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*運命*

 *



 王都が中央、嘗ての後宮としても知られる月光宮(ティータ・レス)に寄り添うようにして圧倒的な造形の美しさを誇る『陽光宮(ルラマス)』。

 月光宮から陽光宮へと繋がるたった一本の回廊を、疾走する幾つもの足音があった。

 足音の中心には多数の魔術師を伴い、焦燥の面持ちを隠さない一人の美女。

 彼女は目前に迫った両手扉を勢いよく開き、近衛の制止すら振り切って室内へと踏み込んでいく。

 そして靴音も高らかに部屋の中央に仁王立ちし、目的の人物を前にするなり言い放った。


「兄王様、これは一体どういうことです?!」

「……やぁ、レイチェル。どうやらご機嫌斜めらしいね?」

「ふふ。お分かりになりまして? それは宜しゅうございました。では、もう一度伺いますわよ?!」

「いや、いいよ。君が何を聞きたいかは大体予想が付いてるからね。その上で兄として言う言葉は……そうだなぁ。これから先、私が傍にいなくとも強く生き抜け、我が妹よ。と言った感じになるのかな?」

「兄王様?!」


 キリリとまゆを吊り上げ、更に詰め寄ろうとした妹姫――レイチェル・イリス・ミルフルールは、両側に控えていた近衛筆頭騎士、シークリムとウルナの両名に阻まれ、より一層の渋面となる。


「……そこを通して頂けるかしら、シー?」

「いいえ、姫様。それは王の命がある限りは出来ない相談なんですよ」

「っ、では貴方も同じねウル?」

「悪いな、姫。そう言うことだ」


 王都における騎士たちの事実上のトップ、双頭とも呼ばれる双子を前にしてレイチェルは地団太を踏むしかない。

 まだ成人を迎えてはいないとはいえ、その振る舞いは王族としては落第点である。

 国王の背後に控えていた教育係兼副宰相にあたるメイデ―は密かに頭を抱え「生きて再会することがあれば、間違いなく再教育ですね」とぼそりと呟いた。

 その呟きを耳にして、国王――ジークリンド・セス・ミルフルール=ティータレアは微かに笑う。

 こんなささやかで当たり前であった遣り取りですら、明日には拝めなくなるということを既に承知していたが故に。

 この国の王として、最後まで紅き王座に座り続け、残る民と命運を共にする。

 それが自らに残された運命であると知って後は、自らの生存を諦め、唯一の血筋として残すべきは妹であるレイチェルであると決断したのだ。

 それが他ならぬ妹自身の怒りを招くことは、初めから想像がついていた。


「さきほど『八翼』の一人、『黄雷』ベレヌス・ソーンがやって来て私は東の皇国へ一人、亡命するのだと聞かされましたの。うふふ、可笑しいでしょう? 兄王様なら兎も角として、継承位三位でしかない私が、この命を保護され、亡命を言いつかるなんてことがあってたまるものですか。だから私、ベレヌスの股間を蹴り上げてやりましたのよ?」

「……マジか」

「……ベレヌス様、可哀そうに」

「我が妹ながら、酷い話だね」


 ちょっぴり誇らしげな面持ちで、ここへ至る経緯を話した妹姫へ対し、対面する双頭が銘々にべレナスの不憫さに同情を寄せ、最後に兄王が苦笑を隠すこともなく感想を述べた。


「ひとまず、べレナスには後で私から謝罪しておくよ。レイチェル、お前もよく反省するように」

「私、間違ったことをしたとは思いませんわ。出来ることなら兄王様、あなたの股間も蹴り上げて差し上げたいくらいですもの」

「……いや、それは真面目に止めてもらいたいかな。最期の日くらい心穏やかに過ごさせてほしい」

「縁起でもないことを言わないで頂けます?!」


 とうとう涙目になったレイチェルに向けて、兄王ジークリンドは静かで、優しい眼差しを向ける。

 恐らくこれが妹へ向ける最後の言葉になるだろうと思えば、伝えたいことは無数にあった。

 しかし残された時間は極僅かだ。

 自分にも、妹にも。そしてこの国そのものにも。


「レイチェル、君は私の希望だよ。たとえこの国が魔物に蹂躙され、跡形もなく灰燼に帰そうとも、君が生き永らえる限り、王家の血筋は途絶えることはない」

「それならば、兄王様こそが亡命を……!」

「それは出来ない相談だね。この国の現王が民を見捨て、臣下を捨て、国に背を向けることなど万が一にもあり得ないのだから。裏切りの王として名を残すことだけは、避けねばならない」

