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*剣と鞘*

 *



 天幕越しに、薄らと差し込む朝日。

 イーリアはふぅ、と静かに一つ息を吐いてゆっくりと身を起こした。

 傍らには白銀の丸まった身体が一つ。

 クゥクゥと寝息を立てて熟睡する幼竜だ。


「……野性を感じないな」


 ポツリと零し、少しだけ笑う。

 昨夜は焚火でチーズを炙り、軽い軽食をウルディス青年とオルクと囲んでから、早々に寝た。

 眠りながらも少なからず神経は尖らせていたものの、想定するような報復の兆しや夜襲は起こらなかった。

 少し拍子抜けな部分は否めない。

 否、寧ろ大変残念ですらある。


 日が昇っているとは言え、どうやらまだ半刻ほど余裕はありそうだ。

 周囲の様子に耳を欹てつつ、イーリアは軽く身支度を整え、天幕を出ることにした。


 朝焼けと、遠目にはうっすらとした山並み。

 深呼吸すれば、高地であることもあって底冷えしそうな冷気が胃の腑を満たしていく。

 猫のように伸びを一つ。

 ちょっとした散策の意味を込めて、そろそろと歩き始める。

 サクサクと音を立てて潰れるのは層になった落ち葉だ。

 生々しいほどの土臭さ。

 そこにふわりと、一瞬だけ野菊の薫りが鼻を掠めた。


「うん、悪くないね」


 早朝の空気は、昔からそこまで嫌いじゃない。

 じーさまと暮らしていた頃には、日の出前から起き出すことも珍しくなかった。

 作物の収穫など、よく手伝わされたものだ。


 踏みしめて進んだ先で、不意に開けた場所。

 思わず目を瞠ったのは、梢の先に広がったその水辺の景色が単純に美しかったのもある。

 けれど、一番の理由は別にあった。


 淡い双眸に映り込んだ、一人の背中。

 咄嗟に葉陰へ身を寄せ、気配をなるべく殺す。

 どうやら、辛うじて気取られずに済んだようだった。


 ――ふぅん、流石に動きは悪くない。


 冴え冴えとした青。

 恐らく刀身に纏っているのは、水か氷の系統の精霊の御霊だろう。

 まるで剣舞の如く流麗な身のこなしであるが、元より美しくある為の剣筋ではない。

 望むのは相手の死、ただ其れのみ。

 いっそ清々しいほどの凄絶さだ。


 ――迷いのない眼差し。でも、どこか欠落しているような色にも見える。


 斜めから振り上がる刃。

 矢の如き突き。

 身を翻し、重心を下に。

 そして見合う、双眸。

 無言の一拍。

 躊躇うことなく向けられた殺気。

 少女はその場で小さく手を振り、それに応えた。


「盗み見とか、その感性を疑う」

「あー。うん、ごめんね。不快にさせるつもりは無かったんだけど、つい。太刀筋を見るいい機会だなぁ、って」

「……はぁ。不愉快極まりないんだけど」

「ごめんごめん、でも奇麗な太刀筋だったよ。うん、これまで見てきた誰より無駄のない動きだったと思う」


 半眼になるサウロ。

 心象をそのまま表すように深い溜息を零しつつ、仕舞おうとした刃を――何を思ったか、正眼に構えた。


「随分と上から目線で言ってくれるね。……でもいい機会か。ねぇ、刃を抜いてご覧よ」

「……抜けって、今?」

「そう。いい加減にはっきりさせたいんだよね。いくら血の呪縛で命を懸けたとは言え、まだ根っこの部分から信用するには程遠い。僕は君への疑いを欠片も晴らせていないんだよ」

