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*急転直下*

 *



「いいね、オルク。これが最後のチャンスだよ」

「……あぁ、頼む」


 潮風が穏やかに海面を吹き渡り、海鳥たちが交わす声が遠く聞こえている。

 海上の長い夜が明け、朝陽が差し込み始めた甲板の上で六回目の召喚が行われようとしていた。

 少女が掲げた刃が『灰』に染まると同時に、飛び出すのは巨躯の狼である。

 紅い目に憎悪を滾らせ、目の前の標的へ狙い定めると共に、疾風の如く襲い掛かっていく。


 ――オルクは、ひたりと両手剣を眼前に構え、狼が飛び掛かると同時に大きく弧を描くようにして、銀の軌跡を描いた。

 瞬間的に身体を捻り、致命傷を避けると同時に狼の肩を浅く切り裂く。

 怒りの咆哮を上げた狼に怯む様子もなく、体勢を低く取り、刃を盾代わりにしながら猛追する。

 灰色狼の鋭い爪が、オルクの両腕を掠め、甲板を抉る。すかさず足場を変え、振り下ろされた狼の腕をオルクの両手剣が水平に切り落とした。

 鮮血が甲板を濡らし、憎悪を剥き出しにした狼の巨大な口が剣ごとオルクを飲み込もうと迫った一瞬。

 ガチリ、と噛み合わされた狼の顎は空を掻いていた。

 血走った目が、見失った標的を定める前に、刃が振り下ろされる音が波間を裂く。

 ザン、と骨まで砕く勢いで振り下ろされたオルクの両手剣が、勝敗を決した。


「――はい、そこまで」


 朝陽に照らされた刃の下で、真白の少女は微笑み、小さな拍手を送った。


「初めに比べたら、大分無駄な動作が減ってきたね。最後の『知覚阻害』も短時間とは言え、上手く使いこなせていたと思うよ。まぁ、この分なら死なずに済むかも……多分」

「はは、嬢ちゃんは正直だな」

「うん、嘘を付くのって面倒臭いから。基本、本当のことしか言わないよ」

「そうかい。それを聞いて、安心したぜ……」

「ひとまず訓練はここまでだね。これ以上やってる時間は残念ながら無いみたいだし、あとは王都での実戦だ。もう一度繰り返すけど、今回教えたのはあくまでも自衛の手段に過ぎないからね?」

「……あぁ、了解だ。師匠……」


 徐々に声は小さくなり、途切れる。

 気絶同然に、オルクは甲板の上で寝息を立て始めた。

 夜間は強制的に休息をとらせたものの、それ以外はぶっ続けで魔獣と切り合っていたのだ。

 まぁ、こうなるのも無理はない。正直、よく頑張った方だと思う。それも全て、並外れた精神力のお蔭と言えるだろう。

 これから先、もし生き残れればの話にはなるものの、伸びしろが楽しみな剣士だ。

『彼』はそう思って、自然と口許を綻ばせていた。


「さて、と。ひとまず船室まで運んでおこうかな……」


 青い蒼穹を仰いで深呼吸を一つ。

 よいこらせ、と気楽な調子でオルクの脇腹に手を差し込んだ後は、一気にその巨体を抱え上げる。

 背負ったその重みすら『彼』を渋面にするには至らない。

 まるで仕留めた獲物を抱えた猟師の如く、意気揚々と船室へ向かって歩き始め――そして途中で遭遇した変態に、さり気無く回し蹴りを食らわせつつ――何事もなかったように甲板を後にしたのだった。



