第33話 お土産持参で
そして、オルブライト学園の制服再び。
すっかり女物のブラウスも、スカートの穿き方も慣れた俺である。我に返ったら自己嫌悪に陥りそうなので、考えないことにしたい。それに、ジャスティーンが俺の着替えを手伝いたくてそわそわしているのも気づかないことにして一人で済ませた。
せめて髪の毛を結わせて欲しい、と目尻を情けなく下げて言われたので、それだけは許したが――隙あらば変なところを触ったりキスしようとしてくるのは勘弁してもらいたい。
……女たらしのくせに。
と、何とも微妙な考えが頭の中を渦巻くのも厭だったし。
そして、準備を終えた俺が姉の支度を手伝う。さすがに危険人物ダイアナには、ジャスティーンも近づかない。これは別の意味で安心だった。
俺よりも気合を入れた感じの仕上がりになったダイアナは、同じ姿見に俺と映し出されるとやっぱり血のつながりが解るほど似ている。ただ、姉の方が女らしい仕草が身についているので、雰囲気の華やかさはダイアナの方が上だ。
「じゃあ、行きましょうか」
ダイアナの準備が終わってゴールディング家の玄関ホールに向かうと、レスリーがオルブライト学園の制服を身に着けてそこに立っていた。彼も学園生でありつつも、王宮の騎士団の訓練と両立しているらしい。若いのに大変そうだ。
「さっきの子は帰ったの?」
玄関を出て、太陽の光を自分の手で遮りながらダイアナが言った。すると、玄関前に用意されていた魔導馬車へと歩いていたレスリーがちらりとこちらを振り向く。
「はい。先ほど、馬車で送ってきました」
レスリーが馬車の扉を開けつつ俺たちが乗り込むのを待つ。
そして、俺の背後には足取りの重いジャスティーンが恨めし気な声を上げた。
「できれば一緒に行きたいんだが……」
「無理ですね」
レスリーが一蹴した。「アボット嬢と年齢が違いすぎますから、友人のふりをするのは無理です。兄弟とか姉妹などという設定も間違いなく怪しまれます。それに何より、あなたの名前は結構知られているんです」
ぐうの音も出ないジャスティーンは、肩を落としながら俺の前に立った。そして軽く手を上げると、またもやどこからか小さな契約獣がごろんと落ちてきた。
「これを私の代わりに連れていってくれ。私と同じように可愛いから」
と、真面目な顔で渡されたが、『可愛い』というところは認められない。
子犬の大きさの契約獣は確かに可愛いが、不満そうな顔で俺とジャスティーンのことを見上げている。きっと、主と同じで『自分の方が可愛い』と言いたいのだろう。
「え、もらっていいの? ドロシーへのお土産に……」
と目をキラキラさせたダイアナから俺はイヴを遠ざけ、ぎゅっと胸に抱え込んだ。どうやらイヴ自身も厭な予感がしたのが、一気にぶわりと毛を逆立てている。
「これは俺が借りてます。別のところを当たってください」
「けちー」
「お二方、とにかく馬車へ」
レスリーが無表情で怒っていたので、俺たちは素直にそれに従った。
「援軍が欲しいなら、すぐにイヴをこちらに向かわせてくれ。乗り込んでいくから」
ジャスティーンが別れ際にそう言って、俺に手を振ってきた。
「解りました。いっそのこと、今日の午後で片付いたらいいですね」
きっと無理だろうなと思いつつ俺がそう言うと、ジャスティーンは曖昧に笑った。ジャスティーンの傍には魔術師二人もいたから、きっと彼らは彼らで証拠集めに動くのだろう。
「ねえ、お土産買っていきましょ」
魔導馬車に揺られながら、ぱん、と手を叩くダイアナ。「だって、友達の家を訪ねるっていう設定なんでしょう? だったら手土産は必要よ!」
珍しくまともなことを言うな、と思いながら俺は向かい側に座っているレスリーに話しかける。
「どこか、手頃なお土産を買っていけそうな場所はありますか? 例えば焼き菓子……」
そこで俺は、はた、と隣に座ったダイアナに視線を向けた。
予想通り、ダイアナはニヤリと笑って頷く。
「わたしの分も余計に買ってくれるかしら。日持ちするなら大量にね?」
……そうだな、姉はこういう奴だ。自分の得になることしか提案しない。
しかし、レスリーは無表情のまま頷いてくれた。
「近くに王室ご用達の焼き菓子屋があります。寄りましょう」
若いのに人間ができている。レスリーは大人びた光を放つ双眸をこちらに向けたが、どこか同情に満ちたものが俺に向いたのも解った。妙にいたたまれない。
「でも、正直なところ、どうなんでしょうか」
魔導馬車の行き先を焼き菓子屋に変えてもらった後で、俺はレスリーに話しかける。「ゴールディング将軍に関わる人たちの情報を持って、他国に逃げようとしている……可能性が強いのですよね? 証拠を固めて捕まえるなんてことよりも、証拠がなくても……」
レスリーは少しの間無言だったけれど、ぎこちなく口を開いた。
