第40話 感じた運命は
『正直に言うが、ベレスフォードの生活というのは殺伐としていてな。俺は随分前から、カニンガムに逃げ込みたいと思ってたんだ』
そんなことを最初に前置きして、彼は困ったように微笑んで続けた。
俺は本から遠いところに椅子を引っ張ってきて、できるだけ遠くで彼の話を聞いている。秘術で浮かび上がった姿しか見えない状況だというのに、近寄りたくなかった。
しかし、彼はそんな俺の様子を気にせず言葉を続けた。
『だから、かなり前からカニンガムの国境の傍まで行くことが多かったし、実際に国境を越えて様子は見ていた』
「……よく見つかりませんでしたね」
俺は話の先を促すためにそう言った後で、顔を顰めながら考える。
人間もそうだが、魔女も自分たちのテリトリーを大切にする。いや、魔女は人間よりもその意識が強いかもしれない。
スモールウッド家も先祖から受け継いできた土地があり、その土地に根付いた魔力というものに影響を受けて生きていた。あの土地だからこそ発動できる秘術というものもあるし、その場を離れたら弱体化することも珍しくない。
だからよほどのことがなければ自分の家を離れることすら避ける傾向にあった。俺はそれでも逃げたかったから逃げたけれど。
そして逃げたかった相手からは逃げきれていないが。
まあ、それはどうでもいい。
問題は、目の前のこの男だ。
『俺は魔力が多いし、他の魔女たちよりもずっと有能だ』
……それ、自分で言うか。
『こんな俺があんなつまらない国でくすぶっているのが厭で、せっかくだからカニンガム王国で名前を売ってやろうと思って国境を越えて見回っていたら、あのアボット男爵領で噂を聞いた。クソ領主が好き勝手やってるせいで、領地の人間が苦しんでるらしいって。だから、上手いこと騙して金を搾り取ってやれないかと思って。で、一部は領地の人間に流してやって、恩を売っておこうかなと』
「クソ……」
『あ、口が悪くてごめんな? お前みたいな女の子にこんな口調は駄目だろうな』
前髪をわざと格好つけて掻き上げるその仕草が本当に鼻につく。
しかし――。
「それより、あのアボット男爵から何らかの情報を得て、ベレスフォードの王族に売りつけようとか考えていたわけでは……?」
と俺が一番気にしていることを訊くと、やはり手で前髪を掻き上げたまま、無駄に憂いのある表情で首を横に振る。
『そんな面倒なことはしない。むしろ、俺がクソ男爵の悪事を聞きだして、カニンガム王国に恩が売れないか考えてた途中だったんだ。だから、あのクソから頼まれた依頼もあんまり力を入れてなかったし』
「ああ……そう言えば、あのおまじないは」
随分と秘術が簡素な構造をしていると思ったんだった。
あれはベレスフォードの魔女が能力が低いわけじゃなくて、わざと狙っていたということか。
俺が自分の顎に手をかけながら考えこんでいると、カルヴィンが気まずそうに笑った。
『お前が見つけたんだろう? 俺の秘術が壊れたのが解ったから、気になっていたんだが』
――いや、壊してはいないが。ただ姉が何かやった。
そんなことはもちろん心の中で呟くだけだ。
『こっちもベレスフォードから出て行くために色々準備とかしてたから、途中からあまりそっちの様子を見てなかったんだ。あのクソ、すまん、男爵も金に困っていたのか、俺が考えていたより金払いが悪かったしなー』
そんなことを不満げに言うカルヴィンを見て思うのは。
こいつが馬鹿でよかった、ということ。
国家転覆とか考えてベレスフォードの王族とつながっている気配はないし、本当に単なる考えなしの馬鹿のような気がする。
『なあ。あんたが誰の依頼で俺に接触してきたのか知らんけどさ? もし必要なら、俺がそっちに行って説明してもいいぜ? 正直に言うと大したことはしてないが、あの男爵を追い詰めるには俺の証言とか必要だろ?』
「証言……」
は、必要かもしれないが――。
『だから、俺はどこに行けばいい? あんたと一緒に行動したい』
