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*出立と静穏*

 *



 ズラリと居並ぶ葦毛の馬列の中、ポツンと一頭だけがあからさまに浮いている。

 漆黒の駿馬。

 その孤高すら常態であると言わんばかりである。


「……ねぇ、あの子に名前はあるの?」

「そんなの聞いてどうするつもり? まぁ……名前自体はあるけど」

「参考までに教えてもらってもいいかな?」

「何の参考だよ……はぁ。なんか君の相手するの凄く疲れるんだけど」


『紺碧』はひどく憂鬱であった。

 それというのも、横にいる存在が全ての起因である。

 真白の髪を靡かせ、害意など一切ありませんと言わんばかりの笑みを張り付けた、イーリアという名の少女。

 その存在の異様さを、初めて会った時から自分だけが怖気と共に気付いてしまった。

 透明な眼。

 人とも、魔物とも言い切れぬ、不快な存在感。

 全身の感覚全てが、全力で警鐘を鳴らしていた。

 とてもじゃないが、こんなものは安全とは言えない。

 王都という国の懐に、そんなものが安穏としている状況自体に眩暈がした。

 それ故の先制攻撃。けれども結果的には歯牙にもかけられず、その力量差に心の底から虞を抱くことになった。

 憂慮が消えることはなく、焦燥は煮詰まるばかりで、結果的に王に詰め寄る形で『血の呪縛』を宣誓させたことに後悔など微塵もない。

 自分は間違いなく正しい判断をした。

 先の謁見の場で叶えられたのは命を懸けた宣誓だ。

 枷を付けられたことへの少なからぬ安堵はあったが、それでも尚、消えることのない不信感。

 こればかりはもう自分自身ではどうしようもない。

 今後、言葉でそれを表せば、間違いなく王からの咎めが降り注ぐことになるだろう。

 だからこそ双眸だけに常に鋭いものを含ませるようにした。

 あからさま過ぎるそれだ。どれほど鈍い相手だろうと気付くだろうと思ったが……どうやら自分の認識は甘すぎたらしい。

 半ば頭を抱える形で『紺碧』は王から預けられた荷物に対し、溜息を零すしかなかった。


「あの子の名前はリラだよ。目の色が藤色だからね」

「ふぅん。なるほど目の色から名付ける方法もあったね……。参考にさせてもらうよ、ありがとう」


 笑って礼を言うイーリアに、凪いだ目を向ける『紺碧』。

 その視線はふと、真横へと逸らされた。


「で? そこの三人が君の傍付きということで良いの?」


 イーリアの右側に並ぶのは、白銀の髪の少年と筋骨隆々とした大男、亜麻色の髪の青年だ。

 周囲の人間は知らないことだが『紺碧』の双眸には、種族を鑑定する能力がある。

 その能力が故に、彼はイーリアを殊のほか恐れるのだ。

 しかし、今回彼女が連れてきたのはどれも鑑定の範囲内の存在ばかり。これには心底安堵した。


「そっちの小さいのは氷竜の子供? 残りの二人は普通の人間みたいだね。誰を連れて行こうが構わないけど、足手纏いになることだけはしないで」

「大丈夫、俺と違って誰も迷惑はかけないよ」

「……そうであることを祈るよ」


 肩を竦め、冷ややかな眼差しを隠すことなく背を向けた『紺碧』は居並ぶ葦毛の馬上、彼の直属の騎士たちに号令を下した。


「ではこれより、水都へ向けて出立する。新たなる魔獣の生成にそれなりの時間を有することは知れているが、生き残りが各地に身を潜めている可能性は否めない。皆、気を緩めないように」

