第二十五話 秋市場へ――パスカの手紙
八月の風は、強い日差しを含みながらも、どこか夏の終わりを予感させる涼しさを帯びていた。
「リィナー!手紙が届いてるぞー!」
タク兄の大声に、私は蚕棚の掃除用具を持ったまま裏口から飛び出した。
「ほんと!?誰から?パスカさん?」
「たぶん。父さんが今、みんな集めてる」
私たちはそのまま居間に駆け込み、うちの家族とグレン兄ちゃん、セラさん。
どうやら、ガイルおじさんは来られなかったようだ。
みんなの視線が集まる中、父さんが封を開いた。
「パスカさんからだ。読むぞ。
"秋市場の準備は順調に進んでいる。
できれば、八月末までに今できている分の糸を一度納品してほしい"」
父さんの声が静かに響いた。
「それから"市場前に都市の織師に試作品として布を織ってもらい、展示したい"とのことだ」
「展示って……!すごい!」
ミナ姉ちゃんが目を輝かせる。
「都市の織師って、有名な人なんだよね?」
私が尋ねると、セラさんがうなずいた。
「ええ。パスカさんの取引先に、王都で長年絹を扱ってる老舗の織物工房があるって聞いたわ。おそらく、そこね」
「わたしたちの糸が、王都で……!」
その言葉に、居間の空気がぐっと引き締まる。
「で、どうする?リィナシルクは」
タク兄が口を開いた。
「もちろん、出すよ!」
私が即答すると、ミナ姉ちゃんが少し不安げな顔をした。
「でもさ、リィナシルクって、数が少ないよね?あの"特別な木"はまだ一本だけで、あの子たちの繭も全部は残ってないし……」
「そうだな」
グレン兄ちゃんが頷く。
「でも、逆にそれが“特別な糸”っていう証になる。少しでもいい。まずはその魅力を伝えられるだけの糸を選ぼう」
***
翌日。
私たちは、裏庭にある作業台を囲んで、完成した糸束をひとつずつ広げていった。
「この束はリィナシルク確定。赤のグループの繭だけで紡いだもの」
グレン兄ちゃんが木箱に赤い札をつけながら言う。
「こっちは、青と緑のグループからとった糸だけど……似た風合いのものもあるね」
ミナ姉ちゃんが光にかざしながら目を細めた。
「これは……」
私が手に取った一束の糸は、光を受けてほんのりと琥珀色に輝いていた。
「うん、それもリィナシルクだ」
グレン兄ちゃんが笑った。
「この色、やっぱりリィナの髪に似てるな」
タク兄がぽつりと呟く。
「え〜、またその話?」
私はちょっと照れながらも笑い返した。
「だって本当だもん」
ミナ姉ちゃんがくすくす笑う。
「よし、この“本家リィナシルク”は少量でも見本として出そう。残りの混合糸も品質別に仕分けて、布に使えるものだけまとめよう」
グレン兄ちゃんが作業手順を示す。
「じゃあ、今日と明日で選別終わらせよう!」
私が気合いを入れると、みんなも「おう!」と声を合わせた。
***
昼過ぎ。
蚕棚の記録帳を見返しながら、グレン兄ちゃんが呟く。
「今回の検証でわかったことをまとめて、納品と一緒に報告として出そうかと思ってる」
「へえ、どんなこと書くの?」
「リィナシルクの糸を吐いた蚕の育成条件。餌の種類、混合率、湿度や温度の推移。特別な葉の供給条件も。今後、規模を広げるために必要な情報を残しておきたい」
「うん、それ絶対必要!」
ミナ姉ちゃんが強くうなずいた。
「こうして少しずつ形になっていくんだね……」
私は、束ねた糸をひとつ、胸の前に抱えた。
「この糸、誰がどんなふうに使うんだろう」
「布になって、服になって、誰かの元に届く」
グレン兄ちゃんの言葉に、私はふと、はるか遠くを見つめた。
(この糸が、この村と、みんなの未来を変えていく第一歩になるかもしれない)
「頑張ろうな」
「うん」
私は深くうなずいた。
***
夜。
囲炉裏の前で、母さんがしみじみと言った。
「この数ヶ月で、あの子たち、本当に変わったわね」
「最初は桑の枝一本持てなかったリィナが、今じゃ糸の選別までしてるんだからな」
父さんが肩をすくめて笑う。
「ミナなんて、あんなに虫嫌いだったのに、今じゃ”かわいい〜”なんて言いながら率先して蚕のお世話をしてるんだものね」
「タクマもグレンもよく支えてくれたしな」
父さんが湯を一口飲んでから、湯呑みを置いた。
「これからが正念場だ」
「正式契約に進めるかどうか、秋市場での評価にかかっている」
「きっと、大丈夫よ」
母さんが静かに笑った。
「あの子たちなら、きっとやり遂げるわ」
囲炉裏の火がぱちりと音を立てた。
闇の中で赤く揺れる火の光が、明日への道を照らしているように見えた。




