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第6幕

♪♪♪

「ねぇ、コッペリア?」

椅子に座るコッペリアに近付くと、スワニルダは恐る恐る彼女に話しかけた。


人形に話しかけるなんて、やはり馬鹿げてる。でも、テラスに座る彼女を人形だと知らなかった時と違い、今のスワニルダには、人形であるとわかっていても、その声は彼女に届いているという確信があった。


「あなたは、オランピアなんでしょ?隣町の、いなくなった女の子。お願い、みんなを、元に戻してっ」

無表情で本を読むコッペリアに、スワニルダは切実に懇願する。


彼女が見渡すと、周りには、たくさんの人形たちが立っていた。

スペインの、ヒダのついた真っ赤なドレスを着た人形、スコットランドの民族衣装を模した、チェック柄のチュチュを着た人形、チャイナドレスを着て、髪を2つのお団子に結わえた人形。


どれも、濃い化粧を施され、頬に真っ赤なチークが刺されて、コッペリアと同じ人形の顔をしていた。


しかし、スワニルダには、人形たちが自分の友人たちだとわかっていた。


そして、彼女たちを人形に変えたのが、このコッペリアだということも。


「あなたは、あのコッペリウスに操られてる。人形にされて、他の女の子たちを人形に変える手助けをさせられてるんでしょう?」


スワニルダが言っても、コッペリアは反応しない。


「お願い!みんなを、元の姿に戻して、オランピアっ!」

スワニルダの呼びかけに、コッペリア、いや、オランピアは顔をあげる。


人形が一人でに動きだし、スワニルダは最初は驚いたが、

「あ、わかってくれたのね?」

オランピアが自我を取り戻し、自分の呼びかけに応じたのだとわかった。


オランピアはゆっくりと、厚化粧を施された、無表情な顔をスワニルダに向ける。


そして、ゆっくりと口を開いた。


「チガウ」


「えっ?」

スワニルダは、オランピアの口から発せられた、あまりにも無機質な声に、耳を疑った。


「ワタシハ、オランピア、ジャナイ」

オランピアは、機械的な声でスワニルダに言った。

「ワタシハ、コッペリア。マスターニ、シタガウ、オニンギョウ」


「ち、違うわ!オランピア、あなたは人間よ!目を覚まして!」

スワニルダは必死に言うが、オランピアはガラス玉のような目でスワニルダを見つめ返すだけだ。


その目は、およそ命を持った人間のものとは思えないくらい、生気のまるで感じられない目だった。


「ワタシハ、オニンギョウ。”コノコタチ”モ、オニンギョウ」

「えっ?」

スワニルダが振り返ると、スペイン、チャイナ、スコットランドそれぞれの衣装を着た、元は彼女の親友たちだった人形たちが、いつの間にか、彼女を取り囲むようにして立っていた。


「ソシテ、アナタモ」

オランピアが言うと、友人たちはスワニルダに一斉に手を伸ばす。


「いやっ、やめてっ!みんな、お願い・・・」

羽交い締めにされ、人形たちの群れの中に消えていくと、次第にスワニルダの声は小さくなっていた。


「こらっ、小娘ども!ワシの家で暴れおって!」

コッペリウスが部屋に怒鳴り込んで来た時には、部屋には人の姿はなかった。


あるのは、無表情でポーズを取る、スペイン、チャイナ、スコットランドの人形。


椅子に座って本を読むコッペリア。


そして、その足元には、衣装を剥ぎ取られ、レオタード姿で両手足を広げる、スワニルダの姿。


彼女を見て、コッペリウスは、今しがたこの部屋で起きたことを察し、にんまりとした。


「おお、そうか。また、”私の作品”が増えたのだな?」

そう言って、コッペリウスはスワニルダを抱き上げた。

スワニルダの体は、まるで樹脂でできているかのように固く・・・


「いえ、やはり、グニャリと脱力してください、アオくんん。君はまだ、心を人形にされただけで、体は人間のまま、ということにしましょう」


コッペリウス(ノブオ)が言うと、ノブオの腕の中に収まるスワニルダ(アオ)は、ダラリと脱力した。


しかし、その目は見開かれたまま、焦点もあわずに虚空を見つめている。


「たいへんよろしい。その方が、スワニルダが捕らえられた感じがお客様に伝わるでしょう」

ノブオが満足そうに言っても、黒いレオタード姿のアオは、まるで本当に人形にされてしまったかのように、ノブオの腕の中で身を任せていた。


♪♪♪

リハーサルを終え、黒のレオタードからボディファンデーションに着替えたアオとユリコは、本来ならこのまま宿舎へ向かうはずだが、二人はその上から、再びメイドのエプロンとカチューシャを身に付け始めた。


