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ルーシェ・クラウンとの手合わせを終え、ヨハネスは放心していた。ずっと優勢だと思っていた。剣さばきは悪くないが力で押せば勝てる、そんな勝負だった。だが最後のあれは何だ。決して油断していたわけではないが、あんな技は見たことがない。魔術の応用―――先生はそう言っていたが、あの身のこなしはそれだけでは説明がつかない。
「剣術では、ちゃんと勝ってたぞ。俺の騎士団に来い。面倒見てやる。」
ヨハネスはぐっと言葉に詰まった。「剣術では」と強調されていたように最後の瞬間ヨハネスはルーシェの攻撃を防げなかった。
ケイトナー伯爵家は代々剣術に優れ、王族からの信頼も厚く、カメリア王国とウォンバット王国の国境付近の領土を治めている。第8騎士団の騎士団長はヨハネスの叔父であり、兄の父と弟の叔父でケイトナー領の治安は維持されており、ヨハネスは小さい頃から第8騎士団の騎士たちに遊んでもらっていた。剣術大会ではいつも優勝していたし、狩りでは兄とともにヒグマを獲ったこともある。だが、今しがた、ルーシェ・クラウンに背後を取られた。
レオナルド先生は第3騎士団の騎士団長だ。王都を警備するという重大な責務を負っている。よって、剣術の授業は週一回しかないが、こうして有能な人材をスカウトするのも彼の仕事である。
「あいつには声かけないんですか。」
最後の応用以外を見ても、ルーシェ・クラウンの剣の腕は確かなものだ。力の入れ具合を調整したとはいえ俺の剣についてきた。同い年であれだけの腕前はそういないことをヨハネスは知っている。
「残念ながら、クラウンには先約があるからな。」
レオナルド先生はそう言うと他の生徒の指導に戻っていった。
ルーシェ・クラウンの方を見ると、またシリルというやつに抱きつかれていた。何やら話がついたのか、ルーシェ・クラウンがこちらにやってくる。
「ありがとう。君は本当に強いな。また手合わせしよう。」
そう言って、手を差し出してきた。紫の瞳がきらきらとヨハネスを見つめる。ヨハネスは差し出された手を握り返し、降参だというように微笑んだ。
「俺も、またクラウンと手合わせしたい。今度はお互い全力でな。」
ヨハネスは悔しさと称賛の気持ちを込めて握手にそっと力を込めた。
ルームメイトは今日も部屋にいない。ヨハネスは剣の手入れをしながらふとため息をついた。
(ため息?なんだ、俺はそんなに昼間の剣術の授業のことを引きずっているのか?)
部屋を見渡すと、女性が喜びそうな意匠の宝石やぬいぐるみなどで溢れている。少しずつ自分のロッカーやベットと壁の隙間などに移動しているようだが、まだまだ時間は掛かりそうだ。そういえばと昨日もらった菓子がそのままなことに気がつく。カバンから取り出し、クッキーを口に入れると、上品なバターとくるみの風味が口いっぱいに広がった。
(美味い。サクサクとしていて甘すぎず、ちょうどいい。)
変なものが入っている様子もないし、純粋にお近づきの印として皆に献上して回っているのはあながち間違いでもないのかも知れない。
(でもあいつ、クラウン侯爵家のお坊ちゃまだろ?なぜ自分より身分の下のものにまであんなにへらへら媚を売っているんだ?)
クラス全員に挨拶をしては配っていた姿を思い出し、ヨハネスは再度ため息をついた。
(大量の荷物といい、今日の剣術の腕といい、変わったやつだよな・・・・・・。)
クッキーを食べ終わると、もう一つもらった紙の箱を取り出した。
「これ、ヨハネスにだけ。とっておきのチョコレート!みんなには内緒だよ?」
ニッと笑ったルームメイトの顔を思い出し、ヨハネスはむず痒くなって胸を抑えた。深く息を吐きだし、箱から取り出した一口サイズのチョコレートをぽんと口に放り込む。
(なんでこんなに美味いんだ・・・・・・。)
カカオの風味、甘さ加減どれをとっても一級品で、アクセントのベリージェルの酸味がチョコレートのコクを一層引き立てている。これもこの部屋にある大量に持ってきた荷物の一つだと思うと、なんともやるせない。
(架空の恋人にあげるんじゃなかったのかよ。ったく、誰彼構わず配り歩きやがって。)
それが部屋を少しでも片付けるためであることを察してはいるものの、ヨハネスはなんだか面白くない気持ちがぬぐえない。
(さっさと食べて寝るか。)
なんとか気持ちを切り替え、ヨハネスは寝支度を進めた。
ガチャ――。部屋のドアが開く音がする。ルーシェ・クラウンはそのままシャワー室へと向かった。もう明かりも消して静かな部屋に、ヨハネスが寝たと思って帰って来ているのだろう。無論、いつものヨハネスならとうに寝ている時間である。だが、今日はなんだか眠れそうにない。
