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第56話 幕間9 カルヴィン・ロード

「自由のためには対価が必要だったんだ」

 俺は国境を知らせる壁を見つめながら呟いた。

 そう、これからは俺は自由に生きる。そのためには、ベレスフォードを捨てる覚悟を決めた。

 ベレスフォードを出ることで多少――自分の秘術の効果が弱まるとしても、それは諦めるしかないだろう。それを対価として支払ったとしても、充分すぎる魅力が国境の向こう側にあるのだ。


 目の前にある壁は――壁自体は何の変哲もない石造りの高い塀だ。ただ、純粋に凄いと思えるのはその塀が途切れた上部からは、魔術による目に見えない防御壁が国全体を覆うように作られていることだ。

 外部からの侵入を許さない、というカニンガムの国王の意思なんだろう。魔物もそうだが、ベレスフォードからの犯罪者とか。

 これだけの巨大な防御の魔術を常時発動させているということは、カニンガムという国には優秀な魔術師が多いという証明でもあるのだろう。


 ただ、『悪い』魔術師もいる。

 それは、この防護壁に小さな穴を空けてくれている元・魔術師――ヴァレンという男だ。


 その穴に気づいたのは本当に偶然だった。

 正規のルート――国境の門を通るには通行証がいる。商売で入国するとか、正しい理由が必要なのだ。でも、俺が魔女である以上、どんな理由があれ通行証など手に入れることはできないし危険人物とみなされてしまう。それだけ魔女というのは警戒されているとも言える。

 だからどこから侵入するか……と悩んで見て回っていると、一部、防御壁が弱っているところを見つけた。

 誰かがそこを通っている? と首を傾げていると、実際に人影を見た。それはあまり気配を感じさせない奴で、壁を乗り越えてベレスフォード側の大地に飛び降りた様子もひっそりとしていた。慣れた動きだと思う。

 黒いフードとマントを纏っていたが、近づいていくと痩せ型の男だと解った。そこで、思い切って近づいて声をかけた。

「よう! 俺、カニンガムに入りたいんだけど通っていいかな?」

 明るく笑い、手を上げる俺。

 そこで、彼の顔を隠していた黒いフードがずり落ちた。そして現れたのは金髪の男性。俺より年上で、二十代後半といったところだろう。どこにでもいそうな、平凡な顔立ち。

 そんな俺を無気力な表情で見つめ返す茶色の瞳。

「……凄い魔力ですね」

 俺の問いかけの返事ではなく、そんな言葉が返ってきた。それで理解できたのは、彼が俺の魔力を感じ取れる人間だということだ。ただ、俺からは彼の魔力を感じないという違和感があった。

「何で解んの?」

「私は魔術師ですから。いえ、厳密には魔術師『だった』んです」


 魔術師『だった』?

 つまり……どうやら訳アリらしい。

 俺が困惑していると、彼は僅かに首を傾げて見せて、こう続けた。

「通行料としてあなたの血をいただけたら通ってもいいですよ?」

「血?」

 魔女にとって血というのは秘術を発動させる媒介だ。魔術師というのも同じなのだろうか。俺は魔術が秘術とは構成が違うというのを知っていたが、それ以上は知らない。それでも、似たようなものなんだろうと理解して頷いた。

「少しならいいけど」

 そう言ったら、彼の目に少しだけ光が灯った気がした。


 それから何度も、その通路を使うことになった。この時はカニンガム王国に観光しにきているといった感じだったし、何度も行き来していたから通行料として彼に渡した俺の血は、最終的には結構な量になったと思う。

 その時は俺の血が何のために使われているのかなんてことには興味がなかった。アンドレアたちに気づかれないように個人資産を作るために、カニンガム王国内で手っ取り早く金を稼ぐことだけに集中していた。

 小さな街に寄って、魔女の秘術を使った仕事を少しずつ行った。

 正直なところ、俺の秘術というのは単純なものが多かった。それでも、路地裏に座り込んで若い女の子を呼び込み、恋の秘術を売り込んでいくのは意外と楽しかった。大した金にはならなかったけれど。

 皆、俺の綺麗な顔にあっさり陥落してくれたし、金以外に差し入れもたくさんもらえた。食べ物とかには困らなかった。

 恋の秘術を買ってくれた女の子の中には、この恋に破れたらあなたのところに来てもいい? なんて言い出す子もいたくらい。

 大金を稼ぐことができなくても、女の子に養ってもらえるなあ、なんて思えるくらいには人気が出たと思う。


 そうしているうちに俺が目を付けた――もしくは目を付けられたのは、とある男爵家の太った男。

 一目見ただけで彼が悪人であることは気づいたから、高額な依頼料を吹っ掛けるのも躊躇いはなかった。彼の娘とやらと、高位貴族の男性を結婚させるために恋の秘術が必要なんだとか言われた。

