1・魔神を倒した後、休暇をもらう
暗殺者。
依頼主の要望通り、他者を殺す人間のことだ。
そんな暗殺者の一人である俺——ラウル・リスティドは、依頼をこなすために『そいつ』の元に向かったが……。
「くくく……まさか我が勇者でもない者にやられるとは思っていなかったぞ」
息絶え絶えになって、今にも消滅しようとしている『そいつ』——魔神ムギュロスはそう俺を睨んだ。
「貴様は一体何者なのだ……?」
「ただの暗殺者だ」
と俺は溜息を吐く。
リスティド一族。
世界最強の暗殺者——と称されている暗殺者一族だ。
リスティド一族として生まれた俺は暗殺者として生きるため、幼少の頃からそれはそれは地獄のような厳しい修行をやってきた。
修行中に死にそうになるなんて当たり前。何度か逃げ出そうとしたことがあったが、その度に筆舌し難い罰ゲームが執行された。それが俺にとっての普通であった。
そのおかげで、暗殺の依頼は容易にこなすことが出来るようになったが——それも今日で終わりだ。
「お別れだな。悪いが、絶対にトドメは刺しておけって言われてるんだ。ここで舐めプして、復活した魔神も歴代にはゴロゴロいるみたいだからな」
「ちょ、待……」
なにか企んでいたのだろうか。
しかし俺は《闇弾》できっちり魔神の首を吹き飛ばし、依頼を完全に達成したのだった。
「ふう……意外に弱かったな」
世界を破滅に導く魔神と聞いていたから、どんなものかと思っていたが……拍子抜けだ。
まあ弱いに越したことはないけどな。
俺は魔神の『死』を最終確認し、その場を後にした。
◆ ◆
「依頼達成を確認しました。取りあえず、おめでとうございます」
帰って仕事が終わったことを告げると、レイラ・リスティド——俺の姉さんは、表情一つ変えずに言った。
容姿はかなり端麗。男を引きつけるような容姿だ。レイラ姉さんに求婚した男は、既に三桁には及ぶと言われる。
しかしこの鉄仮面のような表情をした姉さんに騙されてはダメだ。裏表がありすぎる。姉さんを見るたび、俺は未だに鳥肌が立つのだった。
「それにしても本当に俺が魔神を倒してしまってもよかったのか? 勇者なんかでもなく、一介の暗殺者である俺がな」
「言ったでしょう? 今のイアナ王国の女王様はなによりも『平和』を好んでいます。誰かが魔神ムギュロスを倒し、世界のパワーバランスが崩れることを、女王様はなによりも嫌がったのですよ」
レイラ姉さんは紅茶をずずずとすすった。
魔神というのは定期的に世界に現れる存在だ。聞いたところによると、大体三十年周期くらいで現れているらしい。
魔神を倒すためには『勇者』の力が必要とされている。魔神を倒した勇者を排出すれば、その国は民からの信頼を集め、さらに他国に対して軍事力を誇示する結果にもなる。
だが逆に世界のパワーバランスが崩壊するきっかけにもなるのだが……。
「勇者ではないあなたに魔神ムギュロス暗殺の依頼がきた件……まさか、よく分かっていなかったとでも言うつもりなのですか?」
「そんなわけない。あの女王の考えは重々理解しているつもりだ。ただ一応確認しておきたかっただけさ」
肩をすくめる。
イアナ王国の女王は平和を好んでいる。
魔神が現れて国が滅ぼされることも無論良しとはしないが、逆にどこかの国が魔神を倒してパワーバランスが崩れることも嫌がったのだ。
そこで俺達暗殺者の出番だ。
今回俺は事故死に装い、魔神ムギュロスを暗殺した。
このことによって魔神は死に、さらに表向きは『どこの国も魔神を倒していない』ということになる。
大枠あの女王の思惑通りになったと言えるだろう。
「まさか魔神を単独で倒すなんて……」
「信じていなかったのか?」
今回の依頼をこなすために、姉さんは何人かでチームを組ませる予定ではあったが……他人と合わせるのも億劫だ。俺から「一人で十分だ」とその提案を却下したのだ。
「いえ、あなたの力は当代だけではなく、歴代のリスティド一族の中でもずば抜けて最強です。可能だと思いましたから、一人で行かせたのですよ」
「その判断は間違っていない」
にっこりと微笑む。
だが、今はそんなことは重要ではない。
「それよりも姉さん。この依頼をこなす前にお願いした約束のことを覚えているか?」
「ええ、もちろんです」
姉さんは立ち上がり、窓の前まで移動した。
「思えばあなたはよく働いてくれました。小さい頃、簡単な特訓もこなせないあなたを見て皆は不安を覚えましたが……」
簡単な特訓?
もしかして腕立て伏せ三万回のことか? あの時俺、確か六歳だぞ?
他に思い返してみても、簡単なものなどなに一つなかったが?
「あなたは一族の誰よりも強くなってくれました。そして今回の依頼達成、見事なものです」
おお、珍しい。
姉さんは滅多に人を褒めないんだがな。ここまで賞賛されると、嬉しいを通り越して怖くなってくる。
「そのせいで、俺は小さい頃から特訓特訓、暗殺暗殺……の日々だった。そろそろ休暇が欲しい」
そうなのだ。
リスティドは王国お抱えの暗殺者一族。
平和を好んでいる女王であったが、それを維持するためには俺達のような暗部も必要だと理解している。王国の歴史が改変しようとしている時、常に俺達が裏で暗躍していた。
そのおかげで、俺は誰よりも強くなることを求められてきたし、暗殺の依頼が絶えることもなかった。
そのせいで俺は今までたった一日たりとも休みを貰ったことがない。
なんだよ、このブラック一族。
「とはいえ、あなたの存在は一族の中で大きくなりすぎてしまった。あなたに休暇を与えることを良しとしない連中もいるのですよ」
「はあ? じゃあ俺は——」
「ただ……それは私が一蹴しました」
くるっと俺の方を振り返るレイラ姉さん。
口元には薄い笑みが浮かんでいた。
——キレイだ。
ついそう感じてしまったせいで、一瞬思考が停止してしまった。
「ラウル。あなたはよく働きました。あなたにしばらくの休暇を与えます。しっかり休むといいでしょう」
……やった!
それを聞いて、俺は思わず飛び跳ねてしまいそうになった。
しかしそれを悟られてはいけない。
しばらくの休暇? なんだ、その甘ったれたことは。
俺は暗殺者自体を辞めたいのだ!
このままのらりくらりと休暇を延長し、気付いたら暗殺者から足を洗ってしまっている。
それが俺の作戦だ。
「……ラウル。口元が笑っていますよ。そんなに休みが嬉しいんですか?」
……はっ! いけねえいけねえ、表に出てしまっていたか。
しかし計画の全容はいくら姉さんでも悟っていないだろう。だったら大丈夫だ。
姉さんは決して悪いヤツじゃないんだ。怖いけど……。
「じゃあ俺は早速休みを取らせてもらう」
クールを装い、俺は姉さんに背中を向けて部屋から出て行こうとした。
だが、その時。
「ラウル、一つだけ聞かせてもらえませんか?」
「なんだ?」
姉さんから声をかけられた。
「休みをもらって、一体あなたはなにをするつもりですか? 暗殺しかやってこなかったあなたは、これからなにを欲するのですか? それくらいは姉弟のよしみで聞かせてくださいよ」
はっ!
なんだそんな簡単な質問は。
俺はドアノブに手をかけ、こう即答するのだった。
「俺は『普通』に暮らしたいだけだ」