第50話 毒にも薬にもならない
「……普通、侍女服で来ますかね」
俺はおそらく、無表情だったと思う。もちろん、その原因はアレクシアである。
彼女は俺と一緒に夜の任務に出ると言い出して、他のメンバーの許可を取ってしまった。
王女殿下のご命令で、とか。
警備団の任務を実際に見て、援助が必要なら王女殿下が何とかするって言ってますし、とか。
そんな嘘っぽい理由を並べ立てて。
彼女は見た目だけは人畜無害な小柄な美少女だ。この警備団では常時、女の子と接する時間が足りなすぎるからか、礼儀正しく頭を下げられてにこりと微笑まれたら「よし解った、俺たちが守ってやるからついてきな」と言い出す奴もいるわけで。
いやいやいや。
そこはとめて欲しかった。
しかも、アレクシアは両手をパン、と叩き合わせてさらに可愛らしく微笑み、絶賛恋人募集中の男性陣の心を奪って、その直後。
俺の手を取って「一緒に馬に乗りましょう」と言い出して男性陣の浮つく心を地面に叩き落した。
そして当然のように、俺の前に横乗りで馬に乗っているというわけである。しかも、俺は彼女を馬から落ちないように両腕で囲んで彼女を守っているという構図。
いくら身体が女同士だとはいえ、これはちょっと……。
「っていうか、あまり引っ付かないでもらえます?」
俺は金髪の後頭部を見つめながら言う。俺が男だったら、見事に恋人同士の近い距離だ。アレクシアは馬の揺れを利用してか、よく俺に寄りかかってくる。
「恋人っぽく見せるにはいい機会だと思います」
「だから、それが迷惑なんですが」
「ここでいちゃいちゃして、あなたとわたしがただならぬ関係だと皆さんに見てもらうことでこれを事実だと周知させ、オルコット様にあなたへの想いを断ち切ってもらわねばならな」
「色々迷惑!」
頭上の月が照らし出しているとはいえ暗い森の中、獣の鳴き声が遠くに聞こえるくらいの場所に響く俺たちの会話。
俺の右隣に並んで馬を歩かせるデクスターが、呆れたように声をかけてきた。
「なあ。お前、どこを目指してんの? その身体で女の子と結婚?」
俺の左隣にいた筋肉――ジェレマイアも頷いて言う。
「団長以外にも手を出すとか、すげえと思うけど」
「出してないし!」
俺はすかさず否定しておく。誤解などされたくないから俺も必死だ。
「俺は平穏な生活だけを求めているだけであって、こういうのは望んでない。魔物を倒して金を稼ぎ、美味しいものを食べる、そのくらいで幸せだと思うくらいに平凡なんだ」
「平凡、ねえ?」
デクスターが首を傾げているので俺は力強く語る。
「そう。俺が目指しているのは、毒にも薬にもならない、どうやっても目立つことのない一般人なんだ。人間の多いところで働くのも厭だし、日々暮らしていけるくらいのお金が稼げればそれで満足だし、いっそのこと一生独身でもいい」
そうだ。
自分で言っている間にそんな気がしてきた。
俺、絶対結婚とか向いていない。間違いなく失敗すると思う。
だったら、ずっとこのままでもいいんじゃないか。恋人とかいなくたって、幸せになれると思う。人付き合いとか面倒だし関わりたくない。
……うん。
だって俺、やっぱり魔女だし。
価値観とか、普通の人間とは違うと思うし。他人とはつかず離れず、ほどほどに仲良くしていればいい。
……よな?
「まあ、お前が一般人っぽいと言えばそうだろうけど」
デクスターが今にも笑いだしそうなほど顔を歪めて見せた。「お前が一般人でも、周りがそうじゃないから無駄じゃないか?」
「それは聞きたくなかった!」
「聞けよ」
ジェレマイアは何が面白いのかひーひー言いながら笑っている。
そして俺は、低く唸り返すことしかできない。
他人事だと思って、誰もかれも素直に言いすぎじゃないだろうか。もう少し、俺の心も理解して欲しい。で、慰めと応援の言葉を投げて欲しいものだ。
いつものように魔物の鳴き声を遠くに聞いて、討伐のためにその方向へ向かう。大人しくしていて欲しいと頼んだのに、アレクシアの耳には届いていないようで、その右手にはいつの間にか奇妙な形をした短剣が握られていた。
っていうか、そういう形のやつ、ダイアナが解剖用で使っていた気がするのは俺の覚え違いだと信じている。
今回、俺たちの目の前に姿を現した魔物は、無数の足を持つ巨大なトカゲのような姿をしていた。細長いからトカゲというよりムカデに近いだろうか。
どうやらそれは擬態をするのが得意なようで、辺りの木々をすり抜けて短めの足を素早く動かして走り抜けていく間にその身体の色は自由に変化していった。そいつは逃げ足が速く、ある程度距離を取ったら一気にこちらに攻めてくる。獲物に巻き付き、鋭い歯で噛みつく。その攻撃が避けられたらまた距離を取るという戦法を見せてきた。
「あいつもそこそこ美味いんだぜ」
