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*商会にて*

 *



 翌朝、夜明けとともに『彼』は荷袋を背負い直し、商会へ続くルートを反芻した。

 菫色の空は澄み渡り、周囲に人気はまだない。

 軽く鼻歌を歌いつつ『彼』は朝焼けの道を歩いていった。


「……これを、失礼ですが本当に貴女が?」

「経緯はどうでもいいよ。信じられないなら、それでも構わない。それで幾らになる?」


 目の前には、商売人らしさのかけらも伺えない表情を浮かべる男がひとり。

 到着した直後、ひとまず一番近いカウンターへ行って袋の中身を転がしたら、新人だったらしい窓口の女性は一目見るなり気絶した。

 どうやら血塗れだったのが、不味かったらしい。

 それにしても繊細に過ぎると呆れていたところ、足早にやって来たのが副所長を名乗る男だ。

「失礼いたしました、お客様」と優雅に腰を折り、交代を申し出たところまではまぁ、良かった。

 しかし、期待も虚しく事態はあまり改善していない。

 肝心の買取が遅々として進まないのだ。

 端的に言えば、顔を引き攣らせたまま固まっている。不信感もありありだ。まぁ、無理もないかと『彼』は半ば諦めてもいた。

 とは言え、少なくとも肝心な金と王都までの道筋、この両方をもぎ取るまでは帰れない。


「……失礼いたしました。改めて、持ち込んで頂いた素材全ての買取を希望、という形で宜しかったでしょうか?」

「構わないよ。別にこれで全部って訳でもないし」

「……なっ?! ま、まさか胴体なども含め別に保管なさっていると……?」

「保管……というより流石に全身引き摺って洞から出てくるのは面倒だったし、そのまま置いて来たけど」

「なぁっ?!……な、なんて勿体ないことを。宜しければ、商会所属の傭兵たちに依頼して残りの素材を全て回収させて頂いても?」

「それは構わないんだけど、その傭兵たちに奥まで進めるだけの力量はある? 無かったら、途中で食い殺されて死体が増えるだけになると思うけど?」


『彼』の尤もな疑問に、対する商会所属の商人――副所長のウレアド・イースは自分が冷静さを失っていたことを自覚し、絶句した。


「……失礼を承知で、もう一度聞かせて頂いても?」

「申し訳ないけどさ、俺もあんまり時間があるわけじゃない。質問の答えは、イエス。ここに持ち込んだ素材全て、俺が一人で狩り殺した氷竜から採取したものだよ。……これで満足?」


 年恰好に見合わず、まるで貴族のような酷薄さを口許に浮かべ、じっとこちらを見据える少女。

 一方、見定められているのだとここへ来てようやく理解したウレアド。

 隠し切れない冷や汗を背中に感じながら、それでも辛うじて口を開く。それは彼の長年にわたって積み上げてきた、商売人としての矜持そのものだ。


「……承知いたしました。こちらにお持ちいただいた素材全て、こちらで買い取らせて頂きます。目算としましては、イアディール金貨700枚、銀貨80枚、総計78000ディールとなりますが、ご了承いただけますか?」

「……うん、まぁ、それなら足りるかな。ね、副所長さん。一つ相談があるんだけど。その代金、すべて商会へ支払うと言ったら、今から数えて四日以内に王都までの道筋を約束してくれるかな?」

「……は?」

「正直、金なんてそんなにもらっても仕方ないんだよね。俺の望みは最短で王都へ行くことだけだし」

「……貴女は、これだけの金額を全て移動費に使用すると、そう仰っているのですか?」


 最早、血の気を失くして蒼白と言っていい顔。そこに浮かぶ表情は、理解が出来ないという単純な色一つに見える。

 けれども『彼』は、その瞳の奥に束の間過った困惑以外の感情を見逃さない。


「不可能ではないよね、商会なら?」

「……貴女は、一体何者ですか?」

「分かりやすく言えば、そうだね。商会が秘密裏に所有している『転移(モーヴ・)(リングス)』を考案した人物の近親者、ってところ?」

「…………」


 完全に隠しきれない動揺を、肯定と受け取った『彼』は内心で安堵の溜息を零す。

 じーさまが王都から辺境へ逃れる際、幾つかの地に止む終えず残すことになった『転移の陣』。その話は生前に幾度か聞かされていた。そして今、それがどうなっているのかを他でもないじーさま自身が一番気にしていたことも知っている。

