第27話 ここでの会話は外には漏れない
将軍たちに案内されて複雑に入り組んだ長い廊下を幾度も曲がり、階段を上がり、国王陛下がいると思われる巨大な扉の前へ行く。その扉の前には、おそらく王宮魔術師たちなのだろうと思われる、黒い制服を身に着けた男性たちが数人立っていた。
魔術師たちが将軍相手に挨拶をしているのを見つめていると、おや、と気づくことがあった。
「連絡をどうもありがとう」
挨拶を終えて、俺たち――正確にはジャスティーンに向き直った一人の青年が、薄く微笑みながら声をかけてくる。まっすぐで長い銀髪を首の後ろでまとめ、氷のように凍てついた青い瞳が印象的な、二十代後半くらいの男性。
もう、ジャスティーンをさらに凛々しくしたような顔立ちで、背が高く容姿端麗。顔立ちが似ているから、その関係性が聞かずとも察することができた。
「……会うのは久しぶりだな、兄さん」
俺の横にいたジャスティーンが、静かな口調でそう言ったから、答え合わせが完了する。この人がジャスティーンの優秀な兄、だ。
「そちらがお前が言っていた部下か」
彼は少しだけ目を細めてジャスティーンの表情を観察した後、ため息交じりに俺を見る。すると、ジャスティーンが俺の肩に手を回した。
「そう。そして私の恋人だ」
俺は無言のままジャスティーンの手を肩から叩き落したが、視界の隅でダイアナが『ふっ』と鼻で嗤っているのが解って低く唸り声をあげてしまう。
「またお前は『女性』に手を出したのか。王女殿下だけでは飽き足らずに?」
ジャスティーンの兄は整ったその目を吊り上げ、軽蔑するかのような表情を作って見せる。顔立ちが整っているだけに、そういう顔をすると余計に迫力がある。彼の周りにいた同僚らしき人たちも、その刺々しい空気に負けたようで、そっと目をそらして数歩離れていく。
俺も逃げたい。
「でもね、兄さん。この子は優秀な魔女でもある。手放すのは惜しいから、絶対に別れないよ?」
煽るように言ったジャスティーンのその台詞を聞いて、俺は無言のまま首を横に振った。それを見た彼の目が、少しだけ細められる。
「……とにかく、国王陛下には今回の件に魔女が関わっているらしいということは伝えてある。だから、それに気づいてくれた魔女殿には拝謁が許されたが……」
「もちろん、私は陛下に合わせる顔がないのは解っているから、ここで待っているつもりだよ」
「そうだな」
彼が少しだけ安堵したように息を吐く代わりに、俺が慌てて声を上げてしまった。
「え、陛下にお会いするのって俺たちだけ……!?」
「あ、わたしも面ど……体調が悪いからお手洗いへ」
ダイアナが急にふらり、と頼りなげに足元をふらつかせて、その動きがあまりにも自然だから騙された魔術師たちもいたようだが――面倒って言いかけたの聞き洩らしてないから!
っていうか、姉は俺だけじゃ頼りないからってついてきたくせに、いざという時に逃げ出すのはどういうことなんだ!
俺、礼儀作法とか全く知らないんだけど。国王陛下どころか、相手が貴族だとしても敬語で話す、くらいの知識しかないんだが! スモールウッド家にずっと引きこもっていただけあって、普通の人間との接点も少ないまま生きてきたというのに!
おろおろしている俺を見下ろしたジャスティーンは、少しだけ首を傾げた後に小さく囁いた。
「イヴ」
すると、どこにも姿が見えなかったはずの契約獣――小型犬サイズの毛玉が空からぽとりと落ちてきた。咄嗟にそれを受け止めた俺は、ジャスティーンに優しく頭を撫でられて余計に困惑する。
「これを私の代わりと思って、一緒に連れていってくれ」
――全く意味がわかんねえ!
俺はその場に硬直し、それでも腕の中で不満そうに鼻を鳴らすイヴを見下ろした。確かにぬいぐるみみたいで可愛いし、癒されるのは間違いないが。ないが!
