2・強盗を倒しました
暗殺者を辞めた俺は、早速繁華街に繰り出した。
人でごった返している。
至る所にお店が建ち並び、今日も王都は活気に満ちていた。
「じ、じ、じ……」
その中心で。
俺は突き抜けるような青空に向かって、こう叫んだ。
「自由だああああああああああ!」
——やっと自由を満喫出来る!
こんな開放感を感じたことなど、何年ぶりだろうか? いや今まで感じたことすらなかったか?
「今から俺、なにしてもいいんだよな? 仕事をしなくていいんだよな?」
ぐっとガッツポーズをして、一人呟く。
そのせいで「あの人……変」「こら! 見ちゃいけません!」と美女に見下されたり、家族連れの人達が小声で言っていたが、そんな細かいこといちいち気にしてられないのだ。
この日のために頑張ってきた。
思えば、魔神ムギュロスを倒すまで……特にこの一ヶ月間は地獄であった。
まともに睡眠も取れず、絶不調の状態で魔神を撃破した。そんな状態でも軽く一ひねりしてやったのは、我ながらよくやったかもしれないが。
「お、お、俺は……とうとう普通の生活が出来るんだ」
世界がクリアに見える。
さて、早速普通の生活に——。
ん?
待てよ。
「『普通』ってなんなんだ?」
首をひねる。
今まで仕事しすぎて『普通』というのが分からない。一体俺は、なにからはじめればいいのだろうか。
腕を組み、立ちすくんでいた時であった。
「イアナ焼き〜、イアナ焼き〜。王都名物のイアナ焼き、300ゴルドだよ〜」
と近くの出店からそんな声が聞こえてきた。
そういえば腹も減ってきた。
昨日は魔神を倒して家に帰ってから、すぐにベッドにダイブしたからな。まともに飯なんか食っていない。
そういえば一週間くらいなにも食ってなかったかもしれない。これくらい俺にとっては普通だったので、つい忘れてしまっていた。
「取りあえず腹ごしらえでもするか」
俺は財布を取り出し……っていけねえ。そういや、お金を引き出してくるのも忘れてた。
まあ今から家に戻るのもなんか気まずいし、財布の中に3000ゴルドくらいは入っている。取りあえずこれでも問題ないか。
「おばちゃん、イアナ焼き一つくれるか?」
「毎度あり!」
出店のおばちゃんから紙に包まれたイアナ焼きを受け取る。
見た目はちょっと分厚いパンケーキだ。
口に入れると、
「旨い!」
思わず唸ってしまう。
口の中に入れた瞬間、カスタードクリームの甘みが広がった。
パンケーキもふわふわしていて美味だ。
今まで高級料理なら、いくらでも食べてきた。暗殺のためには、時には貴族のパーティーに紛れ込む必要もあったからだ。
その際にテーブルマナーを姉さんに一通り躾けられたが……あのことは忘れよう。ちょっとでも間違えると「相変わらず覚えが悪いですね」とフォークとナイフが飛んできたのは、今となってはいい思い出だ。そう思わないとやってられん。
このイアナ焼きはそんな高級料理よりも素朴で美味しく感じた。
「王都にはこんなものもあるなんてな。世界は広い」
と自由を噛みしめていると——。
「強盗だ!」
近くの建物から声が聞こえた。
どうやら銀行ギルドの建物かららしい。みんなの視線が一斉にそこに集まる。
しばらくすると、三人組の男達が建物から出てきて、威圧的な態度で周りにこう叫んだ。
「どけどけ!」
「怪我したくなかったらさっさと消えな!」
「止められるもんなら止めてみろ。どうせ返り討ちに遭うだろうがな!」
どうやら典型的な強盗らしい。
銀行ギルドはお金を預け、他に投資するところだ。必然的に建物内にはお金が集まっている。そこを狙ったのだろう。
三人の首筋には趣味の悪そうな蜘蛛の入れ墨が彫られていた。
相当腕に自信がありそうだ。
だが、立ち振る舞いを見ると大したことがない。隙だらけで、俺だったら今この瞬間に八回は殺せる自信がある。
まあこういう光景もある意味『普通』だろう……とは流石に思わない。
周りの人達の怯えている姿が見えたからだ。
それに……もし仮にこれが王都の『普通』であっても、小悪党を見逃すつもりにはなれなかった。
「仕方ない……」
頭を掻きながら、強盗達の前まで歩き出そうとした時。
「待ちなさい!」
凜とした声。
真っ赤な髪をした女が突如強盗の前に躍り出た。
「へへへ、お嬢ちゃん。怪我したいのかい?」
「お、おいリーダー……」
「なんだ」
「その赤髪、もしかして『灼熱のアイリス』じゃねえのか? ほら、Aランク冒険者の……」
