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第4幕

♪♪♪

午前のレッスンが終わったあとは、”初級クラス”、”上級クラス”両方の生徒がボディファンデーション姿になり、スタジオの一番奥にある広間に集まった。


広間には20〜30人程度が座れる、長いテーブルが二脚置いてあり、“上級クラス”の生徒たちは部屋に入ってくると、クラス内の順位ごとに奥から座ってゆく。


広間の奥にはキッチンがあり、そこから、”初級クラス”の生徒たちが、パタパタとつま先立ちで歩いて現れた。それぞれの両手には、銀色のプレートとお椀が乗せられている。


“初級クラス”の生徒たちは持っているプレートとお椀を、無言で座る”上級クラス”の生徒たちの前に配膳していった。


それぞれのプレートには、オートミールで出来たシリアルと、お椀には冷たい野菜スープが入れられていた。


これが、マチシマバレヱ學校の食事だ。


栄養があり、かつ太りにくい食事を、1日二回、生徒たちは与えられる。


ちなみに、メニューは1日二回とも、365日同じメニューだ。


と、ボディファンデーションの上から、メイド服にあるような、フリルのついたエプロンとカチューシャを着けた生徒が二人、一際大きなプレートを抱えてキッチンから現れた。


彼女たちは、”教員室”と呼ばれる、ノブオとカズコの専用の部屋に、二人のための食事を持っていくのだ。


二人は”本日のメイド”に選ばれた二人だ。


“本日のメイド”に選ばれた者は、このようにエプロンとカチューシャを着け、レッスン以外は、それぞれノブオとカズコの身の回りの世話の一切を引き受ける。


二人のために毎回豪勢な食事を振る舞い、その準備から片付けに至るまで、そして”かなりプライベートなこと”までさせられることもある。


誰が選ばれるかは完全に二人の気分であり、カズコはユリコを選ぼうとしていたが、ノブオによって却下された。


二人のメイドが部屋を出て、しばらくするとチリンチリン、とベルの音が鳴り始めた。


ノブオとカズコが食事を始めたということだ。


二人が食事を始めて、ようやく生徒たちも食事を摂ることができるのだ。それは二人の姿が見えなくても、生徒として当然のルールであったし、なぜかメイドが食事を持っていっても、なかなかベルが鳴らされないこともあった。


そのまま、次の行動に移る時間になると、生徒たちは目の前に出された食事に手を付けることなく、次の仕事に移るのだった。


まさにその様子は、ベルの音で管理される”家畜(ペット)”のようだった。


生徒たちの目の前に置かれた、銀色のプレートが、よりそれを”エサ”のように見せていた。


“上級クラス”の生徒にプレートを配り終えると、”初級クラス”の生徒たちも、もう一方のテーブルに座った。


しかし、ユリコを初めとする数人が、またキッチンに戻っていく。


しばらくして、ユリコたちは手に同じようにプレートを持って現れると、それを”初級クラス”の生徒たちに配り始めた。


“上級クラス”の生徒の食事を配るのは、”下級クラス”の生徒たち全員の仕事であり、そして、”下級クラス”の生徒に食事を配るのは、”下級クラス”の最下位であるユリコから数名の生徒の仕事だった。


どこまでもそういった階級による区別が、マチシマバレヱ團には採用されていた。


“食べてよし”のベルは既に鳴っているため、食事が配られた生徒たちは、黙々と食事を摂りはじめた。全員の食事をようやく配り終え、自分たちの食事に手を着けた、ものの一分後、


チリンチリン、とまたベルが鳴った。


たちまち、着席したばかりのユリコは立ち上がり、今度はほとんど減っていない自分たちのプレートから順に、片付け始めた。


“初級クラス”の生徒の食事が片付けられると、今度は”初級クラス”の生徒たちが、とっくに食事を終え立ち去った”上級クラス”の生徒たちのプレートを片付け始める。


元々、生徒たちに与えられた食事の時間は、たったの数分であったが、その間も先輩たちのプレートを準備していた最下位のユリコたちには、自分たちが食事できる時間などほとんど無かった。


