第62話 わたしが探しているのは
「物置小屋ですかね?」
俺の左に立っていたコートニーが崩れた木材の山を見て、困惑した声を上げている。右側に立ったダイアナはただ無言で辺りを見回すだけ。おそらく、面倒くさいと考えているのだろう、何もする気配がない。
そんな中、いつの間にかイヴが俺たちの前に立って木材の山の中に顔を突っ込み、乱暴に掘り起こしていく。俺はその様子を身を屈めて覗き込み、そっと目を細めた。
「……魔道具の破片かな」
俺はイヴが掘り返した瓦礫の中から、魔力の残滓が感じられる魔銀の破片を取り上げた。
が、すぐにコートニーに奪われた。
「え、どうしてこんなに粉々になってるんですか!? 魔銀ですよ!? そう簡単に破壊されるとは思えないんですけど!」
彼女は乱暴に自分のマントを肩の上にまくり上げ、ブラウスの胸元を開いてペンダントを引き出した。そのペンダントヘッドには、小さなガラスの板がついている。それを魔銀の上にかざし、虫眼鏡のように覗き込む。
そのペンダントもコートニーが造った魔道具の一つで、他人が造った魔道具に刻まれた言語を読み取るためによく使っている。肉眼では読み取れない魔力の流れも、細かすぎる魔導言語もはっきりと見せてくれるんだという。
「魔術師が造ったものですね」
にいい、と笑った口が嬉しそうに続けた。「知ってます? 魔術師が造るものって、馬鹿みたいに緻密なんですよ! 無駄じゃないのかと思えるような仕掛けも付けてあって、万が一の誤作動があった時の保証というか、何と言うか、そういうのが盛りだくさん! 正直、その仕掛けを外してしまえば、もっと効果が上がるんですけどね、彼らはそれより安全を重視するんです。だからこそ、こうして壊れるというのがおかしいわけで。普通は、どんな攻撃を受けたとしても――」
魔道具のことになると目の色が変わるコートニーは、一度こうなってしまったら他人の言葉など聞こえない。それまできっちりとまとめていた髪の毛すら乱暴に掻きまわしながら、頬を上気させて熱く語りだすのだが――。
ただ単に、暑苦しい。
だから俺は適当にその話を横で聞きながら、瓦礫の撤去を始めた。
イヴも俺を手伝ってくれているようで、がらんがらんと音を立てながら木材の破片を辺りにまき散らしていき、俺はその下にあるもの――あるいは、ないものを見た。
「多分、ここに何かがあった」
俺はただの地面を撫でた。
辺りには魔銀の破片が次々に見つかったが、それらを集めてみると元はそれほど大きな魔道具ではなかったのだろうと思う。俺も魔道具は少しだけ造ったことあるし、その基礎的な構造は理解できる。コートニーほどの知識がなくても、造った人間がかなりの腕を持っていたということが伝わってくる。普通の魔道具よりもずっと、構築されている言語が複雑だ。
だからこそ、魔女の魔力と反発したのか?
男の魔女の魔力がぶつかったことで、おそらく――内側から暴発したんだ。外側から攻撃したら、ただ跳ね返るだけのはず。だが、それが閉ざされた空間なら? この位置なら、きっと『地下』だ。地下室。何かがここにあった。そこへ、魔女が入り込んだ。
だから、これほどまでに粉々に砕け散ったんじゃないのか。
それで、壊した魔女はどこへ行った?
俺から『秘術紋』を奪った魔女はどこへ?