今朝、カズコによって下された、「メイド姿で自分の部屋に来ること」という命令に、二人はいま、従い始めたのだ。


二人のメイドは更衣室を出ると、メイド状態の基本ポジションである、性器の部分に両手を添えたまま、カズコの部屋を目指して、まっすぐに廊下を進んでいく。


バチッ。


一瞬、何か弾ける音がしたが、メイドは立ち止まることもなく、そのまま進み続けた。


オンボロの”マチシマバレヱ團”の建物で、異様に綺麗で清潔感のあるエリアを進むと、大理石の扉に、”カズコ”と書かれた部屋が現れた。


メイドはそれを、コンコン、と二回ノックする。


ガチャン、と、物々しい音を立てて扉が開くと、無邪気な子供のように嬉しそうな笑顔を浮かべた、カズコが姿を現した。


「いらっしゃい!待ってたわよぉ♪」

カズコの姿を確認すると、メイドはご主人様に向かって、深々と頭を下げた。

「さぁさぁ、はやく中に・・・」

言いかけて、途中でカズコは黙ってしまった。


「ちょっと、どういうこと」

カズコはとたんに冷たい表情になり、声もトゲのあるものに変わる。


「ユリコは、どこにいったの?」

目の前で頭を下げるメイドは、アオただ一人だった。


♪♪♪

ズル・・・ズル・・・

古い木が擦れる音を立てながら、ユリコの体は引きずられていた。


今はめったに使われることのない、”マチシマバレヱ學校”の一室に運び込まれると、ユリコは壁を背にして座らされた。


虚ろな目を見開いたまま、メイド姿のユリコは完全に脱力していた。


ペンライトの灯りが灯され、暗闇にユリコの姿が浮かび上がった。

まるで本当にコッペリアになったように、身動き一つ取らないユリコは、引きずられてきたせいで、ボディファンデーションはめくれ、お尻がほとんど見えてしまっていた。


焦点の合っていないユリコの眼前に、ポータブルモニターの画面が近付けられた。


モニターには、白と黒の渦巻きと、耳が痛くなるような不協和音が、部屋に響いた。


だが、この時間、この辺りには誰もいない。


途中の防犯カメラに映りこんでいたとして、”やつら”がそれに気付くのは、もう少し時間が立ってからだろう。


数分後、モニターを見つめるユリコの目の焦点が、徐々に合ってくる。


ユリコの脳裏に、ノブオの声がフラッシュバックしてくる。


---ユリコくん、君は人形です。人形になるんですよ---

---あなたは、”シンデレラ”です。薄汚い洋服に身を包み、こき使われるだけの・・・---

---バレエは”踊るドラマ”です---

---あなたもバレリーナなら、”基本の第一歩”を・・・---

ユリコの記憶に、自分を”マチシマバレヱ學校”に入学するように仕向けた暗示の数々が思い出される。


そして・・・


「やめてっ!」

ユリコは首を振って、それらの記憶を振り払おうとした。

「えっ?」

暗示を拒否したところで、ユリコはようやく気付いた。

「私、元に戻った?」

ユリコは、実に数日ぶりに正気を取り戻し、声を発したのだ。


「よかった、催眠が解けたわね。予想より時間がかかったけれど」

暗闇から女性の声が聞こえ、ユリコは驚いて身構える。しかし、


ドサッ!