「はっ」

「あぁ、其処にいたねトープ。都に着くまでの間、お前に彼らを任せるよ」


 黒髪の小柄な青年は、突然の上司からの命に目を白黒させているようだった。

 しかし、元々の性質がおそらく真面目なのだろう。やがて息を整え、生真面目な顔で首肯した。


「分かりました。若輩ですが、皆様に失礼のないように努めたいと思います」

「うん、任せた」


 短く言い置くなり『紺碧』はそのまま漆黒の駿馬――彼の愛馬であるリラの背に跨る。

 あっという間にその周囲を囲うのは葦毛の馬列だ。

 淀みのない動きに、普段の鍛練の練度が窺えるようである。


「では皆さま。私が殿を勤めますので、宜しければそちらの馬をお使いください。皆、性質が穏やかで乗りやすい馬ばかりを集めてあります」

『馬に乗るの、初めて!』


 青年の声に真っ先に反応したのは、白銀の少年もとい氷竜の子供である。

 しばしの沈黙を経て、青年の気遣う声が掛けられた。


「では、私の前に乗っていきますか?」

「いや、それには及ばないよ。そろそろ人の形以外も擬態に慣れておいた方が良いと思うし、試しに馬の形を真似てごらん」

『うん、やってみる!』


 首を縦に振るや否や、見る見るうちに人の形を無くし、するすると別の形を取り始める幼竜。

 周囲に残っていた騎士たちの中には思わず剣に手を乗せる者もいたが、黒髪の青年の無言の牽制に多くは目を丸くして変化の過程を眺めるばかりである。

 銀の流体がユラユラと揺れ動きながら馬の形をとってゆき、細かな部分まで伸びきると、次第に淡かった輪郭も落ち着いた。

 白銀の髪の少年は姿を消し、其処に佇むのは一頭の白馬。

 銀色の鬣をブルリと揺らした後は、嬉しそうにイーリアの下に駆け寄り、嘶いた。


「うん、なかなかいい出来栄えだ。水都まではひとまずその姿で行けば良いよ」

「……驚きました。その子は竜種でしたね?」

「うん、氷竜の子供。俺はこの子の背に乗っていくから、馬はいらないね。ウルディス青年とオルクはどうする?」


 真白の馬によじ登り、首を傾げて尋ねるイーリア。

 そんな彼女の問いに、ウルディス青年は笑顔で返答した。


「私たちは折角なので、お借りしていくとしましょう。オルク、お前の体重を支えられる馬がいると良いが」

「そうだな……あの端の馬が良いな。見たところ足腰もしっかりしてるし、大丈夫だと思うが」


 視線を巡らせ、葦毛の馬たちの中でも一際大柄な馬に向かって破顔してみせるオルク。

 イーリアはそれを微笑ましく眺めた。

 不肖の弟子ながら、内心でこうした真っすぐさは気に入っている。


「改めて、声を掛けて頂いてありがとうございます。お蔭で予定していたルートよりも遥かに迅速に水都へ戻れそうです」

「気にしないで良いよ。君たちと一緒ならこっちも気が楽だからね。途中まで案内してもらった分、その時の恩も返したいと思って」

「……全く。義理堅い方ですね、貴女も」


 素に近い微笑みを見せるウルディスに、イーリアは気にしないでほしいと手を振った。

 彼らが王都に着いたのは、丁度昨日のことである。

 海軍の面々に付き添われ、王城で再会してからは殆ど間もない。

 強行軍に付き合わせるのに躊躇いこそあっても、こうして感謝を手向けられれば面映ゆいばかりだ。


「じゃあ、彼らの背を追っていこうか。水都までは馬の脚でどれくらい掛かるかな?」


 白い背中に揺られつつ、イーリアが零したのはささやかな疑問だ。

 斜め後ろに付いたウルディス青年は亜麻色の髪を揺らしながら、端的に答えてくれる。


「……そうですね。選ぶ道にもよりますが、行商ならば5日程度でしょうか」

「軍馬を用い、山越えの最短ルートを行けば早くて3日。悪天候ならば四日で着けますよ」


 二人の会話に、さりげなく声を足したのは殿を勤めることとなった青年トープである。

 短く切り揃えられた黒髪の間からは、胡桃色の吊り目が覗いている。

 はきはきとした口調は生来のものか、それとも軍人として勤めているという気概からなのか。

 その辺りはまだ判断に困るところだ。


「なるほど四日ね。山越えというのは、もしかして霊峰セレストのこと?」

「ええ。天雲の種族とは全面的にではありませんが、いくつかの条件で協力体制を敷いていますから。霊峰の南端のみ、行商や軍務に限って通行を許されているのです」


 イーリアはふむふむと頷きつつ、限られた知識を頭の中から引っ張り出してくる。

 じーさまが生前に語ったところに依れば『天雲の種族』とはいわゆる巨人族の末裔を示す言葉らしい。


