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*山猫店主*

 *



 死の小路から、戻ること半日ばかり。

 夕暮れに差し掛かった町の街道を、さして多くもない人混みに紛れながら一人と一頭は足取りも早く進む。

 吊り下げられた看板を一つ一つ眺めながら歩いた所為か、ようやく目当ての店へと辿り着いた頃には辺りも大分暗くなってしまった。

 それに加えて帰り道、再び泉で水浴びをしてきた所為もある。

 人の沢山いる場所へ降りるというのは、とても面倒臭い。けれど旅をする以上、止むを得ないのだ。

『彼』とて、無駄に注目を浴びて憲兵を呼ばれたい訳ではないのだから。


「……ん、多分ここかな」

『ここ?』

「念の為、俺が話している間はなるべく背中に隠れていてくれる?」

『わかった!』


 目と目を合わせ軽く言い含めた後に、目の前の扉へ手を掛ける。

 カラン、と涼し気なドアベルの音を鳴らし、一人と一頭は入店した。

 天井まで吹き抜けの、縦に長い造りの店構え。ここらでは珍しい景観に思わず目を瞬くも『彼』は気を取り直してカウンターへと進む。


「こんばんは。ここ、ジュールズ雑貨店で合ってる?」

「お前、この辺の人間じゃないな? 貴族様のお忍びか何かか?」


 訝しげな様子を隠すことなく、店の奥からのっそりと現れた店主。

 おそらく祖先に山猫の血でも混じっているのだろう、巨躯の体躯には似つかわしくないフワフワした縦じまの尻尾と可愛らしいと言って差し支えない三角の耳が特徴的だ。と言っても、それ以外にはさして特筆すべきところの見当たらない、平凡な見目の男である。

