第45話 ルーファスの提案
『すまない、驚かせるつもりはなかった』
ブレスレットは喋り続けている。思わず左腕を上げて無駄に自分の身体から遠ざけようとしたが、それ以前に別のことが気になって動きがとまった。
ブレスレットからいつの間にか魔力が発せられていて、俺の身体を包み込むように輝いている。秘術とは違うその感覚は、水の中にいるみたいにも思えた。少しだけ身体の動きが拘束されるような感覚。
つい、俺は辺りを見回してしまった。近くにはデクスターたちもいるのだが、誰も俺の方を見ようとしない。それどころか――。
「うちの紅一点はどこ行った」
なんてことを、ジェレマイアが食器を片づけながらデクスターに問いかけている。
いや、ここにいるから。
そう言いたくなったが。
違う、紅一点とか言うな、と唇を嚙みしめる。
性別のことはできるだけ忘れておきたいのに、周りに言われるたびに否応なく思い出させられる。もの凄く複雑なのだ、その辺りのことは。
俺がそんなことをもやもやと考えている間に――。
「トイレじゃないのか? 俺だってお風呂光景なら見たいけど、さすがにトイレの光景を見る趣味はないし」
顔はいいくせにデリカシーというものを持ち合わせていないだろうデクスターがそう返し、俺は目を細めて彼の背中を睨むことになる。誰もお前の趣味の話はしてないし!
『認識阻害の魔術を展開している』
ブレスレット――ルーファスの声が続けている。俺が抱いた疑問についても簡単に見抜いてそう教えてくれたことから、デクスターたちの会話も筒抜けなんだろうと解る。
『少しだけ会話する時間をもらえないだろうか。妹のいない場所で話をしてみたかった』
彼の言葉に、なるほど、と頷く俺。
俺の身体の周りにある魔術の効果はそういうことか。
俺は小さくため息をついてから、そっとこの場を離れて森の木々の蔭へと歩みを進めた。
「で、盗み聞きし放題ってことですか?」
俺は木の幹に背中を押し当てながら、苦々しい思いで自分の左手首に視線を落とす。
『私もそこまで暇じゃない。こちらの時間が取れたから、話しかけるタイミングを見計らっていた。そのついでに少し聞こえただけだ』
「少しね……」
『誠実であろうとは思っている。魔女と言う立場にも関わらず、君は我々に協力してくれた。感謝しているのは間違いない』
「へえ……」
俺はじっとブレスレットを見つめていて、これを受け取ったのは間違いだっただろうかとか考えていた。てっきり、俺が声をかけることで発動する魔道具だとばかり思っていたし、さっきまで何も魔術の気配を感じなかった。
つまり、何もない時ですら下手な会話ができないわけだ。全部筒抜けになってしまうから。
こちらの会話が盗み聞きできないような秘術を上からかけてみようか。
ぐるぐるとそんなことを考えている間に、ルーファスは俺が予想していなかったことを言ってきていた。
『本当は妹が警備団から抜けてくれる方がありがたいんだが、どうも無理のような気がするのでね。そこで相談なのだが、君が王都に来るというのはどうだろうか』
「は? え?」
『唐突にこんなことを言って君も混乱すると思う。だから返事は急がない』
「俺が王都へって、どういうことですか?」
そこで少しだけ、沈黙が返ってきた。
どうやらルーファスも何やら悩んでいるらしく、次の台詞からは歯切れの悪い響きがあった。
『……これはオルコット家の都合であって、君には申し訳ない。ただ、君も知っていると思うが――妹には醜聞が付きまとっている。これ以上、あれに問題を……というか、周りの連中に噂の種をばらまいて欲しくないんだ』
「醜聞」
『その、つまり、だ。私は兄という立場からも、妹には普通の生活を送ってもらいたいと昔から考えていた。あれは男の格好をしているが、やはり女なのだ。世間一般的に受け入れてもらえるような、普通の幸せを掴んで欲しいと考えている。その、つまり……男性との婚姻だ』
「なるほど」
『だから君という存在は……少し、妹のためにはならないのではないかと思ったんだが……』
だんだんルーファスの声から精彩が欠けていく。彼自身、身勝手な言い分だと解っているのだろう。
『こちらで話をした際、君と妹は恋仲ではないと言った。だとしたら、君だって妹の醜聞に巻き込まれるのは問題があるんだと思う。君はまだ若く、これから結婚もするだろう。その、魔女の生活形態がどうなっているのか私には解らないが、年頃の女性が変な噂をされたら困るのはどこでも同じだろうと思う』
……ああ、そう言えば俺が実は男であるということは伝えていなかったな、と思った。
だから、ルーファスは俺が女だと思っているからそう提案しているわけだ。
