お待ちかねの"お土産"の時間だ」 グレン兄ちゃんが木箱の蓋を開けた。
中から出てきたのは、見たこともない装置だった。
金属でできていて、小さな宝石のようなものが埋め込まれている。
「これは……?」 私は首をかしげた。
「温湿度自動調整装置だ」 グレン兄ちゃんが誇らしげに説明した。
「自動調整?」
「そう。これを蚕小屋に設置すれば、温度と湿度を一定に保ってくれる」
みんなが目を丸くした。
「そんなことができるのか!?」
「百聞は一見にしかず、だな」 グレン兄ちゃんが装置を作業台に置いた。
装置の宝石の部分が淡く光り始める。 そして、不思議なことに、周りの空気がひんやりとしてきた。
「うわあ……」
「本当に涼しくなった!」
「湿度も調整してる。触ってみろ」 言われた通り手を伸ばすと、確かに空気がしっとりしている。
「すごい……」タク兄が感嘆の声を上げた。
「これで蚕の死亡率を大幅に下げられる」 グレン兄ちゃんが説明を続けた。
「夏の暑さも、冬の乾燥も、もう怖くない」
村の人たちから、どよめきの声が上がった。
「そんなすごいものが……」
「もう蚕が死ぬ心配をしなくていいのか」
「それだけじゃない」 グレン兄ちゃんが別の箱を開けた。
「これは糸質鑑定魔道具」
出てきたのは、手のひらサイズの丸い装置だった。
「糸の品質を正確に測定できる。偽物との区別も一目瞭然だ」
「偽物対策にも使えるってこと?」 私が興奮して聞いた。
「そうだ。これで品質保証がより確実になる」
さらに別の箱からは、また違う装置が出てきた。
「桑葉成分分析器。葉っぱの栄養価を瞬時に測定できる」
「特別な木の葉と普通の葉の違いも、数値で証明できるようになる」
私は感動で胸がいっぱいになった。
「グレン兄ちゃん……こんなにたくさん」
「俺はこのために5年間、王都で頑張ってきた」 グレン兄ちゃんの目が真剣になった。
「お前たちに任せっぱなしだった5年分、あっという間に取り戻してやる」
その言葉に、みんなが拍手した。
「ありがとう、グレン」
「心強いぞ」
でも、私は最近の問題も報告しなければいけなかった。
「グレン兄ちゃん、実は大変なことが起きてるの」
グレン兄ちゃんの表情が引き締まった。
「何があった?」
私はベルニス商会の妨害工作について、詳しく説明した。 桑の木への損傷、偽物流通の拡大、脅迫状の件……
「組織的で悪質だな」 グレン兄ちゃんが眉をひそめた。
「内輪の努力だけでは対抗しきれない問題だ」
「だが、これがあれば、何とか対応できるだろう。防犯用の魔道具だ」
またまた箱から新しい装置を取り出した。
「侵入者感知システムに、緊急通報装置……」
「至れり尽くせりだな」 ガイルおじさんが感心した。
「それに」 グレン兄ちゃんが一番大きな箱を指した。
「新しい蚕小屋の設計図もある」
「新しい小屋?」
「魔道具と完全に連動した、最新式の養蚕施設だ」
カイト兄ちゃんが身を乗り出した。
「俺たち大工の出番だな」
「ああ、頼む。効率は格段に上がるが……」 グレン兄ちゃんが私を見た。
「人の手による細やかな管理は変わらず重要だ」
私は力強く頷いた。
「わかってる。技術で補えるところは補って、私たちはもっと大切なことに集中しよう」
「その通りだ」 グレン兄ちゃんが満足そうに笑った。
「よし、早速準備に取りかかろう」 父さんが手を叩いた。
「グレンが持ち帰った技術を、しっかりと活用させてもらう」
みんなの顔が希望に輝いていた。 グレン兄ちゃんの帰還で、私たちの力は何倍にもなった。
(これで、ベルニス商会なんかに負けない!)
