イケメン妖怪ハンターリックの冒険最新版 最後の聖戦
リックは妖怪ハンターである。美人幼妻の遊魔と共に世界を渡り歩く凄腕の妖術使いでもある。しかし、リックはやり過ぎてしまった。妖怪のベーアとプントラを倒し、プントラの娘のバインカを再起不能にし、プントラの妻のアメニラも倒した。リックは踏んではいけない虎の尾を踏んでしまったのだ。
「奥方様、どうか、我らが主であったベーア様のために憎きハンターのリックを倒すための総大将となってください」
亡きベーアの妻であるエキアはベーアの生き残った手下達に説得されていた。中でも手下の筆頭のタクヒャは何としてもエキアを担ぎ出したくて仕方がない。
(このまま、手を拱いていると、奴が動き出してしまう)
ベーアには右腕と言われていたガスーという古参の妖怪がいた。寝ぼけ眼の見た目は弱そうな妖怪だが、実は死の呪文を唱えると言われている恐ろしい存在だ。タクヒャはガスーがベーアの後釜になろうとしているのを知って、焦っていた。
「嫌よ。友達と旅の約束があるの。勝手にやって」
元々、ベーアに騙されて妻になったエキアには、ベーアへの愛情は一欠片もないので、仇討ちをするつもりなどないのだ。
「じゃあね」
エキアはさっさとベーアの邸を去った。タクヒャは驚きのあまり戦意を喪失し、生まれ故郷に帰って御伽草子を書く事にした。
ガスーはこの機を逃さず、ベーアの仇討ちを買って出て、ベーアの手下達をそっくり自分の手下に引き入れた。
「よろしいのですか、お館様?」
ガスーの急速な勢力拡大を危惧した派閥の手下が言った。
「構わん。ガスーの味方をして、いざとなったら後ろから刺す」
葉巻を咥えて言ったのは、ベーア一門の中で最大派閥を抱える妖怪ウアソであった。
「すぐにガスーの邸に赴き、協力すると告げるのだ」
ウアソは煙を鼻から吐き出しながら命じた。
「畏まりました」
手下は跪いて応じた。
リックは妖怪達の動きを確実に捉えていた。
(何故わかる? 何故教える?)
リックは数日前から不思議な声に導かれていた。
『妖怪達が力を結集して貴方を倒そうとしています。決して負けないでください。私が付いています』
謎の声が告げた。
「どこかで聞いた事のある声だ。誰だ?」
リックはその声の主を必死に思い出そうとしたが、わからなかった。
「お前様」
そこへ愛妻の遊魔がやって来た。
「もう少し先に進んだところに街があります。そこなら、妖怪退治の依頼を受けられそうです」
ここ数日、ひもじい思いをしていたので、遊魔は嬉しそうである。
「そうか。では、急ごうか、遊魔」
リックは荷物を右肩にかけると、歩き出した。
「はい、お前様」
遊魔はリックの左腕を抱きかかえるように持って微笑んだ。
「リックとその女房は、手筈通り、我らが仕込んだ街に向かっております」
手下が言った。
「うむ」
寝ぼけ眼のガスーは一言言っただけである。
(やる気あるのか、この方は?)
