復讐劇の緞帳は、真紅であるべきだ
注)主人公が胸糞要素です。
眼鏡を奪わなかったことが、看守を務めた彼の不幸であった。
件の青年は、眼鏡の蔓を首から生やし、仰のけに倒れて絶命している。その首から吹き上がった紅の飛沫が、私を汚してしまった。
しかし、これに関しては致し方無いだろう。
復讐劇の緞帳は、真紅であるべきだ。
もっとも下賤な青年のものでは、真の紅とは言いにくいであろうがな。
名も知らぬ看守の君よ、隼人の理となる行動をとったことが間違いであった。
地獄で悔いるが良い。もし罪を濯ぎたいと望むならば、手を下した私ではなく、私を貶めた隼人に対して怨念を向けたまえ。
**―――――
私はいわれのない罪によって監禁という、屈辱を受けてしまった。その原因は、隼人という下郎が存在するためである。
妾の腹から生まれ落ちた、ごみ溜めの残り滓は、あろうことか私らとの血の繋がりがあるがごとく振る舞い、我ら財閥の会合に食い込んできた。
それだけでも不遜であると言うべき事象に、抗議するべき直系の血を引く私の言葉は、なぜ承認されぬのだ!?
なぜ父は、隼人を鬼才と持て囃す!?
なぜ祖父は、隼人の言を用いるのでろうか!?
兄と姉と弟たちのように、きっちりと排除に力を尽くすべきであった!!
下郎と舐め切っていた私の失策であろう。
過去の私が掛けた慈悲の心にこそ、唾棄するべきである。
そうだな、奴が編み繕った苦難の物語を真に受けてしまい、手心を加えた自分に対して今、私は、類稀なる怒りを覚えていた。
そもそも隼人が何をしたというのだろうか!? 我々にとって、とても小さな仕事を成功させただけではないか!
それも奴の部下が上手くやっただけのものであり、奴はその手柄を独り占めしただけであろう!?
私は奴の事業を徹底して妨害し、潰す手も取れたのだ! その慈悲には、奴も感謝するべきであろうが!!
「つまり、お主は我が財を大きく傾けた自覚も無いというわけだな?」
会合にて、次々と出された私への誹謗中傷は、ことごとく論破したつもりであった。
しかし、一点の傷と百をも超える偽証の数々によって、私の理論に生まれた痂疲が、つよく目立ったと思われる。
そのために、父と祖父の信頼を勝ち取ることができなかった。
私は更なる抗弁を続けようと口を開く。
そうだ、もし自らの胸を割り、心臓を取り出して美しさを目の当たりしてもらえば、おそらくは信頼を取り戻すはずであろう。
しかし、ここに刃物は無く、また、用いるならば、隼人に対してである。そのどす黒く汚い腸を見れば、私の正当性こそが証明されよう。
しかし、隼人によって歪められた真実を、父と祖父は信じてしまったようである。
「そなたの言葉は、不要である」
心を尽くした抗弁は砕け、眉をしかめた祖父の言葉で押さえられてしまった。
なんということであるか!! 祖父の言葉はいまだに耳に残っている。老い先短い老爺であると思って、大人しくしていたのが間違いであった!
しかし、説得のための証明には我が言葉では、まるで足りなかったのも事実である。
もし、あの場において事実の究明が行われると知ってさえいれば、しっかりとした証左を作り、携えていたというのに!
あの日の私は、不運が重なっていた。
秘書から勧められた先物取引では、経験がたりなかったために伸びるべき機会を生かせず、私だけではなく、財閥が打撃を受けることとなってしまっている。
しかし、もう少し待ってくれればよかったのだ!! 削れた資産を取り戻す算段は、確かにあるのに!
しかし、不運は続けば大きな傷となって見られてしまうらしい。もう少し、追加で投資を行えば、更なる利益を得るはずだった私に対して、銀行が渋るという暴挙に出てしまった!
そのため、私は汚名を濯ぐ機会すら、失われてしまう……。
仕方なく私は高貴な身分に不相応ともいえる、金策なぞに腐心せざるをえなくなる。
この件に関しては、任せた者が無能であったと断じて、責任を取らせるが可能ではあった。
しかし! この私を監視する者がいたとは!!
もう少しの猶予があれば、すべてを排除することができ、事業は新たな展開を見せる予定であったのだ!!
