22 黄妃の秘密
悲しそうな微笑みに戸惑っていると「なるほど、やり手の陽候王氏らしい手口ですね」という声がした。
「弘徳様」
振り返ると廊下に続く出入り口に弘徳様が立っている。手に壺を持っていないということは無事に煮卵を届け終わったのだろう。よく見ると目元が赤くなっているから、今日も虹淳様の様子に感激して涙したに違いない。
そんな弘徳様の言葉に紅花さんが息を呑むのがわかった。ちらっと見た表情はさっきまでとは違って随分固くなっている。
「あの、よう……何とかっていうのは誰ですか?」
聞き慣れない言葉に質問すると、弘徳様が「陽候王氏、西方域節吏使の家柄ですよ」と紅花さんと同じことを口にした。
「かつては妃を何人も排出した名家と呼ばれる貴族です」
「え? ってことは紅花さんはその家の人ってことですか? それって、すごい貴族ってことなんじゃ……」
「家柄はそうですね」
そう言った弘徳様が紅花さんを見る。
「記録には当主の姪と記載されていましたが、妾腹という噂があったと記憶しています。そのあたりも今回の件に関係しているんでしょうか?」
妾腹という言葉にハッとした。貴族ではよくあることだと聞いているけれど、さすがに本人を前にこれ以上の話を聞くのはよくない気がする。
ちらっと見た紅花さんの表情は変わらない。それでも目つきが冷たくなっているように見えた。やっぱり触れられたくない話題なのではと思っていると、意外にも「そのとおりよ」と紅花さんのほうから口にした。
「わたしは王氏の弟の娘で、母は台所番の下女だった。あまりに低い身分だったから、わたしを身ごもったとわかった途端に奥様に追い出されたの。わたしは帝都の外れで生まれ、母は体が弱っていたせいですぐに死んだわ」
紅花さんが真っ直ぐに顔を上げた。凜とした表情で弘徳様を見ながら「孤児として育ったわたしを引き取ったのは、母を奥様と一緒に追い出した父親よ」と続ける。
「目的は至極簡単。後宮に侍女としてわたしを送り込んで、あの男が求める情報を報告させること。そのためだけに孤児だったわたしを引き取って貴族の娘に仕立てたの。そしてあの男の思惑どおり、わたしは黄妃様の侍女として後宮に入ることになったわ」
紅花さんの言葉に弘徳様が目を細めた。厳しい表情の二人を交互に見ながら、わたしは「いかにも後宮っぽい話になってきたな」とため息をつきたくなった。侍女にはなったけれど、正直こういった話は好きじゃないし関わりたくもない。
それでも紅花さんに声をかけたのはわたしだ。おとなしく成り行きを見守るしかなかった。
「黄妃様の何を調べていたのです?」
「宦官のあなたなら予想できるでしょう?」
「……もしや、隠された御子のことですか?」
「そうよ」
「あれは単なる噂です。そのような事実はありませんし記録にも残っていません」
「記録に残されない事実なんて、この後宮には山のようにあるわ」
弘徳様が眉をひそめている。それでも否定しないということは、紅花さんの言ったことはあながち間違いじゃないということなのだろう。
(ええと、隠されたみこ……みこっていうのは皇帝陛下の子どものことよね?)
