第三十五話 十五の門出、ライルの決意
十月の終わり。 木々が色づき始めた頃、村に久しぶりの祝い事があった。
「ライル兄ちゃん、おめでとう!」 私は精いっぱい背伸びして、ライル兄の肩を叩いた。
「おお、ありがとうリィナ」 ライル兄——もう15歳になって、今日が成人式——が照れくさそうに笑った。
村の広場では、成人式の準備が進んでいる。 ライル兄は、支援隊の最年長として、ずっとみんなをまとめてくれていた。
「緊張してる?」
「まあ、ちょっとな。でも、楽しみでもあるんだ」
成人式が始まると、村の人たちが次々とライル兄を祝福した。 司祭様から祝福を受けて、正式に大人として独立や結婚が認められる。
「ライル・カーター。そなたを成人として認める」
その瞬間、ライル兄の顔が誇らしげに輝いた。
式の後、みんなでお祝いの宴会。 ライル兄は、村の人たちに囲まれて嬉しそうだった。
「ライル、これで正式に大人の仲間入りだな。期待してるぞ」 村長のおじいちゃんが声をかける。
「はい。精一杯やります」 ライル兄が力強く答えた。
でも、私は何となく気になっていた。 最近のライル兄、時々遠くを見つめるような顔をしてたから。
宴会が一段落した頃、私はライル兄のところに行った。
「ライル兄ちゃん、お疲れさま」
「おう、リィナ。今日はありがとうな」
「何か、考え事してる?」
「え?」
「だって、時々ぼーっとしてるもん」
ライル兄は苦笑いした。
「やっぱりバレてたか」
「なに考えてるの?」
「実は……」
ライル兄は少し躊躇してから、小声で言った。
「商人になりたいって思ってるんだ」
「商人?」
「ああ。パスカさんや、マルコさんみたいな」
私は驚いた。 ライル兄が村を離れるなんて、考えたこともなかった。
「でも、どうして?」
「この前、おじさんたちの話を聞いたんだ」
ライル兄が説明してくれた。
数日前、父さんとガイルおじさんが組合の運営について話し合っていた時のこと。
「販路の拡大には、商売に詳しい人材が必要だな」
「そうだな。俺たちは所詮、農家の人間だからな。商売ごとには明るくないし……」
「パスカに頼りっきりじゃ、いつまでも対等な関係は築けないしな…」
そんな会話を、ライル兄は偶然聞いてしまったんだそうだ。
「それで、思ったんだ」 ライル兄の目が輝いた。
「俺が商人になって、お前たちの糸を売る場所を作ろうってな」
「ライル兄ちゃん……」
「俺たちの養蚕事業は、こんなに大きくなった。でも、これからもっと大きくするには、販売のプロが必要だ」
私は胸がいっぱいになった。 ライル兄は、私たちのことを考えて、自分の将来を決めようとしてるんだ。
「でも、村を離れるのは寂しいよ」
「俺だって寂しいさ。でも、いつかきっと役に立てる日が来る」
その時、タク兄がやってきた。
「お〜い、ライル兄。今日の主役が隅っこで何をこそこそ話してるんだ?」
「実は……」 ライル兄は、タク兄にも同じ話をした。
「なんだって!?」 タク兄が目を丸くした。
「ライル兄、商人になるのか?」
「ああ。もう決めたんだ」
「いつから考えてたんだよ」
「最近だ。でも、真剣に考えた結果なんだ」
タク兄は少し考え込んでから、にっと笑った。
「面白そうじゃないか」
「え?」
「だって、ライル兄が商人になって成功したら、俺たちの糸をもっとたくさんの人に届けられるだろ?」
「そういうことだ」 ライル兄が嬉しそうに頷いた。
「でも、どこで修行するんだ?」
「パスカさんに相談してみるつもりだ」
「そうか。それなら、父さんたちにも話してみよう」
その夜、ライル兄は父さんたちに相談した。
「商人になりたい?」 父さんが驚いた顔をした。
「はい。組合のために、販売の専門家が必要だと思うんです」
ガイルおじさんが腕を組んだ。 「なるほど、確かにそれは必要だな」
「でもな、ライル」 ライル兄の父さんが心配そうに言った。
「商人の世界は厳しいぞ。失敗することもある」
「それでもやってみたいんだ」 ライル兄の目は真剣だった。
「俺が、この村の糸を売る場所を作る。それが俺の夢です」
その言葉に、みんなが静かになった。
しばらくの沈黙の後、父さんが口を開いた。
「わかった。応援しよう」
「本当ですか?」
「ああ。お前の気持ちがそこまで固まってるなら、止める理由はない」
ライル兄の父さんも頷いた。
「でも、無理はするなよ。困ったときは、いつでも帰ってくればいいからな」