「あれ?ヨハネス、まだ起きてたの?」
暗闇の中、何をするでもなくぼんやり横になっていたら、いつの間にか寝支度を整え終わったルーシェ・クラウンがこちらを覗き込んでいた。
「ん、あぁ、目が冴えてしまってな。」
ふうん、と適当な返事をした後ルーシェ・クラウンはごそごぞと荷物をあさり始めた。
「はい、君のお気に入りのくまちゃん。」
差し出してきたのはくまのぬいぐるみ。なんだか見覚えがある。そういえば入学式の日にも見たことがあるような気がする。
「別に気に入っていないが。」
「まあまあ。ご縁があるってだけで愛着が湧くことだってあるだろうさ。」
そう言って、ヨハネスの顔にくまのぬいぐるみを押し付けてくる。
「くまくーまー!いいから寝ろくーまー!」
「やめろ。」
「良い子は早く寝ろくーまー!」
「お前も寝てねぇじゃねーか!」
「僕はすぐ寝れるくーまー。」
「だいたいっ、なんだっ、そのへんな鳴き声は!くまならガオーとかだろ普通!」
すると、くまを押し付けていたルーシェの手が止まる。そして、ふっと息を詰めたのを皮切りに腹を抱えて笑いだした。
「あははははっ、確かに!くまはくまーって鳴かないよねっ!」
ヒィーッと引き笑いまでして笑いこけているルーシェを見て、ヨハネスもなんだか色々と馬鹿馬鹿しくなって笑った。
「なあ、クラウン。」
「ん、なにヨハネス?」
「明日の特訓、俺もついていっていいか。」
ルーシェは一度きょとんとした後、気まずそうな顔をして言った。
「ごめん。特訓内容は極秘なんだ。」
ヨハネスは、断られて純粋にショックを受けた。
「剣術なら、付き合ってやれるぞ。」
「うん。そのお誘いは本当にありがたいんだけど、その・・・・・・極秘だから。」
ヨハネスはむむむっと唇を一文字に結んだあと、息をついて観念した。
「わかった。じゃあ今日は、大人しくこいつをもらっていく。」
ルーシェからくまを奪い取り、くまの手を持ってルーシェに向ける。
「ふふふ、君が持つと、くまさんの可愛さで君まで怖くなくなってくるな。」
「なんだ、俺のこと怖かったのか?」
友達になろうとか言っていたくせに。
「え。だって、ほら、君怒ると怖いし。正論だから言い返せないし。」
君が全力で襲いかかってきたら、僕だって負けちゃうかもしれないし・・・・・・、と冷や汗をかきながら視線をさまよわせているルーシェを見て、ヨハネスは口をぽかんと開けた。
「変だ変だとは思っていたが、お前、本当に変わってるな。」
「なんだよー!変で悪かったな!」
「大胆なのか、小心者なのか。・・・・・・で、俺とお前は友達になるんだったよな。」
「うん!ヨハネスは僕の友達だ!」
「そうか。なら一つお前に言っておきたいことがある。」
「な、なんだよ・・・・・・。」
ルーシェが身構える。ヨハネスはそれを眺めるように見て、息を深く吸い込んだ。
「なんでお前は俺をヨハネス呼びするくせに、俺はクラウンなんだ!おかしいだろ。ボンテッドだって今日お前のことルーシェって呼んでたぞ。」
今度はルーシェが口をぽかんと開けた。ボンテッドって誰だっけ、ああシリルのことか。時間をおいて、理解してきたルーシェの顔がだんだんにやけ顔になってくる。
「えぇー、なにそれ、かわいいー。ヨハネスそんなこと考えてたんだ。」
ヨハネスの頬が少し赤く染まる。
「別に。深い意味はないよ。ただちょっと、ルーシェって女みたいな名前だろ?だからクラウン呼びを定着させたいなーって。」
実際女なのだが。偽名を名乗る気にはならず、そのまま手続きをしただけである。
「なんなら僕が君のことこれからケイトナーって呼ぼうか?」
「な、ん、で、そうなるんだ!」
友達と言いながら他人行儀に距離を置くようなルーシェの行動に、ヨハネスはずっと振り回されている。ヨハネスもそれがだんだんわかってきたのか、ここで思い通りにさせてはならないと目を光らせた。
「ヨハネスでいい。」
ヨハネスはルーシェの腕を引き、自分の胸に抱きとめた。とっさの行動に反応の遅れたルーシェが顔をあげようとすると顔面にくまのぬいぐるみが押し付けられた。
「俺がルーシェって呼ぶから。友達なんだろ。」
「お、おう。」
「なら、もういい。荷物のこともそんなに怒ってない。そう怖がるな。」
「うん。わかった。」
「夜遅くまで変な特訓っていうのは気になるが、あまり無理するなよ。」
「変っていうな。でも、心配してくれてありがとう。」
ルーシェがすっと立ち上がると、ヨハネスは目を細めて微笑んだ。
「なんかすっきりした。くま、ありがとな。おやすみ、ルーシェ。」
「どういたしまして。おやすみ、ヨハネス。」
ヨハネスは、可愛さを意識してくまを抱いて眠りについた。




