第2幕
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水で濡らした雑巾だけでメイクをすっかりと落とすのに、かなり時間がかかってしまったユリコは、急いで髪をお団子に結い直した。
元々、バレエのレッスンのための髪型にしてきていたのだが、”マチシマバレヱ高等教室學校”の生徒達が、パリっと固めた、髪のほつれの一つも認めないような髪型であったため、それに合わせてやり直したのだ。
レオタードの下に着る、ボディファンデーションという薄いレオタードは、”レッスンでは着ない”と言われたため、ユリコは仕方なく、裸の上から直接ピンクのタイツを履き、その上から青い蛍光色のレオタードを着た。
マチシマバレヱ學校から支給されたピンクのタイツは、ユリコがいつも着ているものとは違い、生地がゴワゴワしていて、肌触りは最悪だった。
恐らく、すぐに伝線が入ったり、毛玉になったりするだろう。
オマケに、ユリコが普段使っている、一般に普及したピンクのタイツは薄い色で、“この国“の人間の肌に馴染みやすい、自然な色合いだった。
しかし、このタイツは色鉛筆や絵の具にあるような、しっかりとしたピンク色で、脚が太く見えてしまうばかりか、メタリックブルーのレオタードからピンクの脚が伸びている様は、”ダサい”の一言に尽きた。
極めつけは、そのメタリックブルーのレオタードで、少し小さめのサイズのレオタードは、ユリコの体のラインを余すところなく出してくれているにも関わらず、Vラインはそこまで深くはなく、今どきのハイレグ仕様のレオタードと違い、脚が長く見えることもなければ、あろうことか、お尻ばかりが大きく見えてしまうという、これもまた”昔のレオタード”といった具合だ。
その証拠に、レオタードの胸元にはダーツといって、胸のラインを固定するための返し縫いが施されていた。
昔のバレエのレッスン着、とりわけ下着に関しては、今ほど着心地や機能性が考えられているものは少なく、多くの人が、今のユリコのように裸の上からタイツやレオタードを着ていたらしい。そのため、レオタードがブラジャーの役割を担うように、このようにダーツが施されているのだが、あからさまに「私のオッパイはココにあります」と主張するようなデザインは、ユリコにとっては、ありがた迷惑でしかなかった。
しかし、ユリコにとっての最優先事項は、「時間通りにレッスンに間に合う」ことだった。
着替え終わったユリコは、そのまま更衣室の横にあるレッスンスタジオに入った。
スタジオでは、同じように不自然なピンク色の脚にメタリックブルーのレオタードを着た少女達が、黙々と掃除とレッスンの準備を行っていた。
みな無表情で、口を真一文字に結び、誰一人として声を発さない。ただ、掃除にしろ、荷物運びにしろ、その全ての動作は大きく、また大袈裟で、つま先立ちで行われる様子は、バレエのお芝居の動きそのものだった。
少女たちは、バレエの動きでもって、掃除やレッスンの準備を行っているのだ。
その光景に、ユリコは違和感というよりも、不気味さを感じざるをえなかった。
(やっぱり、先生の忠告を聞いておくべきだったかしら)
ユリコの中に、そんな考えがよぎった瞬間、
カランカラン。
まるで一昔前の喫茶店のドアベルのような音が響くと、ユリコのそのような考えは、一瞬にして頭から流し出されてしまった。
(レッスンが始まるわ。先生方をお出迎えしないと)
ユリコの脳裏に、その言葉が、まるで自動音声のように流れた。
(レッスンが始まるわ。先生方をお出迎えしないと)
それも、何度も何度も。
(レッスンが始まるわ。先生方をお出迎えしないと)
(レッスンがはじまるわ。せんせいがたをおでむかえしないと)