 何処からどう見ても怪しいと言わざるを得ない二人組を見る目には、警戒心が透けてみえた。


 ――思ってたよりか、普通だね。


 目が合うやいなや、率直な疑問を口にする姿勢。

 その素直さは、逆に信用に値すると『彼』は判断した。


「さぁね、取り敢えずそれは間違いだと訂正しとくよ。こんな口汚い貴族なんて流石にいないでしょ?」

「確かにそうだ」


『彼』の軽口に、店主は僅かに表情を和らげる。

 とは言えそれも次に『彼』が口を開くまでのことであったが。


「セレナス爺さんから、万一自分に何かあった時にはまずあんたを頼る様にって、そう言われて来たんだけど」

「――せ、セレナスだと?! お前、どうしてその御名を……!」

「俺、じーさまの養い子だから。三日前までは一緒に最果ての地で暮らしてたんだよ」


 明らかに驚愕、といった色を顔に浮かべた店主。暫くの間は声も出ない様子だったが、ふと何かに気付いたように低い声でポツリと問うてきた。


「万一、何かあったらと言ったな。セレナス様は今どちらに?」

「土の下」

「……は?」

「三日前の満月の夜、襲ってきた魔物を殲滅した後……じーさまは、俺の腕の中で死んだから」


 忘れる筈もない。

 全て覚えている。

 今にも血の滴り落ちそうな、薄紅の満月も。

 それに照らし出された、無数の紅い目も。

 どちらを見ても、赤。赤。赤。まるで悪夢みたいな情景の中で、ひたすらに魔物の首を狩り続けたことも。

 血染めになりながら、屠った数は百と一。

 最後に貫き通した魔物の首は、真っ白なしゃれこうべとなって、今腕の中に納まっている。


「……セレナス様が死んだ、だと? そんな、馬鹿なことが……」

「まぁ、戸惑うよね。だからすぐに信じろとは言わない。でも、嘘も言ってない。俺自身がこの手でじーさまを埋めてきたんだからさ」


 抱え上げた時のあの軽さ。今も忘れられずにいる。多分、ずっとこの先も忘れない。

 少しずつ消えていく温もりが、ひどく辛かったことを覚えている限りは。


「守れなくてごめん。これでも頑張ったんだけど、あと少し、もう少し……届かなくて、ね」


 じーさまの胸を貫き通した、魔物の爪。

 その鋭利さも、血の色も、全部が目の奥に焼き付いて離れない。

 たぶん、あの瞬間に喪われてはいけない何かが欠け落ちたんだろうと思う。

 そうじゃなきゃ、おかしい。

 最愛の養い親を亡くして、今の今まで泣いてない自分にまるで説明がつかなくなる。

 苦笑混じりに見上げれば、向かいの山猫店主は耳を垂れ、困惑の面持ちも隠さずようやく続く言葉を口にした。


「正直、とても信じられる話ではないが……不思議だな。会ったばかりのお前の話が嘘とも思えない」

「そもそも嘘じゃないからね。でも疑われても仕方ないとは思うよ。俺だって、あのじーさまが死ぬなんて考えたことすらなかったし」

「……ちなみにお前さん、名前は?」

「俺? ……あぁ、うん。俺の名前ね……」


 俺の名前はね――

 言いかけて、訪れる空白。

 正直、我ながら、あまりの馬鹿馬鹿しさに笑う。まるでひび割れた様な、辛うじて微笑んだように見えるぎこちなさで。

 そうして『彼』は、凍えたような表情で独白する。


「実はさ、思い出せないんだよ。あの夜からまるっきり」


 無理やり掻き消されたような、絶対的な空白。

 じーさまが拾い上げてくれたその日からずっと呼び続けてくれた名前だけが、どうしても思い出せないのだ。

 思い出そうとするたびに過るのは、あの紅い月と。魔物の目。それから――


「……いい。やめろ。無理するくらいなら思い出さなくても構わない」

「……そう言ってもらえると、正直助かるかな」


 傍目から見ても、『彼』は蒼白と言っていい顔色をしていた。

 実際、血の気はものすごい勢いで引いてゆき、頭は鈍器で殴られるように痛むのだ。岩で上から押し付けられるみたいに、幾度も、容赦なく。

 つまりそれが、答えだった。

 今は、幸せだった頃の記憶こそが傷跡であり、思い出そうとすることが自傷行為と同等なのだ。


「俺はね、じーさまと過ごせたことが夢みたいに幸せだった。だから本音を言うとあんまり外に出るのも、人と関わるのも好きじゃないけど、仕方ないから辺境からここまで出てきたわけ」

「……すまん、言いたいことは結局何だ?」

「じーさまが抱いていた唯一の心残り、俺が代わりに果たそうと思って。だから、協力してくれない?」


 ――王都へ行きたい。それも、なるべく早い内に。

 そんな内心をまるで読み取ったように、正面に立つ店主の眼差しは解決不可能な困難を突きつけられたように、鋭く細まった。


「それがもし王家に関わることなら、あまり積極的に支援したいとは思えないが」

「さすがだね、ジュールズおじさん」


 カウンター越しに『彼』は感心する。じーさまから聞いていた通り、察しの良さは折り紙付きだ。

 とは言え、言われた当人は褒められたとは微塵も感じなかったようだが。


「おじさん?! ……くっ。俺はまだ、そんな呼ばれ方をする年じゃないつもりだ!」

「ふぅん、繊細なんだ。でも、思い至ってるなら余計に頼みたいんだけど。伝手って大切だし、一から見知らぬ誰かの協力を得るなんて面倒臭くてやってられないからさ」

「……面倒臭いって、お前……」

「それに、おじさんだって昔は王宮であの人を守ってたんだよね? このまま見殺しにしたら、後悔しない?」


 傷口に容赦なく塩をすり込むような、そんな文句。

 意識してやってのける辺りに『彼』の躊躇いのない残酷さと狡猾さが、滲み出る。


「……お前。相当、性格悪いな」

「はは、じーさまにも散々言われた。懐かしいな」


 意気消沈したような店主を見上げ、『彼』は微かに笑って、その手を差し出す。


「これから宜しく頼むよ、ジュールズおじさん」

「……これも縁か。仕方あるまい」


 ギュッ、と力強く握ったつもりが『彼』からより力強く握り返され、店主が目を白黒させている最中。

 もう安心だと思ったのか『彼』の背後からひょっこりと顔を覗かせた小さな子供。

 店主はそれと目を合わせた途端、流れ込む思念にぎょっと顔を引き攣らせる。


『話、終わった?』

「……な、なんだこいつは。お前の連れか? 人間……ではないな? そもそも何で外套の下に何も着てないんだ……」

『わたし、竜』

「なっ?! ま、まさかと思うがこいつは……」

「察しの通り、氷竜の子供だよ。何だか知らないけど懐かれて困ってる」

「……」


 店主はあまりの想定外続きに、とうとう絶句した。

 若いころから……それこそ王宮で騎士勤めをしていた頃から様々な出来事に遭遇し、それなりの経験値を貯めてきたと自負していた彼をしても、そうなのだ。

 常人ならば、気絶していてもおかしくはない。


「……セレナス様は、一体どういう育て方をしたんだ……」

「あはは、基本的には放任主義だったよ。唯一のお節介は、俺を拾った時と俺を庇って死んだときの二回くらいで、あとは基本的に見守ってくれた。そんな人だよ」

「そう、か。ところで……」

「ん?」


 じっ、と向けられたその視線の行き先を辿り、ああそうだったと『彼』は思い出す。


「お前が背負ってるその包み、中身は何だ?」

「殺した氷竜の頭と、翼と、爪」

「……はぁ?!」

「実は俺、金があんまりなくてさ。手っ取り早く金を得ようと思ったら、これ位の手段しか思いつかなかったんだよね。おじさん、これ買い取ってもらえる?」

「お前、ほんとさ……何者なんだ?」


 戸惑いと畏怖を半々に入り混じらせた表情で、店主は囁くように問い掛ける。

 そしてそれに対する答えを『彼』は初めから一つしかもっていない。


「俺? 名前こそ失くしたけど、紛れもなくじーさまの養い子。それ以外の何者でもないけど」


 そう言って、一欠けらの邪気もなく笑って見せた。



 *



「……これら全てを買い取るとなれば、俺の店よりも商会へ直接持ち込んだ方がいい。なんせどれも規格外の採取品だ」

「ふぅん、商会ね……。それって、素人がいきなり持ち込んで騒ぎにはならないの?」

「ならない筈がない。でもお前は、とにかく金が要るんだろう? それなら一番確実なのは商会だ。たとえ素人の持ち込みであれ、基本的にはどんなモノでも扱うのが商会だからな」