手下が疑問に思った時だった。
「心の声が聞こえたぞ」
ガスーが言った。
「え?」
手下はギョッとしてガスーを見た。
「ナロコナロコラパリオラパリオホートクシシャンムソウショウ」
ガスーが謎の言葉を吐いた。
「そ、それは……」
手下は震え出したが、すでに遅かった。
「ぐえええ……」
手下は息ができなくなり、そのまま死んでしまった。
「我が組織に下品な輩は要らぬ」
ガスーは目を細めて呟いた。そこへ別の手下が入ってきて、息絶えている手下を見てギョッとしたが、ガスーが見ているので何も言わず、
「ウアソ様より遣いの者が参りました」
跪いて告げた。ガスーはその手下を見て、
「通せ」
手下は立ち上がると、転がっている死体を脇にどけてから、ウアソの遣いの者を呼んだ。
「ガスー様にはご機嫌麗しく」
遣いの者が口上を述べ始めると、
「挨拶はいい。要件を申せ」
ガスーは静かに言った。遣いの者は頭を下げて、
「ベーア様の仇討ち、是非ともお加えいただきたいとウアソが申しております。何卒、よしなにお願い申し上げます」
するとガスーは目を細めて、
「承知したと伝えよ。そして、ウアソ殿の加勢、心強く思うておるとも伝えよ」
遣いの者は、
「ははっ」
もう一度頭を下げて応じると、退室した。手下も退室しようとすると、
「待て。遣いの者の後を追わせよ。ウアソの動きを探るのだ」
手下は、
「畏まりました」
一礼すると、部屋を出て行った。
「我の思惑通りよ。愉快よの」
暗い場所である妖怪が呟いた。
「互いに潰し合ってくれれば、これに勝る事はない」
その妖怪は低く笑った。
リックと遊魔は街の中央にある役所へ赴いていた。
「ハンターだが、賞金首の妖怪は手配されていないか?」
リックは受付の若い女性に尋ねた。遊魔がキッとなるが、公の場であるので我慢した。
「はい、こちらにあります」
受付の女性はリックが男前なので、顔を赤らめて書類を手渡した。
「ありがとう」
リックは意図的に女性の手に触れて書類を受け取った。女性はそのせいで更に顔を赤らめ、リックの流し目に微笑んで応じた。
「お前様!」
それに気づいた遊魔がすかさずリックの二の腕をつねる。
「痛いよ、遊魔」
リックは遊魔の頭を撫でて詫びてみせた。
「あん」
遊魔はそれですっかりご機嫌になった。受付の女性はほんの一瞬だけ自分を睨んだ遊魔にビクッとした。
「遊魔、すぐにここを出るぞ」
リックが囁く。遊魔はその吐息に身悶えながら、
「はい、お前様」
リックは腰が砕けてしまった遊魔を抱えるようにして、足早に役所を出た。リックを尾けている黒い影達がスウッと動いた。
「それで隠れているつもりか?」
リックは役所を出たところで影達を見ずに言った。影達に動揺が走った。
「燃え尽きろ」
リックが呟くと、影達は凄まじい業火に焼かれた。
「グガアア!」
影達は跡形もなく燃え尽きてしまった。周囲の人達は何が起こったのかわからず、驚いて顔を見合わせていた。
(敵の動きが早い。一体誰が動いているのだ?)
リックは警戒しながら、まだヨロヨロしている遊魔を抱えて大股で歩いた。
「見張りの者達がリックにヤられました」
手下がガスーに告げた。
「下っ端を使ったからだ。ウノコを行かせろ」
ガスーは相変わらずの寝ぼけ眼で命じた。
「はっ!」
手下は部屋を出て行った。
(ウアソは何を考えているのだ? 怪しい動きはなかった)
ガスーはウアソを探っていた手下からの報告に眉をひそめた。
(何としてもリックとその女房を始末して、ベーアの後継者がわしだと知らしめねばならぬ)
ガスーは右の拳を強く握りしめた。
リックは役所で受け取った書類に目を通して、それに記載されている妖怪の棲家へ向かった。
(役所の近くにいた雑魚とは格が違う妖気が漂っているな)
リックはようやくしゃんとした遊魔と目配せし合うと、周囲を見渡した。
「あの向こうか」
リックはうねうねと曲がりくねった枝が密集している大きな木の奥に見える尖った山を見た。
「お前様」
遊魔は何かを感じたのか、リックの右手を握ってきた。
(来る!)