私は胸を張って空を見上げた。
新しい時代の始まりを感じた。
夕方、組合事務所の前に人だかりができていた。
グレン兄ちゃんの帰還を祝う、村をあげての歓迎会の準備のためだ。
「リィナ、手伝って」 ミナ姉ちゃんが料理の準備をしながら声をかけてくれた。
振り返ると、そこには、以前よりもずっと落ち着いていて、背筋をぴんと伸ばしたミナ姉ちゃんがいた。
「ミナ姉ちゃん、大人っぽくなったね」
「そう?リィナだって、立派になったじゃない」
その時、グレン兄ちゃんが近づいてきた。
「ミナ、お疲れさま」
ミナ姉ちゃんがぱっと振り返る。 一瞬、頬が赤くなったけど、すぐに微笑んだ。
「おかえりなさい、グレン兄ちゃん」 いつもより少し低い、落ち着いた声だった。
「ありがとう。随分大人っぽくなったな」 グレン兄ちゃんも、ミナ姉ちゃんを見つめて言った。
「グレン兄ちゃんこそ……5年間、お疲れさまでした」 ミナ姉ちゃんが深々とお辞儀する。
二人の間に、なんだか微妙な空気が流れた。
前とは違う、大人同士の距離感。
私は少しだけ、複雑な気持ちになった。 みんな成長してるんだなあ。
「グレン兄ちゃん、王都での話、聞かせて」 私が割って入ると、グレン兄ちゃんが笑った。
「そうだな。色々あったからな」
私たちは事務所の隅に腰を下ろして、王都での体験を共有し合った。
「魔法学校って、どんなところだった?」
「厳しかったが、充実していた。特に魔道具製作の授業は面白かった」
「私たちも王都に行ったよ!織物ギルドで商談したんだ」
「聞いてる。パスカさんからも詳しく聞かせてもらった」
グレン兄ちゃんが真剣な顔になった。
「リィナの判断力と行動力、大人顔負けのレベルだともっぱらの評判だ」
「そんな……まだまだだよ」
「ミナも、今じゃ組合の帳簿管理を任されてるんだって?みんなが褒めてたよ」
それから、今後の技術開発方針について話し合った。
魔道具をどう活用するか、品質をさらに向上させるには何が必要か……
「グレン兄ちゃんがいなくても頑張れたけど」 私は正直に言った。
「やっぱりいてくれると心強い」
「ありがとう。でも、俺がいなくても十分やっていけてただろ」 グレン兄ちゃんが頭を撫でてくれた。
その時、タク兄が大きな声で呼んだ。
「おーい、歓迎会の準備できたぞー!」
3人で慌てて駆け出ると、事務所の前には、立派な宴会場ができていた。
テーブルには、村の女性たちが腕によりをかけた料理がずらり。
「グレン、こっちに座れ」 父さんが上座を指した。
「いや、俺はここで十分です」 グレン兄ちゃんが遠慮すると、ガイルおじさんが笑った。
「遠慮するな。今日の主役はお前だ」
村長のおじいちゃんが立ち上がった。
「それでは、グレンの帰還を祝して……乾杯!」
「「「乾杯!」」」
みんなでグラスを合わせた。 リンゴ酒の甘い香りが、夜風に混じって漂う。
宴会が始まると、グレン兄ちゃんは村の人たち一人ひとりに声をかけていた。
「5年間、お疲れ様でした。ここまで規模を大きくするのは大変だったでしょう」
「俺がいない間、この産業を守ってくれて、本当にありがとうございました」
みんな嬉しそうに、グレン兄ちゃんの成長を褒めていた。
「立派になったなあ」
「王都の学校で、よく勉強したんだろうなあ」
父さんが立ち上がって、みんなに向かって話し始めた。
「グレンが帰ってきてくれて、心強い」
「これで本当の反撃ができる」
そうだ。ベルニス商会との戦いは、まだ終わっていない。
でも、今度は私たちに強力な味方がいる。
「今度こそ、誰にも負けない体制を作ろう」 私も立ち上がって宣言した。
「ああ」 グレン兄ちゃんが頷いてくれた。
「今度は俺も一緒に戦う」
その言葉に、みんなが大きな拍手をくれた。
「リィナ、グレン、頼んだぞ」
「俺たちも力を合わせて頑張ろう!!」
宴会は夜遅くまで続いた。 久しぶりに、村全体が希望に満ちていた。
翌朝、私はグレン兄ちゃんと一緒に桑畑を歩いていた。
「この5年で、本当に変わったな」 グレン兄ちゃんが感慨深そうに言った。
「グレン兄ちゃんも変わったよ」
「そうか?」
「うん。前より頼もしくなった。それに、かっこよくなったね!」
「そうか?ありがとな。
リィナも頼もしくなった。もう俺の妹分じゃなくて、対等なパートナーって感じだな」
その言葉が嬉しくて、私は笑った。
「でもさ、グレン兄ちゃん」
「ん?」
「王都で、他にも何か持ち帰ったものがあるんじゃない?」 私は勘で聞いてみた。
グレン兄ちゃんが少しだけ困ったような顔をした。
「……鋭いな」
「やっぱり!何があるの?」
「特別な蚕種を少し分けてもらった」
「えっ!?」
「王都でしか飼われていない、貴重な品種だ。うまく育てれば、さらに上質な糸が取れるかもしれない」
私は興奮した。
「すごい!早く試してみたい!」
「ただし、扱いが難しい。慎重に進めなければならない」
それでも、新しい可能性にワクワクが止まらなかった。
「それから……」 グレン兄ちゃんが続けた。
「王都で知り合った人に、この村のことを話してある」
「どんな人?」
「身分の高い人だ。いつか、この村を訪れるかもしれない」
私は首をかしげた。 でも、グレン兄ちゃんがそう言うなら、きっといい人なんだろう。
「楽しみだね」
「ああ。その時までに、もっと立派な村にしておかないとな」
私たちは桑畑を見渡した。 新しい魔道具養蚕システムが本格運用されれば、きっとすごいことになる。
ベルニス商会なんかに、絶対負けない。 グレン兄ちゃんと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる。
「よし、頑張ろう」 私が拳を握ると、グレン兄ちゃんも笑って頷いた。
「ああ。今度こそ、本当に特別な糸を作ろう」
朝日が桑畑を照らして、新しい一日が始まった。
希望に満ちた、素晴らしい一日が。




