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*海軍大佐*

 *



 白波に揺蕩う、死灰。

 漆黒の舳先がそれを掻き分け、ようやく視界に入ってきた光景に何名かの経験の浅い仕官が口許を抑え、蹲った。

 想定こそしていたが、悲惨の一言に尽きる。


「……ちっ。胸糞悪い光景だ。被害はどの程度出ている?」

「市街地だけでも、千人以上が負傷している見込みです。死者はおそらく、数百人はくだらないと。また、先立って特務部隊より一報がありました。大掛かりな魔術式を使用した際に感知される赤色波動(アメル・トーン)が確認できたと」


 甲板を一望できる、操舵室。

 差し込む陽光を背に佇むのは、病的なほどに白い肌をした年若い男。

 そして男に対面する形で報告を上げているのは、藍色の髪をきっちりと纏め上げ、一縷の隙も無い姿勢を保持する女性仕官である。


「……ふん。もぐりの魔術師でも居合わせたってのか。偶然にしては出来過ぎだな」

「何にしても、幸運でした。術式の展開によって、この一帯の魔獣の大部分が死滅していることは確認されております」

「波動の推計規模は解析できたのか?」

「それが……」

「何だ?」

「俄かには信じがたい事なのですが……ひとまずこちらを。波形を記録したものになります」


 普段はめったに顔色を変えることのない部下が、躊躇うようにして手渡してきた記録符。

 ざっと眺め、初めは訝しげな表情を浮かべていた男は、やがて何かに思い至ったように視線を上げ、端的に問うた。


「記録の限界を超えたのか?」


 手の中の記録符は、白紙だ。

 凡百の上官にこんなものを差し出せば、下手をすると首が飛ぶ。真実、その記録符が意味するところを理解できなければ。

 だが男の冷静な眼差しは、そんな愚かな判断の下で有能な部下を失うような陳腐なものではなかった。

 対面する女性仕官が、微かに口許を緩める。


「特務の中佐からは、そのように伝言を受けております」

「分かった。……入港でき次第、改めて被害情報と生き残りの魔獣が存在するか否かを含め、収集にあたらせる。それまでの間に出来るだけ体を休めておけ、中尉」

「はい、承知致しました。失礼いたします、大佐」


 流れるような敬礼と共に、操舵室を後にする女性仕官。

 彼女の背を見送り、再び街の方角へ視線を戻した男――この軍船の総指揮を託された『八翼』の一人、ロア・ティシード・ディバイン。

 朔の闇夜の如き、漆黒の双眸を揺らして呟いた。


「すべてが堕ちるのも……そう遠くはないか」



 *



 漣と共に入港したのは、思わず見上げるほどの軍船である。

 それはさながら黒い小山。

『彼』は密かにそんなことを思いつつ、桟橋の端から船の動向を観察していた。


「……これはたまげた。海軍の9番艇と言えば、例の『八翼』が指揮している主力船の一つだ」

「八翼って?」

「まぁ要するに陸軍、海軍それぞれに際立って勇猛な軍人の相称だな。去年聞いた話だと、陸軍に五人、海軍に三人数えられるらしい。この艇が沈められずにここまで来れたのも、それが理由かもしれねえな」

「ふぅん、勇猛な軍人ね」


 じっと見上げている間にも、桟橋付近には街で生き残った民たちが続々と押し寄せつつある。

 そんな人混みの中を、掻き分けるようにして姿を見せたのはウルディス青年だ。

 先ほどよりかは血色の戻った顔で、駆け寄って来るなり「ようやく見つかりましたよ」と安堵の息を零す。


「古くからの顔なじみで、何とか船を出せそうだという商船があります。この騒ぎで出航は少し遅れるかもしれないとのことですが、なんとか沖まで運んでもらえる手はずを整えてきました」


 ふぅふぅと息を整えつつ、さぁ参りましょうと乞われるままに踏み出しかけた刹那。

 不意に、ざわめきが強くなった。

 自然とざわめきの先へ視線が向き、軍船から降りてきた一人の人物と思いがけず目が合う。


 ――あぁ、これが噂の『八翼』かな。


 漠然とそう思いつつ『彼』はその男をぼんやりと観察し、その体格が軍人というには少し……いや、かなり小柄な部類に当たることに内心で驚きを覚えた。とは言え、その立ち姿に隙は全くと言って見えないのだが。

