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5話 恋の勉強

 数日後。


 昼過ぎに起床した俺は馬小屋をチェックアウトしたあとに屋台で適当に朝飯を食べて、そのままの足で魔導図書館に不法侵入して本を読みふけっていた。


 傍には厳選して持ってきた本の山。数時間前から《高速思考》を使って超速読を行っているのにまだ全体の半分も終わっていない。


 その事実に気持ちが億劫になりそうになる。しかし、行動しなければ終わるものも終わらない。俺は次の本を手に取り、高速でページをめくり頭にたたき込む。


 見たとおり、俺は勉強していた。


 いま勉強しているのは俺にとって未知の分野。

 魔法や体術などのこれまで学んだことが活かせる学問ではなく、そのせいか理解できないことが多くて俺は苦戦していた。


 こんなに頭を捻っても理解できないのは初めてだ。術式が複雑で難しい魔法でも既存の魔法知識に当てはめて解析して理解してきた俺だが、今回ばかりはさっぱりだった。


「あー、駄目だ分からん……」


 本を投げ出して机に顔を突っ伏す。分からん分からん分からんらん。


 俺は勉強が嫌いだ。なんていっても面倒くさい。だからできる限りやりたくないのが本音だ。


 しかし、今回ばかりは"あの勝負"に勝つために勉強する必要があった。


 だから、怠い身体を動かして勉強に勤しんでいるのである。だりい……。


「まったく、何をしているんだね君は……図書館の中では静かにしないか」


 呻き声を漏らす俺を見かねたのか、その女性はコツコツと靴音を鳴らして近づきながら苦言を呈してくる。


「他に誰も居ないんだからいいだろ。つか、ここお前の部屋だし」


「私がいるだろう。君がさっきからうあー、んがーと喚くせいで集中できないのだよ」


 咥えたキセルから煙を立ち上らせる金髪碧眼の女性――フランチェスカ。


 今日の外見は幼い少女ではなく、二十代ほどの年齢にみえる妖艶な女性。顔には特徴的なモノクル。だぼっとした白衣を着込んでいる。


 その様子は少し苛立っていて、切れ長の瞳の下は濃い隈がくっきりと浮かんでいた。徹夜で作業をしていたのかもしれない。


 まあ確かにこいつの部屋に上がり込んで居座っている俺が悪いんだけど。でもいいだろ、ここが一番空調効いてて飲み物もあって過ごしやすいんだよ。


「そりゃ悪い。気をつける」


「そうしたまえ……」


 言って、ふうと息を吐いて戻っていく。執務机の上に置いた珈琲ポットを操作してカップに珈琲を注ぎ、なぜかまたこちらに近づいて来た。


 自分と俺の分の珈琲を机におき、そのまま隣の椅子に腰掛けて。


「で、何を調べているのかね」


 と、興味深そうに俺が読んでいる本を覗いてきた。

 咄嗟にさっと、反射的に遠ざける。


「……」


 今度は、積み上げられていた本の束を取ろうとしたので手を掴んで止める。


「離したまえ」


「俺が何を調べようと勝手だ」


「私はこの図書館の管理人みたいなものだ。知る権利がある」


「ねーよ。勝手に棲み着いてるだけのくせに。いいから――おいっやめろ!」


 強引に手を伸ばして突破しようとするフランチェスカから本を防衛する。絶対に取らせねえぞ……!


 何度か同じやりとりを繰り広げたあと、フランチェスカが嘆息して。


「分かった。そこまで嫌ならやめておくとしよう」


「……ならいい」


 引き下がったフランチェスカに安心して勉強に戻ろうとするが。


「君も男だ、そういう本を見たいのも分かる。私も女性だからね、デリカシーくらいはあるさ。でも大丈夫、君がどんな変態的で理解不能な本を読んでいようとも私は軽蔑したりしない。邪魔したね、じゃあ」