ユリコの体は言うことを聞かず、床に倒れこんでしまった。


「ダメよ!まだ体に力が入らないと思う。ごめんね、こんな方法しか、あなたを”連れ出す”ことができなかったの」

ユリコの体を持ち上げ、再び座らせてくれたのは、ユリコより少し年上の女性だった。


ユリコと同じようにボディファンデーション姿だったが、ユリコたちと完全に違うのは、自分の意思で話し、動いていることだった。


その目も、ノブオたちに催眠で支配された生徒のそれではなく、光があり、いきいきとしていた。


「あなたは、誰?」

ユリコが聞いた。体には力が入らなかったが、普通に会話することは出来た。


「あたし、マコト。あ、ゴメン、これ本名じゃないんだけど、そう呼んで?」

マコトと名乗る女性の言っていることがイマイチ理解出来ないユリコは怪訝な顔をするが、マコトは構わず続けた。


「はじめまして、になるのかな。実は、”ペアリング”のレッスンで何度か組んだけど、あなたは完全に催眠状態だったしね」

ペアリングとは、バレエの舞踊形態の一種で、手をつないで踊ったり、ポーズを取ったりすることだ。


「私、それ覚えてない・・・」

ユリコには”ペアリング”のレッスンの記憶が一切なかった。

「無理もないよ。”あいつら”、あなたのこと完全なオモチャにして。あたしと組ませて、そりゃもう色んなことを・・・」

マコトは苦虫を噛み潰したような顔で言った。

「あたしもかなり危なかったわ。催眠にかかってるフリをしなくちゃいけないから、抵抗もできないしさ。でも、イッちゃったらきっと、あたしも”バレリーナ”に逆戻りしてた」


マコトの口振りを聞くに、”ペアリング”のレッスンは、ユリコの知っている”ペアリング”とは全然違うものだった。


本来、”ペアリング”では手を繋いだり、肩や腕を組んだりするのがせいぜいなのだ。


それも、もうひとつ。


「あなたは、その、”バレリーナ”になっていないの?」

それが一番の疑問だった。なぜ、マコトだけがこうして自分の意思で行動することが出来ているのだろうか。


「あたし、実は”ある組織”の人間なの。わけあって、この”マチシマバレヱ團”を追ってる」

マコトは神妙な顔で答えた。

「そ、組織?」

あっけにとられるユリコだったが、マコトの顔は大マジメだった。


「そう。詳しくは話せないけど、元は女性の拉致や監禁、果ては人身売買まで手を染める犯罪集団がいてね。そいつらを追ううちに、この”バレヱ團”にたどりついたの」

淡々と説明するマコトに、ユリコの頭はついていけなかった。組織、拉致監禁、人身売買?


どれも、サスペンスドラマの世界の言葉だ。


呆然とするユリコを差し置いて、マコトは続ける。

「表向きはニッポン屈指のバレエ団、”ウラの業界”を調べても、その素性は謎に包まれてる。それなら、内部から探りを入れるしかない。ってことで、バレエの心得があるあたしが潜入してたってわけ」


マコトが自身満々に言うので、ユリコは思わず、マコトの体を見渡した。薄いボディファンデーションだけに包まれた身体は、筋肉の付き方、整ったライン、そして体型(スタイル)。どれもこれ以上ないほどバレエに向いたものだ。


“心得がある”では収まらない。十分にプロのバレリーナとしてやっていけるレベルだった。


「あら、なに?ユリコちゃんはあたしの体を見て興奮してるのかしら?」

マコトは煽るように挑発的なポーズを取り、ユリコは自分が彼女の体を凝視していたことを知り、真っ赤になって顔を逸らした。


マコトは、楽しそうに笑った。

「アハハ、ごめんなさい、冗談よ。でも、だいぶ体が動くようになってきたみたいね」

マコトに言われて、ユリコは自分でもやっと、体の痺れが取れてきたことに気付いた。


「あらためて、本当にごめんなさい。催眠状態で、意識を眠らされたまま動かされているアナタたちを止めるには、気絶させる方法では無理だったの。だから、体の筋肉を麻痺させて、強制的に動きを止めることしか」

マコトはそう言って、ユリコを立たせてくれた。


立ってみて初めて、マコトはユリコよりもスラリと背が高く、そして同じ目線に立つと、胸やお尻など、その豊満な体つきがよくわかった。


「動けるようになって早々で悪いんだけど、もう移動しなきゃ。この階層(エリア)には、いたるところに防犯カメラが仕掛けられてる。あたしたちがここにいることがバレるのも時間の問題だよ」


♪♪♪

角から顔を少し覗かせ、周囲をうかがうと、マコトはサッと別の角に移動した。


ユリコはそれを真似して、角から顔を出すが・・・

(なにやってんの!さっさとこっち来て!)