ゆっくりと食事するには、腕を上げて階級を上位にするしかないのだ。


最下位のユリコは、キッチンに行くと、数十人分のプレートを洗い始めた。これも、最下位の者の仕事なのだ。


全ての食器を洗い、しっかりと水気を拭き、食器棚へしまうと、ほどなくしてまたベルが鳴った。

ユリコは、逐一そのベルに操られるように、つま先立ちでスタスタと広間を出て行った。


昼食を挟んで、午後のレッスンは”上級クラス”から始まる。

午前のレッスンでの、紫のレオタードから一転し、今度は鮮やかなオレンジのレオタードへと着替えた生徒たちは、続々とスタジオに入って、基本ポジションで整列した。


午後のレッスンの途中、ボディファンデーション姿の”下級クラス”の生徒たちが、続々と更衣室に入ってきた。


彼女たちは“上級クラス”の生徒たちが脱いだボディファンデーションを回収すると、別のボディファンデーションをそこに置いた。


“下級クラス”の生徒たちの仕事のひとつが、”上級クラス”のレッスン着およびボディファンデーションの洗濯だった。


“上級クラス”のレッスンが行われている間に、彼女たちが着ていたボディファンデーションを回収し、洗濯する。そして、その代わりとなる、洗濯したての、新しいボディファンデーションをおいておく。


午前のクラスが終われば、それに加えて午前のクラスで着ていたレオタードとタイツも回収し、洗濯する。


それを、午後のクラスの終わりにまた返却するという流れだ。


“上級クラス”はこうして、常に洗濯したてのレッスン着と、普段着とも言うべきボディファンデーションが当てがわれていた。


では、その一方で、”下級クラス”はどうなのかというと、もちろん”上級クラス”の先輩たちが、彼女たちのレッスン着を洗濯するようなことは一切ない。


「下位の者が上位の者に尽くす」。それがマチシマバレヱ團の鉄の掟である。


つまり、“下級クラス”の生徒たちのレッスン着やボディファンデーションを洗濯するのは、”下級クラス”の中の下位の者。ユリコたちだ。


“下級クラス”の最下位から数名の生徒たちは、昼食の後片付けを終えたあと、”下級クラス”の生徒たちが午前のクラスで出したレッスン着を、せっせと洗濯していた。


洗濯は、今時珍しい、洗濯板とタライで行われた。

ボディファンデーション姿の少女が四肢を投げ出し、タライに寄りかかるようにゴシゴシと洗濯物をこする様子は、およそ現代のものとは思えなかった。


ようやく全てを洗濯し終えると、今度は、あらかじめ干しておいた、下級クラスの”()え”のレッスン着を持ち、ユリコたちは更衣室へと、つま先立ちで急ぐ。


“上級クラス”の生徒たちが、オレンジのレオタードとタライを脱ぎ捨て、ボディファンデーションに着替えて更衣室を出ると、ユリコたち以外の”下級クラス”の生徒たちは、先輩方が脱いだレオタードとタイツを即座に回収し、「洗濯場」に持っていく。


その間に、ユリコたちは”下級クラス”の生徒たちが午後のレッスンで着る、メタリックの、ショッキングピンクのレオタードとタイツ、そしてレッスン後に着替える新しいボディファンデーションを、それぞれのカゴに配置していく。


すると、ユリコたちは”下級クラス”の生徒たちが戻ってくる前に、同じくショッキングピンクのレオタードとタイツに着替えた。


普段、シックなレッスン着を好むユリコが、こんなハッキリとしたピンクのレオタードを着るのは、実に何年振りのことだろうか。

しかもこのレオタードは、午前のレッスンのメタリックブルーに比べてさらにサイズが小さく、ハイレグの仕様、そして胸のダーツが彼女の乳房を強調するようになっていた

。だが、今のユリコにそれを気にする自我はなかった。


先輩たちのレオタードを洗濯場に置き、戻ってきた”下級クラス”の生徒たちも、続々と、そのピンクのハイレグレオタードに着替えだした。


(あらかじ)めピンクのレオタードに着替えていたユリコたちはこの間、スタジオで、これから始まる”下級クラス”のレッスンの準備をしていた。


“上級クラス”のレッスンが終わり、”上級クラス”の生徒たちが着替えて更衣室を去ったあと、5分ほどの残り時間で、ユリコたちはたった三人ほどで20人分が使うバーを設置し、オーディオに”下級クラス”専用の、一曲しか入っていないテープをセットしなければならなかった。