 昨晩の内に、さりげなくジュールズおじさんに地図を見せてもらったことが功を奏し、ひとまずこうして鎌をかけてみたら案の定だ。

 何事も無駄にはならない。今は、しみじみとその言葉の意味が分かるよ。


「まだるっこしい話は嫌いだから、端的に言わせてもらう。俺の目的はあくまで数日以内に王都に行くことで、それ以外の利権やら報復やら機密やらは正直どうでもいい。ただ、代価を払っても『転移の陣』の存在を隠すというなら、こっちにも考えがあるけど。……この言葉の意味、分かる?」

「……承知いたしました。所長を、こちらへ呼んで参ります。それまでお待ちいただいても宜しいですか?」

「うん、構わないよ。くれぐれも宜しくと伝えて」

「……はい」


 ふらふらと幽霊のような足取りで個室を出て行った背中を見送り、さてここから商会はどう動くだろうかと思考を巡らせる合間。

 ふと、思い出すじーさまの言葉。


 ――陰で、汚い真似をする大人にだけはなるんじゃないぞ?


 その時の表情まで、克明に思い出されて、思わず口許を軽く手の平で覆う。

 そして、泣きそうな顔で呟いた。


「じーさま、俺はそれでも守りに行くよ」


 絞り出すようなその声に、応える人物はもう既にいない――。



 *



 それから半刻と経たず、目的の人物は現れた。


「お待たせした。私が所長のユジンだ」

「どうも、所長殿。話はすでに伝わった?」


 一目で感じた印象は、狸おやじといった風情だ。柔和な表情を張り付けてはいても、その内心は色々な意味で吹き荒れているのが容易に感じ取れる。


「事が事なだけに、私個人だけで許可を出せるだけの依頼ではないと判断した。しいては、これから私と共に副都へ同行して頂きたい」

「無駄にする時間はないと、事前に伝えたつもりだけど?」

「……こちらは組織だ。貴女は身軽故に考えも及ばぬのだろうが。商会としての立場も、ご理解いただきたい」


 硬質な声に入り混じる苛立ちと、不穏の響き。

 やれやれ、と『彼』は一気に気持ちが冷めると同時に、面倒になる。

 確かに、自分が脅すような発言をしたことは自覚している。けれども手段を選べるだけの時間はもう残されていない。

 それに、元を辿れば商会が秘匿した『それ』は誰が創り出したものだった?

 徐々に冷え切っていく思考の先に、波立つ感情は嫌になるほど馴染みがある。

 それはじーさまに拾われる以前、過去の残滓と呼べるものだ。


「理解、ね。笑わせないでくれない? そちらが相応の対応をするなら、こちらも同じことを返すだけ。養父の憂いを作り出した償い、けして軽くはないよ。まぁ、出来ることなら争わずに済ませたかったんだけど……」