「すまない、役に立たない妹で」
と、ジャスティーンの兄が深いため息をついた。「解らないことがあったら私に訊いてくれ」
彼は申し訳なさそうに俺に微笑みかけ、そこからは謁見時の礼儀作法を付け焼刃で教えてもらったわけだ。
その間にダイアナはいつの間にか姿を消してしまっていたし、ジャスティーンは他の魔術師たちに声をかけられて廊下の隅で何か話し込んでいたし、何だか俺だけ将軍やら名前も知らない男性たちに取り囲まれて苦労しているような感じになってきていた。
そして、イヴを抱きかかえて少しだけ精神を落ち着かせた後、ゴールディング将軍やジャスティーンの兄と他の騎士、魔術師たちと一緒に謁見室に足を踏み入れることになった。
教えてもらった通りに床に膝を突き、右手を胸に当てたまま深く頭を下げる。さすがにイヴは床に下ろし、俺のすぐ横で大人しくしてもらった状態。
緊張していたのであまり周りを見られなかったが、王城の床はどこもかしこも綺麗に磨かれていて凄いな、と考える余裕はあった。
そして、国王陛下の側近の男性に許されて顔を上げると、エメライン王女殿下と同じ銀色の髪、灰色の瞳をした鋭い顔つきの男性が目に入った。このカニンガム王国の王、バイロン・カニンガムだった。
国王陛下もゴールディング将軍と同じように体を鍛えているのが一目瞭然で、手の甲には剣による傷跡らしきものも見て取れた。顔だけを見ていると、四十代後半くらいだろうかと思えるほど若々しいが、その手に刻まれた皺まで見てしまうともっと年齢がいっているのだろうということが解る。
「発言を許そう。大体の話は聞いているが、貴殿の口からもう一度、詳しく説明をしてもらおうか」
初めて聞いた国王陛下の声はイーサンばりの低音美声、そして他人に圧をかけるためなのだろうか、僅かな魔力も発している。そういうことに気づいてしまうと、これは敵に回してはいけない人物、というのが本能で解った。
俺はそこで一度呼吸を整えると、サディアスにかけられた魔女のまじないについての説明を始めた。国王陛下は幾度か質問を挟みつつ、全部聞き終わると近くに立っていた側近たちに何か命令をし始める。
その後で、陛下は俺に視線を戻して微笑みかけてくる。
「情報提供に感謝する。この件を調べるにあたって、必要なものは全て用意させる。何かあったら言いなさい」
「ありがとうございます」
そう応えながら、国王陛下にこんな言葉をもらったことを姉には絶対に伝えないようにしないと、と肝に銘じた。あの姉は絶対に陛下の言葉を悪用するだろうから。
「それともう一つ」
頭を下げていた俺に、国王陛下はもうひとつ付け加えた。「ジャスティーン・オルコットに迷惑をかけられているようなら、それも言いなさい。全力で協力しよう」
「……ありがとうございます」
これはジャスティーンには言えないな、と思った。
「本当に、妹がすまない」
国王陛下が謁見室を出て行った後、やっと肩の荷が下りてほっと息を吐いていると、その『妹』の兄が疲れたように話しかけてくる。俺が抱きかかえている小型犬を彼は見つめ、急に指をイヴの額に押し付けた。
「これは命令だ。謁見室の中での会話はお前の主には秘密だ。お前は何も聞かなかったし、知らなかった。ただ、国王陛下から労いの言葉があったことだけ伝えてもいい」
その言葉の後、彼の指先から火花のようなものが弾けた。魔術の呪文なんてものはなく、魔力だけでの命令だな、と気づく。
魔術の呪文というのは、痕跡が残る。だから、魔術師などは他の人間が魔術を使った場合、それを読み取ることができるわけだ。
しかし、呪文の詠唱も何もなくやれるのであれば痕跡は残らない。もちろん、そんなことをできるのはよほどの力のある魔術師だけ。
「ここでの会話は他には漏れない」
彼は小さく笑った後で、謁見室の片隅で俺たちの顔を見回した。ゴールディング将軍もその場に残っていて、彼のその様子を見て面白そうに肩を揺らしている。
「……苦労しているようだな、我が魔術師団の団長は」
「そうですね。うちには問題児がいるので」
「お互い、苦労しているようだ」
そんな二人の様子を見ている他の人たちの間に微妙な空気が流れる。同情だろうか。
そしてやっと、ジャスティーンの兄の名前を教えてもらった。
「ルーファス・オルコットという」
彼が自己紹介をしてくれる。彼は二十四歳のジャスティーンよりも三歳年上で、王宮第一魔術師団の団長なのだという。他の魔術師たちがこっそり教えてくれたが、この年齢で団長になったのはルーファスが最初らしく、ジャスティーンが兄のことを優秀だと言っていたことも納得できた。とにかく、魔力量は多いし魔術の制御が的確なんだそうだ。
「妹も……どうして男として生まれてきてくれなかったのかと何度も思った」
ルーファスは会話の途中でぽつりとそうこぼし、皆の顔を見回して苦笑していた。「あれが男なら、早々に身分のある女性と婚約させて落ち着いてもらったんだが。君にも迷惑をかけていると思う。それで確認なのだが……」
彼は少しだけ歯切れの悪い響きを含ませながら、俺を見つめた後でこう訊いてきた。
「君は、本当に妹の恋人なのだろうか」
「あ、違います」
即座に否定しておくことにする。
「そうなのか」
「はい。団長も、王女殿下から逃げるために俺と恋人みたいに見せているだけなので」
「俺?」
「逃げるため?」
少しだけ、その場の空気が乱れたが誰もが納得できる話だったみたいだ。どうも、王女殿下のジャスティーンへの執着は凄いということで有名だったみたいだ。とうとう『あの』ジャスティーンも逃げたくなったのか、とゴールディング将軍は腹を押さえながら笑っているし、苦々しい顔をしたルーファスは俺を真剣な表情で見つめて「君も逃げていいんだぞ」とか言う。
っていうか、逃げるつもりだし。
俺は苦笑しながら、ルーファスにジャスティーンと恋仲になるつもりはないと力を込めて宣言したら、よかった、と胸を撫でおろされた。
そして急に、彼は自分の左手首につけていた銀色のブレスレットを俺に渡してくる。
「これは魔道具だ。小さな青い魔石に触れると、私の『これ』に音声が届くようになっている」
そう言いながら彼は自分の耳につけられている銀色のピアスを指で差した。「ジャスティーンから逃げたいならいつでも相談してくれ。魔女なら仕事などしなくても生きていけるだろうが、もしも必要ならば安全な職場も用意させる。女性に辺境での仕事は危険すぎるだろう」
……おお。
どうやら彼は本気で俺の将来のことを心配してくれているようだ。しかし、なるほど、利用できるものは何でも利用しないといけないなあ、なんてことを考えながら、俺は満面の笑みでお礼を言った。
「ありがとうございます。ぜひ、その時はご相談させてください」
何故か一瞬、奇妙な間があったような気がする。でも、ルーファスはすぐに優しく微笑んで頷いてくれた。
その後、俺たちは謁見室の外へと出たのだった。