第42話 幕間5 ルーファス・オルコット
「……話は解った」
一通り報告を聞いた後、将軍が眉間に皺を寄せてそう言った。
王城の中にある一室で、私たちはテーブルを囲んで座っている。まだ午前中の早い時間帯ということもあって、窓の外からは鳥の鳴き声がはっきりと聞こえてきている。
美しく磨かれた床やテーブルには窓の外から陽の光が反射していて、それだけ見ていれば爽やかな一日の始まりを予感させる光景だった。
ただ、テーブルの上には魔術とは違う力を放つ赤い本が鎮座していた。それは、今回の一件の――アボット男爵の悪事の証拠の一つであり、この場の空気を重々しくしている原因でもある。
相手が魔女となるとこちらも下手に手が出せない。
ということは、これ以上追及しても無駄なのだ。我々が追い詰めることができる相手は、アボット男爵家の人間のみなのだが――。
「罪人として捕縛したい相手が死んでいるとなるとな……」
と、将軍の台詞も妙に歯切れが悪い。
何しろ、我々も考えていなかったほどの惨状であったと報告を受けた後のことなのだ。ゴールディング将軍は眉間に刻んだ皺を揉み解すように右手をそこに当て、深いため息をついて見せた。
王宮魔術師たちにも独自にアボット男爵を調べてもらっていたが、彼は金にがめつく低俗な男らしいのだ。屋敷にある財産を持って逃げるならまだしも、自殺はあり得ないだろうと言う。
そうなると考えられるのは。
「魔女殿がやったのだろうか?」
私が頭の片隅で考えていたことを、将軍が口に出してそう問いかける。彼の視線の先にいるのは、スモールウッド家の魔女が二人。
穏やかに微笑む美しい少女ダイアナ嬢と、私の妹の仮の恋人らしいユージーン嬢。
そんな二人の傍にはどこか物憂げな表情のジャスティーンと、何の感情も映さない瞳のレスリー・ゴールディング。
彼らと一緒に行動していた魔術師二人も壁際に立っていて、気難しい表情を見せていた。
「えっ? 何がですかぁ?」
小首を傾げたダイアナ嬢は、きょときょとと皆の顔を見回してさらに困惑の色を瞳に乗せた。白いドレスに身を包んだ彼女は『魔女』というよりどこかの貴族の娘に見えるほどだ。いかにも箱入り娘的な雰囲気の彼女は、困ったように隣に座っているユージーン嬢の服の袖をつまんで引いた。
「ねえ、ユージーン? どういうことだと思う?」
「えー、あー……」
ダイアナ嬢とは違って、ユージーン嬢は落ち着かない様子で視線を宙に彷徨わせていた。紺色のドレスに身を包んだ彼女は、ダイアナ嬢と比べてどこか地味な雰囲気を持っている。姉妹というだけあって顔立ちはよく似ているが、ユージーン嬢の方がずっと親しみやすい雰囲気だが――。
「ええと……」
彼女はダイアナ嬢の視線に全く目を向けず、曖昧に微笑んで続けた。「ど、どうなんでしょう……?」
明らかに挙動不審だ。
この場にいる誰もがそう思ったのだろう。
将軍も無言で彼女を見つめ、私もただ顔を顰めるだけだ。
ただ、ジャスティーンが軽く手を上げて口を挟んできた。
「とにかく、この件はここまででしょう? この本はどうぞご自由に。王宮魔術師たちの実験に使うなりなんなり、好きに使ってください。我々は自分の任務に戻りたいので、早々に出立したいと考えています。団長がいない辺境警備団というのも不安ですし」
「その件だが」
そこで思わず私は声を上げた。「お前が辺境で団長として責務を果たせているのかいささか不安が残る。お前はしばらく、王都に残って欲しい」
これは口実だ。
魔女の少女と引き離すための、表向きの話。
だが、私が心配しているということは妹には伝わっていないようだ。冷えた瞳を私に向けたジャスティーンは、馬鹿にしたように鼻で嗤って見せた。
「我が兄上は辺境にこの国の王女殿下がいらっしゃることをお忘れのようだ。あの土地一帯は魔物が多く出るのでね。王女殿下を守るためにも早く帰りたいんだよ」
「いや、それは」
私は思わず椅子から立ち上がったが、さすがにこの場で声を荒げるのは問題だ。すぐに私は将軍に向き直り、目を細めて我々を見ていた彼に頭を下げた。そのまま短く挨拶を済ませると、私はすぐにジャスティーンの腕を掴んで廊下に連れ出した。
「王女殿下とお前が一緒にいること自体問題なんだ」
誰もいない廊下に出てすぐ、私はジャスティーンを壁に追いやって小声で言う。「ただでさえ悪い噂がお前に付きまとっている。王女殿下には側近たちが付き従っているし、魔術師たちもいる。お前がいなくてもどうとでもなる」
「そうだね、王女殿下の傍には婚約者殿もいることだし逆に邪魔者かな?」
ハッと馬鹿にしたように笑った妹は、私から目をそらして腕を組む。その態度の悪さについ苛立ちが勝った。思わず、彼女が背中を預けている壁にばん、と手をついた。
「それより重要なのは、あの魔女の存在だ」
