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*師弟関係の構築*

 *



「……酷い、な」

「ええ。おそらく朝陽が昇ると同時に……いったいどれ程の被害が出たのか」


 先を進む二人の声は、周囲で泣きわめく人々を気遣ってか、辛うじて聞き取れるほどに低く掠れている。

 彼らの後に続いて歩く『彼』は、今なお潮風に吹かれて飛んでくる灰を厭わし気に指先で払いのけつつ、それとなく周囲の状況の把握に努めることにした。

 あくまでも、冷静に。淡々と。

 そうしなければ、自分の心を平坦に保つことなど出来る訳もない光景が延々と続いている。


『……嫌な臭い。気持ち悪い……』

「無理もないねぇ。人よりも鼻は敏感だろ?」

『鼻、ツーンとする!』

「なるほど」


 ぎゅっ、と服の裾を掴んだまま離れようとしない幼竜。

 丘を降り、街に入ってもまだソワソワとして落ち着かない様子だ。

 いかに地上最強の種の一つに挙げられる竜種とはいえ、これはまだ子供。まして、あの洞を出て数日と経ってはいないことを考えれば、ごく自然な反応だろう。

『彼』は暫くの間、好きにさせておくことにした。

 お腹は既に幼竜の謎の体液でカピカピだ。今更、わき腹や背中に未練もない。

 振り払う労力も惜しいという本音は、あくまで内心だけの話である。


 ――やっぱり、相当な人数が喰われたらしいね。


 港へと続く街道の至る所に、生々しい鮮血の痕が飛んでいる。

 路地裏には食い荒らされた人間の死体と、散らばる臓物。

 辛うじて生き永らえてしまった者たちの、悲鳴と呻き。駆けまわる人々の喧騒と、助けを求める無数の声。

 人間同士の戦場ですら、恐らくここまでの凄惨には発展しない筈だ。

 前を行くウルディス青年の顔に血の気はなく、その肩を支えるように歩くオルクもまた、戦場慣れはしている風体だが、魔獣の被害を見るのは初めてのことなのだろう。足取りは重い。


 魔物と人。

 けして相交えてはならぬ両種が遭遇してしまったが故に、生まれた光景だ。

『彼』は内心で込み上げそうになる焦燥を、深い呼吸と共に奥底へ仕舞い直す。


 ――焦ったところで、仕方がない。間に合わなければ、それも縁。ただそれだけのこと。


 冷酷だと非難されそうだが、それが『彼』の紛うこと無き本心だった。

 これが一人旅なら、溜息の一つも零していたところだろう。

『彼』は傍らへ、ちらりと視線を向ける。


『……どうしたの?』

「いや、心配はいらないよ」

『うん、心配しない! あなたと一緒なら平気!』


 信頼されること自体、どちらかと言えば苦手と言っていい。

 ある意味では、重荷ですらある。

 とは言え、無碍には出来ないものなぁ……と内心で肩を落とす。

 眼前に広がる青い水面へ視線を転じつつ『彼』は港の方角に向けて、ひたすら歩を進めることに専念した。



 *



 乗船予定だったイアディール号は、非常に残念なことに乗組員の半数以上を魔獣にやられたらしかった。

 辿り着いた桟橋で、その惨憺たる状況をまざまざと確認することとなった正午前。

 うーん、何と言おうか儘ならないもんだ。全くね。

 深々と頭を下げるウルディス青年をやんわりと止め、これも予想が出来たことだと言い含めておく。

 約束が違うと怒ったところで、どうなるという話だ。

 済んでしまったことを嘆いたところで、今が良くなるわけでもない。

 気持ちを切り替えた後、ずいと前に出た『彼』はイアディール号で辛うじて生き残った二人の乗組員へ率直に問うことにした。


「ちなみに、他で被害が軽微だった船はない?」

「いえ……何しろあの、海側から襲われたもんですから……生き残りは僅かなもんで」

「……俺たち、偶然船倉で作業中だったから生き残れたんです……」


 未だ身体の震えの留まらない様子の船員たちを交互に見て、これ以上は酷だと『彼』は判断する。

 だからこそ座り込んだまま動かない二人に合わせて座り込み、あえて目線を合わせて息を吸う。

 目を瞠る彼らは、見たところどちらも十代の少年だ。

 彼らの血の乾ききっていない両手に手を重ね、『彼』はきっぱりと言い切る。


「生き残ったことを、誇っていいんだよ。自分を責める必要はないし、責めたところで喪われた命は戻らない。今はただ、君たちがこうして生き残れたことを喜ぶべきだ。違うかい?」


 じっと見据えた眼差しの奥で、何かが瞬いたと思った。

 次の瞬間、泣き出した二人の背中を交互に叩いて『彼』はほっと胸を撫で下ろす。

 悲痛な感情ほど、早々に表に出すに限る。溜め込んでおくことで不自然に歪むよりか、ずっとマシだ。

 それは『彼』なりの信念そのもの。

 号泣する少年たちを眺めながら、ついでに自分の気持ちも立て直すことにした。

 海原のように凪いだ心。今はたぶん、そういう気持ちが必要な時だろうから。


 ――ひとまずこの辺りの魔獣は焼き尽くした。控えめに言ってもまだ猶予はある。魔獣は無限に生まれる存在ではないし、第二波が襲来するまでには、相応の時間が必要になる筈だし。


