*青年執事*
*
それから数えること五日後に『彼』は復興も半ばの王宮で正式な叙勲を受けることとなった。
未だに喪に服したままの謁見の間は、真白と漆黒、深緑の三色に彩られてしめやかな静寂に包まれている。
階の下に膝を付き、階上の王へ忠誠を誓った真白の少女。
その直ぐ傍らには、白銀の少年。
初めてその姿を間近に見る貴族たちが、好奇心と少なからぬ嫉妬、羨望の入り混じる眼差しを手向ける先で――
うっすらと、有るか無しかの微笑みを浮かべるばかりの『彼』。
その日、階の上から王は『彼』に褒賞を与えた。
静かな声で告げられた、その名は。
「イーリア・リヴィエール。君にこの名を贈ろう。受け取ってくれるかい?」
「謹んで、頂きます」
『彼』は静かに首を垂れた。
真白の髪がさらりとその表情を覆い隠し、けれども口許には確かな微笑。
養父の姓を正式に受け継ぎ、こうして『彼』は名もなき道行きに終止符を打つ。
面倒事も一つ片付き、どちらかと言えば晴れやかな心持である。
「約束を果たして頂き、感謝しております。我が王よ」
伏せられた淡い双眸に、当人同士でしか分からぬ程度の悪戯心を込めて。
「我が王」と名指しされた階上の王はそれに気付き、小さく苦笑してみせた。
傍らに立つシークリムとウルナ、その両名もまた口許にうっすらと笑みを刷いて彼女を眺めている。
「では、イーリア。そなたへ問おう。名を贈る以外に望む褒賞はあるか?」
「……そうですね。これより先、この忠義を捧げるべき王は貴方一人。その我儘さえ認めて頂ければ、それ以外に望むものはありません」
「そなたの望み、聞き届けた。今代の王としてその我儘を許そう。この場に集う全員が証人となる。これより先、私以外にそなたが首を垂れることはない」
「有難き幸せ」
面倒事は極力避けて通りたい。
後々、王家に縛られるのも御免だ。
そんな内心の声が滲み出る様な、純白の笑顔であった。
*
「ふん、してやったりという顔だな」
「んー、言質を前もって取っておくに越したことはないからね。じーさまにも生前何度も言い聞かされてきたことを実践したまでだよ」
「あの方らしい考えだ」
傍らをずんずん歩くのは直属の上司を称するロア大佐である。
漆黒の軍服を靡かせ、今日も今日とて皮肉げな笑みを隠さない。
左側を歩く大佐の反対側には、ぴょんぴょんと跳ねるように歩くもう一人。
『言質って?』
「うーん、まぁ何というかな。言葉で約束を取り付けておく、って感じかな」
『約束? ……守らなきゃいけないこと!』
「うん、そう言うこと」
白銀の少年――名目上は『傍仕え』と称し付き添わせているのは、もちろん氷竜の子供である。
いい加減に名前を考えてやらないと、こちらもこちらで不便な気がしてくる今日この頃。
さて、誰に名づけ親を頼んだものか……。
「折角だから、これの名付けも一緒にお願いすれば良かったな……」
「ほぅ、あれの名づけがそんなに気に入ったのか?」
「まぁ、無難かなと思ってね。王様からもらった名前と言えば、誰も揶揄ったり出来ないだろうし」
「……おい、それを理由にジークに名付けを頼んだのか?」
「ううん。自分の名づけを依頼したのは、ただ区切りにしたいと思ったからだよ。あの王様にこれから先を掛けようと決めた、自分なりの意思表明みたいなものかな」
少女――イーリアは珍しく真面目に返答する。
虚の心が音を立てたのは、じーさまを除けばあの王様ただ一人。
だからこそ、我儘を言ってみようという気にもなった。
理由はひどく簡単。
四方から魔獣に噛み裂かれようとする寸前であっても、彼は王としての眼差しを失わなかった。
生半の人間に出来ることではない。
死を前にして、一人の人間としての恐怖に押し負ける王の方が多いだろう。誰もそれを責めることは出来ない。
その点で言えば、ジークリンドは稀有な人物だ。
それ故に『彼』は王としてのジークリンドを選んだのである。
「ふん、妬けるな」
「あはは。でも、本心だよ。王である彼の命は、まさに魔物や魔獣の垂涎の的。この先、ある程度近い場所にいられれば、俺としても命を守りやすくて助かる」
「宮廷魔術師となれば、四六時中張り付くことも可能だが?」
「……うーん。でも窮屈だろうし、それは遠慮したいかな」
「忠誠を誓おうとも、そこは変わらないのか。……まったく、面白い奴だな」
何を面白がられているのか分からず、微妙な表情で首を傾げてみせるイーリア。
そんな彼女を、どこか眩し気に見るロア。
そして気付けば、陽光宮と星焔宮を繋ぐ回廊の端まで来て、互いにその足を止めていた。
「数日中には、王からの勅令が届くことになるだろう。おそらく行先は水都となる筈だ。辛うじて『純白』エレンシア・フォン・フィカロと『紺碧』サウロ・ヴィーラの二人の尽力によって形を留めこそしたが、副都に比べてその被害は尋常のものではないと伝え聞いている」
「その二人は今も水都にいるのかな?」
「『純白』は戦闘の最中に深手を負わされたらしいな。現在、水都の医療宮で療養している。『紺碧』については一応、王都へ報告を上げに戻ると言ってはいるが……まだ姿を見せていないな。まぁ、いつものことだ」
「いつものことなの?」