『何故、君が……いや、君たち魔女が警備団で働いているのか解らないが、もしも王都に来てもらえたらそこで働いている以上の給料を出せる。望むのであれば、王都に屋敷を一つ用意できるし、王宮の魔術師団と共に活動をしてもらってもいい。任務の一端を共にこなすことができれば、国王陛下から直々に謝礼が出るように話はつけておいた。魔女だからといって誰からも差別されることなく、安定した生活ができるよう手配できる』
「それは……」
随分と美味しい話に聞こえるが、自由気ままな生活を送っていた俺に足枷がつくことでもある。
それに、俺がそっちに行ったら漏れなく姉も一緒に行くだろうということは予想できる。アボット男爵に起こった惨劇が、また別の人間に対して行われないと約束はできない。
そう、絶対に無理だ。
『その代わり、妹の傍から離れてもらうこと。それが私の頼みたいことなんだ』
ルーファスの声は真剣だったし、ジャスティーンのことを心配しているのは間違いないだろう。
でもやはり、俺としては王都に行くのはちょっとな、と思うわけで。
「ええと、その。離れればいいというなら、俺には帰ることができる家があるので。わざわざ王都で仕事を探さなくても、警備団を抜けたらそれで終わりというか」
結論を曖昧に濁しながらそう言うと、ルーファスの吐息が微かに聞こえた。
『なるほど』
そう言った後で、彼は苦笑交じりに続けた。『それならそれでいいんだが……今回の申し出には、事件の解明に努めてくれた君たちへの謝礼も含めているんだ。王都での仕事も気が向いた時だけでいいし、必要なものは何でも用意できると思う。少し、考えてくれないだろうか』
「……解りました」
結構食い下がってくるな、とも思ったが――魔女の部下を手に入れることができたら、ルーファスたちも便利なんだろうし……。
『君はそうじゃなくとも、妹は君に良からぬ感情を抱いているようだから』
そう言葉が続いて、俺は心の中で唸ってしまった。
前はそんなに悩む必要もなかったことなのに。
今は何だか妙に引っかかる。
ジャスティーンが俺のことを構い始めたのは、俺の身体が女になったのが原因だ。
つまり、彼女の恋愛対象が女だからだ。
でも、俺は男で。
彼女は俺が男の身体に戻ることを阻止しようとしている。
それは、男である俺には興味がないからだ。
このことは前から考えていたことだし、その時は何も俺の感情は動かなかった。
でも今は、自分の感情に説明がつかないのだ。
飛竜の上で珍しくジャスティーンが俺に弱いところを見せた時、振り払うことができなかったのは何故なんだろう。
俺は別に彼女のことを異性として好きになったわけじゃない。恋愛感情なんてものは俺たちの間には存在しない。ジャスティーンだってきっとそうだ。彼女が求めているのは俺の女の身体であって、俺個人ではない……はずだ。
何だろうな、これ。
俺は警備団に入る前まで、他人と関わってきたことがない。
たまにスモールウッド家に仕事の依頼にくる人間たちとは会話をしていたけれど、そこには事務的な付き合いしかなかった。
あんな風にジャスティーン――いや、誰かに抱きしめられた記憶もないし、デクスターやジェレマイアたちとしたような、悪友たちがする親しい会話とかも無縁だった。
だから惜しいと感じているんだろうか。警備団の連中は細かいことを気にしない奴らばかりだし、俺が魔女だと知ってもどうでもいいように考えている。だから気兼ねなく俺も生活できるし、居心地がいいんだろう。
警備団を辞めてどこかに行くこと、それ自体は簡単にできるはずだ。
もしかしたらもっと居心地のいい場所があるのかもしれないし。
しかし……。
『魔女殿? ユージーン?』
黙り込んでしまった俺を気遣うような声に、俺はハッと顔を上げた。そっと木の陰から頭を出すと、もうすでに移動の準備を終えた皆の姿があった。デクスターも俺の姿を探して辺りを見回しているようだ。
「あの、返事は急がないって言いましたよね? 少し保留にしてもらえますか?」
俺は慌ててブレスレットに声をかけた。「団長も、俺にそれほど本気じゃないというか、遊んでいるだけだとは思うんですけど。でも、離れた方がいいというのは俺も考えていたことなので」
『そうか』
安堵したような彼の声に、俺はまた胸に重い……重石のようなものが詰まる気がして自分でも困惑していた。
でも。
俺が男に戻れたら全部解決するんじゃないだろうか。
そうなったらジャスティーンも俺に対する興味を失って、他に――例えば王都からやってきた侍女だったり、全く無関係の貴族の女の子に興味が移るかもしれないわけだ。
そうなれば、全部解決。
終わりだ。