第28話 処分はどうされるおつもりですか?
「王族が使うと思われる、秘密の通路を見つけたわ」
廊下に出た直後、何の気配もなく姉が俺の背後に立って囁いた。心臓が喉から飛び出るかと思った。
不規則に脈打つ心臓を、抱きしめたイヴの手触り確認で落ち着かせつつ、そっとダイアナの方へ向き直って目を細める。
「体調不良を口実に、何でそんな危険なことをしてるんですか」
咎める声音で囁き返すも、彼女はただ肩を竦めて笑うだけだ。周りに聞かれてはいけない人間がたくさんいると解っているから、姉の声は俺にだけ聞こえるように調整してあるが――本当に心臓に悪い。
「見つけたのはいいけど、外から侵入するのは難しそうだから困ったものよね」
困ったものなのは姉だ。
思わず俺はそこで、姉の口を手で塞いだ。
いくら魔女の秘術で俺たちの会話が周りに聞こえないようにしているとはいえ、王宮魔術師たちがいるこの場では――と俺がひやひやしていると、ダイアナが俺の手を噛んできた。甘噛みなんてものじゃなく、本気だからとにかく痛い。
「どうした?」
それまで廊下で待ち、謁見室から出てきたルーファスたちと何か話をしていたジャスティーンも、こちらの様子に気づいて声をかけてくる。
「いえ、何でもないです」
俺の右手に噛みついている姉を何とか振り払って笑って見せると、ジャスティーンがふと眉根を寄せて俺の手を取った。歯型のついた俺の手に気づいて、彼女がそっと唇を寄せようとしてきたので、反射的に手を引いて逃げた。
姉もジャスティーンもケダモノである。向いている方向は別方向だが、怖いものは怖い。
それと、周りからこちらに向けられる視線が痛い。でも俺は何も悪くないはずだ。
「残念ながら私は、この後は一緒に行動するわけにはいかんだろう」
ゴールディング将軍は廊下を歩きながらこちらを振り返る。俺たちと一緒に行動する人間はさっきより減り、最終的には将軍とサディアスの弟のレスリー、ルーファスと彼の部下の若い魔術師が二人だけになっていた。他の人間は、それぞれ元の持ち場に戻って行ったらしい。
ジャスティーンの足元には子犬にしか見えないイヴが胸を張って歩いていて、それがとても心癒される光景だ。
まあ、俺より数歩遅れてついてくるダイアナがたまに足をとめ、城内を観察しているのに気付くとすぐに心がささくれるが。もう何も見つけ出さないで欲しい。
「そのため、貴殿たちと一緒に行動するのは我が次男と……そちらの魔術師二人だな」
ダイアナの危険性には気づいていないらしい将軍の視線の先には、ずっと無表情のレスリーと緊張した面持ちの魔術師二人がいる。
そして、ルーファスも苦々し気に自分の妹――ジャスティーンを睨むように見つめて口を開く。
「私も忙しくて付き合えないんだ、ジャスティーン」
「ありがたいね」
ジャスティーンは笑顔で応える。「兄さんは真面目だから、一緒にいると息が詰まる……」
そう言った瞬間に、ルーファスがジャスティーンの肩に右手を置いて力を込めた。その彼の手首を掴んで引きはがそうとする彼女。それぞれぎりぎりと音を立てているのが解るが、二人とも笑顔だから怖い。見なかったことにして放置しよう。
「あの」
俺は前を歩くゴールディング将軍に近づいて訊いてみる。「確認したいのですが、今回の件に関わった魔女や、そのおまじないを仕掛けた人間が解ったら……処分はどうされるおつもりですか?」
「処分か」
元々、魔女と魔術師は戦わないことになっている。
秘術と魔術では構成式が全く違うため、戦ってもお互い放ったものが反発して自分に返ってくるだけではなく、予想もしなかった作用を引き起こして大事故につながることもあった。
だから遥か昔から、魔女のやることは治外法権、みたいな扱いになっている。普通の人間が魔女に依頼をして悪事を働いたとしても、罰せられるのはその人間だけだ。
だからきっと今回もそうなるだろうとは思っていたが、念のため確認は必要だ。
将軍はそこで小さく苦笑した。
「魔女に関しては、我々は何も言えん。それは陛下ですら同じだろう。ただ、貴殿が危険な相手だと判断したら、何らかの対処をお願いしたい」
「解りました。それで、それを依頼した人間の方は……?」
