第81話 随分と大人数で
「どういう改造でしょうか!?」
案の定、ヴァレンタインの言葉に食いついたのはコートニーだった。ヴァレンタインは床に膝を突いて、この地下室の中で一番綺麗に掃除されている『それ』を見つめていたが、一瞬だけ隣にしゃがみ込んだコートニーに視線を投げた。
「……実際試してみないと正確には解りませんが、ウェンディの肉体を改造するには良さそうな仕組みになっていると思います」
「改造」
渋い表情で呟いたのは、ヴァレンタインの背後に立っていたイリヤである。彼女は鼻の上に皺を寄せたまま、浴槽に似た魔道具を見つめていた。浴槽の中には水滴の粒すらついておらず、完全に乾燥している。
「俺の……この身体を保存するというわけではなく? これは美容がどうとかいうやつだろう? 若返らせるとか、肉体が老化するのを防ぐとか、そういうやつ」
「魔石と術式が変わってますから、今は単純に肉体の老化を防ぐだけの魔道具ではなく……おそらく、肉体と魂が持っている魔力を底上げしたりできる仕掛けもあるんじゃないかと」
「へー」
イリヤが顎に手を置いてしげしげとそれを見下ろしていたが、急にその手をぽん、と叩いた。「じゃあ、俺が入れば魔力持ちになれる? 今の俺、全くの魔力なしだけど」
ヴァレンタインがそっとイリヤから目をそらす。
「……そうですね、『全くの』魔力なしですからね……」
「くそ」
いや、その前に、である。
誰も地下室の光景に何も言わないのだろうか、と俺は口元を引きつらせていた。魔道具がどうとか、正直どうでもよくなるくらいには、酷い有様だったのだ。
地下室は結構広く、母屋となる屋敷から離れた場所にこれだけ立派な――分厚い石の壁と、掃除がしやすそうな大理石の床があるのは驚いた。置かれている机や椅子も高価そうなものであることも、無駄なことをする……と思うくらいに金がかけられている。
だが、それでも。
魔術で掃除をしていたのかもしれないが、どうしても石の床や壁に染み込んだ血の跡は消せていなかったし、その染みが大きすぎるのが問題だった。
地下室に洗面所も個室として存在していたが、そこにつながる床にも何かを引きずった跡があったし、それに何より、誤魔化しきれない死臭が漂っていた。長くこの場にいれば気分が悪くなりそうな匂い。
どうしてこれに誰も反応しないんだ、と俺は苦々しく思ったが、ただ唯一、カルヴィンだけがドン引きしたように皆の顔を見回していたのが解った。かといって、仲間意識は持ちたくはない。歩み寄りを見せたら絶対言い寄ってくるのが目に見えているから気づかないふりをしておく。
俺はそこで軽く手を上げて、ヴァレンタインたちの会話が続きそうなのを遮った。
「それより、早くそれを運び出して欲しいんだけど」
それを聞いたヴァレンタインが眉根を寄せる。
「……残念ながら、持ち出されないように魔術がかけられています。この魔術を破壊するためには、あなたから借りた先ほどの魔道具ではどうにもなりませんし……」
「術者……」
俺はさらに顔を顰めた。
誰がその魔術をかけた魔術師なのか。さっき、潮時だと吐き捨てたあの男性だろうか。彼は他の魔術師たちも従えていたのだし、この場では一番の魔力の持ち主の可能性は高い。だが、それほど恐れる相手ではないと判断できる程度の魔力量だったような気がする。
だが、もしも彼ではなくて他にもっと強い魔力持ちがいたらどうする?
急に、厭な予感が背中を這い上がるのを感じた。
何故ならば。
――父の名前が出た。
ジャスティーンの言葉を思い出したからだ。
「面倒だから全部吹き飛ばせばいいでしょ?」
苛立ったようにダイアナがそう言った瞬間、我に返って俺は目を瞬かせた。そして、慌てて言う。
「一度、外へ出よう。もう遅いかもしれないけど」
「え? 何が?」
そこで、ヴァレンタインも何かを感じたのか素早く立ち上がった。
それと同時に、階上から何かがぶつかり合うような金属音が響く。がしゃん、がしゃん、という耳障りな音があっという間に俺たちの周りを取り囲んで――。
気が付いたら、地下室の一部、俺たち全員を取り囲むように銀色に輝く檻ができていた。当然ながら、魔術で造られた檻である。
――やっぱりな、と思った。
禁術を使った魔道具を改造できる魔術師なら、階上の入り口にかけられた鍵の魔術だってもっと複雑だっただろう。そう簡単に解除できるはずがない。
つまり、わざと簡易的な魔術にしてあったというわけだ。
餌を呼び込んで、檻に閉じ込めるために。
「あらやだ、わたしたちは籠の鳥かしら」
気の抜けるダイアナの声が響いたものの、その顔に笑みはない。コートニーも渋い表情で俺を見つめ、無言の問いかけを投げてきている気がする。どうするつもりなのか、と。