マコトが激しく手招きしながら、口パクでそう指示するので、ユリコは周りも気にせずマコトのところまで走った。


恐らく、ユリコが気にする必要もなく、安全確認は済んでいるのだ。


しばらくこうした行動を続けているが、マコトの身のこなしを見ていると、確かに彼女は女スパイと言われても納得するほどの動きだった。


瞬間的に周囲を確認し、ルートを決めて移動し、ユリコを導く。


多分、マコト一人なら、學校(ここ)を脱出することなど造作もないのだろうが、”ユリコを連れてここを脱出する”という要素も考慮して、より彼女にとって安全なルートを探してくれているのだ。


現に、この階層(エリア)は床も壁も大理石で出来ており、そこを裸足でヒタヒタと歩くユリコの足裏には、その冷たさと固さも相まって、今では足の指が痛くて、床につくのもやっとだった。


確実に足手まといな自分を情けなく思ったとき、ユリコにはある疑問が生まれていた。


「どうして、私を助けてくれたの?」

比較的、見つかりにくいルートなのか、マコトの足どりが緩やかになったところで、ユリコは聞いてみた。


「単純よ。あなたが一番最近に入ったから」

それでも周囲の気配に意識を巡らしながら、マコトは答えた。

「”バレヱ學校”に入学してから日が浅いほど、催眠のかかり具合も浅い。つまり、催眠を解くにもそれほど時間はかからないってこと。だからアナタを選んだ」

「じゃあ」

と、ユリコは間髪入れずに聞き返した。

「ここに長くいすぎると、もう催眠は解けないってこと?あの、友達がこの”バレヱ學校”にいて・・・」


ユリコがそう言うと、マコトは少し表情を曇らせた。

「知ってるよ。実は、アナタたちさっきも二人で歩いてたんだよ。多分、”アイツら”に呼び出されてたんだろうね」

マコトは、さらに眉をひそめた。

「残念だけど、あの子はもう、だいぶ深く支配されてるよ。レッスンやリハーサルを見たけど、完全に”アイツら”の意のまま。操り人形だよ」


「そんな・・・」

ユリコは、思わず嗚咽(おえつ)を漏らしそうになる。アオが、親友が、もう助けられないなんて。

「ごめん!」

マコトが、ユリコに向き合って、深く頭をさげた。


「あたし、本当はもっと早く、アナタ達を助けられるはずだったの。入學のときに催眠にはかけられたけど、訓練してあるか、すぐ催眠は解けてて。でも、なかなか自分自身を”取り戻せ”なくて」


ユリコは、マコトの言葉に、説得力を覚えていた。自分が今の今まで操られていた催眠を、訓練を受けて、自力で解けるようになっているなんて。やはり、彼女は”そういう組織”の人間なのだ。


