第三十七話 王都の扉
車輪の石畳を踏む音が、規則正しく響いていた。
私たちは、馬車の揺れ方が変わったことにも気づかないほど、窓の外に広がる景色に目を奪われていた。
「すごい……」 思わず声が漏れる。
村を出発してから三日。
パスカさんの馬車に揺られながら、ついに王都ヴェルダンの城壁が見えてきた。
「大きいね……」 隣に座るミナ姉ちゃんも、同じように窓に顔を寄せている。
「村の何倍もの人がいるのね」
父さんは、腕を組んだまま黙って外を見つめていた。 でも、その表情には驚きが隠せずにいる。
「商人や職人だけで、この規模か……」 父さんがぽつりと呟いた。
私は胸がドキドキしていた。 嬉しさと不安が入り混じって、落ち着かない気持ち。
(本当に、こんな大きな街の人たちに、私たちの糸を認めてもらえるのかな……)
「リィナ、緊張してるのか?」
パスカさんが優しく声をかけてくれた。
「大丈夫だ。お前さんたちの糸は本物だ。自信を持っていい」
「はい……でも、やっぱり緊張します」 私は正直に答えた。
「それでいい。緊張するってことは、真剣に考えてる証拠だからな」
馬車が城門をくぐると、石造りの建物が立ち並ぶ街並みが広がった。 道には、見たこともない服を着た人たちがたくさん歩いている。
「建物がこんなに高いなんて……」 ミナ姉ちゃんが息を呑んだ。
確かに、村の家は木造で二階建てがせいぜいなのに、ここの建物は三階、四階建てがざらにある。 中には、もっと高い建物もあった。
「あれが王城だ」 パスカさんが指差した先には、雲にも届きそうな高い塔がそびえていた。
「うわぁ……」 私も思わず声を上げた。
「ほら、あそこが今日泊まる宿だ」 パスカさんが示した建物は、三階建ての立派な石造りの宿屋だった。
馬車から降りると、石畳の感触が足の裏から伝わってくる。 村の土の道とは全然違う。
「いらっしゃいませ」 宿屋の主人が丁寧に頭を下げてくれた。
「パスカ様のお客様ですね。お部屋の方、ご案内いたします」
案内された部屋は、村の家一軒分くらいの広さがあった。 窓も大きくて、そこから王都の街並みが一望できる。
「すごいな……」
父さんが窓際に立って、街を見下ろしている。
私も窓に近づいて外を見た。 夕暮れ時の王都は、無数の明かりが灯り始めて、まるで星空のように美しかった。
「明日は、いよいよヴェルダン織物ギルドに行くんですね」
私がパスカさんに確認すると、彼は頷いた。
「ああ。マルコさんもも楽しみにしてる。ギルドの幹部たちも、お前さんたちに会えるのを心待ちにしてるぞ」
「本当に大丈夫かな……」 不安がまた顔を出す。
「リィナ」 ミナ姉ちゃんが私の手を握った。
「いつも通りにやれば大丈夫よ。私たちの糸は、確かにいいものなんだから」
その言葉に、少しだけ安心した。 そうだ。私一人じゃない。 ミナ姉ちゃんも、父さんも、一緒にいてくれる。
それに、村のみんなも応援してくれてる。 タク兄は出発の時、「土産話、楽しみにしてるからな!」って笑って手を振ってくれた。
(みんなの期待に応えなきゃ)
夕食を済ませた後、私は再び窓辺に立った。 たくさんの窓辺から灯りが漏れる王都は、私たちの村より明るかった。私は、そんなたくさんの灯りを見つめながら、明日への決意を固める。
(私たちの糸を、ちゃんと伝えるんだ) (村のみんなの努力を、無駄にはしない)
風が窓を軽く揺らして、まるで村の桑の葉がささやいているようだった。
都会で聞こえるはずのないその音色に励まされながら、王都での初めての夜を過ごした。
翌朝、私たちはヴェルダン織物ギルドへ向かった。
石造りの立派な建物が目の前に現れた時、私は思わず立ち止まった。
「大きい……」
ギルドの建物は、村の集会所の十倍はありそうだった。
入り口には、美しい織物の装飾が施されている。
「おお、ついに来てくれたな!」
建物の中から、聞き覚えのある声が響いた。
マルコ・ジェンティスさんだった。
久しぶりの再会に、私は嬉しくなって駆け寄った。
「マルコさん!」
「リィナちゃん、大きくなったなあ。それに、ミナちゃんも、セイランさんも、ようこそ王都へ」
マルコさんが案内してくれたのは、織物の展示室だった。
そこには、見たこともない美しい布がたくさん並んでいる。
「これは……」 私は息を呑んだ。
