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第63話 幕間13 カルヴィン・ロード

「もう歩けない」

 森の真ん中で、俺の父親だったかもしれない少女がぐったりと座り込んだ。まあ、ほとんど夜着に近い服と素足といった、いかにも防御力低そうな格好で長時間歩くのは無謀だったのだろう。

 彼女のすぐ横を歩いていたヴァレンは、言葉もなく少女を見下ろしている。何か声をかけようとして唇を噛み、手を伸ばそうとして踏みとどまる、そんなもどかしい様子。

 そして少女は、僅かに余裕を感じさせる笑顔を口元に乗せた。

 何だか唐突に、これは残酷な光景だな、と感じた。

 本当によく解らない。ただ、そう思っただけだ。


 最初は彼女自身も何が起きているのか解らず、こちらの様子を窺っていたようだった。

 だが、ヴァレンが自分に――その肉体の持ち主だった少女を大切に思っているのが理解できると、すぐにその感情を利用するかのような態度に変わる。

「勝手に俺を蘇らせたんだから、責任はお前にあるよな?」とか、「どうしたらいいのか解らないし、面倒みてくれるんだよな?」とか、完全にヴァレンにしがみつく気満々だ。

「責任は……取らなくてはいけないでしょうが……」

 ヴァレンの歯切れ悪く言いながら、複雑そうに彼女の仕草を見つめた。とうとう『しゃがみ込む』ではなく『胡坐をかく』という姿になった彼女に、明確な失望の色でその横顔を染めている。


 少女を抱き上げて運んでくれればいいのにと思ったが、当のヴァレンの身体も随分と貧相だから体力的に無理なのかもしれない。かといって、俺が手を出そうとすればヴァレンに睨まれる。

 そして俺は何もできないまま、奇妙な焦りを感じつつも彼らの傍にいるというわけだ。

 だが、こんな調子だと陽が落ちるまであっという間だろう。魔物が活発化する夜に森の中で野宿は勘弁だ。


 いっそのこと、こいつら捨てて俺一人だけで逃げたい。

 そう頭のどこかで考えているものの、やはり――少女が本当にイリヤ・ノヴァならば放ってはおけないのも確かだった。

 それに、訊きたいことはたくさんある。

 ……俺が彼の息子であることを言うべきだろうか。俺の存在を知っていたのだろうか。何らかの感情を、向けてもらったことはあったのだろうか。

 俺の母のことはどう思っていた? 何の感情もなかっただろうか。ないからこそ、子供だけ作って見捨てたんじゃないのか。


 そんなことを口にできないまま、ずっと無言を貫いてきたわけだが……。


「これから、どうするつもりなんだ?」

 俺は別のことから訊いてみることにした。「行くあてとかある?」

「……あると思いますか?」

 質問を質問で返された。

 座り込んだままのウェンディを見下ろしているヴァレンの表情は暗く、俺に顔を向けようともしない。明確な拒絶、だ。

「あなたに全ての財産を壊されてしまったわけですから、もう終わりが見えてますよね。私が一人で生活できていたのも、たくさんの魔道具があってこそなんですから」

「……う」


 痛い。

 凄く痛いところを突かれた。


 ヴァレンの使っていた魔道具は全て壊れてしまった。もちろん、壊そうと思っていたわけではないが、その原因は俺にある。隠れ家として使える地下室も、手足を強化して高速移動できる魔道具も、魔物退治のための武器すらも失った彼は、村に行っても宿を借りる金すらないのかもしれない。