「やぁ。おはよう、ウルディス。よく眠れた?」

「……おはようございます。まさか、それを抱えたままこちらまで?」


 自分と幼竜が寝泊まりしている船室の、斜め向かいのドア。

 両手が塞がっていた為、ひとまず頭で頭突きをする要領で、ノック代わりに合図を送ってみた。

 暫くおいて、ドアを開けて現れたウルディス青年は洗顔の途中だったらしい。

 水気も滴る色男、といった風情であった。

 僅かに目を瞠った後、苦笑混じりに『それ』と指差したのは勿論、少女が抱え上げて運んできたオルクだ。

「普通は逆だよなぁ……」とぼそりと呟いている辺り、ウルディス青年も徐々に素が垣間見え始めている。

 こうして少なくない日数を共に過ごしている内に、少しずつでも打ち解けられているような気がするのは恐らく気のせいではないと思うのだ。

『彼』は実際のところ、その変化が嬉しい。

 極度の面倒臭がりを自覚する一方で、気の置けない関係性というものに密かな憧れを持っていたからだ。


「オルクの寝ている寝台は、どっち?」

「お手を煩わせてしまい、申し訳ありません。こちらです」


 船室内へ招き入れられるまま、歩を進めた『彼』はふぅん、と興味深げに彼らに与えられた船室を見渡した。

 全体的な間取りはほぼ同一と言ってよさそうだが、船窓の大きさはこちらの方が幾分大きい。

 何ともなしに窓の外を一瞥し、ふと『彼』は足を止めていた。


「……海鳥が結構飛んでるね」

「言われてみればそうですね……。水面近くに魚の群れでも集まっているのでしょうか」

「いや、あの様子はどっちかというと……うーん」

「どうされました?」


 不自然に言葉を途切れさせた少女は暫くの沈黙の後、徐にオルクを片方の寝台へと転がした。

 それも極めて無造作に。

 それでも起きないオルクを横目に、呆れたような感心したような溜息を零していたウルディス青年。だからだろうか、ぼつりと少女が呟いた言葉の意味を一瞬理解することが出来なかった。


「飛ばないと、間に合わないかも」

「……え?」


 実際のところ、少女が迷ったのは精々数秒といったところだったろう。

 呟き終わると同時に、俯かせていた顔を上げる。

 ウルディス青年へと向けられた双眸は、蒼穹の如き青の色彩を湛えていた。


「ここまでの案内、感謝するよ。また生きて会えたら、笑顔で迎えてくれるかな?」

「……まさか、ここから王都まで飛んでいくつもりで?!」

「うん、そのつもり。そんなに驚くことでもないと思うけど?」

「いえ、普通は驚くんですよ……」


 心から案じてくれていることが分かるからこそ、それ以上の言葉はいらない。

『彼』は最後にオルクの寝顔を一瞥し、足取りも早く船室を後にする。

 背後からウルディスの制止する声が聞こえたような気がしたが、残念ながら省みる余裕は残されていなかった。


 早足から、駆け足に、そして疾走に。

 視界の端に性懲りもなく現れる変態を足蹴にすると同時に、その勢いのまま『飛翔』の呪印を全身に張り付け、甲板を蹴った。


 ふわりと身体が潮風に包まれると同時に、浮力を最大限に調整する。

 狂騒したかの如き海鳥たちの群れを横目に、一気に舞い上がった『彼』は内心で呟いた。


 ――やっぱり、居場所を追われたんだね。


 海鳥たちの進路を見遣れば、王都とは反対側の方角へと一様に羽ばたいていくことが分かる。

 人間よりも遥かに鋭敏な感覚でもって『脅威』を避けるべく退避行動をとっているといったところか。

 それでも、この光景は考え得る限り最悪の事態を想像させるに十分な光景だった。

 過る、既知感。

 紅い月の夜の前日、逃げていたのは森の獣や、畑や納屋に潜んでいた無数の鼠たちだ。


「……ふぅ。止むを得ないよね」


 飛ぶだけじゃ、間に合いそうにない。

 海鳥たちを眼下に『彼』が一つの決断をしたのとほぼ同時。

 漆黒の軍船から、一つの飛影がこちらへ向かって高度を上げてくるのが視界に入ってくる。

 瞬く間に距離を詰めるや否や、ふわりと軍服をなびかせ、真横で制止した小柄な影――ロア大佐だ。


「おい、無断行動あるいは逃走行為はすべからく軍法会議行きだ。釈明があるなら聞くが?」

「そんなこと言ってる場合? このままだと王都、遠からず灰燼に帰すと思うんだけど」

「まて、それは一体どういう意味だ?」

「説明している暇が惜しいよ。悪いけど、言い訳はそっちで考えておいて」


 ふぅ、と呼吸を整えて瞼を閉じる。

 するりと抜き放つのは真白――その色彩が揺らめき、揺蕩い、そして次第に変化する。

『黄金』へと。


「おい待て、まさか……!」

「じゃあ、お先に。出来れば死ぬ気で追ってきてね?」


 刃を左腕に沿わせ、一気に引き切る。

 溢れ出した血を吸い、刃が脈打った。そして輪郭が次第に淡くなり、するすると刀身が伸びていく。

 そして大剣と呼んで差し支えない長さへと生育した時点で、ようやく準備が整ったことを知る。


 ――術式解放。


 じーさまが生前に刃に残した、七つの呪印。

 出来ることなら大切に残しておきたかった。けれども、こうなってしまえば温存しておける余裕もない。

 代償を支払うことなく助けられる命など、たかが知れている。

 そんなものの為に、辺境を出てきたわけではないのだから。


 ――ここまで代償を払って、もう死んでましたとか笑い話にもならないよ。お願いだから生きていてもらいたいな。


 黄金に染まった双眸で、透かした刃に灯る七つの呪印を確認する。

『転移』『封印』『浄化』『治癒』『豊穣』『神鎖』『円環』

 其のうちの一つが音を立てて、砕け散った。


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