第44話 親密なんかじゃないですよ
「トルガを発見! 捕獲するぞ!」
久しぶりの夜番の任務は、魔物の姿が少なくて平穏だとも言えた。頭上に浮かぶ月が深夜を示す位置になった頃、馬に乗って巡回中の俺たちにささやかな緊張が走った。
月明りと魔導ランプが照らし出す森の中に、大きな鳥の形の影を見つけたからだ。
それはどうやら森の草の陰に座り込んで寝ていたが、こちらの気配に気づいて素早く立ち上がり、耳をつんざくような凄まじい声を上げた。その鳴き声には魔力も含まれているようで、辺りの木々がぎしぎしと揺れる。
「今夜は運がいい! 豪勢な夜食が作れる!」
誰かがそんなことを叫び、剣を抜いてそれ――トルガという鳥型の魔物に襲い掛かっていくのを、俺は馬上で感心しながら見つめていた。
皆、元気そうで何より。
トルガは翼を持っているが、その巨大な躰を飛ばせるほどの大きさではない。つまり、空に逃げる心配はないわけだ。馬より一回り大きいくらいのトルガを団員たちは統率の取れた動きで取り囲み、あっという間に仕留めた。
そして今、俺たちは森の外れの開けた場所で簡易的な竈を設置して、仕留めたばかりのトルガを捌いて串焼きを作っているというわけだ。いつ野営をしてもいいように、鉄板や鍋、調味料なんてものも持ってきているから、串焼きの他に煮込み料理もできる。
串焼きの焼き上がりを見守るのは皆に任せて、俺は煮込み料理を作り始めた。そして出来上がったトルガの煮込みを俺が皆に皿によそって渡していくと、めいめいが好きなところに腰を下ろして雑談が始まる。
その団員たちの中には、警備団の人間とは思えない雰囲気のサディアスもいるのだが、彼もそれは自覚しているようで、この場の空気に溶け込もうと無言で気配を消そうとしていた。
とはいえ、夜番の任務の中の、つかの間の休息時間。
賑やかなのに落ち着くという、奇妙な感覚。
何と言うか……こんなに大人数との共同生活にまだ慣れていないこともあって、新鮮に感じる光景だった。
「酒がないのが残念だな」
食事中の雑談の中で、団員の一人――俺やデクスターによく絡んでくるジェレマイアが料理の皿を持って俺の前に座った。
俺の隣には当然のようにデクスターがいて、「露出少なくてがっかりだ」と俺の服装を見てぶつぶつ言っているところだった。夜は冷えるというのに、わざわざ寒い格好などするわけがない。
とりあえず無視しておこう、そう思いながら串焼きにかぶり付く。
俺はトルガを食べるのは初めてだったが、こんがりと焼けつつも柔らかく肉汁たっぷりなのでちょっと驚く。魔物とは思えないくらい美味しい。
ジェレマイアも俺と同じように串焼きを食べながら、少しだけ身体を前に倒しつつ言った。
「団長のああいう姿って面白いな」
「ああいうって?」
俺が首を傾げつつジェレマイアに問いかけると、彼はニヤリと笑う。
「狼狽えているところだよ。いつも団長は俺たちの前じゃ格好つけてるからな。俺たちに舐められないようにって気を張ってるんだろ。なのに、お前を前にすると『触るな!』だからなあ」
「無類の女好きですからね……」
俺がため息をこぼすと、デクスターがちらりと俺を見た。
「で、どこまで行った?」
「何が?」
「ヤった?」
「ヤってないから」
またすぐにそういう話につなげようとする、と俺が目を細めて彼を見つめ返すと、「せっかくのお泊り旅行だったのに」とか言い出した。旅行なんてお気楽なもんじゃなかったけどな!?
そこで俺は団員達から少し離れた場所に座っているサディアスを見やる。俺の視線を感じたのか、彼がこちらを見たので慌ててジェレマイアに顔を向けると。
「まあ、無理することはねえだろ。娯楽がないからこっちは揶揄いたくなるだけだしな」
からからと笑う彼の言葉に、近くにいた他の団員たちも同じように笑う。
そう言えば、ジャスティーンは貴族だというのに随分とここの人間に受け入れられているんだな、と改めて思った。いくら男装しているとはいえ、彼女は紛れもなく女なのに。
辺境の地だからこそ、実力主義なのかもしれない。
彼女が魔術師として優秀なのは解るし、だからこそここでやっていけるのか。
そんなことを口にすると、ジェレマイアが顎を撫でながら唸った。
「そりゃ、最初は女が団長? とか思ったさ。でも、前の団長がクソすぎたせいで、俺たちも結構簡単に受け入れたって感じだな」
「前の団長?」
「そう。妊娠してんのかってくらい腹が出た男でな?」
ジェレマイアが自分の腹の前で手を動かして山を作る。「魔術は結構使えたんだが剣の腕はからきしだったんで、基本的に外には出ずに本館でふんぞり返ってた。イーサンもその頃から副団長で頑張ってたんだが、その団長の下でストレスがたまったんだろうな、身体を壊して休職。予算を守ろうとするイーサンが不在だったし、あのクソは簡単に警備団の金を使い込んだんだ。それで自分の借金を返したり、王都にいる家族に仕送りしたり。で、気が付いたら俺たちの給料が出なくなってた」
「そりゃまた……」
俺は呆れて言葉を失い、デクスターも驚いて眉間に皺を寄せている。
「その後に着任した……というか、飛ばされてきたのが今の団長。イーサンが復職して警備団の金を確認したら、空っぽどころか借金まで作られてるんだ。首を吊ろうとしたイーサンを宥めつつ、オルコット団長が頑張ってくれた感じか。どうも、私財も投げうってくれたらしいし。変人だとは思うが、感謝してるよ、ここの連中は」
なるほど。
俺が素直に感心していると、ジェレマイアは余計なことを付け加えた。
「だから感謝を込めてというか、お前たちが恋仲になるなら、でかいベッドくらいは送るし……注文しておこうか? 納品まで一月はかかるだろうが」
うん、いらない。
俺に対する感謝の念はそこにないだろうし! お前が持ってる煮込みは俺が作ったんだけどな!