 巨人族――暗黒の時代に遡れば、時として人と敵対し、魔界側についたこともある種族だ。

 天雲を突くような巨体をして、魔力耐性に一等優れた存在。

 彼らが戦場に姿を見せる時は「絶壁の防御」と称されることも多かったと聞く。

 体躯に優れ、防御にも優れているとくれば、一言で言って厄介この上ない。

 事実、彼らは傲慢の具現化したような種族であったらしい。

 暗黒時代、その中期において魔界と共に事実上の覇権を手にしていく過程では、あらゆる暴虐を尽くしたという。

 殺し、犯し、血肉を貪り、そして彼ら以外の全てを家畜と呼び、使役するまでに至った。

 けれどもその栄華は長くない。最終的には魔界側からの裏切りもあって、種の滅亡寸前まで追い詰められた過去を持つ。

 その確執は根深く、相応のものであろうとはじーさまの推測である。


「……正直、あんまり積極的に関わりたいと思う種族では無いなぁ」

「過去に比べれば、彼らも大分温厚になりましたよ。過去の粛清の際に、特に血を好む者たちは総じて種を絶やされましたからね。今も高慢なところはありますが、元を辿ればけして愚かではない。思慮深い者たちも少なからずいますよ」

「なるほど。確か、商会の支部は霊峰にもあるんだっけ?」

「ええ。私の同期が霊峰支部の副所長として日々、頑張っていますね」


 ウルディス青年の柔らかな微笑を横目に、なるほど粛清の結果が今の平穏に繋がっているのだなぁと、しみじみする。

 けれども時に歴史は不可解だ。

 どうして、魔界側は手のひらを返すように裏切りに至ったのだろう。

 手を取り合うことで一帯の覇権を得る寸前まで至ったと言うのに、そこは今一つ腑に落ちないところである。


「……霊峰ね。辺境からは晴れた日に稜線が少し見えるくらいだったけど」

「大陸における最高峰ですからね。麓まで行けば、その大きさがよく分かると思います」

「ふふ。辺境を出てからというもの、目新しいものばかりで全然飽きないなぁ」

「師匠、もしかして山登りも初めてか?」

「いいや。さすがに山に登ったことはあるよ。イノシシ狩りでも結構走り回ったくらいだし……」


 イーリアの苦笑混じりの答えに、オルクは「やっぱり期待を裏切らねぇなぁ」等呟いて嬉しそうに破顔している。

 一体何を期待していたと言うのか。

 聞いてみたい気もしたけれど、なんとなく脱力する結果になるような予感があり、敢えてそれ以上は突っ込まない。

 和気藹々と道を進む方に注意を向けることにした。

 色彩としては緑、茶、白が混じり合ったような晩秋の風景。

 王都から出て暫くは、なだらかな丘陵地帯だ。

 時折視界の端に揺れる雛菊と、チラホラ見える人影はおそらく弔いの列だろう。

 先の襲撃によって殺された民たちの骸は、数日をかけて土葬され、多くの墓には魔獣が嫌うとされる雛菊が植えられた。

 丘に靡く雛菊の数は、総じて殺された者たちの無念の数とも言い換えられそうだ。

 声もなく、風に吹かれ、ユラユラと揺れる無数の花弁。

 先を行く騎士たちが、心なしか凪いだ表情でそれを見据えていた。

 その横顔を眺めながら、イーリアは思う。


 あぁ。なんて儚いものばかりだろうと。


 生と死の境界線を隔てるものは、想像している以上に淡く、脆い。

 今日生きていたとしても、明日には眺められる側に回っているかもしれない。

 大雑把に分ければ、残酷と呼ばれる死に方をするか、比較的穏やかと呼ばれる死に様であるかくらいの違いしかないのだ。

 無意識でそれを知っていても、日常を生きようと思えばそれを意識して覆い隠し、何でもないような顔をして生き足掻くしかない。

 それは何と滑稽で、それでいて寂しくも暖かいものだろう。

 じーさまが人を嫌いになり切れなかったのは、多分こういう不器用さがあったからだ。


「山の天気は変わりやすいとは言うけれど、少しは晴れてくれるといいなぁ」


 ポツリと零し、薄らと笑う。

 まるで同調するように、白馬に変じた幼竜が小さく嘶くから、余計に笑ってしまった。


 蒼い丘と、白い花弁たち。

 ようやく丘陵を越え、やがて雛菊も見えなくなると薄緑色の木立が両側に広がる街道へ出た。

 木漏れ日に照らされながら、延々と続く石畳の上を、少しだけペースを落としながら進む。


「この街道を抜ければ、ヴィリディス大河が見えてきます。事前の指示通りであれば、川沿いで少し休息をとることになるでしょう。大河に架かるシェーナ橋を渡れば、今日の野営地であるソル平原まではそう遠くない。夕刻前には到着できると思います」