ジェレマイアがそう言いながら剣を構えているのを横目で見て、俺にも気合が入る。食料になるなら頑張ろうという気になれる。
俺の場合、馬に乗っているよりも自分の足で動いた方が攻撃能力が上がる。鞘から抜いた剣に攻撃力が上がる秘術をかけ、地面を蹴る。
デクスターは相変わらず派手に魔剣を振り回し、筋肉自慢のジェレマイアは大剣を力で薙ぎ払う。他の連中もそれぞれ得意な攻撃方法で、だが誰もが自分勝手に動くことはない。
「右からくる!」
誰かが叫び、一斉にそれぞれが動く。
誰かの剣が魔物の足を切り飛ばし、痛みに暴れる魔物から距離を取る。
やっと最近、団体攻撃のタイミングが解るようになってきて、皆と戦うのが楽しく感じるようになった。
そういうのが理解できてしまうと困るのが、ジャスティーンから逃げるためにどこか別の土地へ……とは思えなくなる点だ。何だかんだいって、この警備団は居心地がいいんだろう。
「わたしもお役に立てます!」
そして気が付いたら、アレクシアも俺たちと一緒に地面の上に立っていて。
その小さな身体が宙を舞い、身体を回転させながら短剣が月の光に反射した。
侍女服というのは戦うのに向いていないと思うが、彼女の動きは滑らかだ。最小限の動きで敵と戦う。長年の訓練の上に成り立っていると思われるそれを見てしまうと、最初は半信半疑だった警備団の皆の表情も感心するものに変わった。
そして。
「お疲れ様でした」
と、誰かが言った。
俺たちの前には、頭を刎ね飛ばされた魔物の死体が転がっている。月明かりの下では魔物の血の色は黒く見えるから、それほど凄惨さを感じさせないが――普通、女の子にはきつい光景だと思うのに。
「これ、食べられるんですか? 料理するならお手伝いします、侍女として! でも魔物とか捌きたくないので血抜きとかは誰かお願いします」
と、アレクシアが無邪気に言っているのは……どうなんだろう。
「しかし、いい動きだったな。王女殿下の侍女ってのは、魔物と戦う技能付きなのか」
ジェレマイアのその問いかけに、他の男連中も興味津々でアレクシアに近寄ってくる。その場に様々な質問が飛び交って、それに律儀に色々応えてくれる彼女。
「いえ、わたしが特殊なんだと思います。他の侍女の人たちは、さすがにここまでしませんよ?」
「それもそうか……。でも、その戦い方は誰が? 騎士とかの動きじゃないよな?」
「お義父様とお義兄様が教えてくれました。特に、お義兄様は戦闘に関しては天才って言われていて」
「へえ」
純粋に興味を惹かれたらしいジェレマイアがまじまじとアレクシアを見つめると、それに気づいたらしい彼女が頬に手を当てながらにこにこ笑う。
「お義兄様は本当に神出鬼没っていうか、敵の背後を取るのが得意なんです。あれを見ると、わたしもまだまだだなあ、って思います。もっと頑張って、自慢の妹になれたらいいのにって」
「へえ……」
俺の横で彼女の話を聞いていたデクスターが、ぽつりと呟くのだ。
「どうする? 今度はそのおにーさまとやらがこの警備団にやってきたら」
「やめろ」
俺は条件反射的にそう言った。「やめてください」
言葉というのは意外と重要で。
冗談で言ったことが何故が本当になってしまうこともある。おそらく、人間の言語には何らかの力があるのだろう。
だから、切実に願う。
「もうこれ以上、厄介なことに巻き込まれたくない。目立たず、騒がず。平和に、平穏に」
だが。
「そうは言っても、厄介事がお前のことを見てるかもしれない」
デクスターが無慈悲にもそう言って、俺は眉を顰めた。何でそんなことを言うんだ、と咎める感情を目に乗せたつもりだったが。
デクスターがちらりと視線を投げた先には、我々を遠巻きにして立っているサディアスが、影のようにひっそりと気配を消しながら俺たちを見つめているのが解った。
俺がそちらに顔を向けたことで視線が合う。
一瞬だけ、気まずそうな色が彼のその瞳に浮かんだように見えた。
そして。
「すまない。少しだけ、いいだろうか」
彼が思い切ったように俺の前に立って声をかけてきた。その途端、アレクシアが素早く俺の前に割り込んできて鋭い声を上げる。
「会話されるなら、わたしも傍に」
「それは……」
サディアスの目に戸惑いと――複雑な光が浮かんだ。おそらく、俺と二人きりで話をしたいのだろう、と思える沈黙。だが、アレクシアはそれを許さなかった。
「失礼ながら、男女が二人きりで会話というのは問題があるかと思いますので。しかも、こんな夜中に! 森の中で! 何か問題が起きたら!」
――問題って何だよ。
俺が顔を顰めていると、ジェレマイアが頭を掻きながらデリカシーとは無縁の言葉を投げてきた。
「何だ、ここで青姦でもすんのか?」
その直後、彼はデクスターに頭を殴られ、ぼこりと鈍くて痛そうな音を立てている。でもまあ、意外とデクスターは良識をわきまえているようで安心した。