「攻撃するか?」
そこでカルヴィンが躊躇いがちに俺に声をかけてきたが、彼もきっと理解できているだろう。男の魔女であるカルヴィンが魔術師の術式を攻撃すれば、地下室が吹き飛ぶ。
「いや、ほら、防御の秘術を展開させれば」
と、彼は慌てたように続けたが、すぐに語尾が小声になった。
魔女である俺たちは秘術がある。多少の怪我をしても何とかできるかもしれない。ただ、ヴァレンタインとイリヤの安全はどうやって確保するのか。
つい俺が舌打ちした瞬間、何もなかったはずの頭上から小さな黒い影が落ちてきた。丸い毛玉が膨れ上がった――と気づいた瞬間、それほど広くない魔術の檻の中に大きな獣が出現していた。
「イヴ!」
見覚えのある黒い契約獣の名前を呼ぶと、巨大化したイヴが俺たちを守るように立って、目の前にあった檻に巨大な口で噛みつく。鋭い牙と銀色の檻が擦れ、耳障りな金属音が響いた。
「おお」
カルヴィンが食いちぎられた檻を見て歓声を上げたが、その檻が変形して槍のように契約獣に伸びていくのも見て、「おお……」と意気消沈した声も漏れた。
俺が慌てて檻の攻撃を和らげようと、イヴの躰の前に秘術で薄い防御壁を作る。
壊れること前提の防御壁だから、甲高い破裂音と共にそれは砕け散った。それに、少なからず地下室に衝撃波が襲い掛かり、近くにあった椅子や机が吹っ飛んだ。
「あああああ!」
コートニーが魔道具を守るために秘術を展開させ、浴槽に縋りつくような体勢で泣きそうな声を上げている。「魔道具優先でお願いします! 魔道具優先でお願いします!」
いや、俺はイヴを優先したい。
そう思っても後が怖いので口には出さないが――。
「イヴ! 下がれ!」
反射的に鋭い声が俺の喉から上がった。槍状の鋭い棒が、まるで生き物のようにその身をくねらせ、またイヴに襲い掛かったからだ。
苦痛の呻き声が響いた瞬間、目の前に赤い飛沫が舞い上がり、俺の頬にもぽつぽつと飛んできた。五本ほどの槍がイヴの躰に突き刺さり、そのまま突き抜け、大理石の床さえ割ってその場に縫い留めようとしているのが見える。
イヴの太い足のすぐ傍に駆け寄ると、申し訳なさそうな色を映した三つの目が俺を見下ろした。
そして。
「……これはこれは」
低い声が辺りに響き、俺たちの前に黒い服と黒いマントを身に着けた初老の男性が立っているのが見えた。気配など何一つ放たないまま、足音すら聞こえず、唐突にそこにいたのだ。階段を降りてきたところ、少しだけ広いスペースに幽霊のように立っていた。
白髪交じりの黒い髪は肩より下の辺りまで伸びていて、意志の強そうな眉と鋭い目つきが印象的な男性だ。目尻の皺は柔和そうでもあったが、その薄い唇に浮かんだ笑みが酷薄さを見せている。
そして、何もせずにただ立っているだけでも解る。彼が凄まじい魔力の持ち主だということと、その魔力の流れが体内で滞っていること。それはかなりの違和感をこちらに覚えさせた。
「随分と大人数でかかったものだ」
彼はそう言いながら、ゆっくりとこちらに足を踏み出した。その時、マントが後ろに流れて細身の身体が露になる。黒いズボン、黒い上着、そして彼の右腕があるべきところにそれがない。服の袖が頼りなく揺れているだけだ。
「……オルコット、公爵?」
俺がそう呟くと、ただでさえ鋭い彼の目つきが剣呑なものに変わった。
「どこかで会ったか?」
「いえ」
目の前の男性の反応から見るに、俺の考えは当たっている。オルコット公爵、つまりジャスティーンの父親だ。元・魔術師長だか何だか知らないが、王都ではかなりの地位にいるはずの魔術師。ここにいるはずのない男だ。
「まあいい」
くっ、と唇の端を上げた彼は、槍に貫かれて血を床にぼたぼたとこぼしているイヴを見やり続けた。「この犬がいるということは、あの『出来損ない』の関係者だろう。どちらにせよ、これを見られたら逃がすわけにはいかないのだ」
――出来損ない。
それはジャスティーンのことだろうか。おそらくそうだろう。
だがそれよりも訊かなくてはいけないのは。
「……殺すという意味ですか?」
俺が警戒した声音で続けたが、彼はただ鼻を鳴らした。つまりそれが正解だ。
「先手必勝でしょ」
背後でダイアナが忌々しそうに言うのが聞こえたが、それを俺は軽く右手を上げて遮り、笑って見せる。
「こちらにはその魔道具を造った魔術師がいるんですが、それでも殺します?」
「何?」
彼の声音に困惑が混じった後、瞬時に俺たち全員の顔を見回すのが解った。おそらく、ヴァレンタインに気づいただろう。彼の喉元にある、魔力封じの魔道具の存在も。
「……なるほどな」
彼は少しだけ沈黙した後、改めて俺に視線を戻した。「だが、命の選別をするのは私だ」