光沢のある絹織物、繊細な模様の刺繍、鮮やかな染色…… どれも、村では見たことのない美しさだった。
「これが他国から輸入された絹織物だ」 マルコさんが説明してくれる。
「君たちの糸も、こんな風に美しい布になるんだよ」
「わあ……!」
ミナ姉ちゃんも、隣で目を輝かせている。
「すごい……まるで夢みたい」
しばらく展示を見学した後、いよいよ本格的な商談が始まった。
会議室は、長い木のテーブルと立派な椅子が並ぶ、厳格な雰囲気の部屋だった。
ギルドの幹部が三人、マルコさんとパスカさんと一緒に席についている。
「それでは、マーヴェル村の製法について、詳しく聞かせていただけますか」
年配の幹部の方が丁寧に話しかけてくれた。
私は深呼吸して、立ち上がった。
「はい。まず、桑の栽培からお話しします」
いつも村でやっているように、一つひとつ丁寧に説明していく。
土作り、桑の品種選び、蚕の飼育方法、温湿度管理……
「……そして、糸の品質管理は、この記録帳で行っています」
ミナ姉ちゃんが作った帳簿を見せると、幹部の方々が驚いた顔をした。
「これは……まさか、8歳の子どもがここまで体系的な管理を……」
「いえ、私一人じゃありません」 私は慌てて答えた。
「ミナ姉ちゃんや、みんなで一緒に作り上げたシステムです」
「素晴らしい」 別の幹部の方が感嘆の声を上げた。
「この精度なら、確実に品質を保証できますね」
「それで、偽物対策についてなんですが……」 私は、村で考えた正規品証明システムについて説明した。
記録番号、製造日、品質ランクを記した証明書を各糸束に添付する仕組み。 ミナ姉ちゃんの正確な記録があれば、正規品の証明ができる。
「なるほど!」 マルコさんが手を叩いた。
「これなら偽物と明確に区別できる」
「でも、これだけの管理システムを維持するのは大変でしょう」 幹部の一人が心配そうに言った。
「はい、でも、みんなで協力すれば大丈夫です」 私は笑って答えた。
「私たちの糸は、村のみんなで作ったものですから」
商談は、予想以上にうまく進んだ。 大型契約の話まで出て、私の心臓はドキドキしっぱなしだった。
「それでは、昼食を取りましょう」
マルコさんの提案で、商業区の食堂に向かった。
「リィナちゃん、どうだった?初めての本格商談は」 歩きながらマルコさんが聞いてくれた。
「緊張したけど、楽しかったです」 私は正直に答えた。
「みんな真剣に聞いてくれて、嬉しかった」
昼食の後、マルコさんの案内で絹織物店を巡回した。 王都での販売状況を見るためだ。
そして、ある店で私は愕然とした。
「これ……」
店の棚に、『リィナシルク』と書かれた札が付いた糸束が並んでいる。 でも、触ってみると明らかに品質が違う。
「こんなにひどい品質なのに、私たちの名前で……」 悔しさがこみ上げてきた。
「ひどいな」 父さんも困った顔で言った。
「お客さんも騙されて、本物のリィナシルクまで信用してもらえないこともあったんです……」
マルコさんもため息混じりに教えてくれる。
「申し訳ありません」 私は深々と頭を下げた。
「いや、君たちが謝ることじゃない」 マルコさんが慌てて言った。
「悪いのは偽物を作ってる連中ですよ」
別の店では、もっと深刻な話を聞いた。
「実は、某商会から圧力をかけられましてね」 店主が小声で教えてくれた。
「本物のリィナシルクを扱うなって……」
私は拳を握りしめた。
(そんな……私たちの糸を正当に評価してくれる人の邪魔をするなんて)
「大丈夫」 マルコさんが励ましてくれた。
「正規代理店制度ができれば、こういう問題も解決する」
マルコさんと別れた後、宿に戻る途中で事件は起こった。
「おかしいな……さっきと違う道に来てしまったようだ」
父さんが困った顔で辺りを見回している。
王都の街は複雑で、似たような石造りの建物がたくさん並んでいる。
しかも、夕暮れで薄暗くなってきて、人通りも少なくなっていた。
「あの角を曲がれば、大通りに出られるんじゃない?」
ミナ姉ちゃんが提案して、私たちは細い路地に入った。
が、それが間違いだった。
「おや、こんなところで田舎者を見かけるとは」
突然、背後から声がかけられた。
振り返ると、黒い服を着た男が三人、私たちを囲むように立っていた。 どの顔も、あまり感じのよくない表情をしている。
「何か御用ですか?」 父さんが警戒しながら前に出た。