「汚名などどうでも良いですわ!! 命こそ何よりも大事なのではなくて?! 何よりも、愛する家族を死地へ残し、私だけに重荷を託すなど……どれほど残酷なことを仰っているか、自覚していらっしゃる?!」


 伝い落ちる涙は、レイチェルの心そのものだ。

 親しい者の全てを国へ残し、自分だけが生き延びるなど地獄も同然である。


「……本当は私一人だけで十分なんだけどね。赦して、レイチェル。君の望みだけは絶対に聞いてあげられない」

「赦すわけがないでしょう?!」

「あぁ、それも道理だ。だから私のことを恨めばいい。恨みを力に変え、東の皇国でその命を繋げておくれ」


 言い終りと共に、国王の視線が彼女の後方へと向けられた。

 静かに首を垂れ、無言の頼みを引き受けた『黄雷』べレナスは目にも留まらぬ絶技で、妹姫――レイチェルの意識を奪う。

 力なく頽れた彼女を抱え上げたべレナスは居並ぶ面々へ無言で叩頭し、次の瞬間には姿を消していた。

 見届けた王から、安堵の溜息が一つ零れる。


「べレナス、気の毒になぁ……目が覚めたら姫に股間を蹴り上げられるだけじゃ済まねぇぜ、多分」

「うん、あり得るね。彼には一際辛い役目を背負わせることになる。でも、彼以上の適任もいないこの状況においては……仕方がなかったと思って諦めてもらうしかないかな。王都からの連絡術式一切が絶たれた今、レイチェルを安全に送り届ける方法はどうしても限られてくる」

