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*八翼たちの悲嘆*

 *



 現状、陸軍には五人の『八翼』を冠する軍人が存在する。

 その内、王都所属が三人。副都に一人。そして水都に一人。

 副都に所属する軍人『緑風』のエレメル・サシェは、突然の王都招集に内心、嫌な予感を拭いきれずに都を発ったのである。

 国家間の戦線勃発の際ですら『八翼』の全員を招集するには至らなかったことを思えば、今回の招集は異例中の異例だ。

 その上『八翼』として数えられはするものの、エレメルは八人の中で一番の若手。

 最古参の『紫炎』や『紺碧』、陸の『純黒』に比べ、その実力が天と地ほどに離れていると自覚もしている。

 だからこそ招集の理由を問おうと、同じく『八翼』の『火炎』アレクシス・ティア・ヴァーベインへ単独術式で連絡を取ろうとしたのだが、何故か向こうからの反応はなかった。

 繋がった感覚はあったのだが、次の瞬間には強制的に打ち切られ、半ば呆然としたのが数日前のことである。それからも何度か連絡を試みたのだが、二回目以降は繋がる感覚すら得られない有様だ。

 嫌が応にも、不安は高まる一方だった。


「エレメル様、やはりアレクシス様からの折り返しの連絡はないのですね?」

「あぁ、今回の招集は何か凄く嫌な予感がするんだよ。正直、このまま王都へ向かうのは避けたかったんだけど……」

「しかし王命となれば、従うのはやむを得ない事かと」

「別に貴族でも何でもない俺からしたら、降格くらい何でもないんだけどさ」

「八翼の一人とは思えぬ返答ですね」

「いや、そもそも俺が八翼を名乗っていること自体、正直どうかと思うくらいだし?」

「……全く、我が主は自己評価が低くて困りますね」


 直参のローデルと共に駿馬を駆り、ひたすらに王都へ向けて駆けること二日ばかり。

 背後には直轄部隊にあたる『風の騎士団』を引き連れて、憂鬱な面持ちを隠し切れないエレメルは結果として副都の『八翼』たちよりも早い段階で王都を見下ろす高台へと到着したのだが……。

 そこで彼らが眼下にした王都は、誰もがその目を疑うほどに悲惨な状況に晒されていたのである。


「……っ、何だよこれ……」

「こんなことが……一体何故?!」


 エーデル台地の珠玉とも称される王都、バルディス。

 その麗しさをして、至高と讃えられた美しい都はその各所から炎を上げ、黒煙に煙っていた。

 その上、風に乗って高地まで届く鮮血と、悲鳴。

 禍々しい造形の魔獣たちが、白亜を穢し、人々を襲い、至るところで喰らっていた。


「あり得ない……っ、一体王都の『八翼』は何をしているんだ?!」


 エレメルは暫しの絶句の後、その身を震わせ、血を吐くような叫びをあげる。

 そして傍らのローデルの制止の声すら届かぬまま、全身に『烈風』の呪印を纏い、高地を飛び立った。


 ――守るべき民。その彼らが目の前で貪り食われている状況を、赦しておくなど!


 裂帛の気鋭と共に、血に煙る王都へと単身で飛び込んだ『緑風』エレメル。

 普段垣間見える気弱さなど、そこには一切見られない。

 憎悪と冷酷さを綯い交ぜにした表情で、周囲に散らばる魔獣たちへ風の刃を飛ばし、その身体を次々に切り刻む――その様子はさながら、憤怒に燃えた風神のようであり。

 風の刃を全身に受け、血潮を上げて魔獣たちは次々と倒れ伏していく。

 半身を食らわれ、それでも辛うじて生きていた子供に駆け寄り、僅かでも安らかな死をと『痛覚遮断』の術式を展開しようと両手を掲げたところで、エレメルは背後から駆け寄る部下の声を聞いた。


「エレメル様っ!」


 その声が示す意味は、警告。

 咄嗟に身を翻していなければ、エレメルの命は終わっていた事だろう。


「……馬鹿な、どうして……」


 辛うじて魔獣の爪を回避し、再び放った風刃は目の前に迫っていた魔獣を原型を留めぬほど破壊した。

 ――けれども、散らばった魔獣はやがて奇妙な震えと共に、寄り集まり、再生していく。

 そう、再生したのだ。

 それはさながら不死身の如く。


「何の冗談だよ、これは……?!」

「エレメル様、一旦退避を! この魔獣たちは、我らが今までに相手をしてきた魔獣たちとは明らかに違います! このまま戦っては命に関わるのは必至、我らが血路を開きます故、その間にっ……!」

