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*海までの道*

 *



「……それで?」

「まぁ、何とか伝手を得て王都へ行けることになったよ。今日の夜半には出立して、明日の朝には出航。その後は軍船に密かに乗り代えさせてもらって、王都には翌々日の昼過ぎには到着できるってさ」


 ジュールズ雑貨店へ戻り、ひとまず状況報告をする。何だかんだで『陣』の使用は有耶無耶にさせられたものの、正面戦争は避けられたから今回に限っては見逃そうと思う。

 たぶん、じーさまもあんまり喜ばない気がするし、正直に言うと面倒臭い。

 我ながら薄情だとは思うものの、有耶無耶万歳だった。


「……俺は、正直お前を見縊り過ぎた。何だよ、軍船って。完全に高位貴族対応じゃねぇか……」

「賞味、四日だね。まぁ、何とか間に合うと思うよ」

「普通の船と違って、最短航路で通過できるしな……それにしてもお前、どんな伝手を手に入れてきたんだ?」

「あぁ、それはね」


 言いかけたところで、迫りくる何かを察知した。咄嗟に避けるも、正体など初めから見当がついている。

 ガシャン、と何かが壊れる音と「おいおい」と苦笑する声が同時に響いた。


『……ごめんなさい』

「はは、悪気はないんだ。気にすんな。賠償はそこにいる飼い主にお願いするから良いってことよ」


 割れた花瓶を涙目で見下ろし、ふるふると全身を震わせる美少年がそこにいた。

 状況から察するに、帰宅してきた自分に抱き着こうとした結果らしい。


「……全く、仕方ないね。好きなだけ取っていきなよ」


『彼』は溜息混じりに背中の袋をテーブルへ下ろし、そのまま口を開けて引っくり返した。

 ジャラジャラと数えきれないほどの硬貨が降り注ぎ、辺りはあっという間に金と銀の輝きで埋め尽くされる。


「……気が変になりそうだな」

「全くだよ。こんなに貰っても、正直使い道がなくて困るだけなんだけど」

「……」

『きれい! きれい!』


 三者三様の反応の後には、店主の「本当にどんな育て方をしたんですか、セレナス様……」という独り言が空しく響くだけになる。

 当の少女と、どこからどう見ても美少年にしか見えない幼き竜は零れた金銀硬貨をザラザラと机の上に集め、暇だからとゲームがてらに積み上げ始めていた。

 見る者が見れば垂涎ものの光景も、彼らにとっては遊戯の一環。

 どこか遠い目をしながらも、山猫店主はとっておいた夕食を温め直すべく、そっと部屋を後にした。



 *



「夜分に失礼いたします。こちらに灰髪のお嬢様と、お連れの方がご宿泊と聞いて参りました」


 辛うじて月明かりが辺りを照らすだけの、夜半。

 ジュールズ雑貨店の扉を小さく叩く音と共に、事前に知らされていた案内人が二人連れでやって来た。