 そこで随分と荒稼ぎさせてもらったから逃亡資金はたんまりある。

 お貴族様、ありがとうって話だ。


 カニンガムで暮らそうと決めた日、いつものように穴を通ってカニンガムの地に足を踏み入れる。

 森の奥深くにある、今にも壊れてしまいそうな小さな家。家というよりも小屋と言っていいほど粗末なものであるけれど、そこに彼が住んでいる。

 彼――防御壁に穴を空けてくれているヴァレンだ。

「……こんにちは」

 俺が突然その小屋の扉を開けても、彼は慣れているのか驚かない。むしろ、俺が声をかける前にそう挨拶してきた。

 小屋の中には必要最低限の家具しかない。

 手作りだと思われる木のテーブル、椅子。台所と呼ぶには小さすぎるスペースに、簡易的な竈と調理のための机。調理器具も必要最低限。

 それでも、食料を保管しておくための箱などもあったし生活感はある。


 ただ、ベッドはなかった。

 どこで寝ているんだろうという疑問はあったけれど、彼にそこまで興味がないから質問はしない。俺たちは通行料を払い、払われるだけの関係だし。


「俺さ、カニンガムで暮らすつもりなんだよね」

 勝手に椅子に座り、テーブルに頬杖をついて俺はそう言う。

 彼は小さな台所でお茶を淹れ、俺の前に安っぽい木のカップを置いた。

「どこで暮らすんですか?」

「あ、何? 警戒してる? 俺、あんたに寄生するつもりはないよ? 適当に色々街を回って生きてくつもりだから心配するなって」

「街を回って?」

「いやあ、実はさあ」

 俺はお茶を啜ってからニヤリと笑う。「俺、恋をしちゃったかもしれなくてさ?」

「……恋」

「すげー可愛い子を見つけたんだよね。っていうか、恋人にもなりたいけどお師匠様にもしたい。何か、向こうは乗り気じゃないみたいだけど、無理やりでも押しかけていけば何とかなるかなって」

「……無理じゃないですか?」

「何でよ」

「乗り気じゃない相手なら、そんな風に押しかけられてきたら余計に嫌うと思いますが」


 そんなもんかねえ?

 俺、女の子のウケはいい顔立ちしているし、何とかなりそうな気がするんだけど。

 俺は首を傾げながら向かい側にあった椅子に腰を下ろした彼を見つめる。

 そういや、俺がここに通うことになってから椅子が一つ増えた。彼が用意してくれたんだろう。金払い――血払いのいい上客だと思われているのかもしれない。座り心地はよくないが、俺はこだわらないから充分だとも言えた。

 っていうか。

 そこで急に思い当たったのだが。


「まさか、残念がってる? 俺がこっちで暮らすようになったら、通行料払うこともなくなるし?」

「……まあ、そうですね」

 予想通り、あっさり認められた。茫洋とした彼の顔には、感情らしいものは見当たらない。いつも何を考えているのか解らない男だ。

 しかし、本当に俺の血が惜しいらしい。彼は意外にもこんな提案をしてくる。

「この小屋を修繕して、あなたの部屋を作ることもできますが」

「え、やだよ」

 素直な俺の口は瞬時に拒否の言葉を吐いた。「女の子と暮らすならともかく、男と二人暮らしなんて冗談じゃない」

 周りに何もない、森の中。

 こんなところで暮らすなんて、まさに世捨て人みたいな感じじゃないか。俺は若いし、興味のあることだってたくさんあるわけだし。

 それに。

「現実問題として、無理なんだよね。俺、追われてるからさ」


 そこで簡単に、俺に追手がかかっていることを彼に説明した。

 ベレスフォードから近いこの場所――国境を越えてすぐ傍なわけだし、見事に『穴』の近くだ。アンドレアやあの幼女――ガヴリールが俺を探そうとしたら真っ先に見つけるであろう場所なのだ。

「追ってきてるのがヤバい相手だからさ、遠くまで逃げたいんだ。だから、ここじゃ速攻見つかるだろうし、絶対無理」

「追っ手が……?」

 僅かに寄せられたヴァレンの眉根が、珍しく彼の苦悩を示していると思えた。

 やっとここで、俺は彼に質問してみることにした。

「てか、俺の血って何に使ってんの? あんたは何でこんな森の奥で暮らしてるんだよ? 近くに村すらない場所だろ、ここ」

 そう訊いても、ヴァレンの表情は動かない。

 どうやらその問いに答える気もないらしく、ずっと無言の時間が続く。

 俺はやがて小さく息を吐き、頭を掻きながら言った。

「俺は街に出て暮らすつもりだし、あんたもそうすればいいのに。で、血が欲しいならたまに俺のとこに来てもいいよ。ただそうなった場合、今度は俺が金をもらうけどな?」


 やっぱり、無言の時間が続く。

 うーん、面倒くさい。

 俺たちの利害関係もここまでか。


 俺がそんなことを考えていると、根負けしたのだろうか、それとも何か考えがあるのか彼が口を開いた。

「私は街には出られません」

「何で?」

「……私には秘密があるんです」

「まあ、そうだろうとは思うけど」

 俺の見ている前で、彼の視線がゆっくりと動いた。狭い小屋の中、俺はあまり興味がないからまじまじと観察することもなかったが、今動いた彼の視線の先に見つけたものがある。

 部屋の奥の床。木の板が外れそうな場所がある。どうやらこの小屋には地下室があるらしいと気づく。


 そして、ヴァレンは低い声で言った。

「……彼女を連れ回すわけにはいきませんから」

「彼女?」

「私は……禁術を行い、魔術師の地位を剥奪された身なのです」


 あれ?

 何か俺、聞いてはいけないことを聞いてる?

 俺は目の前の男を警戒させないために、できるだけ笑顔でいようと思ったが……つい、口元が引きつった。

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[一言] 厄介事のビッグウェーブがやってきそうな予感
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