リックは遊魔の手を振りほどいて身構えた。次の瞬間、無数の矢が襲いかかってきた。
「させるか!」
リックは業火を渦巻き状に放ち、矢を焼こうとしたが、矢は生きているかのようにそれをかわし、更にリックと遊魔に迫った。
「チィッ!」
リックは遊魔の胸当てから子猫達を繰り出し、矢の一本一本を掴ませた。ところが、子猫が掴んだ矢は小さく分かれ、尚もリックと遊魔に向かった。
「きりがないな」
リックは自分と遊魔を業火の結界で包み、襲いかかる矢を全て焼き尽くした。
「流石だな、猫又」
大きな木の反対側から、一匹の妖怪が現れた。リックよりも小さい吊り目の男の妖怪である。
「何だ、お前は? 手配書の妖怪ではないな」
結界を消すと、リックは遊魔を庇うように前に立った。
「我が名はウノコ。賞金首に名を連ねているような小者と一緒にするな」
その妖怪は不敵な笑みを浮かべて言った。リックは「小者」という言葉に妙なわだかまりを感じたが、
「誰であろうと俺より強い奴はこの世にいない」
スッと構えた。ウノコはニヤリとして、
「ならばたった今、お前より強い男がいる事を知るがいい!」
バッと両手を広げると、その指先から無数の矢を放った。
「それしか能がないのか、河童の河太郎」
リックは紅蓮の炎を放った。
「河童の河太郎ではない! ウノコだ!」
ウノコはイラッとして言い返した。矢は全て炎に焼かれ、その炎がウノコに迫った。
「お前こそ、炎の術しか使えないのか、化け猫」
ウノコは嘲笑いながら更に追撃の矢を放った。しかし、矢が狙ったはずのリックと遊魔はそこにはいなかった。
「終わりだ」
ウノコのすぐ後ろに現れたリックが告げた。
「何?」
ウノコは慌てて飛び退いたが、遅かった。周囲を幾重にも紅蓮の炎が囲んでいたのだ。
「ぐああああ!」
ウノコは業火に焼かれ、
「おのれえええ! クワンチクワンチ、ザファイー!」
謎の呪文を唱えて燃え尽きた。
「何だ?」
リックは聞いた事がない呪文に眉をひそめた。
「ウノコが死んだか」
ウアソはニヤリとして呟いた。
「奴は死んでからが恐ろしいのだ。猫又も終いよ」
ウアソは葉巻を燻らせながら、
「本来ウノコは我が手下。これでベーア様の仇はわしが討った事になり、ガスーの面目は丸潰れだ。そして、真の後継が誰なのか、はっきりする」
ウアソは葉巻をねじ消して、高笑いをした。
ウノコが死んだ場所からドス黒い煙のような物が湧き出てきた。
「む?」
リックは遊魔を庇いながら後退った。煙は次第に大きくなり、空高く上がって行った。
「お前様!」
遊魔がリックにしがみついた。リックはどんどん大きくなる煙を見上げた。
(まさか、さっきの河の太郎がこれを? 命と引き換えの呪文だったのか?)
煙はやがてウノコの形になった。
「どうだ、猫又。これがウノコの秘術。踏み潰してやる!」
巨大化したウノコは右足を大きく掲げると、リックと遊魔目がけて下ろして来た。
「お前様、危ない!」
遊魔が飛び上がり、ウノコの足の裏に真空飛び膝蹴りを炸裂させた。
「そんなものが、効くかあ!」
ウノコは鼻で笑ったのだが、遊魔はウノコの足の裏から突き抜けて頭の天辺から飛び出した。
「バカな、この俺が猫又如きに!」
巨大化した方が弱かったウノコの最後の言葉だった。ウノコはまさしく煙のように消えてしまった。
「遊魔、流石だ」
リックは落下してきた遊魔を抱き止めて耳元で告げた。
「ああん」
耳が弱い遊魔は気持ちよさそうに呻いた。
「何とした事だ。ウノコがあっさりやられてしまった……」
ウアソは呆然としてしまった。
「お前もウノコのところへ行け、ウアソ」
背後に立った謎の黒い影が言った。
「その声は?」
ウアソがハッとして振り返った時、彼の首は胴体から切り離されていた。
「ガスーにはもう一働きしてもらうのだ。邪魔はさせぬ」
黒い影は呟き、消えた。
それ程でもなかった妖怪ウノコを退治したリックと遊魔は更に先へと進んでいた。
「待っていたぞ、猫又。我が妖力の糧となるがいい!」
突然、河馬の妖怪が現れた。
「お前がなれ」
リックは河馬の妖怪を見る事もせずに業火で焼き尽くした。
(実は大した事がないのか、俺を狙っている妖怪共は?)