 一人は見るからに品のある顔立ちの若い男で、その後方には身辺警護がてらに付き添いでやって来たのだろう筋骨隆々とした大男が立っている。

 山猫の主人が先に応対している間に、『彼』はぐっすりと眠りこけていた幼竜を揺すぶって起こし、あらかじめ準備していた荷物を背負って表へ出た。

 そこで初めて、顔を合わせた次第である。


「突然の依頼で申し訳ないね。案内人というのは後ろの人も含めて、二人?」

「はい。イーディアル号までは私ども二人でご案内させて頂く予定で参りました」

「成程ね。元より否やは無いし、改めて宜しく案内人殿」

「……勿体ないお言葉です。それでは、参りましょうか?」

「うん、それじゃあ行くとしようか」


 にこりと笑って返答し、『彼』は少し重くなった荷物を背負い直す。

 代価として貰い受けた金銀硬貨はもちろん、山猫の店主からお裾分けと称し、保存食やら飲用水やらを事前に分けてもらっていた。

 思い返す限り『彼』はこれほど人に親切にされた記憶が、数えるほどしかない。日数こそ微々たるものだったが、とっくに店主は彼にとって特別に分類されていた。

 振り返り『彼』は本心から、こう告げる。


「ジュールズおじさん、困ったことがあったらいつでも報せて。その時は、何をおいても駆けつけるからさ」

「はは、そういう台詞はもっと大切な時にとっておくもんだ」


 ぽん、と肩に置かれた手はかつて国の騎士であったことを疑わせる余地がないほどに重く、鍛え抜かれたものだ。

 じーさまの手も、これ位重かったなぁ、と。ふとそんな事が過り、正直、一瞬だけここを離れがたく思った。

 けれども、顧みない。

 それは辺境を後にした時から他でもない『彼』自身が決めた事だった。

「じゃあ、またね」と言い置き、後ろ背に軽く手を振る。

 そしてそのまま、月明かりが照らす夜の街道へ向かって歩き出した。



 *


 石畳に微かに響く、四組の足音。

 前を行く二人の足取りは、軍人を思わせるほどに規則的だ。


「ところで、名乗りが遅れましたが私は水都商会所属のウルディス・ナベルと申します」

「俺は護衛役のオルク・サーベイランスだ。宜しくな、嬢ちゃん」


 通りを歩きがてら、簡単な自己紹介を受けて「よろしく」と銘々に返す。

 本来ならこちらも身分やらを明かすべきだろうが、生憎と名乗れる『名』をもっていないと釈明すれば、案内人の二人は鷹揚に笑い、気にすることはないと諭してくれた。

 見る限り、善人らしい。

 場合によっては暗殺者の類を送って来ることも想定していた為、正直少し拍子抜けした。


「水都っていうのは、泉都市キュレールのこと?」

「ええ、仰る通りです。王都バルディスに次いで大きい副都エルダーグと並ぶ交易都市に位置付けられていますが、運河の張り巡らされている国内の都としては最大の規模を誇ります」