「え?」
『いや、俺はそっちの魔女たちについて何も知らないし、教えてくれる師匠的な人がいると助かるって思うんだが』
「は?」
『いや、だってな?』
そこでカルヴィンはニヤリと笑い、少しだけ身体を前に倒してじっと俺に強い視線を投げつけてくる。『お前みたいに、ちゃんと話が通じる魔女ってのはこのベレスフォードには少なかった、というか誰も人の話を聞かない頭のヤバい奴しかいない』
「いや、それはこっちも同じですが」
『同じじゃないって。何て言うか、運命を感じた』
「は?」
『初めて会話したカニンガムの魔女がお前でよかった。可愛いし、話が通じる。これ以上に求めるものあるか?』
あるだろ普通。
っていうか、その感じた運命は偽物だ。勘違いだ。
『俺、そっち行ったら何でも協力するぜ? 師匠って呼ぶし、大切にする。危険なことは全部俺がやるし、金も頑張って稼ぐ。だから付き合おうぜ、俺たち。結婚前提で』
どこから突っ込めばいいだろうか。
俺がさらに椅子を引いて、限りなく遠い場所に逃げようとしているというのに、この馬鹿の言葉は途切れない。
『どこに家を買ったらいいか悩むなあ。あのクソ男爵がいる領地はちょっと問題あるだろうし、他のところがいいか。お前、どの辺りで活動を……』
上機嫌で色々言っている彼の台詞に、これ以上聞く価値はあるだろうか。
いや、ないな。
俺はそう結論付けると、急いで椅子から立ち上がって本を閉じようとした。しかしその気配を察知したカルヴィンは慌てて引き留めようとする。
『待て! おい、それより名前だよ名前! 俺は自己紹介したぞ!?』
「もう二度と会わないと思うので、必要ないです」
俺は最後に引きつった笑みを浮かべつつ、彼の顔を覗き込んで続けた。「では、さようなら!」
『おい! 待てって! お前のいる場所――』
乱暴に本を閉じ、拘束の秘術を展開させてそれが向こう側から開くことのないよう、包み込む。その上で、この本に宿る魔力を封じて相手に追跡できないようにした。
そして俺は、その本を手に急いで客室の扉を開けた。
「俺、先に帰ります!」
ずっと部屋の前で待っていたらしいジャスティーンにその本を押し付け、満面の笑みでそう宣言する。
もうレスリーと魔術師たちの姿はそこになく、ジャスティーンが一人きりで廊下の壁にもたれかかって腕を組んでいたわけだが――。
「どうした? 相手の魔女と会話は……」
明らかに彼女は困惑して受け取った赤い本を見下ろした。青白い光の帯でぐるぐる巻きになった状態のそれを見て、彼女も何かあったと察したのだろう。
「上手くいかなかったのか? 何があった?」
「いえ、話は聞き出しました」
「それで?」
「後でちゃんと説明しますが、相手はただの馬鹿です。きっと、頭が軽いからカルヴィンっていう名前なんだと思います! その頭の軽い魔女に目を付けられた予感がするので、早々に辺境に逃げて引きこもりたいです!」
「ちょっとぉ、どうしたのよ」
近くの客室の扉が開いて、眠そうな声で姉が顔を覗かせる。部屋着に着替えた彼女の髪の毛が濡れているから、お風呂に入った直後のようだ。
「姉さん」
俺はそんな彼女を見つめ、薄く微笑む。「後の処理は姉さんにお願いします。相手、馬鹿っぽいですが美形の魔女でした。男です。男性の魔女です」
「男?」
「はい。結婚するなり、捕虜にするなり、解剖するなり、ご随意に!」
「えっ」
珍しく困惑したように俺を見つめ直したダイアナだったが、その後、俺が『結婚前提で付き合おう』とか言われたと知って大爆笑された。趣味悪ーい、とか言われても、俺だって同じ気持ちである。
だが、ジャスティーンは俺ができるだけ早く辺境に戻れるよう、手配をしてくれると言ってくれた。結婚前提で付き合うのは私たちだ、と不満げな表情でぶつぶつ言っていたが、それは聞こえないことにしておいた。
何だろう、もの凄く疲れを感じる。
とにかく……もう帰りたい。