 残念ながら、既に一つ目の希望は絶たれてしまったけれど状況はまだギリギリ挽回できる範囲にあると言っていい。

 まぁ、あくまでギリギリに過ぎないけれど、最終的には王都へ辿り着きさえすれば打つ手は少なからずあることはあるのだ。

 その一方、どう足掻いたところで今となっては間に合わないものがあることも認めないといけない。

 この大陸において、最も民が密集するであろう王都を無傷で守り抜くことが叶わないのは、明らかだ。

 この街の惨状を見た後では、その事実から目を逸らすことは出来ない。

 だからと言って、すべてを諦める必要も多分ない訳で。


 ――たとえ魔物の襲来が自分の到着より早かったとしても、王様の生死くらいは確かめられるはず。後のことはそれから考えればいいよね。


 全てを助けようなんて、おこがましいにも程がある思考を『彼』は元より抱いてはいない。

 現の中に束の間の夢を見る分には、それぞれの自由だと思う。けれど、夢を土台に現を語ろうとする人間を『彼』は根っこから嫌悪してしまう質なのだ。

 すれっからした思考は、元々の性。

 理想はそれに実力が伴ってこそ、現実味を帯びてくるものである。

 じーさまが見知らぬ誰かの為にその命を賭し続けることを躊躇わなかった姿を『彼』はこれまで見続けてきた。

 それは幾度も、最終的には頭痛を覚えるほど。

 今思い返しても、あれは多分、魔術師として最良であると同時に最悪の生き方でもあったのだ。

 理想を実現出来るだけの力があり、それに伴うリスクも承知の上で選択し、挑戦することを止めなかったじーさま。

 偽善と罵られることも少なくなかったその生き筋を、『彼』は内心で眩しいとすら思っている。

 ただ、思うのと実践は必ずしも平行線には存在しないもの。事実、自分が同じ生き方を選べるかと聞かれたら、その答えは「無茶」。それに尽きる。

 理由は至って簡潔だ。

『彼』は見知らぬ誰かの為に命を掛けようと思えるほどの意思、労力を払おうとまで思わないし、思えない。

 じーさまは生前自らの行いをして「全て、儂の我儘じゃ」とウインク付きで言い切ったものだが、正直あれほどの茶目っ気も、たゆまぬ清廉さも到底真似できるものではないし、真似ようと考えたことは一切ない。

 真似できると思ったなら、それこそ傲慢だろう。

 じーさまと自分は違うのだ。

 そもそも『彼』は己の本質をよくよく弁えている。それはもう、十分すぎるほど。

 必要に迫られればこそ止むを得ずに動くことはあっても、それ以上も以下もない。

 彼の本質は己の定めた線を越えるか否か。ただ、それだけでしかないのだから。相容れないと言い切れるほどの惰性はないものの、互いの間に存在する隔たりは否定できない。

 だからこそ生じる、妥協点。

 善意には善意を。悪意には悪意を。無関心には無関心を。

 基本的には自分本位で生きていきたい。その結果、巡り巡って周囲の為になることもあるし、ならないこともあるだろう。

 白黒だけでは儘ならない、灰色くらいがちょうどいいのだ。

 今の時点で『彼』の本音はそれであり、例え空っぽであっても生きて見届けると決めた以上は、どれほど面倒でも投げ出さないと決めている。

『彼』は己の定めた一線だけは、何が何でも徹底して守るのだ。



 *



 存分に泣いた後は、往々にして何となく区切りをつけたような心地になるもの。

 イアディール号の生き残りの少年たちもまた、その例外ではなかったらしい。

 心なしか表情に明るさを取り戻した彼らを見送った後、桟橋に佇む『彼』とその一行。

 ちなみにウルディス青年は、伝手を駆使して何とか出航の手はずを整えてきます、と言い置いて足早に去っていった。

 それが数刻前のことである。

 時は有限なり。その商人気質をして、目を瞠るほどのフットワークの軽さであった。

 残されたオルク、幼竜、自分の以下三名は桟橋にて待機。まぁ、オルクは兎も角として自分と幼竜が見知らぬ地で闇雲に歩き回ったところで、出来ることなんて限られているだろうからね。

 迷子になるよりは、多分はるかにマシだと思う。


「さて、どうなることやら」

「恐らく、王都へ既に伝令が送られた後だと思うが……例え早馬を使っても、陸路では最低三日以上かかると思って間違いない。今回は海側から襲われたことが、何と言っても痛いな」