そして、つまり、この”マチシマバレヱ團”は・・・。


「じゃあ、やっぱり、この”バレヱ團”は、ノブオ先生たちは・・・」

そう言ったとたん、ユリコの脳裏、ノブオとカズコの姿が思い出された。


---ユリコくん、今日からキミは、我々の”バレリーナ”ですよ----

---ユリコさん、『基本の第一歩』を忘れないでね----

ノブオとカズコの言葉が、ユリコの耳にフラッシュバックしてきて、ユリコの目から光が失われていく。


「あっ、あっ、ノブオ、せんせい・・・ノブ、ノブオ、せんせい・・・」

ユリコの股間に、じっとりとシミが作られていく。それに合わせ、ユリコの意識も、じんわりと温かい闇の中へと引きずり込まれていく。


「ダメっ!!」

ユリコの異変に気付いたマコトが、ユリコの肩を強くつかみ、揺らした。


ユリコは、はっ、と我にかえった。


「わ、わたし、一体なにを?」

ユリコは、ボディファンデーションのVラインが濡れているのを感じ、恥ずかしくなった。


「ユリコちゃん、ダメよ。”アイツら”の名前を思い出すのも、姿を思い浮かべるのも」

マコトはユリコの肩をつかんだまま、強い口調で言った。


「ど、どういうこと?」

訳がわからないでいるユリコに、マコトは落ち着いた口調で続けた。

「”アイツら”がアナタ達を支配するために使っているのは、催眠だけじゃないの。”アイツら”は、アナタ達に催眠をかけた上で、自分たちを心から崇拝するように、かなり強力な洗脳も施しているの。カルトな宗教がするみたいにね」


催眠に加え、洗脳。聞けば聞くほど、想像をはるかに凌駕するスケールの話だが、今の状況を見れば、ユリコはそれを信じざるを得ない。そう感じて、ユリコは戦慄した。


「実はあたしも、催眠を解いて意思を取り戻したあとも、しばらくはその洗脳のせいで、自分が”バレヱ團”の忠実な”バレリーナ”だと思い込んでいた。そのせいで、動き出すのが予定よりかなり遅くなったのよ」

マコトは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。よほど悔しかったのだろう。


「意識はあるのに、操られてるってこと?」

ユリコが聞くと、マコトは黙って頷いた。

「洗脳状態では、自分の意思で行動していると思い込まされている。でも実は、”アイツら”の思い通り。その途中、今日のアナタ達のようにメイドもやらされた。そのときのこと、今思い出してもゾッとする。いっそ、意識のない”人形”のままだったらマシだったって」

マコトの言葉に、ユリコは言葉を失った。もし、マコトが助けてくれなければ、ユリコは意思の無いまま、その”ゾッとする”ことをやらされていたかもしれない。そして、こうしてる間にもアオは・・・。


「アオを助けないと!」

ユリコが振り返るが、マコトがまたしても彼女の肩をつかんだ。

「ダメよ。さっきも言ったでしょ?あの子はかなり深く支配されてる。催眠も、洗脳もね。助けに言ったところで、彼女の支配を完全に解けるかはわからない」

「そんな!」

食い下がるユリコに、マコトは「それに!」と強めに付け加えた。


「これもさっき言ったけど、あたしが動き出したことで、”アイツら”にバレるのも時間の問題。もう、あたし達に残された選択肢は、あたし達が學校(ここ)を脱出するしかないの。もし失敗したら、”バレリーナ”に戻されるどころじゃ済まないよ」

「どういうこと?」


マコトは、通りがかった曲がり角から周囲の様子を伺いながら答えた。

「これもさっき言ったはず。この”バレヱ團”は、人身売買の犯罪集団とつながってるって」

あまりにも信じがたくて、さっきは聞き流した話が、またしてもユリコをがく然とさせた。


「じゃあ、やっぱり・・・」

マコトはまた、黙って頷いた。

「あなたほどの実力者なら、この”バレヱ團”のレベルがたかが知れていることくらい分かるはず。そんな、三流”バレヱ團”が、なぜ今もこうして年に何回も公演が出来ているのか」

ユリコの中で、何かがつながった気がした。


そんなユリコを振り返ったマコトは、より鋭い眼光をしていた。

「”バレリーナ”たちを客席から見守っているのは、単なる観客だけじゃないってことよ」


♪♪♪

ノブオは思わず、頭を押さえた。

その目線の先には、防犯カメラの映像郡。

そのうちのひとつのモニターに、ノブオとカズコの部屋がある階層(エリア)で、カズコの部屋に向かっていた二人のメイドのうち一人が、背後から現れた、ボディファンデーション姿の女に気絶させられ、運ばれていく映像が繰り返し流されていた。


