第25話 飛竜で移動
「わたしも一緒に行くわよ?」
俺が夕食を姉のところに運んでいくと、俺の姿を目にした途端、ダイアナはそう言ってきた。『あの場』にいなかったはずの姉が、事情を全部知っているというのはいつものことだし慣れている。そして、言い出したら絶対に曲げないし、俺が宥めようとすれば余計にその鉄の意志が強固になる。
「大人しくしていてくれたら、食事の内容を豪華にします」
「桃のタルトが食べたいわ」
うわあ、面倒くさい。作るのが簡単な焼きプリンで我慢しておいて欲しいところだ。
俺は引きつる唇を何とか笑みの形にしつつ、ワゴンの上に乗っていた今夜のメニュー――骨付き肉のハーブロースト、野菜のグリルとじゃがいものスープ、焼き立てのパンとバター、焼きプリンなどが乗った皿を次々に並べていくと、ダイアナは優雅な動きで椅子に座り、食事を開始させた。
その後で、俺は本館前の中庭にいたデクスターたちと合流して食事を取った。そしてその場にはジャスティーンとイーサンも加わった。どうやら王女殿下とその婚約者は、二人きりで食事を取るらしく、やっとお守りから解放されたとジャスティーンが気の抜けた表情で笑っているのが印象的だった。
そんな感じの夕食時なのだが、今日は食堂にゴールディング将軍とその仲間たちも合流している。ちょっと様子を覗いてみたが、お偉いさんたちがたくさんいる食堂の雰囲気は緊張感に包まれていて、王女殿下と一緒にやってきた人たちにちょっとだけ同情した。あれじゃ食べた気がしないだろう。
彼らは今夜はここに泊まって、明日は王都に戻る予定だ。しかもその旅の仲間に俺も入り、付き添いとしてジャスティーンも同行予定だ。
「団長も一緒に行くとか……」
と、イーサンが渋い表情をしていたが、少しだけほっとしたようでもあった。
きっと、イーサンの胃痛の原因はジャスティーンも関係している。本当なら団長不在の警備団ってどうなんだ、と思うけれど、問題行動の多いジャスティーンが俺と一緒にいなくなると知って嬉しい……のかもしれない。
そんな彼の心の安らぎが壊れたのは、その直後だった。
「本当に迷惑をかけて申し訳ないのだが、我が愚息はこの警備団に置いていくつもりだ」
焚火の光がゆらゆら揺れる、食事の後の平和な時間。宿舎から姿を見せたゴールディング将軍は、シャツとズボンといった砕けた服装で俺たちの前に立ってそう言った。
「置いていく、とは」
一番最初に反応したのは、イーサンだった。
地面に座っていた人間全員が立ち上がり、将軍に身体を向けて礼を示す。
「騎士団を追放すると言っただろう? せっかくだから、ここで一番下の人間として叩き直して欲しいのだ。貴族籍を持っていると思わないでくれ、これはただの雑兵なのだからせいぜいこき使ってくれないか」
暗闇の中でも解る、冴えなくなっていくイーサンの横顔、ジャスティーンのうんざりした顔。面倒なのを置いていかれる……と、沈んだ様子の団員たち。
そんな俺たちの様子を見て、将軍が苦笑した。
「迷惑をかけることも解っているから、こちらの団には予算を多めに回すよう指示を出す。少し見ただけでも、団員たちの持っている武具は年季の入ったものが多いようだし、交換してもいい頃だろう」
「予算……」
と、イーサンが真剣な表情で考えこみ、その横でジャスティーンが困惑気味に口を開いた。
「王女殿下は引き取っていただけますか?」
「それは」
「ジャス!」
将軍が口を開きかけた瞬間、遠くから当の本人から浮かれたような声が飛んできた。本館の二階にある応接室の窓が開き、そこから顔を覗かせていた王女殿下は、手を軽く振りながら続けた。
「わたし、しばらくここに残ることにしたから!」
誰もが無言だった。
応接室の部屋の明かりが背中側になっているため、エメライン王女殿下の顔は少しだけ陰になっていて見えにくい。しかし、すぐに彼女の背後にサディアスも姿を見せ、気まずそうな笑みをこちらに向けているのは見て取れた。
「申し訳ない。王都に戻るようお願いしたのだが……私がここに残るなら、と」
「もっと強く言えよ」
デクスターが思わずぽろりと言ったようで、慌ててその口を手で塞いだが遅い。将軍の視線がデクスターに向いたが、怒っている様子はなかった。