 双眸に殺気を燻らせ、微笑みを張り付けて見返す。

 かたり、と席を立って見下ろした男たちの顔はいっそ笑いたくなるほどに滑稽で、どこか喜劇じみていた。


「答えを聞かせてよ、所長殿。あんたは平穏な日常と凄惨の始まり、どちらを選択するのかな?」

「それは商会全体に対する宣戦布告か?!」

「聞いてて分からない? そんなこと、どうだっていいんだよ」

「?!」


 元より、最終手段は想定の範囲内。

 出来るなら、血を見ずに進められれば最良といえる道筋となっただろう。けれども世の中、そんなに上手くはいかないものだ。

 代償も払わずに、目的のものは得られない。


「ごめん、じーさま」


 ポツリと、そう囁いて外套の中にしまい込んでいた白刃を抜いた。

 すらりと現れた刀身は商会内部を照らす人工燈の明りに煌めき、目も眩むほどの光沢を放つ。


「さてと、じゃあ凄惨を始めようか?」


 ひらりと身を翻し、テーブル越しに座ったまま動けずにいる二人の首と胴体を切り離そうと、刃を躊躇いなくふるったところで――


「そこな娘、少しお待ち」


 コツリ、と靴音が響くと同時に扉の向こうから現れた存在を知覚し、寸前で切っ先を留める。

 まさに寸止めという表現が相応しい刃の近さに、気絶寸前の二人。それらを冷めた眼差しで見下ろしつつ、突然現れた美女に端的に問う。


「それで? まずは貴女が誰なのか聞いた方が良いのかな?」

「うふふ、面白い娘ねぇ、貴女。気に入った。何か面白いことになってると聞いて来てみれば、普段は嫌味な男二人が真っ青な顔で首をはねられる寸前とは、ふふ。本当に愉快」


 呵々として笑っていても、その美貌は些かも崩れない。

 艶やかな黒髪を背に流し、笑みを収めた彼女は端的に名乗った。


「そなたのような娘に会えて、光栄だ。我が名はイリエ。そこな男共と同じく、商会に籍を置く商人よ」

「そう。話を聞く限り、この二人の助命を求めに来たわけではないんだね?」

「商人同士に助け合いの精神など、元より皆無だ。私はただ、そこな男共の死にざまを見届けに来ただけ」

「なら、どうして途中で止めたの?」

「無論、気が変わったからよ」


 コツコツと靴音も高らかに進み出るやいなや、椅子に座ったままの商人二人を足蹴にし、物理的に椅子を空けさせる女商人。

 茫然自失から未だに立ち直れずにいる二人など、視界に入れる素振りもなく優雅に腰を下ろした。


「さて、そなたの望みとは聞くところによれば、最短で王都へ行くこととか?」

「そうだけど、貴女ならこの望みを叶えてくれるの?」

「ああ、無論だ。我らは腐っても商人よ。依頼人の望みに応えずして、商売は成り立たぬ」


 椿のように艶やかに微笑み、白魚の如き手を差し出してくる女商人の瞳には興味津々といった色がチラついている。

 正直、あまり関わり合いたくない人種と見た。けれども依頼を叶えると言い切る以上は、否やもない。


「……そう。なら、条件は先ほど提示した通り。素材の代価は全て商会側へ支払わせてもらうよ」

「いや、その必要はあるまい。我らにとって重要なのは、そなたの恨みを後々に引き摺らずに良好な関係を築くことであろう? 今回の依頼に限り、無償で請け負おうぞ」

「「なっ?!」」


 流石に目を丸くした『彼』とようやく思考を取り戻してか、その場で驚きの声を上げる床に転がったままの商人たち。

「流石にそれはどうなのかな……」と言葉を詰まらせる『彼』へ微笑みを手向ける一方で、視線すら向けずに二人の口を物理的に封じる彼女の手際には、ほんの僅かの躊躇すらない。

 正直、敵には回したくないと本能的に感じた。


「随分と、太っ腹だね?」

「初期投資は、商売人としての腕の見せ所よ。ここで渋るようでは器が知れておるわ」


 成程これが真正の商売人というものかと、納得もする。それと同時にとりあえずこの場は血を見ずに収められそうだと、内心で軽く溜息を零した。

 平和主義などとは口が裂けても言えないが、疲れることや面倒事を何より厭う性質をして、今回の落としどころは、まぁ悪くはないと評価できるものだろう。


「……分かった依頼するよ。俺を王都まで連れて行ってくれる?」

「承知。中央商会副所長イリエ・クーブラッドの名においてその依頼を果たそう」


 そこでようやく、差し出されていた手を取る。

 見た目通りたおやかな指だが、何やら背中がむずむずする。ようやく名乗った正式な所属も含め、けして油断してはならない相手だと改めて認識した。

 ここから先は、慎重さが大切になるんだろう。多分ね。


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