「やあ、はかどっていますね、ユリコくん」

そう言って、せっせと働く彼女たちの動きを止めたのは、ノブオだった。


いかなる場合でも、最高責任者であるノブオが現れたら、生徒たちは”基本ポジション”に立ち、ノブオの話を聞かなければならない。


この時間の無い状況でも、ノブオが現れた瞬間に、極めて精工な銅像のようになった、三人の”劣等生”たちを、ノブオは愛しそうに眺めた。


「今の自分たちの姿が、想像できますか?コンクールで輝かしい成績を収め、天才だ神童だと持て(はや)された君たちが」

ノブオは、目の前で喋っていても、明後日の方向を向いたまま、”基本ポジション”で立ち尽くす少女に向かって、侮蔑的な視線を送った。


その少女は、ちょうど一年前、かの有名な国際バレエコンクールに出場していた。

決勝に進出するだけでも名誉、と言われるコンクールで、彼女は銅メダル、つまり世界三位という快挙を成し遂げた。

その後、彼女がどのようなキャリアを送るのか、世界中が注目していたが・・・


「それがどうです?今は、こんなみすぼらしく、惨めな格好をしている」

ノブオは言いながら、その少女を頭の先から脚のつま先まで、舐めるように見渡した。


ユリコは今日入ったばかりの新入りであるため、まだ小綺麗な姿をしている。が、もちろん彼女たちは前述のように先輩たちの世話を最優先に行動させられ、自分たちのことは後回しである。


そのため、自分たちが着るレオタードは、満足に洗濯もできていなければ乾燥もされていないため、生乾きで着ることも多くあった。


そのため、彼女たちのレオタードは、よく見れば汚れが目立ち、常にツンと、汗の匂いが染み付いていた。


それはなにも、レオタードに限った話ではない。


食事や風呂や睡眠も、当然彼女たちは先輩たちを優先する中で、その時間はどんどん短くなってしまう。


そのような生活を一年間強いられ、オマケに化粧やスキンケアを禁じられた”下級クラス”にあっては、目元はクマがビッシリ現れ、不十分な食事によって頬はやせこけ、顔色は青白い。


もし、この彼女が、一年前に世界を震撼させた、あのバレリーナ候補だと言われても、誰も信じないだろう。


そんなボロボロになっても、心酔するノブオ先生の話に一心不乱に耳を傾けるこの少女の姿こそ、ユリコの未来の姿といっても過言ではなかった。

「しかし、この今の姿こそ、貴女方の真の姿なのです」


ノブオは、再三にわたり生徒たちに言い聞かせてきた言葉を、今一度口にする。


一時(いっとき)の栄光や、仮初(かりそ)めの結果に思い上がった貴女たちにとっては受け止めがたい、この惨めな姿こそ、バレリーナとしての貴女方の本当の姿。貴女方は『シンデレラ』なのです」


ノブオの言葉が”引き金”となり、ユリコたちはサッと床にひれ伏す。悲しそうな表情をしながら、何も持っていない手で、まるで”雑巾がけ”をするように床を拭き始める。


「そう。貴女方は、かわいそうなシンデレラ。馬車馬のように働く運命(さだめ)。そして、それを救ってくれる魔法つかいなど、この世界にはいません」


そしてノブオは、力強くユリコの両肩をつかんだ。


「それでも、貴女は決して夢を諦めてはいけません」

ノブオが言うと、ユリコはハッと気付いたように、決意を新たに表情をこわばらせた。


「魔法つかいがいなければ、自分で成し遂げればいい。ガラスの靴も、カボチャの馬車もないのなら、それに見合う物を自分で作り出すのです」

ユリコは力強く頷く。


しかし、これはユリコが自らの意思で動いているわけではない。ノブオの”語り”に合わせ、ユリコは体の動きでそれを表現しているだけだ。


その証拠に、ユリコの隣で座る二人の少女も、ユリコと全く同じ表情で、全く同じ動きをしている。


そして三人に共通するのは、力を込めて天を見上げるその目には、一切の光がなく、彼女たちが正気でないことが一目瞭然であることだった。


彼女たちは今、ノブオの言葉に操られ、「魔法つかいのいないシンデレラ」を演じさせられているのだ。


「さぁ、こうしてはいられません。ちょうどレッスンが始まるようです。いつか、夢をつかみとるその日まで、身を粉にしてレッスンに励もうではありませんか!」


ノブオが力強く言うと、ユリコたちは一瞬にして無表情に戻り、サッとつま先立ちになる。そのままトコトコと、最下位のバーに向かい、”基本ポジション”に立つと、レッスン開始のベルが鳴った。


