6話 治療院
「レイ。今日、空いてる?」
数日後の昼過ぎ。宿屋の一室。
硬い床の上に寝転んで魔道図書館で借りた本を読んでいると、コンコンと扉をノックする音の後にイヴが入ってきて、開口一番にそう聞いてきた。
「うん……? 何か用か?」
俺は本を閉じて床に置き、上体を起こして問い返す。
「ん。空いてるかなって」
「空いてるっちゃ空いてるな」
「なら、ちょっとお願いしたいことがある」
そう言って、イヴは両手の指をどこか落ち着きなく擦り合わせる。
その顔はいつも通りの無表情で、眉一つ動いていない。
抑揚のない声もあって、何を考えているのかが非常に分かりづらい。
だけど、行動を共にしているからか、最近では少し分かるようになってきた。
というより、イヴは顔に出ないだけで結構感情豊かだ。
顔に出ないぶん身体の動作に表れるのか、不安な時はいつもより自分の手や腕を触るようになるし、嬉しい時は拳をきゅっと握ったりガッツポーズしたりする。
感情が強い時は顔にも現れるようで、本当に心の底から嬉しければ可愛らしい笑みを浮かべる。愛想笑いとかも一切しないからある意味ではとても分かりやすく付き合いやすい。
一見、取っ付きにくく見えるが、ファッションが好きだったり、たまに恋物語の小説とかを読んでいたりと、その実は女の子らしい一面が多い少女だ。
その俺の分析によるとどうやら……今のイヴは少し緊張しているようだ。
そわそわと身体を動かしていて落ち着きがない。どこか言いにくそうな様子。
「暇だからいいけど……お願いしたいことって何だ?」
今日は休養日。
ここ最近の日雇い労働で最低限の宿屋(ベッドなし風呂なし洗面台なし一泊三千五百リエン)にある程度泊まれるだけの金を稼いだので、馬小屋におさらばして気の向くままにだらけていた所だ。
魔道図書館にいつでも出入り自由になった俺にもはやリヴルヒイロに滞在する理由は微塵もない。宿屋も高いし飯も高い。住民も俺に優しくしてくれない。こんな国二度と来るか。
しかし、承諾してしまった勇者同士の集まりは明後日で、その後に行う依頼とやらが終わらない限りは出国できない。
なので、それまでは寝たり寝たり魔導具いじったり寝たり勉強したりと、暇を潰していた。
だから素直にイヴのお願いを聞いてやらんでもない。勉強から現実逃避したいって言う気持ちもある。すごくある。
イヴはひょいっと目を逸らして。
「……来てくれればわかる」
「いや、いま言えよ」
「大丈夫。えっちな所じゃないから」
そんな心配してねえよ。
「それとも……」
イヴは頬を染めて上目遣いになって。
「レイはわたしと、えっちなこと……したい?」
「よし分かった行くぞ行くから用意しろオラァ!!」
イヴと共に宿屋を出て歩くこと十分弱。
何も知らされないまま、イヴの後ろをついていく形で足を進めていると、【一般区域】にある、冒険者なら誰でも使用可能な演習場の前に到着した。
そこでは冒険者たちが魔法やら剣技やらを修練したり模擬戦をしたりしている。
ここが目的地か? と建物を見上げるも、イヴは演習場に入らず、入り口の脇の方でそわそわと落ち着きなく突っ立っていた人物の方へ向かった。
その人物も近づいてくるイヴの姿を視認し、パアーッと顔を輝かせる。
「待った?」
「待ってないわよ! 時間ちょうどね!」
「準備できてる?」
「もちろん! 完璧に決まってるじゃない。このあたしよ? 準備をおろそかにするはずないわ。それに、と、と、と……友達……の、頼みだからね。任せなさい!」
「ありがと。頼んで良かった」
礼を告げるイヴに、その人物――マーヤは「べ、別にこれくらい普通よ?」となんともないと言いたげに左手を振る。が、右手で髪をせわしなく弄っていて、嬉しそうな顔が押さえられずに口の端がにやついていた。
だが次の瞬間、俺と目が合うと顔が硬直した。よ……よう。
「今日、レイが一緒に手伝ってくれることになった」
一瞬で、嬉しそうな顔から絶望した顔になるマーヤ。
……そういえば、ルーカスとの対抗戦で顔を合わせたものの、こうして面と向かって話すのは始めてだ。なんか気まずくなってきた。
というか、待ち人がいるなら最初に言えよ。知り合いの知り合いと一緒に出かけるとか普通に気まずいって。何話せばいいか分からなくなるって。
とりあえず友好の印として手を差し出してみた。
「よ、よろしく」
「……よろしくう~」
一転して笑顔を浮かべたマーヤと握手。俺の手にギリギリと爪が食い込む。痛ぁい。
「でも、手伝いはいらないんじゃない? そもそも白魔導士じゃないでしょ」
「今日、全部で何人くるか分からないから、人手は多い方がいいかなって。あとレイは《回復魔法》も使えるから大丈夫。わたしよりも使える」
「ふぅーん、へぇー……」