「あぁ、一応教えておくが『八翼』全員が現王に忠誠を誓っている訳ではない。『紺碧』と『純黒』の二人は先代の王に仕えていた古参だ。故に、ジークの命にいつ何時も従うという訳でもない。一応の戦力くらいに考えた方が無難だろうな」
「……何だか色々面倒臭そうだね。正直、あんまり関わりたくないかなぁ」
いつ抜け落ちるか分からないような羽を使い、羽ばたかないとならない鳥は憐れである。
しかし羽ばたかなければ、待つのは死のみ。
成程どうして、国の天辺は嫌な立ち位置なのだなと改めてイーリアは思う。
そして王であるジークリンドに同情もする。
「残念ながら、関わらざるを得まいよ。特に『紺碧』については王都へ戻り次第、お前の案内役として付き添わせる予定だからな」
「初耳だけど?」
「決まったのが昨夕だからな。ちなみに俺は副都へ様子見にやらされる予定だ。寂しいか?」
「いや、それは別に……」
素で答えたら、いい笑顔で頭をグリグリされた。
地味に痛い。唸る氷竜が噛みつこうとして、するりと交わされていた。
どうやらまだまだ経験値が足らないらしい。
「ちなみに『紺碧』は精霊使いだ。その見た目に騙されて油断すると、痛い目に合うぞ。精々気を抜かないようにしろ」
「ご忠告どうも。……なるほど、精霊使いかぁ」
「今までに精霊使いに会ったことはあるか?」
「んー、うん。そうだね、一人だけいたかな。じーさまの知り合いで物凄い人見知りのお爺さんがいてね。自分で話せないからって、通訳代わりに精霊を使っていたっけなぁ……」
「ほぅ、なかなか興味深い話だ。今度詳しく聞かせろ」
去り際に傍若無人を体現するような捨て台詞を残し、大佐はひらりと紅の扉の向こうへ消えた。
これから軍議らしい。
その背を見送り、ようやく一息である。
「……さて、少し昼寝でもするかな」
「ご案内いたします、イーリア様」
背後から響くのは、静かな声。
振り返った先に、いつの間にやら赤毛の青年が控えている。
一応、国の救い手として招かれている以上は『国賓』に近い待遇が約束されるらしい。それに伴い、食事やら泊まる部屋やらはすべて双宮の中。
これは正直、便利で悪くない。
でも次いでとばかりに、執事まで付いてきた現状には苦笑するしかなかった。
「うん、じゃあお願いしようかな」
「こちらへどうぞ」
柔らかな物腰といい、前を歩いていくその背筋の美しさといい、まるで無駄がない。
隙が無いという意味では、ロア大佐やウルディス青年にも通じることのある彼の名前は、セイロン・ディナン。
初対面で顔を合わせるなり、恭しく一礼した彼。
彼の一言目はこうである。
「如何様にもご命令ください」
男性にしては長い髪だなぁ、というのが第一印象であった。
丁寧な物腰は好感の持てるものだったが、如何せん、野育ちに近い環境に長らく慣れ親しんだこの身である。
何となく気が引けた。
「命令……いや、今は特に無いかなぁ」
「貴女のお蔭で、命を拾いました。何でも構いません、ご用命を」
「……命を拾った? あぁ、じゃあもしかして魔獣襲撃の日に謁見の間にいたの?」
イーリアの問い掛けに対し、彼は深々と首を垂れ「その通りでございます」と一言。
そう言えば、傷直しを無造作に掛けて回った中に、赤毛の青年もいたようないなかったような……。
結局のところ、うろ覚えであった。
とは言え、当人がそういうのならばそう言うことなのだろう。「そっか」と頷いたきり、掘り下げることもない。
とりあえず気持ちを切り替えることにする。
「……じゃあ、何か飲むものを貰える?」
「畏まりました」
深く一礼するなり、颯爽と姿を消したセイロン。
戻って来た彼が両手に掲げる盆の上に、一体何人分だと疑問を覚えずにいられない種類の飲み物を用意してきた時には、軽く眩暈を覚えた。
数えてみれば、グラスは十七個。
張り切り過ぎである。
そして、その表情はまるで人形のように微動だにしていない。
どうやらあまり、表情が顔面に出ない青年であるらしかった。
「どれでも好きな物をお選びください」
「……うん。随分たくさん持ってきたね」
「まだ味の好みなど、把握できておりませんので。お手間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「いや、それは別に構わないんだけど……」
じっとこちらを窺う眼差しは、一見すると凪いで見える。
けれども奥底に、何やら必死というか、懸命というか、そう言った色彩が見え隠れしているようだった。
うーむ、やりづらい。
しかし無碍にも出来まい。
基本的には、白には白を。黒には黒を、といったスタンスのイーリアである。
ひとまず相手が誠意で対応してくる以上、こちらもまた誠意を見せるべきだろうという結論に落ち着いた。
「ところで、そちらの小さなお連れ様は……」
「んー、まぁ隠してもあれだから言ってしまうけど、この子は人間じゃなくて、竜種」
「竜種、ですか」
「うん。氷竜の子供でね。訳あって懐いてね、王都まで付いて来たんだよ」
「……なるほど。承知しました」
凄いな。承知したのか。
淡々とその存在を認め、小さな氷竜を相手に腰を折り、丁寧にあいさつを始めた彼を眺め、何となくイーリアは察した。
どうやらこの青年、順応性が馬鹿高いぞと。
その考察は、まさに的を射ていたのである。
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