 もちろん、俺にそれらを弁償するほど持ち合わせなどあるはずもない。

 やっぱり逃げたい。


「別にもう、終わりでもいいですけどね。私はウェンディと一緒ならどうでもいいですし」

 ふ、と笑ったヴァレンの表情が完全に狂人のそれで、全てを失った人間というのは怖いな、と背筋が冷える。

 きっと、少女も――イリヤも同じように感じたのだろう、凄く厭そうな表情で彼を見上げ、目を細めて歯を剥きだしにした。

「いーやーだー。心中とかしそうですごーくいやーな感じがするんだけどー」

「そうですね、心中もいいですね? どんな死に方にします?」

「ほらあ! お前のせいだぞ! お前が余計なことをしたから!」

 イリヤの細い指が俺に向かって突き出されるが、俺はそっと手で自分の耳を塞いだ。俺は都合の悪いことは聞こえない魔女なのだ。


 とりあえず、まだ『例の場所』からそれほど離れていない。

 俺の魔力を感じてアンドレアたちが来ていたら――いや、来ていると考えて行動した方がいいだろう。

「ここで喋っていても時間の無駄だろ? 陽が暮れるまでに安全な場所を探そう」

 俺が耳の穴を掻きながら言うと、イリヤが唇を尖らせた。

「だってもう歩けないしー」

「ムカつくな、お前」

「はあ?」

「元は男の魔女なんだろ? 身体は女でも、もっとやる気を見せろよ」

「はー、やだねー」

 ケッ、と人を馬鹿にしたように笑った少女が、わざとらしく肩を竦めながら続けた。「男の魔女様ってのは、大体、お前みたいになるんだよな」

「何? 俺みたいに?」

「女どもから大切に大切に扱われてきたから、弱者の気持ちが解らないってことー。今の俺、弱者も弱者、多分殴られただけで死んじゃうくらいには弱いぜ?」

「自慢になってねーぞ?」

「自慢じゃないしー」

「それに、逆にあんたはどうなんだよ、イリヤ・ノヴァ!」

「はあ?」

「あんただって男の魔女だったんだろ? 女どもに大切に扱われてきたんじゃないのか?」

 今度は俺が彼――彼女?――に指を突き付けてやった。すると、さっきの俺みたいに少女が耳の穴を小指で掻きながら笑った。

「ああ、だから最期は寂しいもんだったよ」

「最後?」

 俺はそう訊き返したものの、少女は胡坐をかいたまま小さく身体を揺らしていた。そして少しの間沈黙していたが、ヴァレンに顔を向けると両腕を差し出して微笑んだ。

「抱き上げて運んでくれるか?」


 ヴァレンは一瞬固まって、イリヤの言う通りに抱き上げて歩きだしたものの、その結果は――。


「お前、まともなもの食ってないだろ」

 木陰に少女を下ろし、その隣にぐったりと座り込んだヴァレンを見下ろしてため息をつく俺。

 もう、心の底から面倒くさくなってきた。

 俺は辺りを見回して、鬱蒼と茂る森で何も見えないことを確認すると、そこで両手両足に強化の秘術を使った。青白い秘術文字が身体に吸収され、重いものでも簡単に持ち上げられるようにしてから、俺は右肩にイリヤ、左肩にヴァレンを荷物の袋みたいに担ぎ上げて走り出した。

 最初からこうしていればよかった?

 とにかく、他の魔女に見つからないように移動できればそれで――。

 地面を蹴る足にさらに力を込めると、耳元で叫ぶ風の音が強くなった。


「おー、はやいはやーい」

 右肩から気の抜けるような声が響いているが、風の音にかき消されそうだ。ヴァレンは完全に無言。これはこれで怖い。


 目的地は一番近くの村でいいだろう。とにかく、一晩くらいは三人分の宿代を出してやってもいい。その後は……どうしようか。

 そんなことを考えていた俺だが、急に背筋に悪寒が走った気がして勢いよく足をとめた。

「うええええ」

 イリヤが情けない声を上げている。先にヴァレンを地面に放り投げ、その後でイリヤをゆっくり下ろしてやる。

 そして、前方の木の枝の上に顔を向け、そっと目を細めた。


「あらあら、こんにちはー」

 木の枝に乗っている人影が密やかな笑い声を上げている。黒くて長い髪の毛が風に揺れていて、黒いマントにシンプルな白いドレスという、いかにも――魔女、だ。

「秘術を使ってくれてありがとう。うちのユージーンが感じ取ってくれたわ」

 そう言葉を続けた彼女は、ふわりと地面に降り立った。その時に見えたのが、俺とは違う秘術。彼女のスカートの裾が翻った時に見えた、秘術の模様。両手首に見えたものも、秘術の文字列だけじゃなく、美しい模様が走っている。

 どことなく幼さも感じる笑顔ではあるが、もしかしたら若く見えるだけかもしれない。そのくらい、その双眸は老成していると言えた。

「ユージーン?」

 俺は警戒しつつそう訊き返している間に、また別の人影が森の奥から姿を見せた。

「魔道具! あなたたちの誰がさっきの魔道具を持ってたんですか!?」

 妙に目をぎらぎらさせた女性が凄い勢いでこちらに駆け寄ってくる。

 さすがに我に返ったらしいヴァレンが、イリヤだけを自分の身体の背後に押しやって守ろうとしているが、そちらにその女性の視線が向かうことはなかった。

「あなたがさっきの魔道具を造ったんですか!? もしそうなら、ぜひお話を聞かせていただきたいんですが!」

 俺の両手を握りそうなほど詰め寄ってきた彼女から逃げようと、俺は数歩後ずさって引きつった笑みを返す。

「ち、違うけど」

 俺の否定の言葉に、その女性の目に失望の色が浮かぶ。しかしすぐに彼女の首がぐるりと動き、ヴァレンに向かった。

「じゃあ、あなた!? それともその後ろの女の子……!」

 と、女性の両手が奇妙な動きを見せる。気持ち悪い動きで細い指が動くのを見ながら、俺は――ヤバい相手に見つかってしまった? と不安を覚える。


「魔道具なんてどうでもいいのよ。まずは、そちらの男性の魔女……」

「でも、ダイアナ……!」

「後にして」

「えええ……」

 二人並んでいると解るのは、明らかに似た顔立ちだということだ。

 そして、そうだ。

 『彼女』にも似ている。

 それに気づいてしまうと、俺は――。


 辺りを見回してみる。

 意識を集中させると、気が付くものがある。魔力の流れだ。俺たち以外に誰かがいる。誰か。


「一緒に来てもらえると嬉しいのだけど、どうかしら? 欲しいものがあったら言ってくれれば、用意もさせるし」

 ダイアナと呼ばれた少女が上機嫌な様子でそんなことを言っていたけれど、俺はそちらに顔を向けることができなかった。

 もう一人の気配に気を取られていたからだ。

 しかし。

「それにあなたたち、追われているんじゃないの? ここでのんびりしていたら見つかってしまうかもね?」

 その言葉で、俺はやっと顔を彼女に向けることになる。

 嫣然と微笑む、ダイアナという少女。


「正直、あんたたちを信用できないからなあ」

 俺がそう言うと、ダイアナの笑顔がさらに濃くなった。

「でもあなた、ユージーンのこと、気に入ってくれたんでしょう?」

「は?」


 ユージーンって誰のことだ、と疑問に思いながらも。

 僅かに期待が芽生えたのも確かだった。


「ちょっと、ユージーン!」

 ダイアナがそこで大きな声を上げ、少し離れた場所で空気が動いた。森の奥、木の陰。そこから身体の上半身だけを僅かにずらし、凄く厭そうな表情でこちらを覗いてくる少女の姿が見えた。見覚えのある、その顔。

「……姉さん。俺、もう帰っていい?」

 彼女は俺に目を合わせようとせず、小さく声をかけてきた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ガヴリールママ達も集まってきて修羅場になるんだろうな
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