「ちょっと話を聞かせてもらおうか、田舎のお嬢ちゃんたち」
男の一人が、私を見ながら不気味に笑った。
「君たちの『糸』について、詳しく教えてもらいたいんでね」
私の血の気が引いた。 この人たちは、私たちの養蚕技術を狙っているんだ。
「申し訳ありませんが、急いでおりまして……」
父さんが冷静に答えようとしたが、男たちは聞く耳を持たなかった。
「そう慌てるなよ。ちょっとした質問だけさ」 別の男が一歩前に出る。
「それに、協力してくれれば、悪いようにはしないぞ」
父さんが私とミナ姉ちゃんを背中に庇った。 でも、相手は三人で、しかも体格もがっしりしている。
(どうしよう……)
その時だった。
「王都で客人に迷惑をかけるとは、感心しないな」
冷静で、でもどこか威厳のある声が響いた。
路地の奥から、一人の青年が歩いてきた。 プラチナブロンドの髪、青灰色の瞳、上質な服装…… 見るからに、身分の高そうな人だった。
「あ、あんた……」 男たちの顔色が一気に変わった。
「失礼しました!」 慌てたように頭を下げて、そそくさと逃げていく。
あっという間に、路地には私たちと青年だけが残された。
「大丈夫ですか?」 青年が心配そうに私たちに近づいてきた。
「は、はい……ありがとうございました」 私は震える声でお礼を言った。
「この辺りは物騒だから、気をつけた方がいいですよ」 青年の声は優しかった。
「特に、王都に慣れてない者が出歩くには危険すぎる」
「本当にありがとうございました」 父さんも深々と頭を下げた。
「お名前をお聞かせください。必ずお礼を……」
青年は微笑んで首を振った。 「気にしないでください。たまたま通りかかっただけですので」
そう言うと、スッと踵を返して歩いていく。
「あの……」 私は慌てて声をかけた。
青年が振り返る。
「ありがとうございました。今度お会いできた時は、ちゃんとお礼をさせて下さい」
青年の目が、少しだけ優しくなったような気がした。
「そうですね。……ご縁があれば」
そう言い残すと、夕暮れの路地の向こうに消えていった。
しばらく、私たちは呆然と立ち尽くしていた。
「すごい人だったな……」 父さんがぽつりと呟いた。
「あの男たち、青年を見た途端に逃げていった」
「きっと、とても身分の高い方なのね」
ミナ姉ちゃんも同じことを考えていたようだった。
私は胸の奥が温かくなっていた。 困った時に助けてくれる人がいる。
それだけで、王都が少し身近に感じられた。
翌日、ギルドで最終的な契約を結んだ。
「王都正式ブランド『マーヴェルシルク』として認定します」 幹部の方が契約書にサインしながら言った。
「品質保証システムも全面採用します。これで偽物対策は万全ですね」
私は嬉しくて、思わず飛び上がりそうになった。
「ありがとうございます!村のみんなが喜んでくれそうです!」
マルコさんも満足そうに笑っている。
「これで偽物業者も手出しできなくなるだろう」
契約後、ギルド付属の工房を見学させてもらった。
そこで見たのは、想像以上に高度な技術だった。
「これが……魔道具ですか?」 糸を自動で紡ぐ機械を見て、私は驚いた。
「そうです。王都では、魔道具を使った織物技術が発達しているんです」 案内してくれた職人さんが説明してくれる。
「私たちももっと技術を高めないと……」 正直な感想が口から出た。
「技術はもちろん大切だが…」 パスカさんが優しく言った。
「君たちには君たちだけの良さがある。”物語”がある。それこそが一番の強みなんだ」
翌朝、私たちは王都を後にした。
馬車の窓から見える王都の景色に、私は畏敬と決意を込めた視線を向けた。
「次に来る時は、もっと立派な糸を持って来れるよう頑張ります」
私がそう言うと、パスカさんが笑った。
「君たちなら必ずできる。期待してるぞ」
車輪が石畳を離れ、土の道に変わった。
ああ、故郷に帰るんだ。
王都で学んだこと、感じたこと、そして出会った人たち…… 全部が私の中で新しい力になっている。
(技術で家族と村を守る) (そのために、もっともっと強くなろう)
心の中でそう決意しながら、私は故郷への道のりを見つめていた。
きっと、村のみんなも私たちの帰りを待ってくれている。
次にあの青年に会えた時は、もっと成長した自分でいたい。
そんな小さな願いも、胸の奥にそっとしまっておいた。




