第26話 王都へ
「さすがに遠くまで見えるな」
俺のすぐ後ろから、ジャスティーンの声が響く。
警備団にいる飛竜には一人乗り用の鞍がつけられているが、これは複数人用。飛竜を操るのは王都からやってきた壮年の男性で、飛竜の頭部に近いところで太い手綱を引いて操っている。
そしてただ乗るだけの俺たちは飛竜の背中の中央辺りで、翼の動きを邪魔しない程度の大きさの座部に縦一列に座っているというわけだ。万が一にも落ちないようにと安全用のベルトが俺たちにも付けられている以外は、屋根付きのちょっとした馬車……みたいな感じだろうか。
一番前が姉のダイアナ、その次が俺、その後ろにジャスティーン。
将軍は別の飛竜を操って空を飛んでいたし、その動きは傍目から見ていても無駄がなくて機敏。他の男性たちも似たようなものだが、俺たちの飛竜を操っている人は、こちらが揺れないように丁寧な動きを心がけてくれているみたいだった。
だから、安心して周りが観察できる。
「あれが国境ですか?」
俺は遠くに見える分厚い壁のようなものを見つめ、振り返らずにそう訊いてみる。俺たちが見回りをしている広大な森、その近くにある村、そして険しい山が連なっている。さらにその先に、果てしなく続くんじゃないかと思われる壁、そしてその向こう側にも険しい山や谷、鬱蒼と茂る森。
すると、ジャスティーンが静かに返してきた。
「そうだね。我々が警備しているこの辺りはまだ安全な場所だが、国境の壁に近づくとさらに魔物が増えていくよ」
「魔石が取り放題ってことかしら」
俺たちの会話を耳に挟んだらしいダイアナがうっとりとした口調で言ったが、俺は聞こえなかったことにして言葉を続けた。
「国境の向こう側も初めて見ましたが、なかなか厳しそうな環境ですね」
「そうだね。この辺りも冬はかなり厳しいが、向こう側はさらに凄い。ほとんどの山が氷に覆われてしまって、野犬すらも生き延びることもできない。餌が手に入らないから魔物も共食いを始めるほどだ」
「……わー」
思わず間延びした声を上げてしまった。
あまり考えたくない光景だな、と思ったからだ。そんな弱肉強食の中、人間が紛れ込んだら瞬殺されるだろう。
「そしてね、ここからは見えないが向こうの険しい山々をずっと越えた先にベレスフォードという国がある。昔はこのカニンガム王国とも戦を起こしたことがあったらしいが、今のベレスフォードは作物の育ちが悪い上に頻発する災害やらでまともな生活もできないから、戦どころではない」
「災害……」
「だから、生活苦からたまに国境を越えてこちら側に逃げてこようとする人間もいるらしいが……」
と、そこでジャスティーンが複雑そうに声を顰めた。「魔物だらけの山々を超えられる人間はなかなかいない。まあ、それでももし、国境を越えた人間がいたとしたら手厚く保護してやりたいと思うよ」
――国境を越えたら。
山を越えるのは飛竜がいれば簡単なのかもしれないが……と思いながらまじまじと遠くの光景を見下ろしていると、国境の向こう側の森には魔物が多すぎるようだった。空を飛ぶ小型の魔物も見られるから、飛竜ですら危険なのかもしれない。
「さすがにそれはなさそうですね?」
俺は苦笑しつつそう返すと、ジャスティーンも小さく笑いながら応えた。
「昔、戦の時にどさくさに紛れて逃げてきた人たちが村に住んでるよ。でも、それは兵として大人数でやってきたからできたことで、個人で山を越えるのは……無理だろうな」
そんな会話の合間に、ダイアナが自分の身体を固定しているベルトを外して地面に飛び降りて魔物を狩りたそうにしていたのをとめたりと、多少のトラブルはあったものの無事に王都へ到着した。
王都にやってくるのは初めてだったから、空の上から見ただけでも巨大な都市だということが解って興奮したし、俺が見知った街並みよりも遥かに発展した様子に素直に感心した。
あやゆるものに魔道具が使われているようで、街の中を走る馬車でさえ魔道具による補助がつけられているようで御者は無人でも目的地にまで到着するみたいだ。
街灯も魔道具、大広場にある噴水も魔道具、何でもそうだ。
「はー、凄い……」