“下級クラス”の生徒たちが続々とスタジオに入ってきた。


カズコも、ノブオの隣に立った。


「本当に、”シンデレラ”が好きなのね、ノブオさん」

カズコが言うと、ノブオはニヤリと笑った。

「その通りだよ、カズコさん。努力家のユリコくんには、ぴったりの演目ではありませんか」


♪♪♪

------さあ、貴女は『白鳥』です。悪魔によって白鳥の姿に変えられてしまった、あわれな少女なのですよ


-------あ、ああ、あ・・・


ノブオが言うと、少女の目は光を失い、その顔からは表情が無くなっていく。


-------そうです。貴女はなにも考えられず、ただ悪魔の言いなりに羽ばたくしかない白鳥。その手は、悪魔の手となり足となり、思い通りに動くのです


少女はうつろな目のまま、腕を上下に、まるで鳥が羽ばたくように動かし始めた。


-------それで良いのです。いま、僕の言うことに従えば、脱走しようとしたことは大目に見ましょう。さあ、貴女は”名もなき白鳥16”。スタジオに向かい、リハーサルに加わりなさい


ノブオに言われ、少女は踵を返し、歩き出そうとした。


-------待って!


そこに現れたのは、アオだった。


“上級クラス”の制服(ユニフォーム)である、紫のレオタードを着ている。


アオの姿を見て、ノブオはやれやれと肩をすくめた。


-------また、リハーサルを抜け出して来たのですか?しかも勝手に私語をしまくって・・・


アオは、夢遊病のようにスタジオに向かおうとする少女を抱き抱えるようにして止めた。


-------待ってください!この子、病気のお母さんと妹を養わなくちゃいけないんです。バレリーナとしての収入が無いと、二人とも生活できないの!


-------何を言ってるのかしら?


アオの言葉を遮るように現れたのは、いつものように赤いメタリックのレオタードに身を包んだカズコだった。


-------バレリーナとしての収入なら十分にあるじゃない?毎日レッスンが出来る環境、バレヱ團から支給されるレオタードにタイツ。そして、毎月のようにある舞台。ほとんどの女の子が、湯水のようにお金を払わないと出来ないバレエを、こうして何不自由なく出来る環境の、どこが不満なのかしら?


-------そういう意味じゃなくて!


アオは何かを訴えかけようとするが、


-------・・・役作りが不十分なようですねぇ


ノブオはそう言うと、アオに抱かれる少女に目を向けた。


-------“白鳥16番”。貴女に、今だけ”黒鳥オディール”を()らせてあげましょう。


ノブオが言うと、少女はピクッと反応した。

カズコがいたずらっぽく笑う。


-------それは良かったわね。オディールは、バレリーナなら誰でもやってみたい主役だもの。


-------その通り。オディールは王子を(おとしい)れるため悪魔によって産み出された、美しき化身。その魔力で、まずは周りの女性たちをみな、悪魔の手駒である白鳥に変えてしまうのです


ノブオが言うと、少女はゆっくりと顔を上げた。その表情は、先ほどとは違い、悪意に満ちた不敵な笑みが浮かべられていた


-------ま、待って!お願い、目を覚まして!あの人たちの言いなりになっちゃダメ・・・


アオが必死に懇願するが、少女はカッと目を見開くと、その目に吸い込まれるように、アオの瞳は釘付けになる。


とろけるように顔から表情は無くなり、虚ろな目で少女を見つめ続ける。


-------悪魔の魔力と同様、オディールの力に魅入られた物は、たちまち物言わぬ白鳥へと姿を変え、悪魔の言いなりとなるのです


ノブオのナレーションに誘われるように、少女の目を見つめたまま、アオはつま先立ちになり、腕を大きく羽ばたかせる。


-------さあ、親友の裏切りによって、まんまと騙された、哀れな”白鳥17番”よ、悪魔に操られるまま、スタジオに向かいなさい


ノブオに言われ、アオは両腕を羽ばたかせたまま、クルリと体の向きを変えると、スタジオへと向かっていった。


♪♪♪

ユリコは、ハッと目を開けた。

明け方の、薄ぼんやりと明るくなった宿舎のベッドで、ユリコは眠っていた。


といっても、いつから眠りについたのか、全く記憶には無い。


ユリコは相変わらずのボディファンデーション姿で、薄い布団が敷かれた、簡易的なベッドに横になっていた。


周りを見渡せば、同じくボディファンデーション姿の少女たちが、同じようなベッドの上で、寝息こそ立てていないものの、仰向けでぐっすりと眠っていた。


(今のは、なに・・・?)