あまりにも呆気ない敵にリックは眉をひそめた。
「お前様あ、素敵ですう!」
遊魔はリックの強さにメロメロになっていた。
しばらく歩くと、天が俄かにかき曇ってきて、稲妻が走った。
「む?」
リックは遊魔を庇って周囲を見回した。
「猫又、ここまでだ。今までの雑魚共は私がお前の力を見定めるために放った咬ませ犬だ」
そう言って現れたのは、貧相な身体の山芋のような顔をした妖怪だった。
「我が名はシーキダ。ベーア亡き後の妖怪の世界にはこの私が君臨する」
シーキダがそこまで口上を述べたが、リックは聞いておらず、先へと進んでいた。
「待て、この私を無視するな!」
シーキダは口から粘液を飛ばした。
「おっと!」
リックが交わした粘液は近くの木に当たり、シュウシュウと溶かしてしまった。
「私の粘液は強酸性だ。身体に着けば、たちどころに溶ける」
シーキダはニヤリとした。リックは仕方なさそうに肩をすくめると、
「相手をしてやる。かかって来い」
くいと右手の人差し指を動かした。
「死ねえ!」
シーキダが粘液の連続攻撃を仕掛けて来た。
「きゃあ!」
遊魔は逃げ惑ったが、リックはシーキダに向かって走り出した。
「おのれ!」
シーキダはリックに次々と粘液を放った。しかし、リックはそれを軽々と交わし、間合いに入った。
「自然薯は土に埋まっていろ」
リックはシーキダの頭を鷲掴みすると、グウッと地面に減り込ませた。
「グガガ!」
シーキダは首まで身体が埋まってしまった。
「私は自然薯じゃない……」
シーキダはそれだけ言うと力尽き、霧のように消えてしまった。
「貴様も雑魚だったな」
リックはシーキダが埋まっていた穴を見て言った。
『悪しき心の持ち主が動き出しました。早く倒してください』
また謎の声がリックの頭の中に呼びかけてきた。
(誰だ? 懐かしい気がするんだが?)
リックはその声の主を思い出せずにいた。
「お前様!」
遊魔が嬉しそうに抱きついてきた。リックは遊魔の頭を撫でて、
「さあ、先を急ぐぞ。親玉が動き出したらしい」
「はい、お前様」
遊魔は顔を赤らめて応じた。
(シーキダとウノコが潰れたのは物怪の幸いだ。邪魔な奴が消えてくれた)
ガスーは、ウノコもシーキダも将来自分の地位を脅かす存在になるのを見越していたので、滅んでくれたのを喜んでいた。
「申し上げます」
そこへ手下がやって来た。ガスーは目を細めて、
「如何した?」
手下は跪いて、
「ウアソが何者かに命を奪われたそうです」
「何!?」
ガスーはギョッとした。
(ウアソを殺せる奴はそうはいない。誰だ? 誰が殺した?)
ガスーの額を汗が伝わり落ちた。
「それから」
手下が更に言った。
「何だ?」
ガスーは滴る汗を布で拭って手下を見た。
「猫又暗殺を打診していたバイシーが断わりの返書をよこしました」
手下は書状をガスーに渡した。
「断わりの返書だと!?」
ガスーは顔を真っ赤にして怒り、その書状を破り捨てた。
「腰抜けめ! もはや頼りになる者はおらぬ。このガスー自らが、猫又を屠ってくれるわ!」
ガスーは椅子から立ち上がって闘気を漲らせた。そのせいで、椅子と机が溶けてしまい、
「うわあ!」
近くにいた手下が燃え尽きた。
リックと遊魔はガスーの邸の近くの町に着いていた。
(ベーア一味の残党がこの先の山の中にいると聞いた。その話もどこまで信じていいかわからないが、とにかく行けと言う誰かがいる)
リックは正体不明の声に導かれるまま、そこまで来たのだ。それが若い女性の声だからなのだが、遊魔に知られると血を見るのはわかっているので、うまく隠している。
(嫉妬に狂うと、何を言ってもしても止められないから始末が悪い)
遊魔のリックに対する愛情は深いが故にそれを邪魔するものに対する攻撃的な姿勢も凄まじかった。そのお陰でピンチを脱した事もあるが、生死の境を彷徨った事もあるので、リックは心のどこかで遊魔を恐れている。
『気をつけてください。敵は恐ろしい術を使います』
また女性の声が聞こえた。確実に知っている声なのだが、どうしても思い出せない。
(術、か。どんな術なのかも教えてくれると助かるのだが)
多くを語らない謎の声に不満があるリックである。
「来たか、猫又」
邸の奥の部屋でガスーはニヤリとした。
(猫又より気にかかるのは、ウアソを殺した奴だ。何者だ?)