ユリコは他の少女たちと同じように、つま先立ちになり、両腕はフワリと体の横に伸ばす。目線は上に向けて、同じように動く少女たちと並んで、先生方の控室の方を向いて、両膝をピッタリとくっつけて、つま先をまっすぐ横に開く”1番ポジション”で静止した。腕はまだ体の横に、まるで磔にされたかの如く伸ばされている。
控室の扉が開き、カズコ先生とノブオ先生が入ってきた。
カズコ先生はピンクのタイツに、蛍光色の赤いレオタードという、レオタードの色以外は生徒たちと全く同じ出で立ちだった。もちろん、胸元のダーツは、しっかりと彼女の胸の形を露にしている。
普通、バレエの講師はこのような格好はしない。しかし、カズコ先生はレッスンの時は”自分も生徒と同じく基本を学び続ける者”という考えの元、そうしているのだ。
ノブオ先生も、真っ白な全身タイツに、頭にはバンダナを巻いていた。これも男性ダンサーによくあるレッスンのスタイルだが、講師がこの格好で指導にあたるのは極めて珍しい。
そのような違和感を全く感じることもなく、無表情で1番ポジションで立ち続けるユリコの元に、ノブオ先生とカズコ先生は歩み寄ってきた。
「やあ、おはよう、ユリコくん。いよいよ今日から、我が校の”生徒諸君”としての人生が始まるね。僕は非常に嬉しいですよ」
「そうよ、ユリコさん。ご存知の通り、この”初級クラス”の”生徒”は、バレヱ團の見習いという立場だけれど、それもとても立派なことよ。早くバレヱ團に入れるよう、精進なさいね」
ノブオ先生とカズコ先生に直々に話しかけられても、ユリコは無言のまま、二人を見つめ返した。当然だ。ユリコ達”生徒諸君”は、一切言葉を発する必要はない。
レッスンやリハーサルでは、先生方が仰ることを、ただ忠実に体で再現する。先生方の教訓は、黙って心に刻み込む。返事や自分の意見は言う必要はない。バレエとは、体で表現するもの。そのプロフェッショナルとして舞台に立つのであれば、言葉など用いずに、先生方に忠誠心を示すことくらい、余裕で出来なければならないのだ。
ユリコの反応に、上々、といった印象を受けたノブオ先生とカズコ先生は、しばし見つめ合って、満足そうに頷くと、ノブオ先生は、スタジオの前方にある、自分の肖像画の前に立った。
すると、生徒たちは一斉に、またつま先立ちになり、スタジオに並べられたバーの横についた。
左手でバーを軽く持ち、右手は腕からゆるやかな楕円を描き、指先はちょうど、レオタードの股間の辺りに添える。
脚を完全にクロスして立つと、胸を張り、顔は外にグイッと向ける。バレエの基本ポジションのひとつ、“5番の立ち方“だ。
バレエのレッスンは“5番にはじまり、5番に終わる“というくらい、これは基本の“き“となる立ち方である。
クラスの中でも、ある程度の“階級“は決まっているらしく、上位の者ほど、先生の近くのバーにつく。ユリコは一番新入りであるため、スタジオの一番端のバーについた。しかし、ここでまた、ユリコは違和感を感じた。
「ではまず、バーを持って、ドゥミ・プリエを2回繰り返し、その後グラン・プリエ。その後、顔と腕は外から、上半身をしなやかに使って前に倒します」
ノブオ先生がレッスンの振り付けを説明し始める。
しかし、生徒たちは“5番ポジション“で立ったまま、ノブオ先生の説明を一切見ていないのだ。
しかも、ユリコたち、クラスの中でも下位の生徒は、バーにつくと完全に先生方に背中を向ける形になり、“5番ポジション“の顔の向きも決められているため、そちらを見ていては、先生のお手本など、どうやっても見ることが出来ないのだ。
先生のお手本を見て振り付けを覚えなければ、レッスンについていくことができない。仕方なく、ユリコは体をノブオ先生の方に向け、その説明を聞いた。
(みんな、どうして先生のお手本を見ないのかしら?)