 そしてふと、傍らに立つ女性仕官に気付く。

 ……へぇ、珍しい。女性の仕官は初めて見るなぁ。

 安穏と思考を巡らせていられたのも、僅かばかりのこと。


 赤茶色の双眸が驚いたように見開かれ、その女性仕官が息を呑んだのが遠目に見えた。


「……っ、見つけたわ! そこの貴方、その場を動かないで!」


 早くも、面倒事の気配である。

 咄嗟に思考の端を過った直観に従い、幼竜、オルク、ウルディス青年の順に引き寄せて『隠形』の術式を展開させていた。

 この術式はその名の通り、対象からの知覚を阻害するにはうってつけだ。特に魔術に適性を持つ者に対しては相応の効果を望める。対魔術師とした状況において、基本の選択肢の一つ。主として暗殺あるいは逃げの一手としても使われる。

 無論、今回は後者が目的だけど。

 案の定、女性仕官は慌てた様子を隠さず、視線を彷徨わせて「まさか、隠形を……!」と思い至った様子で叫んでいる。

 うん、正解。なかなか有能な仕官らしい。


「おい、嬢ちゃん。一体何を……」


 訳が分からないという表情のオルクをずるずる片手で引っ張りながら、港の人波を抜け、ひとまず来た道を戻る。


「しーっ。一先ずここから退避するよ。相手の目的が分からない時点で捕捉されたら、それこそ後が面倒臭い。あんまり大声は出さないで。術式が乱れるから」


 さらりと説明を流し、変わらぬ足取りで港を背にする『彼』。

 その背中に、しがみ付くようにしてついて来る幼竜。もう一方の手の先からは、戸惑いを隠さないウルディス青年の声が掛かる。


「しかし、仕官の命に従わなかったと判断されれば、最悪全域へ手配書がかかりますが……」

「ウルディス、君の意見は尤もだと思うよ。でも、俺はこの国の軍人をあんまり信頼してないんだよね。旅の足として世話になる分には文句はないけど、一方的に命令されるのは御免被る。まぁ、要するにこれは俺の我儘」