俺は地面に手を置いたまま、首だけを回して森を見た。
この近辺の木々は全てなぎ倒されているせいで見晴らしがいいし、結構遠くまで見える。
そして――。
俺が立ち上がると同時に、イヴが俺の前に立った。
ダイアナもやっと首を動かして「あら」と一言。
コートニーは魔銀の前でまだぶつぶつ独り言を続けている。
「あなたたちはカニンガムの魔女かしら?」
少し離れた場所にあった大木の枝の上に、黒い人影があった。それが長いスカートの裾をふわりとなびかせながら地面に降り立ち、静かに声をかけてくる。
マントの黒いフードを背中側に落とし、錆色の長い髪の毛が零れ落ちる。二十代半ばだろうか、美しい女性――魔女だ。
「そういうあなたは?」
俺もそれほどカニンガム王国内の魔女の顔など覚えていない。それでも、彼女がかなり力のある魔女だというのは解る。
それにわざわざ『カニンガムの魔女』などと訊いてくるということは。
おそらく、彼女はこの国の魔女じゃない、ということだ。
「それは秘密かしら。ただし、あなたの返答次第では考えてもいいけれど……素直に従ってくれる気は?」
どうやら素直にこちらの質問には答えるつもりがないらしい。だったら俺も問いには沈黙しても許されるだろう。
形の良い唇を笑みの形にして、女性すらも魅了するような色気ある仕草で手を顎に当ててこちらを見る彼女は確かに魅力ある女性なのだろうが、生憎、色気のある魔女には慣れている。うちの双子の姉よりもずっと、色気という意味では平凡だ。
「他国の魔女と関わっても利点はないと思いますので」
俺が警戒しつつそう言うと、彼女の片眉が跳ね上がった。そして、僅かな逡巡。
お互いの間にほんの少しだけ緊迫感があったが、それはすぐに壊された。
「アンドレア様ぁ……!」
唐突に、幼い声が辺りに響く。そして、森の奥から凄い勢いで飛び出してきた小さな影にこの場にいた全員の視線が集まった。
可愛らしい金色の巻き髪、幼いながらも整った顔立ち。十歳くらいの美少女が、頬を上気させながら無邪気に叫ぶ。
「ごめんなさい、アンドレア様! わたし、国境を越えたら身体が重くなって……足手まといじゃないですか? それより、カルヴィン様は見つかりました!? 凄い魔力を感じたって、この辺りですかぁ!?」
ちっ、と舌打ちの声が聞こえた。
アンドレアと呼ばれた女性から。
「子供って空気読まないのよねえ……。連れてくるんじゃなかったわ」
アンドレアは急に表情を引き締めると、完全に笑みを消してため息をこぼす。そして、忌々しそうにこちらを見つめ直すと言葉を探しているようだ。
「つまり、あなたがたはベレスフォードの魔女ですか?」
俺も小さくため息をついてから訊いた。「まあ、別にこちらも敵対するつもりはありません。こちらも、男性の魔女を追ってここまで来たので」
「……そう」
アンドレアは僅かに目を細めて俺の次の言葉を待っている。随分と冷えた目というか、悪賢いというか、計算高さが見え隠れする目つきだな、と思う。
何だろう、本能的に目の前の女性とは気が合いそうにないな、と内心で舌打ちする。
全く自分でも理不尽だとは思うけれど、何となく――アから始まってアで終わる名前の女性は信用できないと考えてしまった。警備団の宿舎に戻ればアレクシアという変な侍女もいるし。まあ、これは全くの私怨だけれど。
「……あなたがたも男の魔女の魔力を感じてここへ? 縄張りとか言い出すのも申し訳ないんですが、それでも、他国まで足を伸ばすってどうかと思いますよ?」
俺はそう言いながら、あれ、さっき何て言われた? と思い返していた。
カルヴィン様は見つかりました?
そう美少女……幼女が言っていた気がする。カルヴィン。カルヴィン。確かその名前って。
「悪いけど、こちらの獲物を横取りしないで欲しいのよね」
そこで、俺の横からダイアナが苛立ったように口を挟んできた。「それなりに由緒正しいわたしたち一家に牙を剥いた駄犬を追ってきたのよ? それを横からかっさらおうって言うんだから、随分と厚かましいわ」
「駄犬?」
アンドレアの眉根が寄せられた。
「もしくは駄馬でもいいわね。そいつ、うちの子にとんでもないことをしてくれた魔女なのよ? 手を引いてくれないかしら。っていうか、こちらの獲物なんだから手を出されたら困るわ」
腕を組んでそう続けた姉に対して、アンドレアの表情はさらに冴えないものに変化した。
「……わたしが探しているのは、赤毛の魔女よ? 男のね」
そう彼女が口を開き、俺の背中に厭な汗が流れた。
――赤毛!