「あー。うん、それは目を見れば分かるけど。でも、どうしてそれが刃を抜けって話になるの?」

「君、それでも武人の端くれ? 刃を交わせば、相応の実力者同士なら伝わるものは少なくないだろ。表層だけじゃ埒が明かない。ほら、抜きなよ」


 もはや殺気すら混じる双眸に、イーリアは小さく嘆息する。

 確かにこれまでの様子を見る限り、生半なことでは『紺碧』からの信用を得ることは出来ないと察せられた。

 とは言え、別段すぐに打ち解けようなどとは考えてもいない。

 別に仲良しこよしがしたい訳でも無く。

 イーリアの本質は、いまだ淡白なまま。

 本音を言えば、疑われ続けることへの面倒臭さ以上に、信用を取り付けるべく様々努力することの方が余程面倒だと考えているくらいである。


「そもそもな話。俺は武人というには中途半端だし、例え刃を合わせたところで貴方の疑いが晴れることに繋がるかは疑問ではあるけれど」

「……そう。逃げるんだね」


 据わりきった眼差しに、これ以上言葉を重ねることの無為さを悟る。

 やれやれといったところだ。

 イーリアは背に手を回し、刃を掲げる。

 とはいえ、抜身ではない。鞘に入った状態で掲げてみせた。


「……馬鹿にしてる?」

「いや、だって仕方がないよね。血の呪縛の文言、もう忘れてしまった?」


 ――宣誓は四つ。一つ、汝はいかなる状況にあっても人を裏切ってはならない。一つ、汝はいかなる状況にあっても人を守るべくその身を捧げなければならない。一つ、汝は魔物や魔獣を屠る為にのみ、その刃を振るうことを許す。一つ、万一宣誓を違えた場合には、自らの刃でもってその命を絶つことを命ず。以上をもって、血の呪縛とする。


「……そうだったね。真剣を交えれば三つ目の文言に抵触するか。改めて考えると面倒臭いね」

「いや、むしろ王様はよくあの短時間で考えたと思うけどね。対人と考えたら、多分あの文言の全てが俺を縛り付ける枷になる。まぁ枷であると同時に、盾にもなり得るけど」

「何が言いたいの?」

「要するに、人への裏切りは一切を赦されないってことでしょ。あくまで王様にとって、最優先事項は民の命。それが脅かされることが万一にもないように、って考えて突き詰めていったら多分あの文言になったんだと思う」

「……」


 訥々と思うところをイーリアが言葉にすれば、殆ど無表情に近かったサウロの目が僅かながら見開かれる。

 とは言え、言葉にして返るものは一言とて無い。


 一拍分の呼吸を置き、躊躇われることなく振るわれた刃。

 春嵐の如く。

 その切っ先は、確かに少女の手元を掠めた。

 しかし、それ以上は踏み込めない。

 柔らかく、どこか楽しげに、弧を描いた口許。

 振るわれた力をそのまま受け流すようにして、繰り出される太刀筋は躱される。

 ひらりひらりと重みを感じさせぬ身のこなしは、さながら蝶の如く見えるだろうか。


「……躱す一方で終わらせるつもり? 消極的でつまらないね」

「あー。うん、そう見えても仕方ないね。じゃあ、お言葉に甘えて少し踏み込ませて貰おうかな」


 真白が笑う。

 双眸に、緋が灯る。

 それは朝焼けに似た色だ。

 ――ゆらりと、輪郭がぶれた刹那。

 咄嗟に真正面へ翳した刃に、思いがけぬほどの衝撃が走った。

 鞘越しに立ち昇る、闘気。

 辛うじて後ろ足に力を籠め、耐えきる。


「……っ、馬鹿力にも程がある」

「受け止めてもらえて嬉しいな。じゃあ、次に行くね」


 ふわりと力が緩み、サウロは咄嗟に体勢を立て直す。

 ギリギリで、低い位置から降り上げられた鞘を受け止める。

 一呼吸、一呼吸が重かった。

 先ほどの躱す動きとは異なり、それはさながら蜂のように素早く、辛うじて輪郭を捉えて防ぐことは出来ても次の動きが予測しずらい。

 天と地ほどとは言えないにせよ、力量差は明らかだった。


「ねぇ、『紺碧』。貴方は何を思って八翼になったの?」


 脈絡もなく放られた問いに、サウロはあからさまに眉を顰めてみせる。

 少女はそれに苦笑を返した。


「やっぱり、まだ答えては貰えなそうだね」


 身を翻し、真正面から互いに打つ。

 交差する一瞬。

 刃と鞘が噛み合い、止まった。


お読み頂き、ありがとうございました。

今後も亀の歩みのごとくではありますが、書き連ねて参ります。

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