ユーベルトの困惑 10
ユーベルトは隣で寝息を立てている男を殴りたい衝動に駆られていた。
腰も痛けりゃ、あらぬところも痛い。そもそもユーベルトは肌を合わせることに同意していない。こんなの犯罪ではないか。そりゃあ好きだといったけれど!それとこれとは別なのだ!
ぎりぎりと食いしばりながら、痛みの原因となった男を跨ぐようにベッドから降りて身支度を整え始めた。どんなに節々が痛くても、時間も仕事も待ってくれないのである。
「もう起きたのか?」
のそりとした動きで気怠げに起き上がったそいつを、ユーベルトは睨みつけた。
「仕事があるので」
「休みだぞ」
「は?」
何を言っているのだと首を傾げると、短い銀髪をガリガリと掻きながらとんでもないことを宣った。
「僕とユーベルトの十日分の休暇申請通したから」
「はあーーー?!」
人の有給をなんだと思っているのだと拳骨を食らわせて、ユーベルトは食堂に来ていた。ちなみにヘリオロスも同伴である。周りからの視線は凄まじいが、ここまできたら開き直りである。文句があるなら俺ではなく後ろで機嫌を取ろうとしている銀髪へどうぞ。
ユーベルトが苛立ちを隠していないからか、それとも後ろに引き連れているヘリオロスが近づき難い存在だからか、少なくとも不躾に突撃してくる輩がいないので平和である。
食事の受け取り列に並ぶ。寮付きの食堂を利用するのは基本的に騎士や兵士だ。栄養が偏らないようにその日のメニューは固定されている。出征先でも働くことのある料理人達は屈強だ。窓口で料理が乗ったプレートを受け取って隅の方にあるテーブルにつく。ちゃっかり自分もプレートを受け取ったヘリオロスはユーベルトの向かいに座った。
「ユーベルト……?」
「何ですか」
自分でも驚くほど、地を這うような低い声だった。ヘリオロスの肩がビクッと跳ねるのがわかったくらいである。
「怒ってる、よね?」
「怒ってますね。怒りを増幅させたくなかったら食事中は黙っていてもらえますか」
「……はい」
無言の食事は心地のいいものではない。素早く掻き込んで席を立つ。兵士という職業柄身に付いた早食いだが、ヘリオロスもそれに付いてきていた。彼の家は騎士を輩出している名門だからこういうところは苦もなく身についているのかもしれない。
あまり人目のないところを探しながら廊下を歩く。ほんとうは自室が一番いいのだろうが、あそこは壁が薄い。隣人達が悪い人間ではないと思ってはいるが、その部屋にいるのが隣人だけとは限らない。それなら外で周囲に警戒しながらの方がまだマシなのだ。
けれどあいにく、そんな都合のいい場所が思い浮かばない。
「ヘリオロス様」
「っ!なんだい?何かあった?」
やっとまともに話しかけたからか、ヘリオロスはぱあっと表情を明るくした。それに毒気を抜かれたからか、どっと疲れが出てきた気がする。はあ、とため息を吐いてユーベルトはお願いをすることにした。
「お話ししたいんですけど、どこかいいところをご存知ありませんか?」
ヘリオロスが案内してくれたのは、やはりというべきか魔術課の応接室だった。ここにはヘリオロスの知り合いばかりだし、素材の関係でユーベルトに友好的な者しかいないからという理由である。特に課長なんて手を揉みながら歓迎してくれたので疑う余地なんてない。
ヘリオロスに勧められた椅子に腰掛けて、ユーベルトは向き直った。
「課題を解いたと仰いましたが、どのようになさったんですか?」
「まず課題についてだけれど、君は確か新しく家を興して後継をつくれと言っただろう?」
「そうですね。その課題なら解かれないだろうと思って」
解かれてしまったけれどと恨みがましくヘリオロスを見ると、かれは肩をすくめてそんなに難しくなかったと答えた。
「解くためにはどうすればいいのかはすぐ分かったよ。だって家を興して跡継ぎさえ用意すればいいだけだからね。家を興すだけなら簡単だ。私は爵位をもらっているから家に反対されても国に申請すれば興せる。後継だって私の子供だと指定されていないのだから養子をとればいい。けれどそれをすると国王から王女をと命令されるだろうし、自分の子を養子に出して将来的に家をと願う野心家はごまんといるからね」
「それで、どうしたんですか?」
「宰相と取引した」
まさかの人物が出てきた。
宰相といえばアーゲンラッハ伯爵と、ユーベルトたちキャラディック子爵家の言い分を聞き入れて落としどころを作ってくれた人である。もしや彼もヘリオロスの協力者だったのかと疑いかけたが、それはないだろうと思い至る。最後の課題はあの時ユーベルトさえ知らない話だったのである。
「どのような取引をしたのです?」
「宰相の孫にあたる子だが、数えて第三子を養子に取ることになった。その代わり、国王と私の父上を言いくるめてくれると」
あの宰相ならやり遂げそうである。納得がいったと頷きつつ、なぜ第三子なのかと尋ねると詳しく教えてくれた。
宰相の孫の中で最も優秀な子がその第三子であるクリストハルトらしいのだが、この国は長子が家督を継ぐ制度がある。その長子も優秀であることは確かなのだが、どうしてもクリストハルトには敵わない。それだけの能力があるにも関わらず家に残しておくのは勿体無いというのが宰相の思いだったそうだ。
「ただ、宰相でも言いくるめるのが大変だったみたいで手をこまねいてるうちに時間が経ってしまったんだけれど」
「時間が経っても言いくるめることができたって事ですよね」
「どんな手を使ったのかわからないけどな」
「……宰相だけは敵にしたくありません」
「同感だ」
彼の孫を養子に取ると言うのだし、当面の間は強い味方になってくれるのだろうけれど。
「家を興して後継は養子で解決して、それで私の課題を終えたということですね」
「何も間違ってはいないだろう?」
「まあそうですけど……お互いの両親には……」
「もう話は通してある。そもそもうちは裏出身の母の方が強いから結婚に関しては恋愛感情が優先されるし、君のお家はまあ……」
「……格上の家からの話は断りませんよ」
はあ、とため息を吐いてユーベルトは立ち上がった。
嫁取りの課題は負けである。ユーベルトが考えていた答えではないが、確かにユーベルトが出した課題をクリアしている。負けは負けだと受け入れるべきだ。ユーベルト以外は落とし所も付いているみたいであるし。
まだ座ったままのヘリオロスを見下ろす。
彼の親指に合う指輪を作らなければならない。
男女間の婚姻でも、嫁入りや婿入りをする側は婚約をした時に後継側の目の色の装飾具を身につけるが、結婚式には後継側に嫁や婿の目の色の親指用の指輪を渡すのだ。
正直なところ自分が女性と同じ立場になるのは納得いかないが、娶られる方だと思えば婿入りと同じだ。
「買い物に付き合ってもらえませんか」
「もちろんいいとも。どこに行くんだ?」
「宝飾屋に行くんですよ」
ヘリオロスはきょとんとして、一瞬のうちに喜びを露わにした。勢いよく立ち上がり率先して歩き出す彼に、ユーベルトは注文をつけた。
「結婚式は小規模にしてくださいね」