「馬鹿を言うな! 民を見捨て、魔獣を背に逃げ帰れとでも言うつもりか?!」

「ですが、このまま戦ったところで我らもまた民と同じく死を待つのみでしょう!?」


 彼らがそうして言い合う内も、周囲に更なる悲鳴と血臭が満ちていく。

 絶え間なく風の刃を飛ばし、視界に存在するすべての魔獣を切り刻んでも、それは数秒時間を稼ぐ程度の効果しか齎さない。

 エレメルは唇の端から血が溢れるほど、己が口を噛み締め、自らの力量不足を呪った。


「っ、退避だ!! なるべく女子供を保護しながら、この場を撤退する!!」


 例え数秒でも、己の魔力が切れる寸前まで、民を守るべく行動する。

『八翼』の中で最も若く、優れた直観と清廉さで知られる『緑風』は王都の一角を辛うじて逃げ延びる過程で、少なくない数の犠牲を払うこととなる。

 自らが手塩をかけ育ててきた『風の騎士団』のうち、半数近くが民を守るべくその命を散らした。



 *



『八翼』が一翼、『火炎』アレクシス・ティア・ヴァーベインは眼下に燃え盛る炎を、悔恨の眼差しで見続けていた。

 そしてこの状況に至るまでの王都における数々の予兆を見落とし、結果として招いたこの悲劇。

 それから目を逸らすことはけして許されないことを、誰よりも自覚し、悔いていた。


「アレクシス、申し訳ありません……一翼として、この身を役立てられぬ不忠、恨めしく思います」

「今は体を休めよ、グゥエン。そなたの初期の対応が、少なくない数の民を近隣へと逃したのだ。そなたが不忠であるというならば、この俺はどうなるのだ」

「……っ、しかし王都が堕ちれば遠からず近隣の都市も同じ運命を辿るのは必至。それを思えば、私は……」

「その先を言ってくれるな、グゥエン」

「……」


 引き攣れたような嗚咽は、両腕を食いちぎられたことによる戦線離脱の現状を『八翼』として恥じる心から来るのだろう。

『聖土』グゥエン・ミルスト―はその比類なき守護と、強固な土属性の加護をして、鉄壁と讃えられた王国の守護の要だ。

 そんな彼が倒れ伏した今、王都全体に張り巡らされた守護の結界は、崩壊の一途を辿っている。

 市街地から順に、やがては王宮に巡らせた最高硬度の結界すら、魔獣の猛追の前に無力化されるのは時間の問題でしかなかった。


「……『純黒』は副都に?」

「あぁ、あれは『八翼』でも『紫炎』と『紺碧』に並ぶ実力を誇る。王都に残しておきたかったが……副都もまた、堕とされれば他国の干渉を受けるのは免れぬからと王からの勅命があった」

「御身を危険に晒してまで……しかし、王都がこの状況では」

「あぁ、当初考えていた見通しは今となっては通用せぬな。だが、『純黒』にこの状況を報せようにも、手段はもはや途絶えた」


 ふぅ、と溜息一つ零して振り返った『火炎』アレクシスは、双眸から溢れ出そうなほどの殺気と憎悪を抑え込み、淡々とした口調で最悪を告げる。


「術式妨害を受けている。故に、現状この王都から周囲に対する術式経由の連絡網全てを遮断された状態だ」

「……そんな、馬鹿なこと。結界を破壊するほどの力を持つ魔獣とは言え、術式への関与など……」

「あぁ、故に俺は思うのだ。あの異常な不死性や、今回の術式関与。それらを鑑みれば、もはや答えは明らかではないか?」

「……それこそ、ありえません」

「ふっ、あり得ないなどということがこの世にあると思うのか? グゥエンよ」


 問い掛けに対し、茫然とした面持ちながらも『聖土』グゥエンは示されている答えに思い至っている。

 だが、それ故にその双眸に宿る感情は絶望、畏怖といった色を増していくのだ。


「おそらく、魔獣の背後に高位の魔物が暗躍している。砦の守護者が境界の制約を違えたか、あるいはすでに彼らもまた魔物に殺されたのか……」

「……どちらであろうと、我らにとって最悪であるのは変わりないではありませんか」

「はは、違いないな」


 力なく笑声を響かせ、燃え盛る眼下へと再び視線を落としたアレクシス。

 双眸に宿した魔力で、視界に映る全ての魔獣を焼き尽くしながらも、灰となったそれが再び原型を取り戻し、襲い来る様を、少なくない絶望と共に俯瞰する。

 彼の両目からは、酷使した影響であろう血涙が頬を濡らし、伝い落ちたそれはひたひたと己が足元を血に染めていた。

 それはまるで眼下の王都に流された犠牲を示すかの如く――。


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