第77話 幕間18 ソランジュ・バルニエ
「ええ? マジ!? あのヴァレンタイン・スイフトがやらかしたって!」
「おい、黙れ」
「いいじゃんいいじゃん! いや、マジでびっくりだわ! あいつならそんなヘマはしないと思ってたんだけどなあ! 死んだ女を蘇らそうとしたとか面白そうだし、言ってくれたら俺だって手伝ったのにさあ!」
「うるさい」
そんな会話を聞きながら、わたしはドレスの胸元を掴んで息を吐いた。だって、これほどの悪い知らせがあるかしら? 彼――ヴァレンタイン・スイフトは、わたしにとってなくてはならない存在なのだから。
女性の美しさが一番際立って見えるのは、どうやっても十代の頃のはずよ。二十歳を超えれば少しずつ欠点が見えやすくなる。若さを維持するために必要なものがどんどん増えていく。それをよく理解していたから、わたしはバルニエ公爵家の財産の一部を使うことにした。
ヴァレンタイン・スイフトは、若い頃から魔道具制作で頭角を現した人間だった。彼は財政難に喘いでいた子爵家の次男ということもあって、取引を持ち掛けたらすぐに受け入れてもらえた。
彼には多くの支援をしてきたわ。それも全て、彼の手に寄って造り上げられた魔道具のため。わたしの若さを維持するための、禁じられた魔道具のために。
その魔道具を作動させるために必要なものは、若い女性の血だった。
ヴァレンタインが言うには、魔力を多く持つ女性の血の方が、効果がはっきり出るのだとか。人間の血には、『設計図』のようなものが含まれているらしい。それをわたしの肉体の中に転写するのだと言っていたけれど、その辺りの仕組みは解らない。ただ、彼が造った魔道具――多くの魔石が取り付けられた浴槽に身を横たえ、そこで血を浴びると確かに肉体全体が若返ったような感覚が得られた。
ただ、問題は若い女性の血の確保、だ。
それを手に入れるためにはかなり苦労した。
わたしが若い頃は、必要となる血の量は少なかった。新しい薬を作るための実験のため――などという理由を付け、健康に被害が出ない程度の血を募集し、その報酬を支払う、それで充分だった。
でも年齢を重ねるにつれ、必要となる血の量が多くなった。今までの量では、肌の張りを保てないの。それでも、二十代の頃の若さを維持するのはできていたけれど……支払うべき報酬の額も膨らんでいくのが問題だった。
お金というのは有限だ。そして、減らすのは簡単なのに増やすのは難しい。
だから、優秀な人材を雇うことにした。両親を失って、莫大な財産が残されたわたしには、親類や全く関係ない人間から色々な甘い言葉をかけられた。明らかに経験不足のわたしから財産をかすめ取ろうとする人たち。
わたしは自分を利用しようとする人間を排除し、『わたしが』人間を利用することを考えた。それは、上に立つ人間には必要なこと。領地の管理をし、税を回収する。それは、わたしが優秀じゃなくてもいい。わたしが雇った人間が優秀であれば、お金を増やすことができるということだ。
そして、厳選された人間がわたしの元に集められたわけね。
優秀な魔術師もそう。
わたしが魔道具のために若い女性の血を集めていることは、社交界などに知られてはいけない。あの魔道具の存在を知られてしまえば、王宮魔術師団に取り上げられてしまうどころか、禁術を含む魔道具を使ったとしてバルニエ公爵家の立場も危うくなる。
だから、悪事にまで手を染めてくれる魔術師を募集した。お金のためならなんでもしてくれる魔術師を。
その中で、わたしの右腕とも言えるほど働いてくれているのが、今、目の前にいる二人だ。
公爵家に十数人いる魔術師を束ねてくれている壮年の魔術師、ギャストン・オクレール。ヴァレンタインと同年代の若い魔術師、バジル・グリゾーレ。
どちらも誠実さとは無縁の男性だけれど、特にバジル・グリゾーレは問題児だと言えるわね。
「でも正直なところ、ヴァレンタインをうちに引き込めたらよかったのになあ」
バジルは椅子の上に胡坐をかいて座り、ぎしぎしと両膝を揺らして唇を尖らせた。「あいつ、頭はおかしかったけど魔道具制作では凄かったし!」
「いや、引き込んでいたら我々も道連れだった。彼と同様に、魔力封じの首輪をつけられていたかもしれん。王都の魔術師連中は頭が固い奴らばかりだからな」
ギャストンが苦々し気にバジルを見やり、ため息をこぼした。そしてその時、わたしたち三人がいるこの広間に、召使の一人がお茶を運んできてくれる。わたしの健康を気遣ったハーブティーだ。
召使が出て行くまでの短い時間、広間に沈黙が降りた。
「このお茶、好きじゃねーんよ」
また部屋が三人だけになると、バジルは不満を口にした。「いくら健康にいいったって、後味がイガイガするし。それがずっと続くし。よく飲めるよなー」
「心臓に欠陥持ちが、よくそんなことを言うわね」
わたしが思わずそう口を挟むと、彼は大きな口を開けて笑った。
「はっはあ! そういうストレスかけるのやめてちょーだい。俺、こう見えても繊細なんだわ!」
「心臓だけがな」
ギャストンが冷ややかに笑った。
バジルという男は、心臓に問題があるらしい。
激しい運動は心臓に負荷がかかるということで、戦闘関連には全くの役立たずだけれど。
女性を誘拐する、どんな手段を使ってでも血を手に入れてくれる、という意味では優秀だ。魔術師としての腕は確かだし、心臓の薬のために大金が必要ということもあって、わたしがお金を支払い続けてさえいればずっと味方でいてくれる。そういうい意味でも信頼できる。
でも――。
「きっと、ヴァレンタイン・スイフトはただでは済まないと思うの。もう、わたしたちに関わることはおろか、最悪、彼の命と共にあの魔道具に関しての知識が永遠に失われるなんてことも考えられるわ」
「だな!」
「そこで、あなたたちは魔道具の管理をできるのか。それが一番の問題なのだけれど」
わたしのこの質問は重大な問題だ。
――この魔道具が壊れて、もしも使えなくなったら?