「なるほど、船関連なら水都商会に勝るところは無いってことだね?」

「ええ、そのように自負しております」


 月明かりの下でも、気品に満ちた笑みは些かも崩れる様子はない。

 亜麻色の髪、限りなく整った貴族然とした顔立ちと相まって、物語の中の王子さまといった風情の青年だ。

 とはいえ外面は兎も角、内面はけして王子などではなく『商人』なのだろう。傍らで所作を確認し、声を交わしただけでもそれは十二分に伝わってくる。

 武人とは異なる、隙のなさだ。

 先立って顔を合わせ、それどころか殺す寸前までいった商会の二人に比べれば、格段に逞しい精神力を有していることはそれだけで察せられる。


「この大陸だと、商会の拠点は幾つくらいあるの?」

「そうですね。王都、副都、水都の他にも迷宮、樹上、霊峰自治区まで含めれば大きな支部は六つあります」

「ふぅん、六つか。……思った以上に広範囲だね」

「種族差に縛られず、言葉を介して交渉に臨む姿勢こそが本来の商人としての強みですから」


 人の王が統べる地域以外に大陸に存在する異種族の要地がちらほらと耳に届いた時点で、商会組織が長年を通じて築き上げたであろう繋がりの深さが垣間見える。

 今後のことも考えたら、あんまり商会と事を構えるのは得策ではないなと改めて思わざるをえない。

 周囲に好き好んで敵を作るような面倒事は、できるだけ回避するに限る。

 有耶無耶万歳、だ。


 よっこらせ、と背負った荷物を直しがてらに見上げる月は辺境と違ってやや青みがかって見える。

 昼の空の色も同じく、だ。

 そう言えば昔、何で色味が違うのかと不思議に思ってじーさまに聞いてみたことがあったなぁ……。

 どうしてかその問い掛けだけは、はぐらかしてきちんとした答えをもらえなかったけれど。だから、未だにもやもやしている。

 この二人なら応えてくれるだろうかとふと思い立ち、すぐ後ろを歩く筋骨たくましい大男を見上げると、バッチリ視線が合う。

 けれど、問い掛けを口にする前に質問を先んじられてしまった。残念。


「ところで嬢ちゃんは、どうしてそこまで急いで王都へ行こうとしてるんだ?」

「一応確認しておくけど、その疑問は個人的なもの? それとも商会経由の探りの一環?」

「はっはっは、無論、個人的な好奇心だ」

「ならいいけどね」


 夜道でも伝わる、その陽気さ。案外嫌いじゃない。

 見た目は硬派な傭兵然としている割に、態度はかなり砕けているのもそれなりに興味深いと思う。


「まぁ、簡単に言えば……大切な人が果たせなかったことを、代わりに果たしに行くのさ」

「果たせなかったこと?」

「うん。どうせこの先を生きるのなら、守りたいものがあった方が良いだろうからね。道標があった方が、色々と迷わずに済むし」


 その方が、きっとマシな生き方ができる。

『彼』は内心でそう呟き、見下ろす男へ苦笑を手向けた。


「嬢ちゃんは、なんだか年に見合わず老成してんなぁ……」

「オルク、貴方は少し女心というものを学んだ方が……」


 視線を転じれば、ウルディスと名乗った青年は頭を抱えている。


「いいよ、気にしなくて。元よりそういう育てられ方はしてないし、むしろ俺の方が教えてもらいたいくらいだよ」

「へぇ、嬢ちゃんの親は変わり者だったんだな。もしかすると武家の出かい?」

「いや、どっちかというと魔術家の出だね」

「ほぉ、そいつは珍しいな!」


 筋骨たくましい大男が目を丸くすると、なんだか妙に愛嬌があるものだ。


「ねぇ、ところで海って本当に青いの? 空よりも青いのかな?」


 実は胸の奥底に大切にしまっておいた問いかけを、折角だからと引っ張り出してみた『彼』。

 結果はおおむね想像の範囲内。丸々一拍分の沈黙の後に、呆けた様な二人の声が重なって戻ってきた。


「「……まさか」」

「やっぱり、珍しい? でもさ、内地生まれで海なんて一生目にしないような田舎者だって、多分同じ質問をしたりは……しないか」

「見たことが、ないんですね?」

「うん、ないよ。生まれて初めて」


 ウルディス青年の、何か微笑ましいものを見るような眼差しを直に浴び、何やら非常に居たたまれない心地になる。

 自然と歩幅が小さくなったところへ、まるで労わる様な仕草で頭をポンポンと叩かれた。

 見仰げば、顔よりも先に筋肉が主張してくる。見事な上腕二頭筋だ。

 そして顔はと言えば、まるで悪だくみをする近所の悪ガキといった表情を浮かべていた。

 オルクから気負いのない笑みを向けられた『彼』は、ほんの少しの脱力感を覚えた。


「俺も元々は内地の生まれだ。初めて親父に連れられて海辺へ行ったときは、そりゃあ興奮して散々走り回ったもんだから、帰る頃に見た海は夕日を浴びて真っ赤だったぜ? はは、だから青い海を見るのは実は俺も初めてかもしれねぇぞ?」