「……それが貴女の意思とあらば。承知いたしました」

「迷惑をかけてごめんね。ところで、さっきの話もう少し詳しく聞かせてもらえる?」


 ひとまず、厄介事は避けられたと思っていた。

『彼』のそんな安穏とした思考は、次の瞬間に背後に立った気配によって、文字通りに打ち砕かれる。


「――隠形術式ひとつ。それで軍の追尾から逃れられると思っているのなら、とんだ馬鹿だな」


 ぐっ、と襟首を摘まみ上げられ、両足が宙を掻く。

 ほんの僅かの絶句の後、込み上げてきたのは諦念。

 それに加えた、不思議な既知感だ。

『彼』は宙ぶらりんのまま、溜息を吐いた。


「少なくとも今の軍部に限っては、優秀だったらしいね? 正直、甘く見てたかも」

「餓鬼のくせによく回る口だ。それで、何故あの場に留まらなかった?」

「面倒事には極力関わりたくないから、かな」

「浅はかな餓鬼が考えそうなことだ。まず答えろ、お前がここ一帯の魔獣を殲滅した魔術師か?」

「さぁ。馬鹿正直に答える義理はないけど」


 猫の子のように吊るされたまま、『彼』は至極やる気のない様子で返答する。

 よくもまぁ、あの身長で人を一人摘まみ上げられたものである。小柄とは言え、その膂力はやはり武人ということかな……。

 良くも悪くものんびりと、ましてや怯えも焦燥も感じられない平静な口調は、顔が直接見えなくともありありと伝わったことだろう。

 それが気に喰わなかったのか、背後に立つ男が纏う空気が少しずつ冷ややかになっていくのは、彼も含めた周囲の全員が感じていた。

 現にオルクは腰が引けてしまっているし、ウルディス青年は蒼白と言っていい顔色をしている。

 ちなみに幼竜は、吊り上げられた際の反動で地面へ落下したらしく、ブルブルとその場で丸まっている。

 ざっと彼らを眺めて『彼』は二度目の溜息を零す。


 ――仕方ない、か。


「ごめん、正式に謝罪することにしたよ。だからひとまず地面に下ろしてもらえない?」

「その言葉を信用できるだけのものを、お前は現時点で何一つ示していないが?」

「そうだね。なら、この場で捕縛しても構わない。抵抗もしない。ただし、彼らに手を出すなら前言は撤回させてもらうけど」

「……ふん、どこまでも気に喰わない餓鬼だ」

「うん、よく言われる」

「まぁいい」


 ぱっ、と前触れもなく離された襟首。

 落下した勢いそのままに、両足で難なく着地した『彼』は振り返り、先ほど視線の合った男を見仰いだ。

『八翼』なんて異名を受けるだけのことはある、その青白い顔を。

 一目見ただけでも、その力量がそれ相応のものであることは察せられた。隙は皆無と言っていい。

 音を立てずに姿勢を低く正し、片膝を立て、静かに首を垂れる。

 じーさまから教わった正式な礼だ。


「国の守り手へ、大変な非礼を致しました。どうぞ寛容な御心でお許しを」

「……見事なまでの棒読みだな」

「まぁね。本心じゃないもの」

「ほぅ、余程命が惜しくないとみえる」

「否定はしないよ。俺一人なら絶対に頭なんて下げたりしない。ただ、今は状況が状況だからね」


 表層だけで微笑み、礼を解いて立ち上がった『彼』は「それで?」と言葉の続きを促した。


「俺たちに何か用? 申し訳ないけど、これでも急ぎの旅なんだよ」

「旅の目的地はどこだ」

「それを聞いてどうするつもり?」

「質問を許した覚えはない。さっさと答えろ」


 今まで遭遇した軍人の中でも、最上位に分類されるであろう威圧感。それに加えた、恐らく生来の高慢さ。

 なるほど、苦手なタイプだ。

 でも一層ここまで突き抜けてしまった方が、むしろ清々しいくらいだね。

 腹立たしさを越えて、しみじみとそんな風に思えてくるから人間心理は不可思議だ。全くもって訳が分からない。

 暫し無言で見合ったのち、結局『彼』は根負けした。


「王様のいる都」

「……王都か。公認魔術師登用試験にでも向かう途上だったのか?」

「えぇー? なにがどうして公認魔術師なんて面倒臭いものにならなきゃいけないのさ? 必要ないし、そんな予定もないよ」

「……」

「……この嬢ちゃん、元々辺境暮らしで、何と言うか常識外なところがあるんで……」

「……あの、軍人様。我々案内人が保証いたします。けして悪意があってあの場から逃走したわけではなく、互いの認識に相違があって、このような事態となってしまいました。正式な謝罪は我々の方から……」


 正直に返したら、なにやら理解不能なものを見る目を寄越された。解せない。

 一方、オルクとウルディス青年が庇うようにして、前に出て必死に許しを乞うている。

 ちなみに幼竜はと言えば、先ほどから服の裾を掴んだまま、ブルブル定期的に震えている。

 一応、曲がりなりにも竜種なんだけどなぁ、これ……。


「大佐! あぁ、ようやく追いつきました……。あっ、捕捉されたのですか。それにしても逃げ足の速い少年ですね」


 藍色の髪を僅かばかり乱れさせ、美しい顔に呆れ半分、安堵半分を浮かばせる女性仕官。

 そんな彼女の発言に、成程これは一部誤解があるらしいと『彼』は思いつつも訂正しない。

 面倒臭いからだよ、もちろん。

 実際、まぁいいかな、と内心で呟くだけで終わらせようと思っていたのにもかかわらず――。


「何を言っている、中尉。これは女だ」

「あの、この方は女性ですよ」

「正しくは嬢ちゃんだな」


 三者三様、それぞれに訂正を差し挟まれて目を瞠った女性仕官に、どことなく申し訳なさを禁じ得ない。

 とはいえ、本来なら自分が訂正するべきところ。

 こうなれば、やむを得まい。

 いつもよりか目深に被っていた外套を脱ぎ、『彼』は真っ直ぐに相手を見つめながら、謝罪の文言を口にする。


「一応、男ではなくて女なんだよ。でも紛らわしくて、申し訳なかったね」

「――っ、こちらこそ遠目とは言え、大変失礼な間違いをしました。……それにしても、貴女」

「うん?」

「いえ、こんなに奇麗なお嬢さんを見間違えるなんて、私も相当疲れ目だったようですね」


 凛とした相貌も、綻べば花のようになる。

 まじまじと見上げれば、何故かよしよしと頭を撫でられた。何故かここに来て、完全なる子ども扱いである。

 そんなに幼くもないんだけどね、と自然に苦笑も混じった。


「あはは、世辞はいいよ。あと、何も言わずに逃げるような真似をしてごめんね。何しろ、貴方達の目的にまるで見当が付かなかったもんだから」

「いえ、あんな風に命令されれば突然のことに動揺するのも当然です。こちらこそ、配慮が足りませんでした」


 この美人、心根まで美人だ。

 しみじみと見上げつつ、こういう軍人もいるのだなぁと若干心持ちが和んだところで……。


「歓談している暇はない。さっさとそれを連れて、船へ戻るぞ。詳しい話はそれからだ」


 うん、やはりと言うか何というか、こちらは姿も心根も軍人そのものだ。

 青白い横顔は、さながら血の通わない人形が如く静謐で、怜悧と言っていい美貌ではあるけれども。

 あまりこっちには、馴染めそうにないなぁ……と。

 他人事のようにそんな風に思っていられたのも、今を含めてあと僅かな時間。

『彼』がそのことを自覚するまでには、もう少しばかりの紆余曲折を経ることとなる。


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