その忠告を聞き、リーダーらしき男が目をぎょっとさせた。
「ふふん、よく分かっているじゃないの。私も有名になったものね」
それに対し『アイリス』と呼ばれた赤髪の少女は不敵に笑った。
「ああ……アイリス様だ」
「アイリスがいたら、強盗なんてすぐにやっつけてくれる!」
「がんばぇー、あいりすー」
老若男女問わず、皆がアイリスに熱視線を注ぐ。
どうやら、彼女はかなり有名な冒険者らしい。
しかもみんなに慕われている。
「へ、へっ! たかが冒険者にビビって、逃げるわけにいかねえよ! こっちは三人なんだ。それにオレは魔法も使える。お前等、かかれかかれ!」
しかしリーダーだけは怯まず、他の二人をそう鼓舞する。
二人は「えー……勝てませんよ……」と明らかにノリ気ではなかったが、リーダーがそう言っている以上は逃げるわけにもいかない。
懐からナイフを取り出し、アイリスに襲いかかっていった。
「《業焔剣》」
一方、アイリスは優雅な動きで右手に剣を顕現させる。
炎に包まれた真っ赤な剣だ。
「あなた達、度胸だけは買ってあげるわ。かかってきなさい」
踊るような動きでアイリスが剣を振るう。
「「ぐあああああ!」」
あっという間にアイリスは二人を切り捨てた。
死んでいないとは思うが、二人は地面でのたうち回る。
残りはリーダーの一人だけだ。
「くっ、《炎球》!」
だが、リーダーはそれで怯まない。
メチャクチャにボール形の炎の塊が吐き出され、周囲に着弾していったのだ。
魔法を使えると言ったのは嘘ではないらしい。
「うおっ、ヤバいぞ!」
「逃げろ逃げろ!」
「流れ弾をくらって怪我するなんて、溜まったもんじゃない!」
逃げ惑う民衆。
「へっへへ! どうだ! 岩をも溶かす高熱の《炎球》! 一撃でも直撃すれば、骨まで溶けるぞ!」
得意気に鼻をすする強盗のリーダー。
骨まで溶ける……? こいつはなにを言っているのだ。
そんな《炎球》では骨どころか、せいぜい皮膚を焦がす程度しか出来ないだろう。日焼けするにはもってこいかもしれないが……。
「小癪な真似をするわね」
アイリスには《炎球》は一発も届かない。アイリスに当たろうかとした瞬間、彼女が剣を振るい《炎球》を消滅させていったからだ。
実力の差は歴然である。
「これはあいつに任せておいても大丈夫そうだな」
俺は安心し、その場を離れようとした——が。
「危ないっ!」
アイリスが声を荒らげた。
流れ弾の《炎球》がぐんぐんと俺まで迫ってきて、今にも当たりそうになっていたからだ。
しかし……なにをそんな慌てているんだろうか?
《炎球》はそのまま直撃し、俺の体が炎で包まれた。
「に、逃げねえから悪いんだ! ノロマには死あるのみだ! がはは!」
「あんた、なんでそこでぼーっと突っ立てたのよ!」
高笑いする強盗。
心配そうに駆け寄ってくるアイリスに姿も見えた。
だが。
「やはり——涼しいじゃないか」
俺は炎に包まれたまま。
そう声を発した。
「「……は?」」
重なり合う、アイリスと強盗の声。
「な、なんであんた無事なの!?」
「これくらいの炎、小さい頃からよく浴びていたものだ。家庭の事情でな」
「どんな家庭なのよ!」
アイリスのツッコミが飛ぶ。
丁度少し蒸し暑かったところだ。
しかしこの涼しい《炎球》を浴びて、やっと汗が引いてきた。
体に付いた火も消えてきたし、やっぱり大した魔法じゃない。
彼女に任せようと思っていたが……気が変わった。
「おい、強盗」
「ひ、ひっ! 化け物っ!」
俺を見て、強盗は逃げ腰になる。
化け物とは失礼なヤツだな。
「盗んだものを返すつもりはないか?」
「い、今更なにも取らずに帰れるか! じゃないとここで殺されなくても、オレがお頭に殺されちまう!」
ほう、どうやら別の指示系統があるらしいな。
それを聞き出してもいいが、さすがにそこまでするのは面倒臭い。
「《闇弾》」
俺は人差し指を強盗に向け、《闇弾》を放つ。
「がっ……!」
《闇弾》は見事強盗に直撃し、彼はそのまま地面に倒れて意識を失ってしまった。
「口ほどにもないヤツだ」
ぱんぱんと手を払うと、
「あ、あ、あんた……! 一体何者なのよ!」
真っ先に大股でアイリスが近寄ってきた。
「俺か?」
彼女はそのままぐいっと顔を近付けてきた。
よく見れば、キレイな顔立ちをしている。さぞ男からはモテるだろう。
——まさか『元』暗殺者だと言うわけにもいかない。
ならば。
「『普通』の人間だ」
彼女の瞳を真っ直ぐ見て、俺はそう答えた。