また、別の映像では、そのボディファンデーション姿の女が、防犯カメラのない、古い部屋に、完全に脱力したユリコを運び込む様子が映っている。


この部屋にはすぐに確認を向かわせたが、既に人影はなかったという。

「これは困りましたねぇ」

ノブオがため息をついた。


「もしも彼女たちが學校(ここ)の外に逃げれば、一巻の終わりですよ」

ノブオが言いながら視線を向けた先には、しょんぼりと項垂れるカズコの姿があった。


「ごめんなさい。まさか、こんなことになるなんて」

カズコが項垂れたまま返事をした。

ノブオは、そんなカズコに近寄り、そっと肩を撫でてやる。


「君が、僕に無断でメイドを動かしていたことは問題だ。だけど、あの”ネズミ”の存在を知っていながら、対処していなかった、僕にも責任があります」

ノブオが言うと、カズコはクルリと表情を変えて、ニコリと笑った。


「そうよね!お互い様だわ!そんなことより、今はこの”ネズミちゃんたち”を捕まえることを考えましょ♪」

調子の良いカズコに、ノブオはまた頭を抱える。


いっそ、”バレリーナ”にして黙らせてしまおうか。


そんな考えもよぎったとき、ノブオはあることに気が付いた。

「そういえば、アオくんは宿舎に帰したのですか?」

ノブオがそう言うと、カズコは悪戯(いたずら)っぽく笑った。

「さぁ、どうかしら。ねぇ、ノブオさん、こんな状況こそ、”アレ”を試してみるべきじゃない?」


カズコに言われ、「まず質問に答えろよ」という言葉を飲み込み、ノブオは眉をひそめた。

「たしかに、”アレ”が役に立ちそうではありますねぇ」

ノブオが答えると、カズコは嬉しそうに手を合わせた。

「でしょ、でしょ!ね、”アレ”を使って、ネズミ退治といきましょうよ」

子供のようにはしゃぐカズコをよそに、ノブオは冷静に考えを巡らせる。


「まぁ、良い機会でしょう。”上”にも報告のメドだ立ちます。それで、肝心の”媒体”はどうするんです?」

ノブオの質問を無視して、カズコは部屋の入り口を振り返り、声をあげた。

「さぁ、出番よ!こっちにいらっしゃい!」

カズコに呼ばれ、ずっとモニター室の入り口で待機していた”アレ”が、ゆっくりと暗闇から姿を現した。


それは、人間、のようだった。


赤い軍服に、真っ白なタイツを履いた、人間、のようなもの。


人間かどうか定かではないのは、その顔が真っ白に塗り潰され、見開かれた眼球の部分は真っ白で黒目は存在しておらず、口には、腹話術人形のそれのような、二本線が引かれていることだった。


それは、人一人分の背丈の、巨大なくるみ割り人形だった。


不自然にカクカクと曲げられた腕のうち、左手は腰に添えられ、右手にはオモチャの剣が握らされている。


純白のタイツに包まれた脚を、膝を一切曲げることなく振り上げて行進し、二人の元に近付いてくると、くるみ割り人形はその両足をピタリと揃えて停止した。


「・・・これは」

ノブオが言うと、カズコは誇らしげな笑みを浮かべる。

「ジャーン!こうなるかと思って、わたくしが既に”アレ”を作っておきました〜」

調子に乗るカズコとは正反対に、ノブオは冷静にくるみ割り人形を見回す。


「この格好は?」

ノブオの質問に、待ってました、とばかりにカズコは人差し指を立てる。

「ほらぁ、今回は、あの憎たらしい”ネズミ”が動き出したことが原因じゃない?ネズミ退治といえばくるみ割り人形!だから、バッチリ衣装とメイクも準備しましたぁ♪」

まるで、自分の作品を自慢するかのように、カズコはくるみ割り人形の肩をポンと叩く。


「もちろん、催眠も洗脳も完璧!頭も心も空っぽよ。すっかり自分がくるみ割り人形だと思い込んでるわ。さっきも、本当に口でくるみを割ってくれたのよ」

「・・・歯が砕けるから、やめてあげなさいね」

嬉しそうに言うカズコに冷たく答えると、ノブオはもう一度くるみ割り人形の体を舐めるように見回す。


くるみ割り人形の王子の格好をしているが、軍服とタイツと思われた衣装は、実はそういう柄の全身タイツだった。


そして、体にピッタリとフィットした、軍服型の全身タイツには、丸みのある体格と、胸にしっかりとした二つの膨らみ、そして、タイツの股間には、明らかな女性器の型の割れ目がくっきりと浮かび上がっている。