ユリコはそう思いながら、後ろに立つ生徒を見た。年齢はユリコと同じくらいだろうか。美しい“5番ポジション“に立ったまま、無表情で、どこか虚ろな目で、まるで彫刻のように立ち尽くしている。
メタリックブルーのレオタードと、そのダーツによって、くっきりと形を露にされた乳房は、なかなかの大きさと丸みであることがわかった。
「聞いていますか?ユリコ君」
ノブオ先生に名指しで注意され、ユリコは、ハッと我に返った。
「これは、キミのため“だけ“の説明なのですよ?我がバレヱ學校では、常に同じ振り付けを繰り返しレッスンします。なので、ほかの“生徒諸君“は、もう振り付けが体に染み付いているのです。音楽が流れれば、勝手に体が動くくらいに。振り付け覚えるなんて次元ではない。振り付けに、音楽に、“体を支配“されていると言ってもいい。それでこそ、我がバレヱ團にふさわしい生徒なのです」
そうか。ユリコは合点が言った。“振り付けに支配されている“、とは、少し大袈裟な気がするが、ノブオ先生の言うことは一理あった。
ユリコのバレエ教室では、レッスンごとに先生が違う振り付けを考え、それを覚えてレッスンする。
しかし、中には、しばらく同じ振り付けでレッスンを繰り返す先生もいるそうだ。
同じ動きを繰り返し洗練させることで、その動きの細やかなところまで注意がゆき届く。レッスン方法としては、有効なのかもしれない。
そして、この“マチシマバレヱ高等教育學校“では、その方法を取り入れているのだ。
つまり、他の生徒はもう、この振り付けを知っており、いま、ノブオ先生が説明して下さっているのは、他ならぬ、ユリコのための説明なのだ。
「キミのため“だけ“の、僕の説明でありながら、よそ見をするとは・・・どういうつもりです?」
ノブオ先生は厳しい目をユリコに向けた。まずい。初日から、自分はとんでもないヘマをしでかしている。
「すっ、すみません!」
ユリコは思わず、そう言って頭を下げた。
「あの、わたし、そんなつもりじゃ」
「お黙りなさい」
今度は、カズコ先生が厳しい口調で割って入った。
「先日の面接、今日の初登校、そして今。貴女は、ワタクシ達の言葉に、いちいちピーチクパーチクと、小鳥のように鳴き返してきますね。貴女方には、”台詞は必要ない”というのが、まだお分かりにならないのかしら?」
ユリコは、しまった、と思った、また自分は、先生方に口ごたえを・・・。
「ユリコ君。キミは、バレエを學ぶために此処にきましたね?では、まず『バレエに心を開くこと』と、我々『先生方に忠誠心を持つこと』を、まず學ばなくてはなりませんね。そのためにキミが今すぐするべきことは、謝罪でも、元気なお返事でも、ましてや意見することでもありません」
ノブオ先生が、ゆっくりとユリコの方に近付いてくる。
ノブオ先生の優しい瞳が、ユリコの眼前に溢れるようだった。
「『その口を永遠に閉ざすこと』です」
ノブオ先生の言葉が、重く、ユリコの胸に沈み込むようだった。
(『バレエに心を開く』。『この口を永遠に閉じる』)
ユリコは、ノブオ先生の言葉を、頭のなかで、意味もわからず反すうする。
(『こころ、ひらく』、『くちを、とじる』)
意味などわかる必要はない。ただ、ユリコは先生方の言われるままに動き、踊ればいいのだ。
(『えいえんに』・・・)
ユリコは強く、真一文字に口をつぐんだ。それと同時に、今までの焦りや、様々な違和感も、全て消え去った。ユリコはひどく穏やかな気分で、ノブオ先生に向き合った。
そうだ。これでいい。これが正しいのだ。その証拠に、ノブオ先生はこんなに優しい目でわたしのことを見てくださる。
ユリコは、バレエを踊るときは、もうこの口を一生開くまいと、心に誓った。