誇らしげに胸を張るイヴ。俺に突き刺さる疑いの視線。
イヴはこくりと首肯して。
「じゃあ、揃ったから行く」
それを合図に、俺たちは移動し始めた……。
演習場を通り過ぎ、街の大通りをしばらく道なりに進むと、やがて景色が移り変わり緑の木々が立ち並ぶ遊歩道へと繋がった。
辺りには、穏やかに散歩をしている住民がちらほらと見受けられる。
そこからさらに歩き続けること数十分、遊歩道を抜けた俺たちの前に閑散とした景色が広がった。
不気味なほどに静まりかえった空間だった。
歩道の端で山となっている瓦礫。
倒壊してそのまま放置されている住宅。
眼前には、行き手を阻むようにそびえる大きな壁。
【一般区域】と【復興区域】を隔てる壁だった。
イヴは関門のそばにいた門番に近づき、一言二言か何かのやりとりをする。それに門番が頷いて奥に引っ込んだかと思えば、門がゆっくりと開かれる。
「行こ」
それだけ言い、白魔導士のローブを翻してイヴは門の先へと進み始めた。
行き先はボロボロの治療院だった。
壁や床は不衛生に汚れていて、物は最低限の椅子と机しかなく、広々とした空間はがらんとしている。天井にはところどころが板で補強されていて、補強されていない穴が空いた場所の真下には雨漏り対策で水桶が設置されていた。
到着するやいなや、イヴとマーヤは職員だろう獣人の女性たちに歓迎される。
「おい、これって」
イヴに聞こうとするが職員たちと共に二人は治療院の奥に引っ込んで行く。
だが、すぐに両手に大きな籠を抱えて戻ってきた。
その中から取りだした大きな鍋、紙の食器……それらを手際よく机の上に配置する。最後に、マーヤが自身の腰に括り付けていた《収納》の魔導具から具材を取り出して、それを調理しはじめる。
そのまま数十分弱。すでにここに出向いた理由を理解した俺は何も口を挟むことなく、かといって手伝えることもないので、腕を組んで作業の様子を見守っていた。
イヴたちが準備を終えて、職員が正面入り口の鍵を開ける。
そこには何人もの人だかりができていた。
職員が案内するように誘導して、治療院の中はにわかに騒がしくなる。
年代は様々で、よろよろと歩く老人もいれば母親に抱きかかえられた小さな赤子もいる。
そして、その全員に共通していることが一つあった。
獣の耳、尻尾、鋭い牙を持つ――"獣人"。
それも、【復興区域】の中でも未だ復興作業の進みが遅く、悪魔による被災が色濃く残った地域の獣人たち。
彼ら彼女らは列を乱すことなく、一列に並ぶ。
温かな湯気を立てるスープを貰い、笑顔を浮かべる親子が見えた。
野菜が多く煮込まれてほろほろに溶けていて、栄養満点で美味しそうなスープだ。
次々と列が進む。
やがて並んでいるのが数えるほどの人数だけになると、イヴは白魔導士の杖を持って、治療院の端の一角に固まっていた人物たちのもとへ動き出した。
いつの間にか俺の横にいたマーヤが、そんなイヴを見ながら。
「あたし、あんたのこと嫌い」
ぶすっとした顔で俺にそんなことを言った。
「……俺、お前には何もしてないと思うんだが」
「イヴはね、本当に凄いのよ。白魔導士としても"水の聖女候補"として上げられるくらい頑張っててあたしは心から尊敬してる。ずっとあの子の背中を見て、追いつこうと努力してきたの」
マーヤは不満そうに唇を結ぶ。
その視線の先は、固まっていた人物たち――悪魔による被害で手足の欠損や皮膚が焼けただれた獣人たちに、治療を施しているイヴの姿。
「これだって、イヴが相談してきたときは反対したわ。『【復興区域】で無償で炊き出しと治療をする』なんて馬鹿げてるもの。ただの白魔導士ならともかく、勇者パーティーに所属してる白魔導士が行くなんて自殺行為に決まってるじゃない」
マーヤは呆れたように肩をすくめる。
「一回目は、警戒されて相手にされなかった。二回目は、馬鹿にするなって石を投げられた。三回目も、四回目も、彼らは善意でやってきた私たちを受け入れなかった」
普通だったらここでやめるべきよ、とマーヤは続ける。
「でも、それでもイヴはやめようとしなかった」
「……」
「馬鹿な子よね。見てて危なっかしいったらありゃしない。あんた想像できる? 大の男に逆上して殴られそうになって、それでも一歩も引かずに頭を下げて『治療させてほしい』なんて言える? 自分には何の益もないのに?」
《回復魔法》はただでさえ難しい魔法だ。
消費する魔力量、魔力操作の難しさ……単純に大雑把に全身にかければ全部治るというわけでもなく、健康な部分に行使すれば逆に害にすらなる。そのため、精密な魔力操作で損傷部分だけを正確に無駄なく治療する力が術者には求められる。
それを、自分のことを快く思っていない相手が素直に受け入れてくれるだろうか?