ガスーはリックを始末した後、その謎の人物をどうするか考えた。
(何が目的かわからぬうちは、警戒するに越した事はない)
するそこへ手下達が駆け込んで来た。
「猫又が来ました! 門をあっさり破り、ここへ向かっています!」
手下の一人が言った。ガスーは立ち上がると、
「お前達は手を出すな。出したところで時間稼ぎにもならぬ」
スーッと滑るように移動して部屋を出て行った。手下達は顔を見合わせて、唾を呑み込んだ。
リックと遊魔は描写なしで雑魚妖怪を何百と瞬殺して、ガスーの邸の中心部に辿り着いた。
「よく来たな、リック、遊魔。わしがベーア様の跡を継いだガスーだ」
奥から現れたガスーが寝ぼけ眼を細めて言った。
「跡を継いだ? あの間抜けなベーアの跡を継ぐとは、お前も相当な阿呆だな、寝ぼけジジイ」
リックはニヤリとして言った。
「わしを怒らせるつもりか、猫又? その手には乗らんぞ。わしはお前の何倍も生きておる。浅知恵は通じぬ」
ガスーは目を見開いて言い返した。
「燃え尽きろ!」
リックは前置きなしで全力全開の業火を放った。すぐにケリをつけないと危険だと感じたのである。
「届かぬ」
ガスーが言うと、業火は見えない壁に阻まれたかのように上へ吹き上がり、消滅してしまった。
「……」
リックは何が起こったのかわからず、呆然とした。
「お前如き猫又の児戯がこのわしに通じるはずがなかろう? お前の奥方を譲れば、命だけは助けてやろう」
ガスーの目が嫌らしく光った。リックは、
「遊魔は俺の妻だ。譲るとか譲らないとかの存在ではない。戯言をほざくな、ジジイ」
遊魔を抱き寄せて言った。
「お前様、遊魔は嬉しいですう」
遊魔は目をウルウルさせてリックに寄り添った。ガスーは、
「そうか。ならば、わしにとっての邪魔者を滅してくれた礼として、すぐにあの世へ送ってやろう」
右の口角を吊り上げた。
「雑魚がよく言う台詞だな。お前が逝くがいい」
リックは力を集中させながら言い返した。
「ナロコナロコラパリオラパリオホートクシシャンムソウショウ」
ガスーは手下を瞬時に殺した呪文を唱えた。
「何だ?」
リックは眉をひそめた。遊魔はリックの胸に顔を埋めて震えている。
「何?」
ガスーはリックと遊魔が死なないので目を見開いた。
(如何なる事だ? 何故わしの呪文が通じぬ?)
ガスーは焦った。
「ならば!」
ガスーの寝ぼけ眼が怪しく光った。するとリックと遊魔の周囲の空気が淀み始めた。
「む?」
リックと遊魔は周囲の異変に気づいた。淀んだ空気が次第にドロドロとしたものに変わり、二人に襲いかかってきた。
「ぐはっ!」
「くうう!」
二人は淀みに顔を囲まれ、息ができなくなった。
「そのまま死ね」
ガスーはニヤリとした。リックは苦しみながらも、遊魔を助けようと必死に手を動かし、彼女の顔を覆っている淀みを払いのけようとした。
「ぐほっ!」
遊魔が息をしなくなった。
「がはっ!」
リックはそれを見て更に必死になって手を動かし、淀みを払おうとした。しかし、遊魔は力尽き、しゃがみ込むようにして倒れてしまった。
「ぐほほっ!」
その時、リックの中で何かが弾けた。
「うおおお!」
リックは気合で淀みを跳ね飛ばし、倒れている遊魔を抱き起こすと、その唇に自分の唇を押し当てて、息を吐いた。
「まさか……」
ガスーは自分の術をリックが跳ね除けたのを信じられずに見ていた。
「遊魔、遊魔、目を開けてくれ! お前がいなくなったら、俺は明日からどうやって生きていけばいいんだ!?」
リックがあらん限りの声を出して遊魔に呼びかけたが、遊魔は目を開けなかった。
「明日の事など心配する必要はない。お前もすぐにその女の後を追うのだからな!」
ガスーは怒りの気を発して、次の術を放とうとしていた。
「黙れ、外道! 貴様は髪の毛一本残さない!」
リックは涙を流しながらガスーを睨みつけた。
「今度こそ死ね、猫又!」