「大変よろしい」
ユリコが他の生徒達と全く同じ、虚ろな無表情になったのを見て、ノブオ先生は頷いた。
「ワタクシからもひとついいかしら?ノブオさん」
カズコ先生が、ノブオ先生とユリコの方に歩み寄ってきた。
「ああ、もちろんさ、カズコさん」
ノブオ先生は一歩身を引く。
小柄なカズコ先生は、どこかイタズラっぽい笑みを浮かべて、ユリコの目を覗き込んできた。ユリコは吸い込まれるように、カズコ先生の目に視線を奪われた。
そしてとたんに、カズコ先生の声しか聞こえなくなった。
「ノブオさんのご説明が見えないから、こちらを向くのは仕方ないことよ?でも、その立ち方はバレリーナとしてどうかしら?」
カズコ先生は、まるで友達の失敗を告発する小学生のような得意げな顔で、ユリコに言った。
「貴女は本当にバレエを習ってきたのかしら?やっぱり、貴女にはバレヱの基本を一から學んで貰う必要があるわね。この”ダメクラス”で」
「カズコさん、少し、言い方がすぎるよ」
調子にのるカズコ先生の横で、やれやれといった口調で言うノブオ先生の姿も声も、ユリコには聞こえない。
ユリコの胸にひどい悲しみと後悔が溢れてきた。
カズコ先生の言うとおりだ。わたしは、つい、バレエの立ち方を忘れていた。バレリーナたるもの、いかなる時でも体からバレエを無くしてはいけないのだ。
(わたしは今まで、なにをやってきたんだろう)
(そうよ。わたしには、この”ダメクラス”と呼ばれるクラスがお似合いなんだわ)
(“ダメクラス”の中でも最も”ダメ”な生徒、それがわたし)
(そんなわたしに、できることなんて、ひとつだけ)
ユリコは脚をクロスし、両腕で楕円を描き、指先をレオタードのVラインに添える、”5番ポジション”に立った。
コンクールで何度も入賞に、留学経験もある実力者のユリコは、”基本のポジションでさえ優雅だ”と称されるほどだった。しかし、
「全然ダメね」
カズコ先生が一掃した。
「それが貴女が習ってきた”5番ポジション”?まるで割り箸が立っているようね」
独特な表現でユリコの立ち方を痛烈に批判すると、カズコ先生はユリコの胸とお尻をグイとつかんだ。
「おっぱいをこう、上に向けて、お尻は割れ目が見えるまでしっかりと突き出して・・・」
まるで粘土細工をこねるようにして、カズコ先生はユリコのポーズを操って変えていく。
乱暴に胸とお尻をいじられ、普通だったら喘ぎ声のひとつも出しそうなものだが、口を開くこと、声を出すことを永遠に禁じられたユリコは、息ひとつ乱さず、それを受け入れていた。
「これが、ワタクシ達の”バレヱ團”の基本のポジションです」
満足そうにカズコ先生が見つめる先には、”マチシマバレエ團”の基本ポジションで、マネキンのように立ち尽くすユリコの姿があった。
お尻を突き出し、胸を目一杯に張り、顔は、天井を見上げるくらいに上に向け、両腕はカクカクと、大袈裟な円を描き、指先はレオタードの股間のところにギュッと当てられている。ユリコの指先によって押さえられ、メタリックブルーの生地に、性器の形がハッキリと表れているほどだ。
これは、ユリコが今まで習ってきたバレエのポジションとは全く違うものだった。今のユリコには、”基本ポジションでさえ優雅”と言われるような気品は、全く感じられなかった。
しかし、よく見ると、他の生徒たちも、一人残らずユリコと同じようなポーズをしている。みな、メタリックブルーのVラインに、うっすらと筋が見えていた。
「貴女が今までやってきたバレエは全てウソ。全て無駄よ。今、この場で全てを忘れなさい。それが、『基本の第一歩』よ」
カズコ先生に言われたとたん、ユリコの脳にスイッチが入ったように反応した。
(『今までのバレエを忘れる』。『基本の第一歩』・・・)