そんなことを随分前にヴァレンタインに訊いたことがある。わたしの肉体の老化をとめたとして、急に魔道具が使えなくなったら何か反動があるのか。
――反動はあるかもしれません。
彼はそう言った。
――あなた以外にこれを使った例がありませんから、可能性だけなら色々思い浮かびます。それでも、使用する血に多くの魔力が含まれていれば、その反動を少なくすることができるように言語を組み立ててあります。反動は全て、素材となる血に受け皿となってもらうように。しかし、問題は魔道具側の魔石にあり――
「魔石が内包している力を失った際、新しい魔石を手に入れなくてはいけないのだけれど……」
「あー、それ、結構問題なんだわ!」
バジルの座っている椅子が軋んでいる。身体を前後に揺らし、何が面白いのかくつくつと笑いながら彼は続ける。
「あれに使ってる魔石は結構手に入れるのが厄介でな! 王都ですらなかなか見つからんのよ!」
それを無言のまま聞いているギャストンも、微かに頷く。でも、見つからないと言われても困る。
「お金に糸目はつけないわ。どうにかして手に入れる方法は……」
「それなんだけどな!? 俺、心臓の薬を手に入れるのに、ちょいと有名な魔女の一家と付き合いがあってさ。そっちにも声をかけてみるわ!」
「そ、そう……」
「まあ、そんなに心配しなさんな、って! それよりまずは、若い女! 魔力持ちの女を探す方が優先だろ?」
そう。
ヴァレンタイン・スイフトが王宮魔術師団に捕まってから、少しだけ魔道具の調子が悪いと感じるようになった。それは多分、運の悪い偶然のはず。魔石の一つの輝きが薄くなって、そのせいか――魔道具の全体的に調子が悪いような……気がするのよね。
気のせいだと信じたいけど、でも。
もっと多くの血が必要となったら――。
「ヴァレンタインみたいに、マズイことに手を出して王宮魔術師団から逃げてる女、とかだったら消えても問題にならないし。最悪、死体が見つかっても『あー、犯罪者だから誰かに殺されてもしょーがねーか』って思ってもらえるだろ? そーゆーやつを攫ってくりゃーいいのよ、うん」
バジルがにこにこと笑いながら言い、わたしはそれに頷く。
そういう人間なら死んでも問題はない。
今までみたいに、死なない程度に血を抜く……なんて考えなくてもいい。そうね、そうすればいい。
わたしはそこで少しだけ安堵したのだけれど。
「失敗しました」
ある日の夜、珍しく慌てたような表情をしたギャストンがわたしの前に立って小声で囁いた。夕食を終えて、寝室に戻ろうとした時のことだった。彼は周りを気にして、わたしにだけ聞こえるような大きさの声で続けた。
「バジルが死にました。あの馬鹿、女の魔術師を誘拐しようとした時に心臓の発作が起きたらしく……反撃されて」
嘘でしょう?
魔女に声をかけてくれるって話も途中になってたというのに?
新しい魔石はどうしたらいいの? 新しい血は?
「ただ、その女魔術師の口は部下が封じました。生きたまま連れてこられなかったことは謝罪しますが、逃げられてしまうよりはマシでしょう」
わたしはただ茫然として、目の前にいるギャストンを見つめた。彼の目は以前と変わらず、わたしに従ってくれているように見える。それでも、ギャストンはバジルより慎重な性格をしている。バジルは女性を誘拐してくることに躊躇いはなかったし、進んで動いてくれたけれど――ギャストンはそうではない。
ギャストンは部下の魔術師に命令するのが常なのよね。そして、その部下たちもバジルほど死体の処理が得意なわけではないのが問題で。
新しく動いてくれる魔術師が必要だ。
まともな経歴などなくて、他に雇ってくれるところなどなさそうな魔術師。そして、魔術師としての腕もそれなりにある人間が。
そして。
魔力を多く持つ、若い女性。行方不明になっても誰も探さないような人間なら誰でもいい。