*辺境を出る*
「今日も紅いなぁ」
消え入りそうな声で『彼』は言った。
仰いだ先の、真昼の真紅。足元には、灰の大地。横を過ぎるのは、異臭混じりの乾いた風。
まるで影絵のようだとも言われる、東の果ての村にはどれもが似つかわしい。
「でも、ここの紅い空も、これで見納めだと思うとなぁ……」
何だか寂しいもんだよ。
苦笑混じりにそう呟きながら、ポンポンと両脇に立つ柱を叩く。
二つの柱の上方――カラカラと音を立てて揺れるのは、無数のしゃれこうべ。それは三日三晩かけて肉を削ぎ、毛皮を剥いだ百と一の魔物の群れのなれの果てだ。
見る者が見れば、それは背筋の凍り付く様な光景であろう。しかし当の本人はまるで気にもしていないし、元よりあまり頓着しない性格だった。
よく言えば、おおらか。悪く言えば淡白だ。
「ま、でも仕方ない。そろそろ行くとするかな」
足元にはこの世界で誰よりも大切で、掛けがえのない養い親――『じーさま』が埋まっている。
生前に散々埋める位置を指示されていただけはあって、虚のようになった心のままでも気付けばスコップを手に地面を掘りだしていたのだから、記憶というものは残酷というか、まぁ凄い。
そうして掬い上げた身体は、いつの間にかとても細く、軽くなっていた。
血塗れでも、どこか満足げな顔に「呆れるなぁ」と思わず呟いて。
この重みを、この軽さを、けして忘れるまい。
『彼』はただそれだけを誓い、約十年過ごした土地を離れる決心をした。
さらりと灰白の髪を揺らし、振り向いた先。
『じーさま』と暮らした古家は既に跡形もない。
なんやかんや言いつつ一緒に並んで苗を植えた裏の畑も一応確認したが、魔物に踏みつぶされて見る影もなかった。
秋の収穫を今か今かと待ち望んでいた、あの背中をもう見ることはできない。
今はもう記憶の中だけで笑う、あのしわくちゃの顔も同じだ。
「さよなら、じーさま。大好きだよ」
ひらひらと手を振り、一際大きなしゃれこうべを小脇に抱えて。
『彼』は旅立つことにした。
行く先は決まっている。王都だ。
ある一人の若き王が治める、この国で一番栄えている筈の大きな都である。
『彼』はそこへ、守りに行くのだ。
もうこれ以上、喪わない為に。何よりも大切な『じーさま』との約束を果たす為に。
「でもさぁ、じーさま。果たして俺なんかが行って、王様に会えると思う?」
カラカラと、傍らで鳴るしゃれこうべ。
ただそれのみを旅の付き添いにして歩き出す『彼』の問い掛けに、返る答えは当然ある筈もなく。
ただ静かな、それでいて奇妙な旅路のはじまりであったことは言うまでもない。
*
果ての村より歩くこと、三日と半日。
『彼』はようやく隣町へ続く街道を見つけ、ついでに通りがかりの農夫に軽い調子で声を掛けてみた。
しかし何といっても、その異様な出で立ちが悪い。
怯えた農夫はあっという間に荷車を走らせ、『彼』の視界から遠く離れてしまう。
「うわ、早っ。……えーと。察するにこの格好がマズいんだろうけど」
暫くそれを見送っていたが、独り言ちて「よし」と頷く。
『彼』はおもむろに来た道を戻ると、やがて人気のない泉へと辿り着いた。そして頓着することなく来ていた衣服全てを水際へと放り投げ、まずは自分自身がドプンと音を立てて水に浸かる。
じわじわと肌に染みる水の温度は、控えめに言っても冷たい。
季節は秋の始め。辺境の地は、国内でも特に寒い場所だと生前のじーさまは時々思い出したように言っていたけれど――。
『彼』はしみじみと思い返しつつ、さりとて肌寒さに身を震わせるわけでもなく。
ごしごしと、黙々と、全身にこびりついた血やら垢やら汚れやらを擦り取ることに専念した。「三日ぶりだしなぁ」「うーん、背中に手が届かない」等々呟きつつ、格闘すること暫し。
砂埃や魔獣の血やらで悲惨な有様だった灰白色の髪は、やがて元の輝きを取り戻していく。
ザブンザブンと無造作に洗われた肌は血の気が感じられないほどに白く、まるで淡雪のようだ。
不思議な色合いの双眸以外は、ほぼ全てが真白の色彩。
見る見るうちに変貌を遂げていった『彼』は憂鬱そうに、誰が答えてくれるわけでもない呟きを零した。
「じーさま、あんま身綺麗にするなとは言われたけどさ、こうなっちゃ仕方ないよね?」
ざぱり、と水辺から上がった『彼』は一言でいえば美しい。
まさに性差例外なく人目を惹きつけて止まぬ、儚い一人の少女である。
生前のじーさまから、性別は元より生まれ持った端麗さもすべて、秘めて隠すことを口酸っぱく言い聞かされて育った『彼』。
生まれ持った気質から、さして抵抗感もなく受け入れた訳であるが。
拾われてより十年と幾月。いつしか自分の性別も容姿端麗云々も気に掛ける間もないほど、じーさまとの日々に埋没していた。
ただただ幸福で、忙しなく、愛情に満ち溢れた日々に。
「服も出来るだけ奇麗に洗うとして……当面の問題は金、かな」
双眸に掛かる灰白の髪をぞんざいに払いのけ、腰に手を当てて脱ぎ捨てた服をざっと一瞥した『彼』はそう言って苦笑する。
とりあえず換金出来そうな物は、袋に詰めて運んで持ってきた。それ以外には身に纏う衣服と、非常食。
護身用の剣は二振り。手元にはしゃれこうべが一つだけ。
心許ないと言えばその通りの状況に、『彼』は暫く考えを巡らせた末、ポツリと呟いた。
「狩るか」
金が足りないなら、代わりの物を用意するしかない。
しごく単純明快な答えを導き出し、ひとまず体に着いた水滴を獣のように全身をブルブルと振って落とす。
どうしたって王都にいくまでには金が必要だ。それに何より道を知らずに辿り着けるとも思えないし、そこまでのんびり行く訳にいかないことも知っていた。
間に合わなければ、意味がない。
間に合わせる為には、金と人の両方が要る。
青く澄み切った泉の横、木漏れ日を浴びて一息ついた『彼』は服が乾くのを待ち、来た道でも行く道でもない方角へ向かって歩き出した。
その行く先は、知るものぞ知る『死の小路』。
多くの冒険者たちの骸が晒される地としてあまりにも有名であり、その小路の奥には『氷骨の洞』があると囁かれる死地だ。
氷骨の洞は、高位魔獣たちの巣。その最奥には美しくも残酷な竜が棲む。
無論、『彼』はそれを承知で歩いていった。
お読み頂き、ありがとうございます。
ゆるゆる綴ってまいりますので、宜しければ続きをどうぞ。