「すまない」
「いえ」
デクスターが冷や汗をかきつつ首を横に振った。騎士の一人――ジェレマイアが『余計なことを言うな』と言わんばかりに肘でデクスターの横腹を叩いたが、勢いが強すぎてデクスターが脇腹を押さえてその場にしゃがみこんでしまう。
それより、イーサンの様子がヤバそうだった。「王女殿下がここに残る……?」と呆然と呟いて、何の意味もなく左右を見回している。いいから落ち着け。
「宿舎の部屋が足りないのが問題ですかね……」
俺が呟いた小さな声も、将軍の耳には届いてしまったらしい。
なるほど、と頷いた彼は「宿舎自体も古いようだ。新しい宿舎が建てられるよう、手を回そう」とか言い出してしまっている。
「わたし専用の調合室も建てて欲しいわねえ」
唐突にそんな声が俺のすぐ後ろで響いたが、怖くて振り向けなかった。やっぱりうちの姉はとんでもない耳を持っているに違いない。
そして翌朝である。
いつもなら他の団員たちと森の見回りに行く時間帯だが、俺とジャスティーン、ダイアナは将軍たちが乗ってきた飛竜の前に立っていた。
「飛竜で移動なのね」
俺の横に立ったダイアナは、俺に命令して髪の毛をしっかりと結い上げさせていた。空を飛んで移動すると知った後でも、可憐な白いドレスから着替えようとはしない。
「父上」
そこへ、サディアスがやってきて将軍の前で深く頭を下げた。どうやら王女殿下は一緒ではないらしい。
「私は一緒に行かずともよろしいのでしょうか」
そう訊いた彼は、行こうと言われたらすぐにでも従うことができるであろう身支度を整えてきている。そういうところを見ると、根は凄く真面目なんだろうと思う。
「確かにそれは悩むところだが」
と、ゴールディング将軍は首を傾げ、俺を見た。「魔女殿。例のまじないとやらを調べるのに、この愚息は必要だろうか」
「必要ありませんわ」
俺が口を開く前に応えたのは姉だ。
穏やかに、美麗な笑みを浮かべたうちの問題児は、小首を傾げつつ言う。
「あの秘術をかけた魔女の気配は、見れば解ります。うちの妹は優秀ですから、きっとすぐに見つけられると思います」
俺の目の前に超えられない壁を作っていくのはやめて欲しいものだ。
今の俺は以前より魔力が落ちているんだから、勝手にそんなことを約束されても。
「できるわよね、ユージーン?」
彼女の手が俺の手首をつかみ、ぎり、と爪が食い込んできた。その優し気な笑顔から目をそらしつつ、俺はこう言うしかない。
「ぜ、善処します……」
「ならば、お前はここに残りなさい。王女殿下も早く王都にお帰りいただくよう、お前が何とかするように」
「……善処します」
サディアスも俺と同じ台詞で応えている。何となく、彼の心情が読めた気がした。あの王女殿下が彼の言うことに従うなんて無理なんだろうが、頑張って欲しいものだ。
その後、俺たちは将軍の連れの男性たちに促されて飛竜の背中に乗ることになった。さすが王宮の騎士団に所属している飛竜なだけあって、巨大な躰につけられた鞍――と呼んでいいのだろうか?――も立派なものだ。
複数の人数が快適に乗れるような造りで、風よけの屋根もついている。どうやらその屋根自体が魔道具なようで、飛竜が安全に空を飛べるように仕掛けがあるらしかった。
正直に言ってしまえば、俺たち魔女一族というのは飛竜などに乗らなくても秘術を使えば空を飛んだり移動することが可能だ。でも、実際に飛竜を目にしてしまうと乗らないという手はなかった。面白そうだし。
本当ならば姉は飛竜に乗らずにこの場に残って、王都からやってきた騎士やら魔術師やらの男子と深い仲になり、そのまま嫁に行ってくれたら俺の心の平安が訪れるのに――と悔しい思いをしたが、結婚相手が不幸になるのが目に見えているので積極的に進めるわけにもいかない。
俺は姉の手を取ってエスコートしつつ、飛竜の背中に乗り込んだ。
俺の背後で『俺の』エスコートをしそこねたジャスティーンが不機嫌そうな顔をしているのは、見なかったことにした。
「早く帰ってきてください、と団長に言うことになるとは」
と、見送りに来たイーサンが早朝から体調悪そうな顔で言ったのも、見なかったことにした。
とまあ、色々問題はあったような気がするが、空の旅は予想以上に快適だった。