「そんなもの?」

「そんなもんだ」


 ひとまず落ち着いた店主に連れられ、店の二階へ上がったのが先刻のこと。

 まず何よりも先に、子供服を譲り受けた。何しろ外套を被せたのみ、中身は全裸の子供が真横にいては色々と気が散って仕方がない。当人……いや、当竜? が気にしていないのは明らかだったが『彼』と店主のいずれにとっても、それは見過ごせない状態と言えた。


『これ、服? 暖かい!』

「喜んでもらえて、何よりだ。はは、こうして見ると小奇麗な坊ちゃんだな」

『ありがとう、おじさん!』

「……おじさんじゃない、お兄さんと呼びなさい」

『ありがとう、おにいさん!』


 元々、面倒見は良いのだろう。古着でもいいから買い取りたいと申し出た『彼』の言葉を、笑いながら「いい、子供は甘えとけ」という口ぶりには、少しの欺瞞も感じ取れなかった。


「じゃあ、明日の朝一で商会まで行ってくるよ。ね、おじさん。ところでこの辺りに王都までの道に明るい人はいないかな? 出来ればあと五日……いや、最低でも四日の内には到着しておきたいんだけど」

「……無茶言うな。ここから普通に馬車を借り受けたって、どんなに早くとも八日は掛かる。四日なんて強行軍をしようとしたら、それこそ膨大な金とコネが必要だぞ?」


 呆れたように説明する店主へ、ふぅん、と呟きながら『彼』は普段ほとんど使わない頭をフルに使い、考える。

 八日じゃ、たぶん間に合わない。

 間に合わなければ意味がない以上、何よりも優先されるのは時間だ。

 結局、残された選択肢は一つしかない。


「じゃあ、その商会とやらで膨大な金とコネを掴み取れば間に合うかな?」

「お前……素人が商会と繋ぎを付けるまでにどれくらいの年数が必要か、分かってて言ってるのか?」

「知らないよ。でも商売人の基本は利益だよね? 要するに、見合うだけの……いや、見合う以上の代価をこちらから提示できれば、こちらの望みを最大限に叶えてくれるのが商会組織じゃないの?」


 オーク材の艶やかなテーブルに向かい合い、酷薄な笑みを浮かべる『彼』。

 生来の儚い顔貌も相まって、その有様は目を逸らすことすら躊躇われるほどに妖艶だ。


「まぁ、それはそうだろうが……何か、考えがあるんだな?」

「あるっちゃ有るし、ないと言えば無いよ。最悪、罪人になるくらいの覚悟はしてきたけど」

「お前……、どうしてそこまで」

「ただの我儘」

「……は?」


 するりと音もたてずに席を立ち、二階の窓から空を眺める横顔はほんの少し、笑っていて。

 同時に、まだ空っぽだった。


「俺にとって、じーさまとずっと一緒に暮らすことだけが生きる意味だった。馬鹿だよね、人はいつか死ぬなんて分かり切ったことすら忘れてさ。だから俺は俺の我儘で、自分の生きる意味を改めて掴み直そうと思ったんだ。じーさまの後を追うことなんて、息をするくらい簡単だったけど、それだけは禁じられたからね」

「……強いんだな、お前は」

「いや、弱いよ? それに馬鹿だしね。色々考えてはみたんだけど、結局じーさまが残してくれた唯一を守ることくらいしか思いつかなかった。実際会ったこともない『王さま』の命を助けたって、その後自分が死を選ばない保証なんて何処にもないのに。まぁ、でも……こうしておじさんに会えたことは悪くなかったと思う。だって俺だけがじーさまが死んだことを覚えてるだけじゃ、じーさまも浮かばれなかっただろうから」


 だから、ありがとう。

 そう言って、泣き笑いみたいな表情を浮かべて見せた『彼』。

 その時だけは、年相応の少女の姿をしていた。


「よし、決めたぞ。俺はお前のこれからを見届ける。だから、どうやったっていいから生きろよ?」


 山猫の耳を立て、同じく席を立つ店主。

 彼が半ば唐突に言い出した宣言を、少しだけ呆然とした様子で聞いていた『彼』。

 僅かばかりの沈黙の後に、苦笑して返した。


「なら、おじさんも早々に死ねないね。精々長生きして、俺の行く先を見届けてよ」

「ああ、そうしよう」


『彼』の行くところ、尽く奇縁が付いて回る。

 金を作るためだけの氷竜狩り。そこで思いがけず、縁を結ぶこととなった幼き竜。

 じーさまと同じく、かつて王宮で『王子』を守っていた山猫の騎士。

 果たしてこれだけに留まるのか、現時点ではまるで分らない。

 その生まれ故に、養父から辺境を出ることを禁じられた少女。『彼』はそれでも選択する。

 たぶん『じーさま』は望んではいなかったかもしれない旅路でも。

 生きるため、王都へと向かうのだ。


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