またも、カズコ先生の言葉を反すうしながら、ユリコは頭の中が、激しい流水に荒いながされていくような、不思議な感覚に陥った。
(『バレエ、わすれる』、『きほん、だいいっぽ』)
(『ばれえわすれる』、『きほんだいいっぽ』)
ユリコの目が、さらに光を失ったのを見て、カズコ先生はまたイタズラっぽく笑った。
「少しずつでいいんだよ、カズコさん」
ノブオ先生が、カズコ先生に言った。
「あら、ワタクシは基本を教えて差し上げただけよ、ノブオさん、どうぞ、レッスンをつづけましょう?」
二人がなにを言っているのか、ユリコには分からなかった。
自分はただ、こうして基本のポジションで立ち、先生方がバレエを教えて下さるのを受け入れるだけで良いのだ。
自分は、今日からバレヱ學校に入った新人だ。それまで、どこかでバレエをやっていた気がするが、ユリコにはもう思い出せなかった。思い出す必要もなかった。ユリコは、ここでバレヱを習い、そして、バレヱ團に入るのだ。
「では、今日のレッスンは特別に、ユリコくんをお手本にして行いましょうか」
ノブオ先生の提案に、カズコ先生は嬉しそうに手を合わせる。
「まぁ、それは良い考えだわ、ノブオさん」
ユリコは全く意味が理解できないが、カズコ先生が「こちらへどうぞ」と、ユリコの突き出した、レオタードがすっかり食い込んで割れ目の形までくっきりと浮き出たお尻を一撫でしたので、ユリコはつま先立ちになり、二人のあとを続いて、スタジオの中心に向かった。
スタジオ中心のバーは、クラスの最も優等生が着く位置だ。
ノブオ先生は、その、最優秀生の生徒の、やはりレオタードが食い込んだお尻を撫でると、「キミはあちらへ」と促した。
その生徒は無言のまま、つま先立ちで、先ほどまでユリコが着いていた、最下級のバーの位置に着き、また無言で”5番ポジション”に立った。
どのような理由であれ、最優秀生が、最下級の位置でレッスンさせられるなんて、耐え難い屈辱だ。しかし、彼女は既にこのバレヱ學校の教育が、完全に行き届いているため、なんの反発もなく、ただ先生方の指示に従うことしかしない。
「さて、ユリコくん、キミは本日はココでレッスンを受けてもらうよ。普段は、さっきの彼女を、お手本として”使わせて貰う”んだが、今日はキミがお手本だ。さぁ、先ほど、カズコ先生に教わりましたね?”基本のポジション にたちなさい”」
ノブオ先生にお尻を撫でられ、ユリコはサッと、”5番ポジション”に立つ。
それも、今まで習ってきた”5番ポジション”ではない。お尻と胸を目一杯に突き出し、顔を天井に向けた、マチシマバレヱ學校の”5番ポジション”だ。
今のユリコには、これ以外にバレエの知識はな無かった。
彼女は今日、ここで、バレヱを始めたも同然なのだ。
「そうです。素晴らしい、美しいポジションですね」
ノブオ先生に誉められても、ユリコは何も感じない。ノブオ先生に評価され、嬉しくないわけではない。ただ、自分は”正しいバレヱ”を”正しくやっている”だけだ。それは、なにも誇らしいことではないし、すごいことではない。
「では、ここでもう1つ、キミに重要なことを教えて差し上げましょうね」
ノブオ先生が、わざとらしく右手の人差し指を立てて言った。
「我がバレヱ學校では、必ず”御天道様”を見てレッスンしなければなりません」
そう言って、ノブオ先生は、天井を向くユリコの顔をグイッとつかみ、ある方向に向けた。
そこには、大きな球状の、電球のようなものがあった。
それは、薄ぼんやりと、オレンジ色の光を帯びている。
だが、それはどうやら、スタジオの照明というわけではなさそうだ。
よく見ると、スタジオの天井のいたるところに、同じような電球がいくつもあった。