「……さすがにそれはないと言いたいですが、貴方もそういう気づかいが出来るんだと知って、少し見直しましたよ」

「うるせぇぞ、坊ちゃん商人」

「はいはい、強面護衛殿」


 軽く言い合う男二人を見上げ、『彼』はここに来てようやく本当の意味で警戒を緩めた。

 やはりこの二人に関しては、暗殺云々の心配は皆無だと。こういった方面での鼻の利きは、我ながら野犬並みに信頼できるものだと『彼』自身が自負するところでもある。

 とはいえ、辺境を出てから今に至るまで『彼』の周りに現れるのは善人ばかり。

 昔との落差を思い、なかなかどうして人の世も捨てたものではないな、と思い直しもする。


「……海かぁ。うん、楽しみかも」

「明朝には、到着できますよ」

「はは、天候にも恵まれれば尚良しだな!」


 うつらうつらと眠たげな幼竜の手を引きながら『彼』は先を進む二人を眺める。

 彼らの進む先、月明かりに照らされるのは、長い長い石畳。

 ここをずっと西方へ進めば、やがては海へと辿り着くのだ。

 何だろうね、今更だけど案外旅をするって楽しいのかもしれないなぁ、なんて暢気な心持ちが湧き出てくる。

 うん、悪くない。

 なかなかどうして、悪くない。

 いつしか『彼』の口許は自然と綻んでいた。


 合間合間に案内人の二人と当たり障りのない世間話をしながら、休むことなく歩き続けること夜通し。

 楽しい時ほど、過ぎるのはあっという間だ。

 見仰ぐ先には、蒼褪めたような月明かりから、眩いばかりの日光へと少しずつ移り変わっていく蒼穹があった。

 いつしか道は丘陵を望む砂利道になり、日を浴びてようやく目の覚めてきた幼竜はいつの間にやら先頭へ躍り出ている。

 今はぴょんぴょんと跳ねるようにしながら、筋骨隆々としたオルクの肩車を強請っているらしい。

 何と言おうか、無駄にほのぼのした光景だ。


「……オルクはあの体躯ですから、なかなか子供に懐いてもらえないのですよ」

「ああいうのを締まりのない顔と言うんじゃない?」

「ええ、とても嬉しそうだ」


 ウルディス青年と軽口を交わしつつ、『彼』は軽く欠伸を零す。

 何しろここまで、休憩もなく歩き通しだ。昔を思えば随分と『やわ』になったなぁ、と自虐を覚えながらも、それがどこかで嬉しくもある。

 普通ほど、素晴らしいことはない。

 常日頃から、じーさまはそう言って笑っていたものだ。


「……本当に申し訳ありません。ここまで、歩き通しでお疲れでしょう? 乗船でき次第、すぐにお休み頂けるように客室はご用意させてあります」

「ううん、気にしないでいいよ。俺が出来る限り早くって頼んだ所為もあるし。そもそも夜半に幌馬車の依頼なんて出せば、下手な噂立てられかねないだろうから」


 久しく俗世から遠のいているとは言っても、夜半に市街地近郊で馬車を走らせれば警吏の目を引くことぐらいの見当はつく。

 数年前まで、夜盗の類が跋扈していた辺境周辺ともなれば、尚更のこと。

 じーさまが夜盗の壊滅に少なからず関与していた時期を思い返しながら『彼』は苦笑混じりにひらひらと手を振った。

 今となっては懐かしい記憶の一欠片。

 夜な夜な血染めで帰宅したじーさまが、こそこそと裏庭の井戸で水浴びをしている姿を隠れ見るのが日課と化していたあの頃。

 本人は最後までバレていなかったと信じていたらしいけど、今となっては微笑ましい思い出でしかない。

 妙なところで天然だったなぁ、いや本当に。


「そのお心遣いに、感謝いたします」

「あはは、真面目だね」

「……よく言われます」


 頭の片隅で懐かしい思い出に浸りつつ『彼』はふと、立ち止まる。

 鼻をくすぐる、今まで嗅いだ覚えのない匂い。

 そして――


「……もしかして、もうすぐ海?」

「おや、潮風に気付かれましたか? ええ、あの丘を越えればもう眼前に海が……」


 先を歩いていくオルクと、幼竜。その二人の姿がウルディス青年の指差した丘の頂上へ差し掛かったのは丁度その瞬間だった。

 じゃれ付いていた幼竜が、ピタリとその動きを止めてブワリと毛を逆立てたのが遠目にも見える。

 その隣で、まるで地面に足が張り付いたようにして同じように硬直したオルク。

 掠れたようなその声が、『彼』の耳朶を打つ。


「……嘘、だろ?」


 ふわりと、再び鼻をくすぐった風の中に、酷く懐かしい気配が混ざる。

 紛れもない血と、腐臭。

 そして何よりも強烈に存在を放つ『それ』の名は――


「魔獣の臭いって、独特だよね」


『彼』は肩を竦め、心底面倒臭そうに独り言ちる。

 やはり予想なんて当てにしても仕方がない。

 実に恐れるべきは、彼らの進行速度だった。


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