第21話 契約獣
「どうしてこうなったんだ……」
そして今現在、俺はぐったりとベッドの上で虚脱感を抱いていたのだった。いや、決して事後ではない。カーテンの隙間から僅かに差し込む光は、睡眠不足の俺の目には憎らしく見えた。
「君が少しでも私のことを受け入れてくれた証拠じゃないかな」
と、俺の背後から腹に腕を回しているケダモノ――ジャスティーンが欠伸を噛み殺しながら囁いてくる。彼女の顔は俺の首の後ろにあって、その吐息がかかるのがくすぐったい。
っていうか、完全に抱き枕になってるだろ。
抱きしめられているから温かいのは確かだが、相変わらず俺の夜着ははだけているので腹が涼しい。元々、俺は服装はきちんとしている方が落ち着く質だから、これは納得がいかなかった。
俺は小さくため息をつきながら、狭いベッドの上で僅かに身体を動かして、ベッドの足元側にある巨大な生き物を見る。
――うちの姉……ドロシーが見たら喜びそうな生き物だな、と思いながら。
昨夜は結局、ジャスティーンは俺の部屋から出て行かなかった。
開けっ放しだったドアはジャスティーンが魔術を使ってしっかりと閉め、鍵までかけてしまった。俺の逃げ道は窓しかない、とカーテンの引かれた方向を見ていると、ジャスティーンは俺を抱きしめたまま色々話を始めた。
まあ、前に聞いたことも多かったけれど、再確認という意味だろう。
そして。
「とにかく、王都に使いを出したからその結果はすぐに出る。何らかの動きがあると思う」
「使い?」
俺が首を傾げた瞬間、窓の外に何かが近づいてくる気配がした。魔力の塊というか、魔物の類だろうと思われる何か、だ。
俺が警戒して彼女の腕を振り払おうとすると、耳元で「大丈夫、あれが私の使いだよ」と囁いてくる。
窓はしっかりと閉まっていたし、カーテンも動かなかった。しかし、『それ』は障壁など何もなかったと言わんばかりに壁を通り抜けて部屋の中に入ってきた。
大きな魔物――そう見えたが、気配が違った。
見た目は狼にも似ていた。四本足のその獣は、黒くて硬そうな毛皮に覆われていたが、赤く輝く瞳は三つあった。そして、その額には白い魔術紋が刻まれている。秘術紋とは違う言語と図形で描かれたもの。
「初めて見ました」
俺は思わず、ぱしぱしとジャスティーンの腕を叩いて解放しろと意思表示をする。「これは、契約獣ですね?」
力のある魔術師が従えていることがあるらしいと聞いたことがある。術者の血と魔力を与える代わりに、命令を聞いてもらうんだとか。
この世界の生き物でも、魔物でもないもの。
それが契約獣。
「そうだね。魔女の場合は使い魔だっけ?」
やっと俺を解放してくれたジャスティーンは、ベッドに起き上がって髪の毛を掻き上げる。何と言うか、美形はどんな仕草も似あう。女だけど男性的な仕草。
「そうですね、俺たちの場合は使い魔……魔力持ちの動物を操ります。でも、契約獣は異界から召喚すると聞いてます。それは事実ですか?」
「ああ。召喚のための魔術陣が複雑だからね、成功することはほとんどない。でも、私の場合はこんな僻地に飛ばされて時間だけはあったから、暇と時間を費やして何とか召喚して契約できた」
「そりゃまた……」
俺ははだけたシャツのボタンをとめながら、ベッドを降りてその大きな生き物に近づいた。向こうも軽快しているだろうから、近づきすぎないように気を付けながら。
ドロシーだったら「可愛いですう」とか言って無条件に飛びつきそうな気がする。そして、あの動物好きの姉はどんな生き物……魔物だろうと何だろうと手懐けるだろうが、俺はまだ自分の使い魔を持っていなかった。今までの俺は、一人で何でもできてしまうということもあって必要なかったから。
「不思議だよね。魔女と魔術師は使う術は似ているのに、細かいところを見ると随分と違う」
ジャスティーンが背後でそんなことを言っている間、俺はまじまじとその契約獣を見つめていた。危険な光を放つ瞳なのに、明らかな知性を感じさせる。もしかしたら、いや確実に俺たち人間の言葉も通じるのだろう。
「確かに違いますね……」
一瞬遅れてそう反応してから、俺はジャスティーンに視線を投げた。「で、この契約獣には名前があるんですか?」
「イヴ、と名前を付けた」
「女の子なんですか?」
俺が驚いてもう一度契約獣――イヴを見ると、三つの輝く目が僅かに細められている。
「格好いいから女の子には見えないよね。でも私は、女好きだから契約するのも男は厭だったんだ」
――どう反応したらいいのやら。