 生真面目に今後の予定を伝えてくれるトープ青年に、前を進むイーリアと付き添いの面々は銘々に頷いて返す。

 まだ短い時間でも、何となく人柄というものは伝わるものだ。

 その点、トープ青年はどうやら真面目である。そうとしか言いようがない。

 今までに会ってきた軍人の中でも、誠意に満ちた青年であることは間違いなさそうだった。

 周囲から向けられている無遠慮と言えそうな視線からさり気なく庇ってくれる姿勢といい、人以外の種族に対しても侮蔑の眼差しを向けない精神性といい、非常にありがたい。

 一般的に、下は上を見て育つもの。

 どうやら『紺碧』と称される彼は、敵意に満ちた眼差しからは想像できないほど根は優しく真っ当らしい。

 イーリアは内心で『八翼』に対する憂慮をほんの少しだけ修正する。

 今までに直接顔を合わせたのは、全部で五人。

 まだ見ぬ残りは水都で療養中であるという『純白』と、副都を一人で守り切ったとされる『純黒』、そして東の皇国に出向中であるという『黄雷』の三人だ。


 本音を言えば、遠くない内に全員と顔合わせを済ませておきたいところ。

 それは王であるジークリンドも同じ意見の様だった。


「君の目から見た彼らの印象を、近い内に聞かせて欲しい」


 遠浅の海を思わせる蒼い双眸。

 ジークリンドは王の眼差しで、出立前のイーリアにそう告げた。

 だからイーリアは『八翼』である面々を見て回りがてら、必要があれば各地に潜んでいるであろう魔獣たちの掃除も兼ねて王都を離れることに同意した。

 内心は不安だ。

 手の中の刃に『転移』の呪印はもうない。

 じーさまが生前に残してくれた呪印は、あと六つ。いずれも死に際のじーさまが自分の為に残してくれた大切な呪印ばかりである。

 一度使用すれば、砕けて残らない。


 主な都市部に押し寄せた魔獣たち。

 その殆どは殲滅し、だからこそ補充までにはいくらか時間があると王国の大多数は予想しているらしい。

 イーリアもまた、多少は時間に猶予があると踏んだからこそジークリンドからの提案に頷いて返したのだ。

 それでも万一、王都を再び魔獣や魔物が襲うことがあれば、間に合わない可能性は否めない。


 この世界のどこにも、絶対や万能は存在しないのだから。

 大切なものを守るなら、遠くよりは近くにいるべきである。

 そんな単純な思考を、ジークリンドはけして笑わなかった。

 それでも彼はその天秤に自分自身の命を懸けてまで、イーリアに選択を委ねてくれたのだ。


「君には、この国の民たちを、八翼を、そしていずれは協力関係を築き、手を取り合って立つであろう者たちを出来るだけその目で見てきてほしい。私の命じるままにではなく、出来れば君自身の意思をそこに乗せて、共に戦ってもらいたいから」