「うん、確かに痛いところを突かれたよね。つまりは国軍へ伝わるまでに相当な間が空くと考えたほうがいい。それに翼獣がこの街だけに襲来したとも思えないし……」

「……まさかもう、王都にも?」

「考えられない話じゃないよ」


 いつでも最悪の場合を考えておくことに越したことは無い。でも一方で、最悪ばかりを考えていたって仕方がない。

 要するに、何事も程々が一番ということだろうね。


「そんなに絶望的な顔をされてもなぁ。ねえ、仮にも王都だよ? それなりの守備を常時備えている筈だよね。違う?」

「対人間、って話ならそうだが。もし魔獣が大群で押し寄せれば、被害はそれ相応のものになる筈だ……」


 寄せて返す波へ視線を落としたまま、悄然と肩を丸めるオルクを見上げ、ふむと頷いた後。

『彼』はすっと音もなく立ち上がり、渾身の力を込めてオルクの脇腹に活を入れた。

 控えめな表現に留めれば――ちょっとだけ、嫌な音がする。


「うぐっ?! ……なっ、急に、何だ!!」

「しっかりしなよ、オルク。一応は護衛役なんだよね? 状況次第で命を張ることだって珍しくないんじゃないの?」

「それとこれとは!」

「何か違うの?」

「……」


 こてん、と首を傾けて『彼』は目を細めて問う。その眼差しに、僅かながら冷ややかな光を宿して。


「相手が誰だろうが、命をやり取りするのは同じだよね? 魔獣だから、何? 確かに人よりも俊敏で、致死毒を有する種類とか、硬度が凄くて滅多な刃物じゃ倒せない奴らもいるけどさ、でも絶対に倒せないなんてことあり得ないんだよ?」

「っ、確かに嬢ちゃんなら倒せるかもしれない。……でもなぁ! 俺たちは! 普通のそこらの傭兵崩れじゃ一匹だって、一頭だって倒せるかどうかも分からないんだぜ!!」


 その絶叫に、周囲を行き交っていた僅かな人々が一様に視線を向け、立ち止まるのが分かった。

 一方で『彼』は揺らぐことなく、じっと見上げたまま静かに口火を切る。


「そう、分からないよね」

「……あんな未知の敵に、どう対処しろっていうんだ……」

「未知だから、皆恐れる。為す術もなく、殺される。抵抗らしい抵抗も出来ずに、食べられる。でもさ、それって当然の話じゃないの?」

「……何を、言って」

「何の備えもしてこなかった。境界線の守護が永遠のものだなんて、そんな戯言を真に受けた結果がこれだよ。残酷かもしれないけどさ、蹲って嵐が過ぎるのを待っているだけなら子供だって出来るよね?」


 避けようと思えば、まぁ出来た。

 でも胸ぐらをつかまれて、宙ぶらりんになるのも想定済みと言えばその通りで。

 それに対する抵抗も、ましてや反撃もあえて選ばない。

 間近に歪んだオルクの顔を眺めつつ、『彼』はただ、じっとその時を待った。

 待ちたいと思ったのだ。

 どんな結論であるにせよ、自分を「化け物」と呼ばなかったオルクを信じたいと、そう思った。


 潮騒と、不安げな幼竜の眼差しを傍らに、見合うこと数刻ほど。

 次第にゆるゆると腕の力は抜けていき、やがて桟橋へ『彼』の両足が付いた。

 ゆっくりと腰を折り、オルクは恥も外聞もかなぐり捨てて、目の前に立つ少女の足元へと跪く。


「すまねぇ、嬢ちゃん。頭に血が上った。無礼を許してくれ」

「うん、いいよ。構わない」

「……正論ってのは、いつでも痛えもんだなぁ」

「うん、俺もそう思うな」

「なぁ、嬢ちゃん。もう、間に合わねえのかもしれねぇ。でもな、俺は……俺には守りてぇ奴らが一杯いる。今更手遅れかも知れねぇ。でも、やれるだけのことをやって、大事な奴らの盾になって、俺は死にたい。だから、俺に魔物との戦い方を教えてくれ! 頼む!」

「嫌だよ」

「……そうか。そう、だよな」

「少なくとも盾になって死ぬなんて言っている内は駄目だね。だって、死ぬつもりの人間と付き合っている時間なんて、俺には無いんだからさ」


 ぽん、とオルクの震える肩に乗せられた手。

 それは小さいはずなのに、不思議と重く感じられた。

 思わず見上げたオルクに、差し伸べられる手の平。

 その先には、微笑む少女。


「どうせなら、魔物を殺し尽くして生き延びるくらいの気概がないと。初めから死ぬ気で戦ったら、そりゃあ死ぬよ。違う?」


 単純明快なその投げかけに、茫然と目を瞠ったオルク。

 けれどもその言葉が耳を伝い、心へ響いた直後。今までどこかで張り詰めていた肩の力が、ぐっと楽になるのを感じた。


「……あぁ、考えてみれば当然だな! 死ぬと思えば死ぬ!」

「少しは気持ちも上向いた? そうこうしている内に道も開けそうだし、続きは後でいい?」

「道が開ける…?」

「ほら、水平線に一隻。大きいのがこっちに向かってきてるよ」


 指指しながら『彼』は、どうにかなるもんだね、と独り言ちる。

 そんな『彼』の傍らで、ぴょんぴょんと跳ねる幼竜。

 不思議な一人と一匹を眺めつつ、オルクは苦笑するしかなかった。

 今更ながら、人の縁というものは分からないものだと、つくづくそう感じながら。


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