「ゴールディング家に逆らい、そして万が一国家転覆を企むような人間であれば、陛下の前で処刑する」
小さく微笑んだまま、将軍は腰に下げられた剣を軽く指先で叩く。
なるほど、と思う。
ただ気になるのは、俺のすぐ横で『処刑』と聞いてそわそわし始めた姉の存在だ。『あら怖い』みたいな仕草をして見せているけれど、俺には彼女が喜んでいるのが見て解る。俺は心の中でため息をついてから、とにかく心を無にして行動することを決めたのだ。
「兄の行動範囲は、我が屋敷と学園、この城内の騎士団です」
城の中庭に出ると、将軍がそこへ呼びに来た男性に連れられて行ってしまった。ルーファスも同じように忙しいらしく、気づかわし気な表情で俺を見つめた後、自分の任務に戻ったようだ。
その後は、俺たちの案内をレスリーが引き継いでくれたが、その無表情さはずっと変わらなかった。
「兄にかけられたおまじないの気配は、あなた方なら読み取れるということでよろしいですか? つまり、どこで仕掛けられたのかも解るということですか?」
どこか幼さも残った顔立ちであるのに、随分としっかりした口調で俺に訊いてくるレスリーを見ると、ちゃんとした親に育てられるとこうなるんだな、と思う。我がスモールウッド家とは大違いだ。
「はい。このおまじないは、大抵が『紙』を使って発動するんです」
俺はどこまでも綺麗に手入れされた中庭を見回しながら応えた。「魔女が自分の血を紙に垂らし、秘術の式を書きます。それを相手に渡すと、秘術がその人間の体内に潜り込み発動します。残った紙には何も残りませんのでそれで証拠隠滅完了ですが、同じ魔女なら秘術がそこにあったことが読み取れます」
「なるほど、紙……ということは、手紙とか?」
「そうですね。でもきっと、発動したのはここではないです。この城内には何も感じないですから」
俺は確かに女性の身体になって魔力が弱くなったとはいえ、このくらいなら簡単だ。離れすぎていればもちろんその魔力は感じ取ることができない。だから、可能性のある場所を片っ端から回るしかなかった。
そしてここからが、かなり慌ただしくなったと思う。
さすがに王都の中を飛竜で移動するわけにもいかず、魔導馬車に乗り込んで次の場所へと向かう。
まずは今夜の宿ともなったゴールディング家だ。
「ちょっと! 帰りにお土産買いましょう!」
と、魔導馬車の窓から城下町の大通りを見つめたダイアナを適当に宥めつつ、ジャスティーンの観光案内を聞く。魔術師二人は魔導馬車の無人の御者台に座っていて、完全に俺たちの護衛役になっていて、レスリーは必要以上には話さず俺たちの会話を聞いている。
何だろうな、この状況、と思いながらゴールディング家に到着。三階建ての立派なお屋敷、何人いるんだと驚くほどの使用人たち、魔術による警備が万全の分厚い塀、凄腕の庭師がたくさんいるんだろうなと解る広い庭、バラ園。
お屋敷の中を探検したいと笑顔を見せるダイアナを完全放置して、俺だけ真面目に魔力を確認。このお屋敷でもない。
じゃあ、次はあの美形が通っていた学園か――。
ジャスティーンと相談しながら色々行動した結果。
その日の夕方、俺は貴族たちが通う名門学園の生徒に変装した制服姿のまま、一冊の本をレスリーに手渡しながら言ったわけだ。
「この本からおまじないの名残を感じ取れます。間違いなく、おまじないが発動したのは学園内ですね」
そう。
その本は随分と古い歴史書のようで、タイトルには『忘れ去られた帝国大戦』と書いてあった。それは俺が忍び込んだ学園――オルブライト学園の図書室に保管されていたもので、こっそり盗んで……いや、借りてきたやつだ。
レスリーはその本を受け取り、裏表紙の方から開く。
そこには過去、その本を借りた生徒の名前がずらりと魔術言語で記載されているはずだ。青白く光る人名の羅列。その中には、問題の男爵令嬢、プリシラ・アボットの名前とサディアス・ゴールディングの名前も記載されていた。
「プリシラ・アボットに会わなくてはいけないだろうね」
ジャスティーンが眉間に皺を寄せつつそう言った後で、ふと視線を俺に向けて表情を和らげた。「そのついでに、しばらく制服姿でいてくれないかな? オルブライト学園の制服は、スカートが短めでいいよね」
もう何も言うまい。