 青空のように透き通った眼差しで、ジークリンドはそう言って笑った。

 イーリアの虚のような心に、それは静かに響いたのだ。

 小さくても確かに、動いた。


「分かったよ、王さま。貴方の優しさがそれを望むなら、俺は出来るだけそれに応えたいからね」


 ジークリンドは話に聞いていたよりも、ずっと優しい王様だった。

 そして同時に、今まであった誰よりも自分の命を手放すことに躊躇しない人でもあった。


 ジークリンドの持つ王という名の業。

 年齢に見合わず、老成したような眼差し。

 イーリアはそれらを、諦めと共に受け入れるしかない。


 一つ目の道しるべは、じーさま。

 二つ目の道しるべは、王さま。

 定めた以上は、貫き通すのがイーリアの信条だ。

 けれども掌から喪ってしまうことの恐ろしさを、自分はもう知ってしまった。

 ようやく見つけた道しるべを再び手放すことがあれば、自分とて遠からず刃を『漆黒』に染めてしまうかもしれない。

 恐れは、常に胸の奥底に沈んだままで。

 ユラユラと。

 ヒタヒタと。

 水底に沈殿した泥のように、そこに在り続けている。


『イーリア、またグルグルしてる?』


 不意に、前方から響いた声。

 瞬いて、思考を現実に戻してくると青い目がジッとこちらを見詰めていた。

 純白の鬣越しに、ごうごうと水音が聴こえる。

 どうやら大河が近いらしい。


「んー、まぁね。ちょっとだけグルグルしてたかな。でも心配ないよ。大丈夫」

『イーリア、最近グルグルいっぱい。セイロン心配してた』

「あー。うん、そこはなんだか申し訳ないかも……」


 赤髪の執事は、ギリギリまで渋っていた。

 王宮に仕えている彼を、まさか今回の道程に付き添わせるわけにもいかない。

 普通に考えたら当たり前のように思えるが、彼はどうやら薬瓶で命を救われたことを未だに引き摺っているらしかった。

 こちらもこちらで、生真面目というか。義理堅い。

 最終的にはジークリンドや妹姫であるレイチェルの声もあり、渋々見送ってくれたような風情であったことを思い出し、思わずイーリアは苦笑してしまう。


『グルグルある時は、話すと良いってセイロン言ってた。グルグル、聞く?』

「あはは。いや、今回は遠慮しておくよ。全部話してたらキリないからねぇ……」

『イーリア、でも元気ない。誰のせいで、グルグル? 教えてくれたら噛むよ?』


 真っ直ぐな青い目で、とんでもないことを言う幼竜にイーリアは目を丸くする。

 それから少しだけ眦を下げて、ゆっくりと首を振った。


「だんだん人らしくなってきたなぁって思ってたけど、やっぱりその辺は竜だよねぇ」

『わたし、竜。人じゃないよ?』

「うん、良かった。少しその辺はモヤモヤしてたし、安心したよ」


 首を傾げる幼竜に、イーリアは笑って返答する。

 そうこう言い交わしている間も、幼竜は器用にパカパカ歩いていた。

 川沿いということもあって、足元はごつごつした岩が多く、平地に比べて歩き難そうだ。

 後方からはウルディス青年とオルク、そして殿を勤めるトープ青年の談笑が聴こえてくる。

 青々とした葦の原を抜ければ、唐突に開けた視界。

 そこに、大河が広がっていた。

 ザァザァと、轟々と、音を立てて水が流れていく。

 海辺とも違う、独特な水辺の香りが鼻を突いた。


「ヴィリディス大河に到着です。ここで一旦荷を解いて、休息になりますね」


 整然と並んでいた馬列が、前方から順に散開していく。

 騎士たちは少しだけ緊張感を解いた様子で銘々に談笑したり、馬から降りて積んでいた荷袋から銘々に軽食を取り出し始めた。

 馬たちも水を飲んだり、川辺の草を食んだりとのんびりした様子だ。


「どのくらい休息するのかな?」

「ここまで特に問題なく来れましたから、恐らく半刻くらいは馬を休ませるかと。皆さま、こちらへどうぞ」


 トープ青年はどこから引っ張り出してきたのか、正方形の布を丸みを帯びた岩の上に次々と広げていく。

 その手際に無駄はなく、あっという間に四つの軽食と携帯してきたらしい薬草茶が平らな岩の上に並べられた。


「君の分もあるから、今は人の姿に戻ってはどうだろうか?」


 トープ青年は一通り並べ終えるなり、白馬に変化している幼竜にまで声を掛ける。

 嬉しそうに尻尾を振り、幼竜は見る見るうちに形態を少年の姿に戻してみせた。


『ありがとう、おにいさん!』

「いや、これが私の仕事だから。礼はいらないよ」


 無駄にほのぼのする光景であった。