しかし、会合までには間に合わず、我がしくじりを事実よりも重く受け止めた父は、冷たく告げる。
「しばらく、暇を出す」
私は父には一切目を向けずに、ただただ、請け負った仕事をこなしただけで評価された、ごみ溜めの下郎を、嫌らしい血の混じった隼人の面を睨みつけた。
隼人は薄い笑みを浮かべている。そしてゆがんだ口から、悍ましい言葉を発した。
「えーっと、一つよろしいでしょうか?」
「何だ!?」
「暇で済ましてはいけません」
隼人の言葉に、父も祖父も驚きを隠せないでいた。
「っ!?」
「彼の行動は、行き過ぎていますね。いい機会なのでここを告発の場とさせていただきます」
「貴様!!」
「警備の者よ!」
怒りのままに行動をしようとした私を、奴は事前に用意していたらしき者を使って取り押さえた。
「ぐ、な、なにを!? 貴様ら、私ではない! 隼人を取り押さえよ!!」
「いえ、貴方の危険性を、我々は充分承知しております」
「くっ!」
そして、隼人は私の小さな行動に尾ひれをつけて話し始める。
「まず……この場にこれなかったお三方の、ご不幸を作り出した者に関し、説明いたします」
やつの言葉に、私の怒りは激しく燃え上がり、蠢こうと身をよじった! しかし、警備に就いた者どもは、酷く屈強な体格をしている。
私は地獄の業火を瞳から発するほどの熱を込めて、隼人と言うごみ屑から出てきた下郎を睨んだ。
「まず、長兄の……」
それは、私が除いた長兄の顛末である。奴は部下と盛り場へ赴くことが多い男であった。
ならばと、私は秘書に人を雇わせる。それは二人の下賤であった。その二名を使い、酒の上の喧嘩にみせかけ、怪我を負わせることに成功する。
もちろん、毒を塗った得物を用いて、である。
長兄は豪放磊落ではあると称され、なぜか部下に慕われようとご機嫌取りをする愚者であった。
だから、下賤との付き合いを楽しむことも多く、楽に排することが出来たといえる。
「証拠は、ここに揃えております」
「な……」
父も、祖父も、隼人の虚言に騙されて私を睨む。その目は血のつながった家族を見る物ではない。
今日は何という日であろうか、父も祖父も、私と同じ高貴な血であるというのに、まさか下郎の言葉を信ずるとはな。
「何か、弁明は?」
私は警備の者に抑え込まれている。だから、鼻で笑う事しかできなかった。
「全て、貴様が作り出した偽証である」
しかし、隼人は、この私に向けて、小さく微笑んだのである。
「きさま! 何がおかしい!! 貴様程度がこの私を愚弄するのか!?」
「失礼、貴方の動きは、杜撰すぎましたからね」
「貴様っ!」
それから、隼人は姉と弟に関してまでも物語った。
姉はなぜか私の行動を逐次監視する、邪魔者である。しかしその本質は、詩を好むだけの婦人であり、海と月に関わる詩が好みであったという。
詩心に関しては少なからず興を持つ私は、あの婦人が好みとしている母なる海、そう月夜の海底へと還っていただいた。
そして弟は、おそるべき算術の才があり、隼人と酷く仲が良かった。
この二人が組むとさすがに都合が悪いことが予測できる。
だが、異様に用心深かったため、そのことのみを追求した外道を雇うために、私は大枚をはたくことになってしまった。逆に言えば、それだけで済んだともいえる。であれば、たとえ外道であっても、使い道はあるということだ。
「僕は、警視庁に任せるべきだと思われます」
隼人の物語が終り、父も祖父もその場にいた全員の視線が突き刺さる。
なぜ、化け物を見るような面をしているのだろう?
「駄目だ」
「こやつは生きているだけで、害悪となる……だが、世俗に知られると、財閥にとって打撃が大きすぎる」
「そうですか……」
そして、私は精神異常者として、私宅監置という名の監禁を受けることになってしまった。
**―――――
しかし、お粗末な事態になってしまった。私自らが、下賤に対して手を下すこととなるとはな。
門番を務めていた彼は、すでに下賤特有の、嘔気を誘う醜悪な臭いを発している。
酷く不快であるな。
しかし、この屈辱を濯ぐには、隼人を仕留めるしかあるまい。
それも、私自身の手によって、だ。
そうだな。奴をこの手で縊った暁には、このような場所へと閉じ込める選択をした、父や祖父も除く必要があるだろう。
復讐劇の始まりとなる、真紅の緞帳はすでに上げた。あとは、主演となるだけである。
私は、薄暗い階段を一段ずつ踏みしめていた。
これよりは、いまだ何も知らぬ演者どもに対して、強制的に物語の開幕を告げようと思う。
そして、とても醜く無様な足掻きを演じてもらおうか。
その醜悪さこそが、私にとっての贖罪となるのだ。
了
【用語解説】
緞帳 :
舞台の幕のこと、緞帳が上がるは何かの始まりの意味をもつこともある。
真紅 :
深紅と同じ赤色。読みはしんこう・しんく、どちらでも良い。
注)......これを素でしんこうと読めたひとは少数だと思っています。
仰のけ :
仰向けの古い言い方。
注)戦国時代の毛利家武将、安国寺恵瓊の織田信長評『高ころびに、あおのけに、ころばれ候ずる』を、彼は引用したようです。
財閥 :
一族が独占的な資本をもって、さまざまな業種が結合した経営の形態のこと。
三菱などは昔の武家から起こっていて、会社のマークも家紋からとっている。
先物取引 :
現代におけるFXや株式取引のこと。数年後伸びるであろう商品や商売などを、先んじて権利を買うといったもの。
大正時代は景気の起伏が激しく、失敗によって土地や財産を失うこともあった。
私宅監置 :
明治時代の終わりごろにできた法律で、精神に障害を持つ者を、自宅の一室に閉じ込めて監護すること。
ただその判定は現代よりもあいまいで、厄介者を閉じ込めておくこともあった。
注)自宅への監置であり......監護では済まないこともあったようです。何年後かに病没と発表される事もあったとか?
もし分からない言葉などがあれば、お教えください。ここに追記するかもしれません。