つまり。
――俺くらいの美形ってなかなかいないだろ!?
とか言った、あのムカつくまでの自信家か。秘術の技術力はそれほど高くなさそうな、あの男。
「何それ、赤毛? 知らないわね……」
ダイアナがさらに声を低くして続けた。「その赤毛、この国に入ってきたのは確かなの? もしもそうなら、わたしたちが気づかないのはおかしいわ」
ここで、あれ、と思う。
今度はダイアナに対して、だ。
「わたしたち三人、カニンガムでも名前の知られている魔女の一族なのよ? 他国の魔女、しかも男の魔女が入国したなら、その魔力を感じ取れるはずだもの。それに気づかないってことは、あなたたちの勘違いなんじゃなくて?」
「……そう、かしら」
一瞬だけアンドレアの声に、納得したような響きが混じったと思った。
そして、僅かな沈黙。
幼女だけが落ち着かないように俺たちの顔を交互に見回している。
「まあ、確かに……利点はないのよね。他国に入れば、わたしたちの魔力の流れも少しだけ弱まるし」
そう言ったアンドレアに対して、幼女が慌てたように声を上げた。
「カルヴィン様の魔力じゃなかったんですか!? じゃあ、カルヴィン様はどこへ!?」
「解らないわよ」
鼻の上に皺を寄せて吐き捨てるように言ったアンドレアは、急に踵を返して地面を蹴った。そして、国境の壁の方へ走って行ってしまった。残された幼女は、泣きそうな表情でそれを見送る。
「……酷い」
「あなたも帰ったら?」
「……えええ……」
ダイアナが冷たく幼女の横顔に言葉を投げつけると、幼女はその場に座り込んでしまった。それはさすがに、見ていて痛々しいと感じてしまう。
「行くわよ」
ダイアナが俺のマントの裾を引いて、捨て犬のようにしょんぼりした幼女も見なかったことにして、この場を離れようと促してくる。
魔銀を手にしていたコートニーは、俺たちの一幕になど全く気付いていなかったようで、ずっと別の世界に入り込んだまま何か呟いていた。そんなコートニーの頬を殴りつけたダイアナは、首根っこを引きずるようにして彼女を引っ張って歩きだした。
俺は足元にいたイヴを抱き上げ、ダイアナの後を追って走り出す。
「……これはチャンスよ?」
壊れた小屋から随分と離れた場所になると、前を歩くダイアナがこらえきれないという様子で密やかな笑い声を上げた。「赤毛の男の魔女ってアレでしょ? あなたが王都で話をした、問題の彼」
……うん、気づいていると思ったよ。
王都の事件の際、俺は姉にも事情を説明してあったしな。赤毛の美形の魔女のこと。
というか、何も知らないっていう演技、上手かったな。
「もしかして、ユージーンを探してこの国にやってきたのかしら? お母様が感じ取った魔力って、赤毛のほう? でもこの国に入って魔力が下がってるなら、捕獲して監禁することもできるんじゃないかしら。スモールウッド家にとって、新しい男の魔女はとっても美味しい存在よね? 彼女たちよりも早く見つけなきゃ……って、ユージーンに囮になってもらえば話は簡単じゃない?」
とんでもないことを言いだしたダイアナの背中を追いかけながら、俺はまたイヴの毛皮の中に顔を埋めた。そして両足で突っ張られて顔を追いやられる。冷たすぎないか? この契約獣、ジャスティーンのだよな? もっと俺に優しくしてくれてもいいと思うんだけど!
そんな感じで落ち込んでいる俺だったが、そこで感じ取ってしまったのだ。
それほど遠くない場所に、微かに魔力の塊があるってこと。
ダイアナたちは気づいていないようだったが、これは間違いなく……さっきのベレスフォードの魔女たちの探し人だと思う。