「ありがとうございます」 ライル兄が深々と頭を下げた。
私は、ちょっと複雑な気持ちだった。 ライル兄の決意は素晴らしいけど、やっぱり寂しい。
でも、ライル兄が私たちのために決断してくれたことが嬉しかった。
(みんな、それぞれの夢に向かって歩いてるんだ)
翌日、ライル兄はさっそくパスカさんに手紙を書いた。
「なんて書けばいいかな」
「素直に、商人になりたいって気持ちを書けばいいんじゃない?」
私も一緒に考えながら、手紙の文章を練った。
『パスカ様 いつもお世話になっております。 突然のお願いで申し訳ありませんが、私は商人の道に進みたいと考えております。 もしよろしければ、修行をさせていただける場所をご紹介いただけないでしょうか』
「これでどうかな?」
「うん、いいと思う」
手紙を出してから数日後、パスカさんから返事が届いた。
「おお、来た来た!」 ライル兄が興奮して封を開く。
私たちも一緒に読んだ。
『ライル殿
君の決意、よくわかりました。 実は、私の知り合いの商会が、ちょうどやる気のある若者を探しているところです。 ヴェルダンの「ジェンティス商会」という老舗の商会です。 マルコさんにも相談して、君を推薦させていただきました。 来月中旬に面接がありますので、準備をしておいてください』
「やったあ!」 ライル兄が飛び上がった。
「ジェンティス商会って、マルコさんのところだよね」
「ああ!これはすごいチャンスだ」
でも、面接となると準備が必要だ。
「何を準備すればいいんだろう」
「商人としての心構えとか、計算能力とか?」
ライル兄は、それから毎日勉強に励んだ。 計算の練習、商売の基本知識、礼儀作法……
「ライル兄ちゃん、がんばってるね」
「当然だろ。これは俺の人生がかかってるんだ」
ミナ姉ちゃんも手伝ってくれた。
「読み書きの練習も大事よ」
「そうだな。商人は書類を扱うことが多いからな」
組合のみんなも応援してくれた。
「ライル、応援してるぞ」
「がんばれよ、俺たちの代表だからな」
一方で、私は複雑な気持ちを抱えていた。 ライル兄がいなくなったら、支援隊はどうなるんだろう。
「リィナ、元気ないな」 タク兄が心配してくれた。
「うん……ライル兄ちゃんがいなくなるのが寂しくて」
「そうか。でも、ライル兄の夢を応援してやろうぜ」
「わかってるよ。でも……」
「大丈夫だ。俺たちがいるじゃないか」 タク兄が頼もしく笑った。
「支援隊も、組合も、ちゃんと続けていくからさ」
その言葉に、少し安心した。
面接の日が近づいてきた頃、ライル兄は私を呼んだ。
「リィナ、ちょっと話があるんだ」
二人で桑畑を歩きながら、ライル兄が口を開いた。
「もし俺が商人になって成功したら、約束してほしいことがあるんだ」
「なに?」
「俺たちの糸を、世界中の人に届けたい」
ライル兄の目が真剣だった。
「リィナシルクを、この国で一番有名な糸にするんだ」
「ライル兄ちゃん……」
「お前が始めたことがどれだけすごいか、俺は理解してる」
「だから、俺が必ず道を作る」
その言葉に、胸が熱くなった。
「ありがとう、ライル兄ちゃん」
「でも、無理はしないでね」
「わかってる。でも、夢は大きく持たないとな」
ライル兄が笑った。
面接の前日、村のみんなでライル兄を励ます会を開いた。
「明日はがんばってこいよ」
「俺たちも応援してるからな」
みんなが次々と声をかけてくれる。
「ありがとう、みんな」 ライル兄が感謝を込めて答えた。
「必ず成功して、帰ってくるからな」
私も、小さなお守りを作って渡した。 桑の葉を乾燥させて作った、手作りのお守り。
「これ、お守りにして」
「ありがとう、リィナ。大切にするよ」
その夜、私は布団の中で考えていた。
(ライル兄ちゃんも、グレン兄ちゃんも、みんなそれぞれの道を歩んでる) (私も、もっとがんばらなきゃ)
明日、ライル兄は新しい人生への第一歩を踏み出す。 私たちも、それを支えていかなければいけない。
(みんなの夢が叶いますように)
そんな願いを込めて、私は眠りについた。
面接の日の朝、村の入り口まで、みんなでライル兄を見送った。
「がんばってこいよ」 タク兄が肩を叩く。
「結果がどうであれ、俺たちは誇りに思ってるからな」 父さんが温かく声をかけた。
「ありがとうございます」 ライル兄が深々と頭を下げた。
馬車に乗り込む前、ライル兄は私の前にしゃがんだ。