「我々への怒りを力に変えて、力強く生き抜いてほしいものです」

「時間はかかるかもしれないが、私の妹だからね。強かに生き抜くものと信じているよ」


 さらりと王衣を翻し、王座から立ち上がった若き王――ジークリンドは居並ぶものを見渡し、一人一人から向けられる眼差しに応えた。

 最後に見据えた先で、この国の王宮魔術師長ユール・ドールが首を垂れ、一息に告げる。


「命じられた措置を、これより敢行致します」

「あぁ、頼んだよ。シークリム、ウルナ、お前たちには最後まで私の傍らに立つことを許そう。だが、それ以外の者には王都の防衛を主体に動いてもらう。これは王命だ」


 王の命を受け、一斉に首を垂れた臣下たち。

 これから先に待ち受けるのは、紛うこと無き死闘であり、己が魔力が尽きるその時まで一人一人が死力を振り絞って魔獣たちと対峙し続けることこそ、彼らの総意であった。

 王に仕えるが故の、矜持だけではない。

 愛する者、大切なものを守り抜きたいという人としての意志。

 それが根幹にあればこそ、不死性を宿した魔獣たちと戦い続けることの意味を誰もが知っていながら、それでも抗い続けるのだ。

 すべては己の命よりも大事なものを見定めているが故に。


「これより王宮の最終防壁を解呪し、王都総力戦へと移行する」


 国王のみに代々継承される古き刃――神器ヴァルプルギスを掲げ、ジークリンドは指先の震えを意志の力で抑え込み、可視化された魔術式の前に立つ。

 薄らと光り輝くその精緻な魔術式は、王となった彼の為に『彼の人』が残してくれたものだった。

『彼の人』が王都を去り、彼の手元に残されたのはこの守護術式一つ。

 刹那、瞑目した。

 王として為すべきことをしなければならないと分かっている一方、どうしてもこれだけは失いたくなかったという強い意思。

 それが、彼の手を震わせる。

 けれども、ジークリンドは王である。個としての感傷は、彼一人の犠牲だけでは済まない結果をもたらす。

 選択肢など、端から存在しえなかった。


「……赦せ、じい」


 微かな、独白。

 そして守りの要へと、真っ直ぐに神器の軌跡が振り下ろされる、その寸前。


 陽が翳った。

 まるでそれを待ち望んでいたかの如く、陽光宮へ降り注ぐ幾多の飛影。

 一際大きな翼獣(フライ・エダ)が、王の間の天蓋を突き破り、真紅の牙を剥き出しにして王を一飲みにしようと迫った。

 知覚するよりも先に、神器に宿された守護の印が発動する。


 ゴォン、と青銅の鐘が打ち鳴らされたかのような相克の音。


 辛うじて一撃を防ぎ切ったものの、牙に弾かれた神器は翼獣の背後へと弧を描いて飛び、そのままの勢いで床へと突き刺さった。

 耳障りな魔獣の咆哮。

 硬質化した皮膚に弾かれる、無数の刃。

 瞬く間に、周囲は戦場と化した。


 ――無様なものだ。叶うならばせめて一太刀、入れたかったものだが。


 王の前に飛び出し、その身を庇おうとしたシークリム、ウルナの両名は卓抜した剣技でその巨体を切り裂くが、やはり不死性は変わらないようだった。

 首を落とされて尚も、再生し、巨大な両翼を予期できぬ方向から羽ばたかせ、両名を打ち据えていく。

 そのダメージは、無視できないものだっただろう。それでも立ち塞がろうとしたシークリムは真横から迫ったもう一頭によって吹き飛ばされ、ウルナは剣ごと噛み裂かれ、すぐには立ち上がれぬほどの傷を負う。

 王の間に、立ち込める血臭といくつもの死の気配。

 もはや死兵の一歩手前と化した彼らに、それ以上戦うことを命じるなどジークリンドには到底出来なかった。


「魔の獣、間違えるな。お前の相手はこの私だ」


 神器は飛ばされ、もはや手元にはない。

 故に、腰から引き抜いた刃は何一つ加護を持たない、儀礼用の長剣一振りのみだった。

 傷を付けることすら儘ならないであろう。

 それを承知で引き抜き、王座を背にして立つ。

 破られた天蓋から吹き込んだ一陣の風に金茶の髪が靡き、その間からは蒼穹の色の双眸が覗いた。

 死を前に、無様に背を向けるくらいならば真正面から相対してみせる。例え、それが逃れられぬ死を与える存在と分かっても。

 双眸に込められた意思は、一瞬すら揺らぐことはない。

 最期まで王として生き抜くことを誓ったもののそれだった。


「っ、ジークリンド様!!」


 駆け寄ろうとしたシークリムの視界に広がる絶望的な光景。

 伸ばした指先すら届かず、その先で守るべき王は身を守るものを何一つ持っていない。

 丸裸も同然だった。


「やめろ――――!!」


 守るべきものの、死。

 それは何にもまして、シークリムにとっての恐怖そのもの。

 けれども、届くことはない。届かぬその先から、目を逸らすことすらできぬまま――四方から迫る翼獣によって、ジークリンドの肢体が原型を留めぬほどに引き裂かれる――寸前。


「やれやれ、ようやく見つけたのに死んでもらっちゃ困るよ」


 ふわり、と頬を掠めた風に奇妙な呟きが混じる。

 シークリムの伸ばした手の先に、こつ然と現れた少女が一人。

『翠緑』に輝く刃を事もなげに一振りし、放たれた金の軌跡は、視界全ての魔獣を薙いだ。

 そして――魔獣は呆気なく消失する。不死性を有する筈の獣たちがその原型を失い、金色の粒子となって霧散したのだ。

 剣を正面に構えたまま、呆然と佇む国王。

 そんな彼を呆然と見つめる、僅かな従者たち。

 彼らは総じて、自らの身に起きた事への理解が全くと言っていいほど追いついてはいなかった。


「初めまして、王様……で合ってるよね?」


 緊迫した場面に全く似合わぬ、飄々とした口調。

 無造作に結い上げられた真白の髪は天蓋から差し込む陽光に輝き、黄金の双眸を瞬かせながら、こてりと首を傾げた少女。

『彼』は深紅の王座の前で、この国の王と初めての邂逅を迎えたのだった。


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