「父にも確認しました。この件に魔女が関わっていたとしても、我々はその人物を捕まえることはできません。せめて、アボット男爵だけでも捕まえなくてはいけませんが……後手に回って逃げられるくらいなら」
そこで、彼の視線がダイアナに向かう。
「あらあ」
無邪気にダイアナが両手を胸の前で組んで微笑む。「期待に応えなくちゃいけないわね!」
俺は深いため息をついた。
そうして辿り着いたアボット男爵家のお屋敷は、どこか鬱々とした雰囲気があった。何と言うかスモールウッド家を彷彿とさせるのは、大きなお屋敷なのに手入れが行き届いていないからだろう。外観からして、壁に這い回る植物の蔦が枯れているのに取り払われていないし、剪定されていない庭木は荒れ放題だし。
魔導馬車を降りて玄関の前に立ち、ドアノッカーを叩く。
すると、しばらく待ってから軋む音を立てて扉が開けられた。
「お話は伺っております。こちらへどうぞ」
顔を覗かせたのは、痩せて顔色の悪い男性だった。執事と呼ぶには服装が簡素であったから、それほど立場が上の人間ではないのかもしれない。
俺たちがプリシラ・アボットの学友だと名乗り、焼き菓子の入った箱を渡しながら挨拶すると彼は無表情のまま中へ案内してくれた。
「ああ、そちらがゴールディング将軍の息子さんで!」
応接室に通されると、最初に迎えてくれたのはこのお屋敷の主、ジョージ・アボット男爵である。赤い髪を持ったその男性は、でっぷりとした腹が目立っていた。酷く上機嫌であったのは、俺たちの連れがレスリーであるからだろう。
「いやあ、将軍のお噂はかねがね! うちの娘が、サディアス殿と仲良くさせていただいていたようで」
親しみのある笑みを浮かべているつもりなのだろうが、その笑顔の裏にある下心は隠しきれていない。色々と質問を投げてくるものの、レスリーは静かに手を上げてそれを遮った。
「すみません、私たちはプリシラ嬢を心配してここに来たので。その、プリシラ嬢は?」
「ああ、呼んできましょう」
男爵はにこにこと笑ったまま、何度も頷く。そして、わざとらしく何か思いついたかのように手を叩いて見せる。
「ちょうどお昼時ですからな、食事を用意させましょう! そこで、プリシラも連れてきますのでゆっくりお話をさせていただければ!」
わざと昼食の時間を狙ってきたので、当然の流れだった。
少しでもこの屋敷の中を見て回る時間を作らないとな、と思いながら俺はレスリーと姉の顔を見つめる。
ダイアナはまた頭にお花畑を育成しているような演技をして、ただ笑っていた。そしてレスリーは、胡散臭げにそんな姉を見つめている。どうやらこの少年も、姉の危険性を理解し始めたようだった。
そうして俺たちは応接室から別の部屋に案内された。案内してくれたのは、先ほどの顔色悪い男性だ。改めて後ろから見てみると、どうも足が悪いのか歩き方がぎこちないことも解った。なるほど、そういう事情があるから他のところで働けないのだろうか。だから、こんな面倒臭そうなお屋敷で働き続けているのか。
何と言うか、安月給でこき使われていそうだな、と同情しながら歩き――。
「ああ、あなた方がプリシラの客ですか!」
と、大きな声が背後からかかって足を止める。
ちょうど、使用人の男性がある扉の前で俺たちを中に入るよう促したところだ。
レスリーが自然と俺たちを庇うように前に立ち、礼儀正しく頭を下げる。
「お邪魔しています。レスリー・ゴールディングと申します」
「ああ、俺はブランドン・アボットといいます」
にやにやと笑いながらその男性は自己紹介をした。赤銅色の髪の毛は父親譲りなのだろう。そして、父親よりもでっぷりと太っている。丸々と膨らんだソーセージのような指が印象的で、頬も膨らんでいるせいか年齢不詳に思えるが――おそらく、俺たちとそれほど変わらないのだろう。
「どうぞ、中へ。俺が案内しましょう、レディ」
にやついた顔はそのままで、レスリーの背後にいる俺と姉の顔を交互に見やる。手を差し出されたものの、とてもそれを取る勇気はない。ギラギラした目が気持ち悪いし。
背筋に何か這い上がるものを感じつつ、俺は胸に抱きかかえたままのイヴを撫でる。俺の唯一の癒しである。
「あらあ、わたしはダイアナっていいます」
うふ、と笑った姉は、小首を傾げて可愛らしい声で言う。
ぞわり、と俺の背筋に鳥肌が立った。
姉の心臓は強すぎる。俺には絶対無理な演技もして見せる。
ダイアナはきゃらきゃらとした雰囲気を待ち散らしつつ、ブランドンに愛想を振りまいた。すると、ブランドンも冴えない表情の俺よりダイアナの方が御しやすいと思ったのだろう、その視線を姉に据えた。
「ダイアナ。いい名前だ」
そんな嘘くさい言葉を投げつつ、彼は召使の男性を乱暴に脇に押しやって扉を開けた。
しかし、まあ。
問題児ではあるけれど、今回ばかりは姉が一緒でよかったと思った。