「・・・アオくんか」

ノブオが言うと、カズコはまたニッコリと笑った。

「大正解〜!!こんなにコッテリとメイクしたのに、よく分かったわね」


カズコを無視し、ノブオはくるみ割り人形と化したアオをまじまじとみた。

確かに、誰とも見分けのつかないほどのメイクを施されているし、最近のレッスンの効果で、むっちりとした肉付きになってきてはいるが、稀有なその体のラインと、持ち合わせた独特な上品さ、可憐さは、いくら滑稽な化粧をして、衣装を着ていようとも、簡単に失われるものではなかつまた。


ユリコもそうだ。”マチシマバレヱ學校”の、この独特と言わざるを得ないレッスンの最中でも、現代に生きる、本物のバレエで洗練されたその動きは、ノブオでさえも息を飲むほどだった。


だからこそ、カズコは彼女たちをとことんまで”破壊”したいのだ。

そして、ついに彼女がその願望を叶えてしまったことは、目の前にいるアオを見れば分かる。


強力な催眠と洗脳によって、完全に意識も思考も停止したアオの眼球は完全に裏返り、まるで、色付けのされていないパーツが、目にはめ込まれているようだった。


自身の手で、稀代のバレリーナを、文字通りの人形に変えたことにご満悦のカズコは、アオの股間をスッと一撫でした。


「さぁ、勇敢なるくるみ割り人形さん?”ネズミ”たちを見つけたら、どうするのかしら?」

カズコが言うと、アオ、もとい、くるみ割り人形は、

ギッ、ギッ、ギッ、ギッ、

と、ぎこちない動きで、その口を信じられないほどに大きく開けた。


そして、


ガチィン!!


まるで、金属がぶつかりあう音を立てて、くるみ割り人形はその歯を食い縛った。


その光景に、満足そうにほくそ笑むカズコ。


「そう。でも、その”ネズミ”は、あなたの大事なお友達なのよ?まぁ、あなたはもう、覚えていないでしょうけとま。それでも、”そんな目”に合わせるのかしら?」

カズコが聞き、また股間を一撫ですると、

ギッ、ギッ、ギッ、ギッ、ギッ、

くるみ割り人形はまた口をデカデカと開けて、


ガチィン!!


歯を食い縛った。


とんだ茶番だ、とノブオは思った。くるみ割り人形、アオには、カズコの言葉など理解出来ていない。

彼女を動かしているのは、


「さぁ!くるみ割り人形よ!”ネズミ退治”に出動だ!まわれ、右!」

カズコはそう言って、アオの乳房をギュッとつかんだ。


アオは、ガチャガチャと動きながら、モニター室の入り口の方を向いた。


カズコがプログラムしたのだろう、アオを操っているのは、股間、乳房、お尻、敏感なところへの”強い刺激”だ。


「目標!忌まわしき”ネズミ”に向かって、全速全身!」

カズコは今度は、サイズの小さい全身タイツが食い込み、くっきりと形の表れたアオのお尻を、パン、とはたいた。


アオは、ギクシャクと歩き初め、モニター室を出ていった。


「彼女を操る権限は、キミにしかないのですか?」

アオが出ていったあと、ノブオはカズコに聞いた。

「いいえ、もちろんノブオさんにもあるわよ。でも、ダメですからね。今からは、わたくしが”アレ”を操って・・・」

直立姿勢(エポールマン)、一番」

ノブオが言うと、カズコは一瞬にして、膝をピッタリと揃えた、バレエの”一番ポジション”に立った。

「・・・」

先ほどまでのハイテンションが嘘のように、カズコは沈黙し、天井を見つめた。


その目からは、完全に光が失われている。


「これ以上ややこしい事態にしたくないので、僕がカタをつけます。君は、夜明けまでここで反省していたまえ」

ノブオはそう言うと、マネキンと化したカズコを置いてモニター室を出ていった。

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