孔明の罠
それは、運命の出会い、だったのかも知れない。
「合計で2240円になります」
上社駅前の本屋でライトノベル三冊を買うと、俺は坂道を登りだした。紙袋が歩みに揺れて、時折カサカサと音を立てる。買ったのは『モールス島戦記』という、当時ライトノベル売り上げ一位を記録した、有名なファンタジー小説だ。中学の図書室でも大人気で、入れ替わり立ち替わり誰かに借りられ、ずっと読むことが出来なかった。どうしても読みたくて、もういっそのこと買ってしまえとお小遣いをはたいてついに購入したのだ。
坂道を登り切ったところに家がある。家に着くや否や俺は部屋に直行、ベッドに腰掛け紙袋の封を解く。ビニールにぴっちり包まれた三冊の文庫。表紙は一冊は西洋の鎧を着た若者を中心に、魔法使いや架空の種族らしき耳の尖った少女や髭面の中年男性が、これも西洋盾や鎧を身につけてこちらを向いている。タイトルは『モールス島戦記①』と書いてある。二冊目はさっきの耳の尖った少女と真ん中にいた少年が、左の方にいるであろう敵に向かって身構える、絵画的な絵。タイトルは『モールス島戦記②』とある。そして最後の一冊は、凱旋門みたいな門の真ん中に右向きのポニーテールの女性が描かれている。女性の額にはアクセサリー(後で知ったが、サークレットというらしい)が緻密な意匠を施されていた。タイトルは『モールス島戦記Ⅰ』―――あれ?
「うわ、一巻を二冊買っちまったよ」
なんだそれ孔明の罠ですか?装丁違いで二冊一巻売るなよ。返品してこようかな?
「まあとりあえず、こっちの二冊を読んでからでいっか」
学校の図書室で見たことのある表紙、丸で囲んだ数字でナンバリングされている方が正だろう。ローマ数字の方は、ビニール外さなければ返品は可能だろうし。
丸数字の方の包装を剥がし、売上スリップを丸めて捨てて、ベッドに寝っ転がって本を開く。夕飯までには小説二冊ぐらい読み切れるだろう。
*****
めちゃくちゃ面白かった。人生初のファンタジー作品は、剣と鎧の重み、魔法の奇跡、戦いの非常さ、英雄の強さと美しさを俺に教えてくれた。
晩御飯を食べ過ぎて息苦しい。部屋に帰るとベッドに身を投げ出す。腹ごなししないとしばらく辛いな。
ふとベッドのヘッドボードに置かれた、包装されたままの本を見やる。例の『もう一冊の一巻』だ。
「腹ごなしに、読んでみるかな‥?」
小説があれだけ面白かったんだ。こっちのよくわからないの方も面白いに違いない。700円は中学生には大金だけど、まあ、惜しくはないだろう。
本を開くと、いきなり妙な形式で書かれていて面食らう。演劇の脚本のように、ページの上部に太字で人物の名前が並ぶ。その下にその人の発言が並び、地の文ではト書きのように言葉にならない描写や説明が記述されている。
〜〜〜
ジャン:じゃあ突撃する!
リーン:ちょっと待ってよ。いつも通りに猪突猛進しないでよ。ここダンジョンなのよ?
ジャン:知らーん!だー!
ケン:あー、本当に馬鹿な幼なじみだ(遠い目)
GM:うん、じゃあ罠感知をお願い(笑)
ジャン:ひー!(サイコロを振る)8!
結果は失敗。一人で突っ走ったジャンは罠で瀕死のダメージを受けたのだった。いつも通りなので、少しは学習しようね?ジャン(笑)
〜〜〜
こんな感じで進行していく。ストーリーは小説版の一巻と同様の流れで、山奥の村に生まれ育った騎士を夢見る少年が、立身出世の夢を見て旅立ち、そのうち島全体を覆う陰謀に巻き込まれていく。そして悪い魔法使いを見事倒して、念願の騎士になるという王道ファンタジー。それが口語体でコミカルに描かれていく。
そして、戦いはもちろん、例えば何かに気づいたかとか、その知識を知っているかとか、そういう細かいところまで全て『サイコロ』を振って判定して成否を決める。この結果小説ではあっさりと通過していた魔の森を見つけられず別ルートから迂回したりして、少しずつストーリーのディテールを変えるエッセンスとして働いている。
「ぶっ‥ぶっひゃっひゃっひゃっ!」
お、面白い!これ、面白い!いかん、腹痛い。腹ごなしに読み始めたのに、腹ごなしにならん。笑い過ぎて死ぬ。なんでこの人たちこんなアホな事喋りながら冒険してるの?!
気づくと一冊サクッと読み終えてしまった。なんだか名残惜しい。と思っていたら、巻末にルール説明とデータ集がまとまっていた。
「おおっ!」
ページをめくると目に飛び込んできたのは、小説およびこの本の主人公六人のデータ表みたいなもの。履歴書みたいに顔の欄があって、レベル、スキル、基礎能力値、所有アイテムなどが並んでいる。これはコンピューターゲームのドラクエとかで見覚えがある。ステータス画面というやつ。この本のゲームでは『キャラクターシート』というらしい。ジャンの知力が低いのがイメージぴったりで笑える。
次に作中に登場したダンジョンのマップ。作品を読みながら頭で想像していた道筋が、見た瞬間にパッとクリアに頭の中にイメージできた。もう!こういうデータがあるなら先に言ってよ!とお姉口調でツッコミを入れたくなるな。
その後には簡単な戦闘ルールの説明。最初に敵味方が全員イニシアティブロール(サイコロを振ることをロールという)を行い、自分の敏捷度などの補整値と足した数値の高い順に行動できること。単純な攻撃と回避、魔法の発動と抵抗だけでなく回避専念(攻撃を捨てて避けに専念して回避力を上げること)抵抗専念(その魔法版)、果てはパリィ(攻撃を盾などで受け流すこと。成功すると相手が体勢を崩す)とかディザーム(素手で相手の武器をはたき落とすこと)など豊富に戦闘の選択肢があって感心する。
そこまで胸を高鳴らせながら読んで、次のページをめくるとあとがきだった。あー、もう終わってしまった。あとがきはありがたく読ませていただくと、あとがきの次から既刊宣伝ページが始まった。
「おおおおっ!」
この本、三巻まで出てるぞ。なになに?『TRPGリプレイ』というジャンルなのか。明日絶対買うぞ!
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これが、俺とTRPGとの出会いだった。俺は孔明の罠に嵌り、一日ですっかりTRPGの虜になっていた。
ちなみにリプレイ二巻と三巻が小さな店である最寄駅の駅前書店には無く、名古屋市名東区中の書店という書店をケッタ(名古屋弁で自転車のこと)で何キロも探し回ったことを付記しておく。
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この物語は、今思い出しても懐かしい、テーブルトークRPGというとてもとてもマイナーな趣味に目覚めてしまった哀れな若き日の俺と、俺と一緒にそんなマイナーなゲームをしてくれたあいつらとの、自分で言うのも恥ずかしいけど『青春ラブコメ』ストーリーである。
つまり、その、何だ?要は将来的に未来のお嫁さんになる女性と、同じTRPGサークルでゲームしまくる事になる。照れるけども。
我ながら運命のダイスに振り回されっぱなしの、ファンブルとクリティカルの連続みたいな俺の青春物語に、願わくばひとときお付き合いくださればと思う。