「待て」


 誤解しまくりじゃねーか。


「卑猥な本を見ていたんだろう? だが、白昼堂々と、しかも女性の前で読むのは……」


「んなわけあるか! ただの変態じゃねーか!」


 必死に反論するが、「大丈夫、私は理解のある女だ。何なら君が好みそうな本を厳選して持ってきてあげようかね?」と優しげな顔で要らぬお節介を回そうとする。


 ……だが、変に誤解されるのも嫌だ。俺は覚悟を決めて、執務机に戻ろうとするフランチェスカを呼び止めた。読んでいた本を何冊か渡して読むように促す。


「どれどれ――【恋愛哲学】【愛の方程式】【人はなぜ愛を求めるのか】……?」


 本のタイトルを二度見三度見したのち、神妙な視線が俺の頬に突き刺さる。


「君、これは」


「何も言うな……」


 両手で顔を覆う。頼む、何も言わないでくれ。恥ずか死ぬから。


 分かってる。何を言いたいのかはよーく分かる。似合わないって言いたいんだろ? 俺だって分かってるよそんなの。


「言っておくが、興味があってこんなことしてるわけじゃないからな」


「ほう。じゃあ何の為に?」


「……正々堂々、勝負するって言っちまったんだよ」


 事の経緯を説明する。告白されたこと。"好きになったら負け"という勝負をすることになったこと。だから、"恋"と"愛"を知るためにこうして勉強していること。


 以前、ラフィネたちを見たことがあり、俺がラフィネたちから好意を受けていることはフランチェスカも知っていたので理解は早かった。


 フランチェスカはふむ、と顎に手をおいて。


「なんて言うか……知ってはいたけど君は馬鹿かね」


「もっとオブラートに包んでください」


 そんなはっきり言われると傷ついちゃう。


「恋が分からないから本で学ぶってアホかね君は。そんなの感覚で分かるだろうに」


「分からないから読んでんだ」


「だとしても捻くれすぎだよ君は」


「うぐぐ……」


 あーくそ。恥ずかしい。めっちゃ恥ずかしい。だから知られたくなかったのに……。


 だが、逃げずに勝負すると言った手前、俺はこの感情がどういったものなのかを知る必要がある。でないと真剣に向き合っているとは言えないだろう。斜め上の方法だってことは分かっているけどこれしかないんだよくそ!


 フランチェスカは興味深そうな瞳でこちらを見つめて。


「君は本当に不思議な生き物だ。見てて飽きないね」


「俺を観賞動物か何かみたいに見るな」


「美少女二人から言い寄られているなんて、男なら憧れる状況じゃないのかね? どっちも手籠めにすればいいだろう」


「それは……違うだろ。好きでもないのに付き合ったりなんてできねえよ」


「……ちぐはぐだな君は。不真面目か真面目かはっきりしたまえ」


「あーあー、聞きたくない聞きたくない」


 それ以上小言を言われないように本に向き直ると、フランチェスカはやれやれと肩をすくめて、大きくため息を漏らした。


 そしてすぐに、妙案を思いついたように眉を上げると、にやりと妖艶に微笑んでなぜか身体を寄せてくる。


「んだよ、暑苦しいな」


「なんだね、つれないじゃないか」


「いいから離れろよ。本が読めないだろ」


 身体を近づけてきたせいで大きな胸が当たっている。白い手は俺の頬を優しく撫でていて、絡みつくように足を沿わせてきたからか動きにくい。邪魔だ。


 俺の耳元でフランチェスカがささやく。


「愛を知りたいんだろう? なら私が――女を教えてあげよう」


 熱い吐息が耳に触れて、ぞくっと身体に電流が走る。


「君の好きな容姿、好きな声、好きな性格……理想の女性になってあげよう。罪悪感を感じる必要もない、たった一晩のお遊びだ」


 フランチェスカの着ていた白衣がはらりとはだける。代わる代わる様々な容姿の美女、美少女に変化しながら、ほぼ裸同然の姿で蠱惑的に、誘うようにもたれかかってきた。


「私も君のことは嫌いじゃない。ああ、安心してくれたまえ。性交の経験はないが知識は持っている。満足させると約束するよ」


 全身を包み込む甘い香りに頭がクラクラしそうになる。俺の膝に股がるフランチェスカの瞳の奥は怪しく光っていて、柔らかそうな唇はしっとりと濡れていた。


 俺は小さく呼吸して。


「……いいから、離れろって」


 強引に肩を掴んで、引き剥がした。フランチェスカはつまらなそうな顔になる。


「これでも駄目か。筋金入りだな君は」


「変なことすんなよ。ってか《魅了チャーム》使ってたろ」


 問いただすが、「はて?」ととぼけられる。


 【幻惑魔法】の最上位魔法《魅了チャーム》。俺じゃなかったら一生こいつの奴隷になっててもおかしくなかった。


 フランチェスカは肩をすくめる。


「君の精神力には脱帽する。私はこの身体を使って貰っても構わなかったんだが」


「お前な……軽々しく言うなよ。好きでもない奴にそういうのは駄目だ」


「ふぅん? 君となら構わないと思ったんだがね」


「俺が構うんだよ。いいから、駄目だそういうのは」


 はだけていた白衣を直すと、ちょっと唇を尖らせて不満そうな顔をしていた。



 気を取り直して勉強し続けて数時間後。


 魔導図書館内のでかい【魔導時計マギ・クロック】から夕刻を示す鐘の音が鳴り響き、読んでいた本から顔を上げる。


「もうこんな時間か……おい、そろそろ帰るわ」


 帰り支度をして、執務机の上でいつのまにか寝息を立てていたフランチェスカを起こそうと揺する。


 しかし、よほど寝不足だったのか起きる気配がない。


 ……うーん、どうするか。勝手に帰ってもいいけど明日も来るつもりだから一言断っておこうと思ったんだが。ていうかコイツ、前に寝る必要ないとか言って無かったっけ? 一時間前くらいから普通にくーくー寝てるんだけど。