「リィナ、俺がいない間、組合のこと頼んだぞ」
「うん!任せて」
「お前なら大丈夫だ。みんなを引っ張っていけるよ」
その言葉に、私は背筋が伸びた。 ライル兄も、私を信頼してくれてるんだ。
「絶対に成功してね」
「ああ。約束する」
馬車が動き出した。 ライル兄が手を振りながら、だんだん小さくなっていく。
「がんばれー!」 「応援してるよー!」
みんなで手を振って見送った。
その日の午後、私たちは組合の今後について話し合った。
「ライルがいなくなると、支援隊の体制も変わるな」 タク兄が言った。
「でも、みんなで協力すれば大丈夫よ」 ミナ姉ちゃんが前向きに答える。
「そうだね。私も、もっとしっかりしなきゃ」
その時、メイナ姉ちゃんが手を上げた。
「私、ライル兄の代わりに支援隊のまとめ役、やってみたい」
「本当?」
「うん。みんなで一緒に作り上げてきたもの、続けていきたいの」
私は嬉しくなった。 みんな、それぞれ成長してるんだ。
「じゃあ、新体制で頑張ろう」 「おー!」
夕方、ライル兄から連絡が届いた。
「面接、うまくいったって!」 使いの人が教えてくれた。
「本当?」
「ああ。マルコさんも同席してくれて、話がスムーズに進んだらしい」
みんなで喜んだ。
「よかった!」 「さすがライルだ」
翌日、ライル兄本人が帰ってきた。
「みんな、ただいま!」
「おかえり!どうだった?」
「合格だ!」 ライル兄が満面の笑みで報告した。
「やったー!」 私は飛び上がって喜んだ。
「それで、いつから修行が始まるんだ?」
「来月から。ヴェルダンに住み込みで働くことになった」
「すごいじゃないか」 父さんが感心して言った。
「ジェンティス商会は老舗だからな。そこで修行できるなんて」
ライル兄は照れくさそうに答えた。
「マルコさんが推薦してくれたおかげです」
「でも、君の熱意が伝わったからこそだ」
その夜、村のみんなでお祝いの宴会を開いた。
「ライルの門出を祝して、乾杯!」 「乾杯!」
宴会の途中、ライル兄が立ち上がった。
「みなさん、聞いてください」
会場が静かになった。
「俺は、商人として成功して、必ずこの村に恩返しをします」
「この村の糸を、全国に広めます」
その言葉に、みんなが拍手した。
「そして、リィナ」 ライル兄が私を見た。
「お前が始めた養蚕事業を、俺が必ず大きくしてみせる」
「俺たちの糸を売る場所を、俺が作る」
私は涙が出そうになった。
「ライル兄ちゃん……」
「これは約束だ。覚えておいてくれ」
その言葉を、私は心に刻んだ。
出発の日がやってきた。
早朝、村の入り口にみんなが集まった。 ライル兄の荷物は少なかった。 新しい人生は、身軽に始めるものなのかもしれない。
「元気でな」
「体に気をつけて」
「手紙、忘れるなよ」
みんなが声をかける。
私は、最後にライル兄に小さな包みを渡した。
「これ、なんだ?」
「特別な木の葉っぱ。お守りにして」
ライル兄は大切そうに包みを受け取った。
「ありがとう。絶対に大切にする」
「俺が、お前たちの絹を売る場所を作る」
もう一度、その約束を口にして、ライル兄は馬車に乗った。
「行ってきます!」
「頑張って!」
馬車が動き出した。 ライル兄が窓から手を振っている。
私たちも精一杯手を振り返した。
馬車が見えなくなるまで、みんなで見送った。
「寂しくなるな」 タク兄がぽつりと言った。
「でも、ライル兄は夢に向かって出発したんだ。喜ぼう」
私も頷いた。 「うん。きっと成功するよ」
その日の午後、私は一人で桑畑を歩いていた。
(グレン兄ちゃんも、ライル兄ちゃんも、みんなそれぞれの道を歩んでる)
風が吹いて、桑の葉がさらさらと音を立てた。
(私も、もっと頑張らなきゃ)
ライル兄の約束を思い出す。 「俺たちの糸を売る場所を、俺が作る」
その約束に応えるためにも、私はもっと良い糸を作らなければいけない。
(みんなの期待に応えられるように)
そんな決意を新たにして、私は村への道を歩いた。
夕日が桑畑を照らして、美しい景色が広がっていた。 これが、私の大切な場所。 みんなで守っていく場所。
(ライル兄ちゃん、元気でね) (いつか、またみんなで一緒に笑える日が来るように)
また一人、仲間が旅立った。
寂しさは増したけど、私たちには夢がある。 みんなで支え合って、その夢に向かって歩いていこう。
窓の外で、秋の虫が鳴いている。 明日もまた、新しい一日が始まる。




