27 暗雲
わたしの一日は掃除から始まる。料理は紅花さんに任せて、朝餉の前に門の周りの掃除をしてから庭の落ち葉もささっと掃くのが日課になった。それが終わる頃には朝餉の準備も終わっていて、相変わらずわたしは虹淳様と一緒に食事を取っている。
朝餉の後は洗濯や掃除の続きで、数が多い部屋の掃除は紅花さんと手分けしながら少しずつ進めている状態だ。途中、虹淳様の様子を確認しに行くついでに紙や墨などの日用品を確認するのも忘れない。
昼餉を食べた後は虹淳様と一緒に字の練習と、最近は音読の練習も始めている。そのほうが虹淳様にはよいだろうと判断したからだけれど、おかげで最近の虹淳様は前よりよく話すようになった。字の練習では紅花さんに見てもらうときもあれば、虹淳様と二人で互いに字を見せ合いながらやることもある。
それが終われば虹淳様の髪結いの練習だ。妃にふさわしい髪型を作る練習をしているけれど、あまり手先が器用じゃないわたしはまだ三種類しか結うことができない。せっかくだからと豪華な妃用の服の着せ方や装飾品の選び方なんかも紅花さんに習い始めたところだ。
そんなわけで、今日は覚えたての髪型の練習をすることにした。虹淳様には椅子に座ってもらい、それだけじゃ飽きるかなと思ってテーブルに装飾品を並べておく。
「虹淳様は真珠が好きなんですか?」
ふと気になって尋ねてみた。いまも虹淳様は真珠の耳飾りを指でいじっている。初めて会ったときも真珠の耳飾りをしていたし、その後も耳飾りは真珠ばかりだ。真珠には白以外に赤や黒もあるけれど、虹淳様は白がお気に入りなのかほかの色を身につけているところを見たことがない。
「しんじゅ?」
「いま触っているのが真珠です。いつも白真珠の耳飾りを選んでいるので、てっきり白真珠が好きなのかと思っていたんですけど」
「……これ、おいしそうだったから」
そう言いながら虹淳様が大ぶりの白真珠でできた耳飾りを摘み上げた。それは少し前に皇帝陛下から届いた耳飾りで、相変わらず虹淳様によく似合う品だなと感心する。
「おいしそうって……もしかして、小さい卵だなんて思ってるわけじゃないですよね?」
冗談で言ったのに、虹淳様の「卵」という返事にまさかと顔を覗き込んだ。気のせいでなければ目が少しだけ赤くなっている気がする。本気にされたら大変だと思って「真珠は卵じゃないですよ」と慌てて注意した。
「ええと、それじゃあ首飾りに青い宝石のものを選んでいたのはどうしてですか?」
「青色はきれい。きれいなものは、こうして首に巻きつけるって知ってる」
「知ってるって……あ、掃除に来た侍女を見たってことですか」
わたしのつぶやきに「きれいな石、つけてたから」と虹淳様が答えた。「もしかして蛇は光るものが好きなんだろうか」と思いつつ、頭のてっぺんに作ったお団子の部分に蝶々をあしらった簪を挿す。根元には黒と琥珀色に螺鈿を散らしたべっ甲の櫛を挿し、ゆるく結んだ横髪と垂らしたままの後ろの髪を整えれば完成だ。
「……うん、なかなかよくできたかな。虹淳様、完成しました。どうですか?」
「……きれい」
「ありがとうございます。虹淳様もとても可愛いですよ」
「……ありがとう」
返事はひと言だったものの、テーブルに置いた鏡の中の虹淳様は少しだけはにかんでいる。頬もうっすらと赤くなっているということは、褒められて嬉しいと思っているに違いない。
(こういうのも書物の効果なのかなぁ)
わたしよりずっとたくさんの字を覚えた虹淳様は、わたしより多くの書物が読めるようになった。読んでいるのは子ども向けのものらしいけれど、いろんな物語を読んでいるからか気持ちが表に出るようになった気がする。つられて表情も豊かになってきたからか、ますます美少女っぷりに磨きがかかってきた。
そのことを一番に喜んでいるのは弘徳様だ。完璧な美少女の竜妃様というだけでも涙を流していたのに、妃らしい服装と髪型で静かに書物を読んでいる姿は弘徳様の何かを刺激するらしい。廊下から読書中の姿を眺めてはうっとりとため息をつく姿を何度も見かけた。
(相変わらずへんた……変な人だとは思うけど、虹淳様のことは同じくらい心配してるみたいだし)
保存食の話をしたときも、厳しい顔をしながら「調べてみましょう」と言っていた。奥深くに仕舞われている禁書を読む許可を得るため、皇帝陛下にお願いしている最中だとも聞いている。
そういえば朝餉と昼餉の煮卵は紅花さんが作っているけれど、夕餉の煮卵だけは自分が用意するのだと言って譲らなかった。紅花さんの煮卵は煮物のような感じで弘徳様の作るものとは違っていて、どちらも虹淳様の好物になっている。
(ってことで、そろそろ壺を抱えた弘徳様が来る時間だと思うんだけど)
そう思いながら扉のほうを見ると、ちょうどトントンと戸を叩く音がした。相変わらず声をかけるまで入って来ない弘徳様に「真面目だなぁ」と思いながら、いまはそれがよかったと思っている。
「さぁ虹淳様、声をかけてください」
「……どうぞ」
戸を叩く音がしたら返事をする、これも最近虹淳様が覚えたことだ。わたしなんかはつい「入りますよ」と勝手に入ってしまうから、律儀に戸を叩く弘徳様はいい練習台になる。そんな失礼なことを思っていると、戸を開けた弘徳様が「阿繰」とわたしを呼んだ。よく見ると弘徳様の後ろに紅花さんの姿も見える。
(もしかして何かあったんじゃ……)
二人の雰囲気からそう思った。そして何かあるとしたら虹淳様に関係することに違いない。すぐにそう悟ったわたしは「しばらく絵を描いていてくださいね」と紙と筆をテーブルに用意して廊下に出た。壺を持ったまま神妙な顔をした弘徳様と表情を失っている紅花さんに促され、部屋から少し離れたところに移動する。
「何かあったんですか?」
そう尋ねながら嫌な感じに鼓動が早まるのがわかった。お腹のあたりが気持ち悪くなるのを感じながら二人を見る。
「まだはっきりとしたことはわかりませんが……あまりよくない情報を得ました」
「よくないって」
「はっきりわかってからとも思ったのです。しかし、それでは遅いかもしれないと思い知らせに来たんですが……」
相変わらずよくない話題だとはっきり言おうとしない。迷うような表情の弘徳様に「話してください」と促すと一つため息をつき、厳しい顔をしながら口を開いた。
「黄妃様の御子が……隠されていた御子の存在が明るみに出そうなのです」
「え?」
慌てて紅花さんを見た。夕暮れが近く日が傾き始めているからか、いつもより顔がはっきり見えない。それでも青ざめているのはわかった。
「紅花さん、」
「あの男が情報を掴んだということね」
紅花さんの声が冷たい風をより一層冷たく感じさせた。