 いまのフランチェスカの姿は十五才ほどの金髪の少女。その身体の上には、俺が被せた毛布が乗っかっている。


 ……こうして見ると、普通の少女に見えるんだけどなあ。


 だが、その実態はおそらく人間じゃない。何百年も歴史がある魔導図書館に長い期間居座ってることから、精霊か何かだと予想しているが……詳しくは分からない。


「うみゅ……」


 可愛らしい寝言を漏らすフランチェスカ。


 ちなみにだが、魔導図書館は一般公開されている場所は開館日に多くの人がやってくるが、それ以外の許可を得た人間しか入れない場所は滅多に人がやってこない。不法侵入すると強力な自動人形の守護者が襲いかかってくるし、侵入者も滅多にない。


 この執務室――フランチェスカの部屋なんて、それこそ誰も訪れないらしい。フランチェスカから聞くには、過去にこの部屋に入ったのは魔導図書館の創設者である人間と、フランチェスカだけなんだと。


 しかも、フランチェスカはこの図書館から出れないと聞いた。契約とか何とか言っていたが、とにかくこの空間から動けないということだ。


「そういや、寝てる姿を見るのは初めてだな……」


 思えば、俺が昔やってきたときにやたらと世話をさせたがったのも、実は人恋しかったのかもしれない。当時の俺はマジで超嫌だったし逃げ出したけど。


「……」


 無言で、その柔らかそうな白い頬をぐにぐにと突く。


「みゅ……やめああへ……」


 が、寝言を漏らして身じろぎするだけで起きる気配はない。仕方ないやつだ。


 寝息を立てるフランチェスカを眺めながら、俺は小さく息を吐く。


 ……もう少しだけ、起きるの待っておくか。



 それから数十分して目を覚ましたフランチェスカは、おぼろげな眼をこすって小さく欠伸をし、両手を上げて細い身体をんぐーっと伸ばした。


 そして、近くにいた俺に気付いて硬直する。


「……なんでまだいるんだね」


「明日も来るって言おうと思って。じゃあそういうことだから」


「待ちたまえ。こら」


 帰ろうとすると首根っこを掴まれる。


「私の寝顔を見たかね?」


「ミテナイヨ」


「嘘をつくな! こら! 正直にいいたまえ!」


 がくがくと揺さぶられる。ホントホント、ミテナイミテナイ。


 フランチェスカはいつもの老人然とした落ち着き払った様子はなく、頬は赤く紅潮し、取り乱していた。眦にも少し涙が浮かんでいる。


 どうやら、寝顔を見られて恥ずかしかったようだ。裸を見られても問題なかったのに何でだよ。独特の価値観すぎるだろ。


 ……もしかして、前に寝る必要ないとか言ってたのって寝顔を見られたくないからか? モーニングコールの時に毎回起きてたのも夜に子守歌を歌って寝かしつけようとしても一向に寝なくて俺が諦めて先に寝たのも? それが理由?


 その予想はどうやら当たっていそうで、フランチェスカは「うああ……見られた……」と真っ赤な顔を両手で隠して悶えている。なんかごめん。


「はぁ……まあいい。私が不注意だった。明日も来るって? ご自由に」


 どこか不貞腐れた様子。ごめんって。


「そうだ……これ、渡しておこう」


 帰ろうとする俺に、あるものを投げて渡してくる。


「それを使えばどの扉からでもこの部屋に繋がる。いい加減、毎回毎回守護者を壊されるのも困るんだよ。今度からはそれで来てくれたまえ」


「いいのか? 貴重なものだろこれ」


「そうでもしなきゃ無理矢理来るじゃないか……」


「んじゃま、貰っとく」


 俺は貰ったそれ――【魔導鍵】を《異空間収納》にしまう。


 この空間に繋がる【魔導鍵】はおそらく全世界でこれ一つ。貴重な蔵書が多く保管されている【魔導図書館】にいつでも出入りできるようになる代物。学者であれば喉から手が出るほど欲しいに違いないだろう。なくさないようにしなければ。


 俺が素直に受け取るのを見て、フランチェスカのほんの一瞬だけ、もしかしたら見間違いかもしれないが……小さく、ほっとしたかのように息を吐いたのが見えた。


「じゃあ、また来てくれたまえ」


「おう、また明日な」


「ん……そうか、また明日か」


 オウム返しに答えて、ふむふむと頷くフランチェスカ。表情こそ生意気な澄まし顔だったが、どこか声色が嬉しそうだ。


 ――翌日、俺は少しだけ早起きをして、少しだけ遅くまで図書館で勉強をした。


 しかし結局、恋とか愛とかはよく分からないままだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] やっぱこのシリーズ大好きですb
[良い点] そこで不器用ってわかってても知ろうと頑張るから好きなんよな……
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