ガスーはその口から黒い煙を吐き出した。それは凄まじい速さで地を這ってリックに迫った。
「猫又流奥義、三千世界の魔愚魔!」
リックが呪文を唱えると、青白い溶岩のような粘り気のある炎が噴き出して、ガスーへと向かった。
「届かぬ!」
ガスーは嘲笑った。
「ぐおお!」
リックはガスーの黒い煙に足を取られて倒れた。
「わしの勝ちだ、猫又!」
ガスーが高笑いをした時、見えない壁を突き破って炎がガスーにぶち当たった。
「ば、バカなあ!」
ガスーは防ぐ事もできず、青白い炎に全身を焼かれていった。
(おのれ、彼奴か? 彼奴が……)
そしてガスーはリックの予告した通り、髪の毛一本残さずに燃え尽きて死んだ。
「やったか……」
ガスーが死んだので、黒い煙が消え、リックが姿を見せた。しかし、彼はすでに立ち上がる事もできなかった。
「よくぞガスーを倒してくれた。我の願いを叶えてくれて、礼を言うぞ、猫又」
そこに老いた妖怪が現れた。
「誰だ?」
リックは霞む目で妖怪を見上げた。
「我が名はイカニ。邪魔な者共を其方が滅してくれたので、ようやく我の世が来る」
リックはその老妖怪の恐るべき力を感じた。
「何故、貴様程の妖怪がガスーを倒さなかった?」
リックが尋ねると、イカニはニヤリとして、
「ガスーを殺めると、その殺めた者は必ず死ぬのだ。お前もまもなくそうなる」
「何だと?」
リックはイカニが自分を騙してここまで導いたと思った。
「騙したのか、俺を?」
リックはイカニを睨んだ。イカニはフッと笑い、
「何とでも申すがいい。最後に立っていた者が勝者なのだ」
リックの顔を踏みつけました。
『リック、よくやってくれました。これより極楽浄土へ向かいます』
それはリックを導いた女性の声だった。
「極楽浄土?」
リックはほとんど見えなくなった目を空へ向けた。
「今の声は何だ?」
イカニが周囲を見渡しました。
『イカニよ、其方の成した事、お気づきか?』
イカニはその声の主を理解した。
「そうか、お前か。お前がこの猫又だけではなく、我までも動かしておったのか!?」
イカニは歯軋りして叫んだ。
『悪しき者は滅びます。オンアボキャベイロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤウン」
女性の声が光明真言を唱えた。
「うがあああ!」
イカニは天から放たれた強力な光に照らされ、燃え尽きてしまった。
「ああ、貴女は……」
そこでようやくリックはその声の主が誰なのか気づいた。すると先程まで全く動かなかった足が動き、立ち上がれた。
「遊魔……」
それだけではなかった。死んでしまったはずの遊魔も笑顔全開で立っていたのだ。
「お前様!」
遊魔はリックに抱きついた。
「よかった、遊魔、生きていたのか?」
リックはこぼれそうになった涙を拭って尋ねた。すると遊魔は、
「違いますよ。これから私達は極楽浄土へ行くのです」
「え?」
それってつまり、死んでしまったって事? リックが思った時、二人は光に包まれた。
(ああ、何もかも全て懐かしいな)
リックは遊魔と抱き合って、天へと昇って行った。
(ああ、何て心地いいのだろう。これが極楽浄土か。こんな事なら、もっと早く来るんだった)
訳のわからない事を考えながら、リックは光の差す方へと昇って行った。
「はっ!」
リックは不意に目を覚ました。
「ここは一体?」
リックは周囲を見渡した。極楽浄土にしては妙にどんよりとした空が見える。
「太政大臣、こちらにおわしましたか。帝がお待ちですぞ」
見た事もない服を着た男が話しかけてきた。
「承知した」
リックの意志に関係なく、身体が動いた。
(これは一体?)
リックは混乱した。すると、
『貴方は輪廻転生したのです。新たな世を生きなさい。貴方の名は藤原道草。貴族の頂点に立っているのです』
また女性の声が告げてきた。
(貴族の頂点? だったら……)
早速エロい事を考え始めるリック改め道草であった。