 イーリアは馬から降りたウルディス青年と視線を交わし、何となく苦笑いしてしまう。

 何だろう。前にも似たような感想を抱いたことが、あったような無かったような。


 跳ねるように岩の上に飛び乗って、幼竜はキラキラと眼を輝かせる。

 食べ物をくれる相手には、基本的に警戒心を抱かない。

 そこが分かり易過ぎる弱点であるなぁというのが、イーリア個人としての見解である。

 しかしながら野生児。

 食欲は生き物の大切な本能だ。兼ね合いが難しい。


『イーリア、美味しそうだよ! 並んで食べよ!』

「はいはい。ちなみに、トープはどうするの? 仲間内で囲んで食べるのかな?」


 岩の上でぴょこぴょこ跳ねる幼竜にひらひら手を振り返しながら、振り返ってトープ青年に尋ねる。

 少しだけ目を見開いた彼は、ややあって表情を柔らかにしながら生真面目に答えてくれた。


「私のことはお気になさらず。ここまでの経過をサウロ様にお知らせしに行ってから、軽く摘まみますから。また後ほど、お声がけに参りますね」

「うん、分かった。いろいろ気を遣ってくれてありがとうね」

「……いえ。これも仕事の内ですから」

「んー。そうだね。でも、あんまり気を張らなくていいからね。じゃあ、また後で」

「はい。失礼いたします」


 きっちり九十度体を折り曲げるようにして一礼したトープ青年は、そのまま背を向けて葦の原へと姿を消した。

 その俊敏さに軽く目を瞠ってから、イーリアは荷解きをしていたウルディス青年とオルクに声を掛ける。


「おーい。折角用意してもらったことだし、二人もこっちに座って摘もうよ」

「はい、お相伴に預かりましょう」

「おー。軽食なりに結構美味そうだな。さすがにそこは国軍だなぁ、おい」


 微笑みながら優雅に腰を下ろすウルディス青年と、まじまじと覗き込みながら、岩の上にどっこらせと胡坐をかくオルク。

 今更ながら、対照的な二人である。


『美味しい! お肉も入ってるよ!』


 全員が腰を落ち着けるなり、我先にと齧り付くのは幼竜である。

 変化はそれなりに魔力も消費するものだし、今日は慣れない形を取っていたから余計に空腹なのだろう。

 モクモクと咀嚼しつつも、満面の笑みである。


「羊の肉かなぁ……香辛料も結構まぶしてあるし、腹持ちしそうだよねぇ」

「ライ麦と小麦の割合が絶妙ですね……市場に出回っているパンよりも少し硬めでしょうか。風味も良いし、挟む具材もそれなりに吟味されているのでしょう」

「美味いな! チーズもいい具合に溶けてて、俺好みだ」


 円を描くようにして、岩の上で銘々に頬張るのはライ麦パンのサンドウィッチだ。

 付け合わせに姫リンゴもついて、なかなかどうして美味しい。

 海軍では主に魚が主菜であったところ、陸に上がれば四足獣の肉に様変わりする。

 その辺の違いも面白いなぁ、とイーリアは内心で呟く。


 川縁を吹く風につられるように、ふわふわと穏やかな時間が流れていく。

 ふと視線を東に向ければ、所々を苔に覆われた石造りの橋が見えた。

 多分あれが、シェーナ橋だろう。


「橋を渡ったら、平原まで行くんだったね」

「ソル平原は、初夏に向かうとなかなか美しいですよ。花々もそうですが、夜には光虫が飛び交う様から『光の平原』とも呼ばれています」

「あー。そういや中々見応えがあったなぁ」

「オルクも見たことがあるんだね」

「あぁ、確か一昨年の夏に、護衛を頼まれて通った時にな。師匠にも見て欲しいが……残念ながら季節違いだな」


 眦を下げ、いかにも残念そうに溜息をつくオルク。

 一方、イーリアは二人が揃って語る平原の様子を想像してみるだけでも十分に楽しく思った。

 まぁ、実際に見られるに越したことはないけれど。今は秋の終わり。流石に無理があるだろうと思う。


「数年に一度は野原が星空みたいになるんだよな。貴族連中がお忍びで馬を走らせることも結構あるらしいぜ」

「地上の星空かぁ……ふふ。奇麗だろうねぇ」

「穏やかな時が巡れば、いずれまた目にする機会もあるでしょう」


 その時は、是非ご一緒に。

 ささやかに加えられた約束事に、イーリアはほんの少し瞠ってから、微笑む。


「うん、それも良いね」


 サワサワと葦が擦れる音を背に、残りの軽食をお腹に収め切った頃。

 まるで見計らっていたように姿を見せたトープ青年が、休息の終わりを告げた。


次回予告。

『嵐来る』です。


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