第二十三話 特別な木
七月末。
日中の暑さはさらに増し、風すらもぬるく感じるようになってきた。 蚕たちにとっても、人間にとっても、過酷な夏が続いていた。
「今日で本格的な検証を初めて1週間だね」
ミナ姉ちゃんが、記録帳を抱えて蚕棚の前に立った。
「ああ。明らかに”小屋横の赤い紐で印をつけた木”から採った葉ををあげた蚕たちの状態がいい」
「そうだよね。すごくよく食べるし、一部の子は繭も作り始めてる。
それに比べて他の葉を食べてる子たちはやっぱり食欲が落ちてる気がする」
幾つかのグループに分け、それぞれに同じ量の葉を与え、成長の差、食欲、排泄量、異常の有無などを記録した帳面をみんなで覗く。
「温湿度は問題なし。遮光も順調。違いはエサだけだったんだよな」
「じゃあ、あの”赤い紐の木”に何か秘密があるのかな?」
「それは何とも言えないが…」
「でもさ、”赤い紐の木”の葉っぱを食べれば、元気になるんだよね?」
「はっきりとは分からないが、その可能性は高いと思う」
「なら、弱ってきてる子たちに”赤い紐の木”の葉っぱをあげてみない?」
「”赤い紐の木”は1本しかないんだから、足りないんじゃない?」
ミナ姉ちゃん、メイナ姉ちゃんが口々にグレン兄ちゃんに意見する。
「仮にあの”赤い紐の木”の葉っぱに何か特別な効果があるとして、それをどれくらいあげれば効果があるのか調べてみない?」
私も提案してみる。
「そうだな。まずはそこからだな。
よし、”赤い紐の木”の葉を与えてたグループには、これからはそれ以外の葉をあげよう。
他の蚕たちは新しくグループを4つに分け、青グループは”赤い紐の木”の葉を半分混ぜ、緑色グループは1/4、黄色グループは”赤い紐の木”の葉は混ぜないで、また1週間様子をみてみるか」
「「「わかった!」」」
***
3日後
「リィナ、来て!黄色グループの子たちが動いてない!!」
ミナ姉ちゃんが桑棚を指差した。
タク兄と一緒に慌てて小屋に駆け込み、箱の中を覗き込む。
「本当だ…もう動いてない」
「他のグループの子たちは…?」
「それが、赤の子たちは元気なままだし、青もモリモリ葉っぱを食べてる。緑はまだちょっと弱ってる子もいるけど、前より全然元気だよ」
とそこへ、グレン兄ちゃんと父さんもやってきた。
「”赤い紐の木”の葉だけ、やっぱりちょっと特別なのかもしれんな……」
「確かに。赤のグループはあれ以来”赤い紐の木”の葉をあげてないけど、変わらず元気だし」
グレン兄ちゃんが、真剣な顔で記録帳のページをめくる。
「つまり、”お薬”みたいに病気の時に食べれば元気になるってこと?」
ミナ姉ちゃんが首を傾げて尋ねる。
「いや、それだけじゃないかもしれない。記録をみる限り、この葉を食べて育った蚕は成長も早い。
ひょっとして、採れる糸にも違いが出るかもしれないな」
「なんにせよ、 これで”赤い紐の木”の葉が「特別」だってことは分かった。どんな効果があるかはまだはっきりしない部分もあるが、少なくとも弱っている蚕にとっての”薬”みたいな効果はあるらしい。なら、これ以上、蚕を死なせずにすむ」
「そうだね!」ミナ姉ちゃんが明るい笑顔で答えた。
「問題はその”特別な木”が1本しかないことだ。
このまま全てのエサをこれにする訳にはいかない。
まずは予定通りのエサを残った3グループにあげて観察を続けよう。
この”特別な木”の葉をどれくらい与えるのがちょうどいいのか、今後は混合率を変えながら考えていかないとな」
「よし!それでいこう」
「「はい」」
***
夜。
母さんと父さんが囲炉裏の前で静かに話す声が聞こえる。
「何とか蚕たちを生かす道が見つかって、本当に良かったわね」
「ああ、子ども達には言えないが、正直もうダメだと思った」
「まあ」
「みんな本当に良くやってくれた。なんだか頼もしかったよ」
「そうね」
遠くで父さんと母さんの声を聞きながら、私はベッドの上で小屋横の木を想った。
みんなに”特別な木”と呼ばれた木。
みんなで一番最初に移植した木。
私がそっと女神様にお祈りを捧げた木。
その夜、夢を見た。
特別な木の横で女神様が微笑んでいる夢。
星あかりに照らされて、桑の葉がさわさわと揺れていた。