と、俺が間抜けな顔で口を開けたまま感嘆の声を上げていると、ジャスティーンのくすくす笑いが聞こえる。
ヤバい、子供っぽかっただろうか。何だかとんでもなく恥ずかしさを感じて、表情を引き締めたが、目元に熱が集まったのは厭でも解った。
飛竜はまっすぐに巨大な王城へと向かい、飛竜が飼育されている区画に降り立つ。さすが、金のあるところは違う。王城も大きいが、飛竜の寝床となる建物も王城並みに巨大で、そして馬がいる厩舎、騎士団や魔術師団の人間が寝泊まり宿舎も敷地内にある。
ここでも俺は間抜けな声を上げそうになったが、姉の冷ややかな視線に気づいて手で自分の口を押える。その後で、乗り込んだ時と同じように姉をエスコートして地面へと下ろしてやった。
「ご無事でよかったです」
飛竜の近くには出迎えの人たちが近づいてきて、甲冑に身を包んだ騎士たちがゴールディング将軍に向かって頭を下げている。その騎士たちの後ろの方に立っていた痩身の少年が無表情のまま声をかけると、少しだけ将軍の目元が緩んだのが見えた。
その少年がサディアスにそっくりだったから、何となく予想はつく。
弟だな、と。
「魔女殿、こちらが次男のレスリーだ」
ゴールディング将軍が俺たちに視線を向け、その少年のことを紹介してくれる。サディアスをさらに幼くさせた感じの、金髪、青い瞳の美少年である。
「レスリー・ゴールディングと申します」
彼は短くそう言った後で、問いかけるような視線を彼の父親に向けた。
そこで、その場に集まった他の騎士たちに手短に何があったのか説明を始める。サディアスが魔女のまじないにかかっていたこと、そのまじないをかけた人間を探るために俺たちが呼ばれたこと、王女殿下と辺境警備団の宿舎に残っていることなど。
「まじない、ですか?」
レスリーは少しだけ眉間に皺を寄せ、胡乱そうに俺たちを見る。
他の騎士たちは俺と姉のダイアナを見て、少しだけ驚いているような気配を漂わせている。俺だって今は凄い美少女だが、姉はもっと化け物級の美少女である。無表情の俺と、清楚な微笑をたたえている姉を見れば、彼らだって普通の男、姉の上っ面に騙される。
しかし、レスリーは俺たちの顔を見ても何とも思わなかったようで、何の感情も写さない瞳を将軍に戻して訊いた。
「兄はこの後、どうなるのでしょうか」
「あの馬鹿には言っていないが……」
と、将軍は苦笑しつつため息をこぼす。「あの馬鹿の行く末は王女殿下次第だ。王女殿下が望むなら、やり直しの機会は与えるし、それが無理ならゴールディング家から追い出す」
「追い出す……」
「そうなったらお前がゴールディング家の後を継ぐ。考えておきなさい」
その途端、レスリーの顔が心底厭そうに歪んだ。しかし、それは瞬時に消え去り、礼儀正しく頭を下げて見せる。
「承知いたしました」
と、全然納得していないような声音で言った彼は、そっと身を引いて他の騎士たちの背後に下がった。
その後、将軍は俺たちに城の中に入るように促してくる。どうやら国王陛下への報告と、今後のことも話すらしく――俺はさすがに緊張して頬を強張らせていた。そんな俺の肩を叩き、安心させようとするジャスティーンの気遣いはありがたかったが、巨大な飛竜が建物の中に竜騎士たちに連れられていくのを見守った姉が、「報酬としてあれを一匹欲しいわね」とか「王宮魔術師がどんな生活しているのか見てみたいわ。秘伝の魔術書とかあったら欲しいし」とか言っているのを聞いて心が沈んでいくのをとめられなかった。
大体、飛竜の数え方は『匹』じゃなくて『頭』じゃないのかとか、飛竜を手に入れたとしても魔女の調薬の素材にするんだろうなとか、魔術書も見かけたら盗み出しそうだとか、色々と気になることが多すぎる。
ため息をつきながら、不安な顔でジャスティーンを見たのが原因だったろうか。彼女は俺を静かに見下ろした直後、いきなり皆の前で抱きしめてきた。
姉のダイアナの冷ややかな視線が痛い。視線で殺されそうだ。
「あれが女好きだって噂の……」
しかも、そんなひそひそ話が遠くから聞こえた気がするので、慌てて彼女の手をばしばしと叩く。結局、騎士たちに色々誤解を受けたまま、俺は国王陛下の前に出ることになる。