「見えますか?あれが”御天道様”です。あれは、我々にバレヱを踊る活力を与えてくれる、我々にとって、命よりも重要なものです。バレヱの踊りの中で、どの方向を向いても、”御天道様”が目に入るようになっています。”御天道様”を見つめ、”御天道様”からエネルギーを頂き、初めてバレヱを踊ることができるのです」
ノブオ先生に言われ、ユリコは”御天道様”を見つめる。
ユリコの意識は、たちまち”御天道様”に奪われ、ほかに何も考えられなくなった。
ノブオ先生やカズコ先生の目を見つめた時のように、いや、それ以上の力で、ユリコは、”御天道様”だけが、この世界で確認できる唯一の存在になった。
(“御天道様”、みつめる、エネルギー、もらう・・・)
ユリコは、勝手に脳内に溢れてくる言葉を反すうする。
言葉は話せないため、頭のなかで、繰り返し繰り返し、くちずさむ。
(“おてんとさま”、みつめる、えねるぎー、もらう)
できるだけ大きく、はっきりと。
(“おてんとさま”っ みつめるっ えねるぎーっ もらうっ)
ユリコの瞳の瞳孔が、ぐぐっと開く。まるで、”御天道様”の光を目一杯取り込もうとするように。
それに呼応するように、ユリコの胸はキリキリと張り積めていく。レオタードには、ユリコの乳首の形までが、しっかりと浮き出ていた。
ユリコの着ている、メタリックブルーのレオタードの股間は、じっとりとシミを作っていた。
それを見て、カズコ先生はアラアラ、と苦笑した。
「仕方ないわ。”御天道様”を見ると、最初はみんなそうなっちゃうの。ねえ、ノブオさん?」
「そうだよ、カズコさん。未だに、キミを上回る人は見ないけどね」
「えっ?」
と、カズコ先生が聞き返すのを無視して、ノブオ先生は、パンパン、と手を叩いた。
「他の”生徒諸君”も、この機会に初心に帰り、”御天道様”を見つめることを、もう一度意識しましょう」
ノブオ先生が声を張ると、他の生徒たちも、”御天道様”に意識を集中し始めた。
「今日は特別に、”御天道様”の出力を上げて見ましょうね、1(アン)・2(ドゥ)・3(トヮ)」
ノブオ先生は指をパチンと鳴らすと、”御天道様”はより強い、オレンジ色の光を放ち始めた。
ユリコの視界は、その眩い光でいっぱいになり、何も考えられないばかりか、何も見えなく、聞こえなくなってしまった。
まるで、”御天道様”の光が直接自分の中に流れ込んでくるような感覚に陥り、ユリコの全身を暖かいエネルギーが駆け巡る。
ユリコは全身をうち震わせ、それでも”5番ポジション”を外すことはない。
口を開けることを禁じられていなければ、今頃大きな喘ぎ声をあげて絶頂していただろう。
しかし、今のユリコは、やはり”5番ポジション”に直立したまま微動だにしない。だが、ユリコの眼球がグルリと上を向き、レオタードのVラインの染みが濃くなっていることから、確実に彼女が絶頂したことがわかる。
ユリコだけではない。普段から”御天道様”に支配されている、他の生徒も、強められた”御天道様”のエネルギーで、みな白目を向き、レオタードの股間を濡らしていた。
「いいですねぇ。みなさん、初心を思い出すことは大切ですよ」
そういってノブオが横を見ると、カズコ先生も”5番ポジション”に直立して”御天道様”を見上げ、白目を剥いていた。
ノブオ先生はニヤリと笑った。
「そうです。例え講師であっても、”僕のバレリーナ”である限り、支配されていることに変わりはないのですよ、カズコくん?」
ノブオ先生がそう言っても、カズコ先生は反応を示さず、一心不乱に”御天道様”を見つめている。
「さぁ、それではレッスンを続けましょうか」
ノブオ先生がそういうと、カズコ先生までもが、無言のまま、サッとバーに着いた。