それを調べるために紅花さんは黄妃様の侍女になったということだ。それはつまり……。
「黄妃様は皇帝陛下の子どもを生んでたってことですか?」
わたしの質問に弘徳様がますます眉をひそめた。紅花さんは否定も肯定もせず弘徳様を見つめている。
「ちょっと待ってください。皇帝陛下の子どもは白妃様が生んだ皇女様だけですよね? もしほかに子どもがいるならわたしでも知っているはずです。いくら下っ端下女でも後宮に二年も勤めているんですから」
「阿繰、先ほども言いましたがそのような記録はありません。陛下の御子は白妃様がお生みになった皇女様お一人です」
「皇子がいらっしゃるわ」
否定する紅花さんに弘徳様が「いいえ」と反論した。
「たしかに皇子殿下はいらっしゃいました。しかし四年前、一歳でお亡くなりになられています。記録にもそうありますし、わたしも当時のことはよく知っています」
「亡くなったのは兄君のほうよ。弟君は生きていらっしゃる。そう、間違いなく生きていらっしゃるの」
紅花さんの強い言葉に弘徳様が「まさか」と言葉を詰まらせた。わたしは弘徳様の驚く顔を見て「とんでもなく大変な話が始まったのかもしれない」と気が重くなる。
(きっとわたしみたいな下っ端が聞いていい話じゃない)
だからといって席を外せる雰囲気でもなかった。「このままじゃ間違いなく巻き込まれるぞ」と内心困りながら二人の顔を交互に見る。
「黄妃様がお子を二人生んだという記録はありません」
「生んだのが双子だから片方は隠されたのよ。いまでも帝室は双子を忌むべきものとして考えているから、記録も兄君だけ残したんでしょうね」
「双子……まさか」
「四年前に亡くなったのは兄君のほうで、弟君はどこかへ隠されている。双子ゆえの処置だったんでしょうけれど、それがいまになって後宮の勢力図を書き換える重要な鍵になりつつあるわ。もし弟君が後宮に戻って来れば、黄妃様は妃の地位に留まることができるだけでなく未来の国母となる。同時に新しい妃を迎える必要もなくなる」
「……新しい麒麟宮の妃の話ですね」
弘徳様の言葉に、これまで何度か聞いた話を思い出した。
わたしが後宮に来たばかりの頃、新しい妃が来るとしたらどの宮に入るか下女たちが毎日のように噂していた。その中で一番多かったのが麒麟宮だった。主の黄妃様は今年二十七歳で妃の中では最年長になる。当時はまだ二十五歳だったけれど、それでももう子どもは望めないだろうと誰もが噂していた。
それなら新しい妃は麒麟宮に入るだろう。そしていまの黄妃様は後宮を出て離宮にでも押し込められるに違いない。そういう話だった気がする。
(二十七歳なんて、妓楼でもまだ現役だっていうのに)
噂では黄妃様は西方の血を濃く引いているらしく、銀色の髪に碧い目をしているのだという。名前は冬麗姫と言って、まさに冬の女神のような方だと聞いた。
「黄妃様は陛下が皇太子時代に妃になられた方です。そして即位される前に待望の御子をお生みになった。ところが即位後、御子は亡くなられてしまった。記録にはそう残っていますし、わたしもこの目で見て知っています」
弘徳様の説明を聞いて「だから黄妃様へのお渡りが少なかったのか」と納得した。幼い子どもを亡くした妃の元に通うのは皇帝陛下も気が引けたに違いない。そんな皇帝陛下にようやく生まれたのが白妃様のところの皇女様というわけだ。
「そういえば、新しい妃を押しているのは王氏でしたね」
「西方にいる当主に代わってあれこれ指示しているのは弟のほうよ。当主には三人の娘がいて、そのうち西方人の奥方との間に生まれた末娘を新しい黄妃様にしようと考えているわ。だから、いまの黄妃様が後宮に居続けては都合が悪いの」
「それで黄妃様の身辺を探り、御子の噂を確かめようとしていたわけですか」
それには答えず「ただの噂ではないわ」とだけ口にした。
「御子が実際にいらっしゃるという話は聞いたことがありません。ですが、あなたが言うように記録に残されない真実があることもまた事実です」
弘徳様がそう言ったのは虹淳様のことがあったからだろう。それに百年前の竜妃様のこともある。
「あなたは、その隠された御子の所在を突き止めたのですか?」
「いいえ、そこまではまだ。でも隠されていることは間違いない。かくまっているらしき人物とやり取りしている手紙を見つけたもの」
「それをあなたは王氏に伝えたんですか?」
紅花さんが小さく首を振った。
「すべてはっきりしてからでないと、伝えたところであの男は激昂するだけよ。だからまだ伝えてはいない。それに……」
「それに?」
「もし本当に存在しているのならしかるべき手を打てと、そう命じられているの。そこまで終えなければわたしの役目は終わらない」
紅花さんの言葉にギョッとした。さすがのわたしもいまの言葉の意味はわかる。慌てて弘徳様を見ると同じように眼鏡の奥で目を見開いていた。
「……なぜ、そこまで話をするのです? 話せば捕らえられるとわからないわけじゃないでしょう?」
弘徳様の疑問はもっともだ。わたしだけならまだしも、宦官の弘徳様が聞けば間違いなく大問題になる。
いないはずの皇子様が実は存在したという話も大事になるだろうけれど、その皇子様の命を狙っていたなんて知られれば紅花さんは間違いなく捕らえられるだろう。皇子様の命を奪うことは皇帝陛下への反逆と同じ重罪で、捕まれば命はない。
「どうしてかしら……。そうね、きっともう疲れてしまったからだわ」
そう言って微笑む紅花さんは、何もかもを諦めているように見えた。