ぼんやりと覚えている、アオがノブオとカズコによって”白鳥”にされてしまう夢。


(もしかして、これはアオの記憶?)

ユリコには、そう思えてならなかった。


“ラジカセ人形”となっていた、午前の”上級クラス”のレッスンで、ユリコは目の前で踊るアオのことは覚えていないが、このバレヱ學校のどこかで、ノブオによって操られたアオが、ユリコに助けを求めているのかもしれない。


(このバレヱ團は、なにかおかしい)

それはもはや、言うまでもないことだった。

そして、そう感じたユリコが、次にすべき目標はひとつ。


脱出だ。

アオが少女を脱出させようとしていた、という夢を見たのも、なにかの予知夢のようなものかもしれない。

(とにかく今日は、隙を見てアオを探してみよう)


・・・そう決意を新たにしたユリコはいま、朝食の席で、広間の真ん中に”基本ポジション”で立っていた。


その隣に、他でもないアオが、同じく”基本ポジション”で立っていることを自覚できるような意識など、とうの昔に彼女からは失われていた。


ボディファンデーション姿で立つ二人の肩を抱き、ノブオは周りに集まる生徒の方に、二人の体を向けた。


「昨日、”上級クラス”では発表しましたが、今度の公演の演目は、我がマチシマバレヱ團の”新解釈シリーズ”の第二段となる、『コッペリア』に決定致しました」

ノブオが、生徒たちに向かって声を張った。


「そして、主役である、”スワニルダ”には、こちらのアオくん。そして、準主役、とでもいうべき”コッペリアおよびオリンピア”の役には、昨日からバレヱ學校に入学した、ユリコくんを抜擢しました」

ノブオとカズコが、わざとらしく二人に拍手を向ける。


他の生徒たちは微動だにせず、ボディファンデーション姿のまま、”基本ポジション”で立ったまま沈黙している。


これは、主役の二人の当てつけ、というわけではない。彼女たちも、ノブオが何を言っているかを自覚できないほど、すっかりと意識を取り込まれてしまっているのだった。


しかし、ユリコの中には、ある変化があった。


見た目こそ、マネキンのように立ち尽くすほかの生徒たちと変わらないが、ノブオが「アオ」と呼んだのに反応し、ユリコの意識は辛うじて彼女本人の物に戻っていた。


(あ、アオ・・・?アオ、そこにいるの・・・)

頭の中で親友の名を呼び、彼女がいるであろう方向に頭を向けようとするが、体は完全に、彼女の言うことを聞かなくなっていた。


(あ、アオ!アオ・・・!すぐ、そこにいるのに。ほんの少し、首を動かすことが出来れば・・・)

そのように奮闘するユリコを、またもノブオがその肩を抱く。


「このような大抜擢はたいへん珍しいことですよ、ユリコくん。二人を含めた主役の面々は、早速今日の午後のレッスンが終わってから、衣裳合わせとポスターの撮影に入ります。遅れずに来るように」

必死にアオを求め続けるユリコの意識は、矢継ぎ早に述べられるノブオの言葉に巻き込まれていってしまう。


(あ、アオ、ア・・・わたし、コッペリア、リハーサル、ごご、レッスン・・・)

かわいそうに、再び意識が、完全に”バレリーナ”の物へと飲み込まれたとたん、ユリコの目から光が消えたのを、ノブオは見逃さなかった。


そんなノブオの様子など気づくはずもなく、”バレリーナ”となったユリコの頭の中は、ノブオに与えられた指示をただ繰り返すだけの機械のようになっていた。


(午後のレッスン終了後、衣裳合わせ、ポスター撮影、リハーサル開始。遅れず来るように。午後のレッスン終了後、衣裳合わせ、ポスター撮影、リハーサル開始。遅れず来るように。午後の・・・)


そしてそれは言うまでもなく、隣のアオも同じだった。


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