俺がそんな思いを込めつつ彼を睨んだものの、遠慮するな、と流された。遠慮じゃないんだけどな!?
俺は空になった皿を片づけに立ち上がり、他の皆も竈の火を消したり片づけたり色々やり始めた。そこで、俺がデクスターたちから離れたタイミングを狙ってだろうか、サディアスが近づいてきた。
「……少しだけ、話をいいだろうか」
そう言った彼の表情は、少しだけ緊張しているように見えた。俺もつられて表情を引き締めてしまう。
「ええと、はい。何か?」
「今回の件で、尽力をいただいたと聞いた。まずは感謝と……何があったのか、教えてもらっても?」
そう言われて、俺は少しだけ悩んだ後に頷いた。
彼は当事者であるから、何があったのか知る権利はあるだろう。ただ、どこまで教えていいのか悩んだから細かいところは濁したけれど。
アボット男爵とその息子がゴールディング家の情報を知りたくて、他国の魔女に力を借りてプリシラ・アボットを利用したということ。
アボット男爵と息子が死んだことで、今回の件は片が付きそうなこと。もちろん、どうやって死んだのかは言わない、というか言えない。
そして、プリシラは脅されてやっていたので、罪には問われたものの、重い罰は受けないだろうということも伝えた。
「そうか……。プリシラ嬢の父親が」
サディアスはじっと何事か考えこんでいたが、すぐにその口元に微かな笑みを浮かべて見せた。「プリシラ嬢の腕に暴力による痣があったのを見た。家庭に問題があるらしいと知って、力になれたらと思った。それは間違いなく同情だったが……」
――その辺りの記憶が定かではないんだ。
苦々し気に呟いた彼は、ハッとしたように顔を上げて苦笑した。そして、俺に短い礼を言ってこの場を離れようとする。そこで俺は、つい――何て声をかけたらいいのかも解らないまま、彼を呼び止めてしまった。
目の前の美形は気まずそうな表情を作って足を止める。多分、話し過ぎたと後悔しているのだろう。
「えーと、あの」
「……ああ」
俺が言葉を探しているのが解ったのだろう、促すように相槌を打つ彼。
そしてさらに俺は何て言ったらいいのか解らないまま、自分でも失言だな、と思えることを口にしてしまった。
「王女殿下とはその後、上手くいってらっしゃるん……ですよね?」
台詞の途中で目をそらす。
何を言ってるんだ自分は、と眩暈すら覚える。
しかも、沈黙が返ってきた。
何て言って誤魔化すか、と内心でおろおろしていると、密やかな苦笑が聞こえる。
「……関係改善に努めているが」
そんな言葉の後で、彼はさらに声を顰めて続けた。「できれば、エメライン王女殿下に『彼女』が近づかないよう、協力してもらえると助かる」
あああ。
俺はそこで頭を抱え込んだ。
「王女殿下はまだ彼女に固執しているようだから、私としても複雑なんだ。君も、彼女……オルコット嬢とは親密な関係なのだろう? 性別は……ともかくとして」
「いや、それは」
俺は彼の方を見ないまま考えこんでしまう。
何だか少し前から、微妙な感じなのだ。ジャスティーンと俺はそういう……恋仲なんかじゃない。ジャスティーンは相手が女であれば、誰でもいいんじゃないだろうか。警備団は男ばっかりだから、俺の身体にいたずらを仕掛けてくるのも単なる気まぐれだ。そうだと思う。そうじゃないと困る……はず。
「し、親密なんかじゃないですよ」
自分でも解る、後ろめたいような響きが含まれた声。
でも、まだそんなに親密じゃないはずだ。お互いのことはほとんど知らないはずだし。大体、俺は魔女で彼女は魔術師。解り合えない立場だと思う。
「それならそれでもいいが、王女殿下はまだしばらくこの地に残るつもりらしい。このまま一緒にいる時間が増えれば、消えたはずの悪い噂が出てくるかもしれない」
サディアスはそこで俺の返事を待ったようだったが、何て応えたらいいのか解らず俺は唸るだけだ。
やがて彼の足音が遠ざかり、俺の傍から離れていくのが解ってから視線をそちらに向ける。
……で、俺にどうしろと。
俺は軽い頭痛を覚えて額に手をやった時、左手首につけられたブレスレットから小さな声が響いたのだ。
『確かに、妹と王女殿下は近づけたらいけないだろうな』
「ふ……っ!?」
声と同時に俺の身体の周りに走った魔力。あまりにも驚いて声を上げそうになったが、聞き覚えのあるそれは間違いなくジャスティーンの兄、ルーファスのもので。
盗み聞きしてたのか!? と俺の心臓が厭な音を立てていた。