「……俺だったらしないな」
「でしょう? あたしだってしない。むしろ相手をぶん殴る」
それは過激すぎる気がする……。
「優しい子よ。人の痛みを誰よりも知っていて、誰かが傷ついていたら率先して動こうとする。"聖女候補"に上げられたのも当然だったわね」
獣人たちに感謝されているイヴを見ながら、マーヤは自分のことのように誇らしげに胸を張る。
「イヴがあんたの事を好きってのは聞いてるわ。耳にタコができるくらい聞かされてる。友達として相談にも乗ったし応援もしてる。……でもね、だからこそあんたのことが許せないのよ」
「はあ? 何でだよ」
思い返しても何も覚えがない。
俺が首をかしげていると、マーヤは言った。
「だって、女たらしなんでしょ?」
「は?」
「聞いたわよ。他の女からも告白されてて、どっちも選ばずにキープしてるみたいじゃない。とんだ女の敵ね。死んだ方がいいんじゃない?」
「めちゃくちゃ誤解すぎる」
すんごい曲解されていた。いや確かに状況だけ見たらそう見えるかもだけど違うんだよ。好きでこうなったわけじゃないんだよマジで。
「イヴには幸せになって欲しいの。そんなクズ男を許せるわけないでしょ」
「……誤解だ。キープしてるわけじゃない」
「じゃあ何? それ以外思いつかないんだけど」
「いや、マジで違くて……」
誤解を解こうとするも、上手い説明が思いつかない。
えーっと、これってなんて言えばいいんだ? イヴとラフィネから勝負を受けていて……って言われても意味分かんなくない? 普通にキープしてると思われそうだが。
頭を悩ませて考え込む。
そんな俺の視線に何を思ったのか、マーヤはサッと自身の身体を抱いて。
「も、もしかして……あたしも手籠めにする気!?」
警戒した猫のように後ずさりまくった。するわけないだろアホ。
「あたしは諦めなさい。それよりイヴのことよ」
ふん、と鼻を鳴らす。そして、ものすごく嫌そうな顔でこう言った。
「泣かせたら、許さないからね」
剣呑な瞳。絶対に許さないと言いたげに俺を凄んでいる。
俺は小さく返答した。
「……分かってるよ」
「具体的にはボコボコにしに行くから」
「怖ッ!? え、許さないってそういうこと? 物理的にって意味?」
「逃げても地獄の果てまで追いかけるから」
なんだコイツ怖い。
睨むマーヤの目は据わっていた。冗談を言っているようには見えなかった。
その後、誤解は解けることなく、あらかた治療を終えたイヴが戻ってきた。
「二人とも、仲良くなれたみたいでよかった」
俺たち二人が話しているのを見て何を勘違いしたのか、イヴは嬉しそうにそう宣う。どこをどう見たら仲が良いと思ったんだよ。どう見ても険悪だろ。
「終わったのか? ……あれ、そういえば俺って何で呼ばれたんだ?」
ぞろぞろと獣人たちが帰る姿を見ながら聞いてみる。
思えば何もしてない。ただ見ていただけだ。
すると、マーヤは目を丸くして。
「何言ってんの。ここからが本番でしょ」
「んん? いや、でもあいつら帰ってるけど」
どういうこと? と聞こうとするが。
「来たみたい」
イヴの声と同時。
出て行く獣人たちと入れ替わるように治療院になだれこむ獣人たち。
その数はおよそさっきの二倍以上。……え?
「もしかして、俺を呼んだのって」
嫌な予感が頭によぎる。いやないない、違うよな? な?
「今日は夜まで治療。何人来るか分からない。だから呼んだ」
「俺、ちょっとこのあと用事が」
「空いてるって言ってた。わたしより魔力が多いレイがいれば百人力」
逃げようとするが、手を掴まれて止められる。
俺は理解した。だからコイツ、最初に言いにくそうにしていたのかと。
「……やっぱり、ダメ?」
しょぼんと肩を落とすイヴ。
そのすぐ横ですんごい形相で睨んでくるマーヤ。
……うーん、これは、ダメですねはい。
「や、やってやらあ! 何人でもかかってこいやぁ!」
承諾する俺。やけくそである。
結局、この日の治療は文字通り夜まで、しかも深夜まで行われた。
代わる代わる詰めかける獣人。
終わりの見えないことに死にそうになりながらも治療しまくる俺。
想定以上の人数に途中でイヴが止めてきたが、ここまで来たらもはや意地でもやってやろうと、来る奴ら全員に《回復魔法》をかけまくった。来てない奴らにもかけまくった。頑張った。めっちゃ頑張った。
そして次の日。
案の定というか、魔力切れに陥った俺は寝込むこととなった。