とりあえずそれは聞き流しておいて、俺はその契約獣の名前を呼んでみる。すると、彼女は俺に興味などないと言いたげに顔をそむける。そして、床に腰を落として丸くなって目を閉じてしまった。
こんな大きな獣を、彼女はいつも自分の部屋に置いておくのだろうか。邪魔じゃないだろうかと首を傾げていると、ジャスティーンが俺の考えを読んだように続けた。
「必要な時には躰を小さくしてもらっているからね。今は必要ないからそのままだけど、冬場は野営とかに連れていくと便利だよ。暖も取れるし」
――使い方を間違ってる気もするが、まあ、気にしないでおこう。
「とにかく、ユージーン」
「はい?」
「おいで」
と、急にジャスティーンが腕を開いて見せた。
俺は眉を顰めて彼女を見つめる。
「もう夜も遅いから寝よう」
彼女は自然な笑みを浮かべて見せているけれど、いやいやいや、違うだろう。
「じゃあどうぞ、自分の部屋にお戻りください」
そう引きつる口元を何とか動かして言っても、彼女は拗ねたように僅かに唇を歪ませるだけだ。
「絶対、エーメが見張ってるから厭だ」
「子供ですか。我が儘言わないでください」
「君だったら私の我が儘も受け入れてくれるんじゃないかって思うんだけど。恋仲になったら、私はもっと我が儘言うよ?」
「なりませんよ?」
「未来は確定じゃないはずだよ。それに正直なところ、本当に困ってるんだ」
「は?」
「エーメだよ。私は所詮、王族の彼女には逆らえない。命令と言われたらその通りにせざるを得ないだろう。不興を買えば我がオルコット公爵家にも何らかの影響がある」
「まあ……それはそうでしょうね」
俺はその言葉には素直に頷いた。
何だかんだ言ったとしても、貴族には貴族の立場があるということだ。
「だから今日の『これ』も、ある意味、賭けでもある。私にも自分のやりたいことがあるのだと彼女に伝えたいし、彼女にも自分の立場やするべきことを思い出してもらいたい。私もいつまでも彼女の偽りの恋人役なんてやってられないし、甘やかしてもあげられない。やっぱり、彼女は婚約者とちゃんと向き合うべきだと思うしね。こんな問題に君を巻き込んでしまって申し訳ないと思っているけれど、協力して欲しい」
――協力。
「頼むよ。協力してもらえるなら、何でもする」
そう言った彼女の目には、確かに切実なものが感じられたし。
本音は断りたかったというのも事実だけれど、結局は――俺が折れた形になった。
その結果がこれである。
ベッドに戻されたかと思ったら抱き枕にされて逃げることもできず、かといってそのまま寝られるほど神経が図太くなかった俺は、背後に彼女の寝息を聞きながら朝を迎えたというわけだ。
何だコレ。
彼女は寝る直前まで俺にささやかな性的なイタズラをしてきて、身の危険を感じて「俺は椅子で寝る」とか「契約獣と寝たい」と逃げようとしても無理で、凄く精神的に疲れてしまった状態で色々と約束をさせられてしまった。何でもするって言ったのに! あれは嘘だったのかと思うくらいに、俺のお願いは全部無視である!
とりあえず、エメライン王女殿下がここにいる間は、さりげなく恋人同士みたいに振る舞うってことで決着したわけだ。
決着!?
やっぱりおかしくないか!?
今からでも遅くないんじゃないのか? 転職するなら今じゃないのか!?
「ごめん。今日もきっと、エーメのおもりをしないといけないから一緒に任務ができない。寂しいと思うけど、我慢してくれる?」
ジャスティーンが、わざと廊下に出た瞬間に俺の手を握りながらそんなことを言う。しかも、乱れた――というか朝っぱらから色々攻防があったせいで乱されたシャツのボタンを、ドアの前で直してくれるというおまけをつけてくれた。
それもばっちり、廊下を歩いていたエメライン王女殿下の侍女たちに見られたけどな!
その後、子犬程度に小さくなった契約獣を足元に纏わりつかせながら、ジャスティーンは彼女の部屋に戻っていった。その背中が恨めしく感じるのは仕方ないだろう。
そして、昨夜から散々騒いだせいもあって、階下で休んでいた王都の人間たちも何となく察していた気配があった。
俺が着替えて朝食を作るために階下に降りていくと、妙に視線が集まってくるのを感じる。しかし、そちらに目をやるとそらされる。さりげなく食堂に向かう人たちに見えたけれど、逃げていく感じが見えるのは否めない。
そこへ、ちょうど本館からやってきたデクスターが爽やかな笑顔を見せながら手を上げてこう言った。
「お前、とうとう処女を失ったってマジ?」
――失ってないから!