「魔女?」
ジャスティーンは私の腕を忌々しそうに見た後、そっと息を吐いた。「彼女たちの何が問題かな?」
「問題しかないだろう」
ため息をつきたいのはこちらの方だ。「いいか、ジャスティーン。たまには私の意見も真面目に聞いたらどうだ? こちらはお前を思って言ってるんだ」
「思って? 馬鹿馬鹿しいね」
ジャスティーンは乱暴に私の胸を押しやって、部屋の中に戻ろうとする。でもここできちんと釘を刺しておかないと何をするのが解らないのがジャスティーン・オルコットという問題児だ。
「これ以上魔女には関わらないでくれ」
その肩を掴んで引き寄せると、やはり振り払われる私の手。
「それは兄さんの都合だね? オルコット家の名前がどうこう、ってやつかな?」
「そうだ。しかし、お前の立場を守るためでもある」
「何を今更」
「何?」
「幼い時から、私にはオルコット家の一員と認めてもらえていなかっただろう? 兄さんだって私と兄妹らしい行動をしたことなんてなかったじゃないか。それなのに今更、優しい兄という立場に収まりたくなった?」
「それは」
違う、と言いたかった。それでもその短い否定の言葉が口に出せなかったのは、痛いところを突かれた気がしたからだ。
事実、私にとってジャスティーンは――。
眉を顰める私の前で、ジャスティーンは小さく笑った。その細い指を私の胸に突きつけ、鋭い視線もこちらに向けた。
「あの家で、父からは女の魔術師など邪魔に思われていたのは誰の目にも明らかだった。だから上手くあの舞台から退場してやったっていうのに」
「舞台……」
「母も同様に虐げられてきただろう? 同じ轍を踏まないために私が選んだ生き方も、父に認めてもらうことはできなかった。兄さんだって何も言わなかったし私を見なかった。私はあの家に必要のない人間だった」
「そんなことはない」
そう辛うじて言ったものの、私はジャスティーンの強い光を放つ視線に負けてしまいそうだった。その意志の強い瞳を、私が苦手に感じていたのは幼い時からだ。今も昔と同じように、目をそらしたい、そう思ったけれど必死に堪える。
「いい加減、私もあの家を出たかったんだ」
彼女のその言葉を聞いた時、唐突に頭に浮かんだことがあった。
王女殿下と問題のある夜を過ごしたと知った時。
醜聞としてあの話が出回った時。
ジャスティーンは簡単に自分の処分を受け入れていた。むしろ、『平民に落とされるのかな』と笑っていたくらいだった。その口調があまりにも無責任に思えて、怒鳴りつけたことを覚えている。
「家を出るのにもっと上手いやり方があったことだって解ってる。でも私は父が大切にしている家名ってやつを傷つけたかった。だから怒り狂った父を見た瞬間、嬉しかったよ。それに、今の状況にも満足している。辺境の地は冬は寒いし過ごしにくい場所だけどね、皆、気のいい仲間なんだ。あの場所が私の帰る場所なんだよ」
ジャスティーンはそう言うが、辺境警備団というのが問題児ばかり集まったろくでもない奴らばかりだというのも知っている。
だから強がりを言っている……と考えたかったのだが。
「これが自分が選んだ道なんだ。兄さんのように、明るい道を正しく進んできた人間には解らないんだろうと思う」
少しだけ、妹の声に穏やかさが戻った気がした。
しかしそれは、他人に向けるような明確な距離感も伝えてきていた。
「お互い、解り合えないことがあるってことを受け入れるべきだよ。私は兄さんが求めるような、『妹』にはなれない。あの家の厭な部分を見てきたから歪んでしまった自覚もある。だからもう、関わり合うことはやめよう。適度に距離を置いて、ほどほどの付き合いで済ませよう。私は辺境の警備団で、何も問題を起こさず今までやってきたんだ。これからもそうするつもりだ」
妹はそれから一言二言続けたようだったが、私の耳には入ってこなかった。
彼女は他の皆がいる部屋の中に戻ってしまい、私だけ廊下に残された。
そして一人で考えてみたものの、はいそうですかと受け入れることはできそうになかった。
少なくとも、ジャスティーンの安全のためにも、あの魔女とは引き離しておくべきだ。
確かに辺境警備団に行ってから、妹が何か問題を起こしたという話は聞かない。だがそれがいつまで続く? オルコット家の名前に惹かれて利用しようとする人間だって少なからずいるはずだ。
大体、魔女がどうして辺境警備団に関わることになっているんだ? 普通の人間とはほとんど関りを持とうとしないのが魔女だったのではないか?
私が妹のためにできることは何なのか。
少し、真面目に考えるべきなんだと思った。
罪滅ぼしとか、そんな簡単な言葉で片づけたくはないのだけれど――私は今までやってきたこと、やってこなかったことについて清算をすべきなのだ。そうじゃないだろうか。