4話 精霊喫茶
「――ジレイ? 聞いてるか? おーい」
そんな野太い声で、現実逃避していた意識が引き戻された。
空を見上げると、すでに日が傾きかけている。視界の端では帰り支度をしている作業員たち。無心で作業をしていたからか、終業時間になっていたことに気付かなかったみたいだ。
俺は目の前で怪訝な顔をしている男を見る。うん、ゴリラだな。
「悪い、聞いてなかった」
「んだよ。勇者様たちがなんで集まるんだろうって話してただろうがよ。ジレイも【攻】の勇者様から何か聞いてないのか?」
「……さあな。さっぱりだ」
それだけ言って顔をそらす。
『――任務の詳細は後日、また集まったときに話すとしましょう。貴方にはぜひともこの任務に参加していただきたいのです』
『――何でだよ。勇者が四人もいれば充分だろ』
『――まあそう言わずに。別に何かをしていただきたいわけではありませんから』
『――じゃあなおさら要らないだろ。突っ立ってるだけかよ俺は』
『――はは、それでも構いません。それに、この任務を受けていただければ……』
占いの後の、俺とノーマンの会話。
『――レティノアの秘密が分かるかもしれませんよ』
あのとき、あいつは確かに、そう言った。
レティが何を隠しているのかは分からない。俺にはどうでもいいことだ。
だけど、前に――ルーカスと対峙したときにレティが見せたあの不安げな表情が、なぜかずっと頭から離れない。
だから、一応は参加することにした。めっちゃ面倒だけど、仕方なく。
「ジレイ、帰りにあの店行くんだが、今日こそは来てくれよ」
宿屋に向けてぼーっと歩いていると、横にいたウェッドがそんなことを言ってくる。
「……あの店って、あそこか? あいつらが働いてる?」
「おう。連れてきてくれって頼まれててな」
それは俺も本人たちから何回も言われている……のだが、気が乗らないから行ってない。
……でも、そうだな。様子だけでも見に行くか。すぐ帰るけど。
承諾して、俺とウェッドは街中にある飲食店に移動し始めた。
◇
穏やかな【一般区域】の街中を歩くこと数分。目的の店に到着。
外観は普通のカフェのような感じで、入り口の横には『本日のイチオシめにゅー』と書かれた書かれた立て看板が掛けられている。
見た目だけなら普通も普通。しかし……。
ウェッドに続いて店内に入ると、店員の元気な声で迎えられる。ウェッドが一言二言店員と会話をしたあと、俺たちは奥の席に案内された。
席に着くなり、ウェッドはデレデレした顔で。
「いやーいいなぁ。仕事終わりで疲れた身体が癒やされてく……」
店内を見回すゴリラ顔の三十代男性。正確には店内の店員になめ回すような視線を向けて、気持ちの悪い顔をしている。
「お前、結婚してるのに他の女性にデレデレすんなよ」
「失礼だな。俺はかわいいものを愛でているだけだ」
キメ顔でふざけたことを言うゴリラ。俺は絶対こいつの嫁に言いつけようと決意した。
呆れつつ、メニュー表を手に取りながら辺りに目を凝らす。
外観と同じく内装も普通の飲食店だ。最近オープンしたばかりだからか壁や床に目立った汚れも軋みもなく、椅子と机も新品でピカピカと輝いている。
店内の席もほとんど満席。中心街の晩飯時の時間帯でこの賑わい。大層繁盛しているのが分かる。これだけなら特に他と変わりない……が。
俺は注文するものを決めて呼び鈴を鳴らした。
すると、近くの店員が注文票を片手にやってきて。
「お待たせしましたにゃ。ご注文をお聞きしますにゃー」
手を招き猫のようにこまねいたポーズで、注文を聞いてきた。
頭には猫耳を模したカチューシャ。腰には尻尾。服装はメイド服。
まず断っておくが、猫精霊じゃない。普通の人間種だ。
ここは【精霊喫茶】。最近リヴルヒイロにできた喫茶店。
大陸の東に位置する異国の文化『メイド喫茶』を取り入れており、オープンして間もないにも関わらず、店の特殊さから注目を集め、今では大繁盛している喫茶店である。
この店最大の特徴は可愛らしい女性店員が精霊の姿に仮装するところ。
さらに店員は全員女性でしかも美人揃い。男性客の比率は九割越え。
ウェッドの顔がデレデレと歪んでしまうくらいである。こいつは毎日通っているからか小遣いがもうないらしい。どうでもいいけど俺に金せびってくんな。
「じゃあ、俺はこれ――」
「あっ! もしかして……ジレイ様?」
適当に注文しようとすると、聞き覚えのあるそんな声。
「来てくれたんですね! 嬉しいです!」
その人物は満面の笑みを浮かべ、公衆の面前で抱きついてこようとする。全力で止める。
「んー? あれ、フィナちゃんの知り合いにゃ?」
「ただの知り「婚約者です!」」
元気よく断言される。おおい。
「違う。恋人でも婚約者でもないだろ」
「そうでした! いまはまだ、でしたね。私としたことがすみません……!」
俺が必死に否定するも、誤解されそうな言い方でもじもじと頬を赤らめる少女――ラフィネ。《変幻の指輪》でフィナの姿になっているため黒髪だ。
「じゃあここはフィナちゃんに任せるにゃー」
「はい、任せてください!」
注文を取っていた店員が離れて、目を輝かせたラフィネが残った。
と同時に、周囲の男性客からの視線が突き刺さる。
「婚約者ってまさかあいつが?」「嘘だろ……あんな目が濁った奴に……」「でも結構いい身体してるな好みかも」うるせえほっとけ。
……すごい居心地が悪い。だから来たくなかったんだ。
そう、実はこの店にはラフィネが働いているのである。
俺が冒険者としての活動が行えず、日雇いの労働者として働いている最中、どうやらラフィネたちも仕事をすることにしたらしい。
別に金あるんだから働かなくてもいいんじゃね? と思うが、ラフィネは労働したことがないからやってみたかったらしく、この店を選んだのもかわいい服が着れると思ったからなんだとか。
それと、イヴもここで働いている。裏方で料理を作っているらしい。
「では! ご注文をお聞きします! あっお聞きしますわん!」
「……無理にやらなくてもいいぞ?」
「そういうわけにはいきません! 誠心誠意、接客させて頂きますわん」
変な語尾をつけて意気込むラフィネ。いや、別にマジでいいんだけど……。
ラフィネは犬精霊の格好をしていて、頭には犬耳、腰にはふさふさの尻尾を装着し、手には犬の肉球を模した手袋。かわいらしいメイド服を着ている。
《変幻の指輪》で姿を変えているものの美少女なのは変わりない。物怖じしなく明るい性格もあって、この店の店員人気ランキングではぶっちぎりの一位(ウェッド情報)だと聞いた。
婚約者がいると公言していて、しかも一緒に写真を撮るなどのサービスは一切行っていないのにこの人気。その一途な姿が推せるんだとか。
「……」
「? 何かついてますか?」
きょとんとするラフィネ。俺は「何でもない」と顔を背ける。
……まあ、その気持ちも確かに分からないでもない……のか? って何言ってんだ俺は。違うだろ別に。俺はそんなんじゃないし!
浮かんだ雑念を振り払い、メニューから適当に選んで注文した。
「俺はこれで」
「オムライス一つわん。ウェッドさんは何にしますか?」
「んじゃ、俺も同じので。……あれ、俺にはわんって言ってくれねえの?」
「オムライスお二つですね。お待ちくださいませ」
「あれ……?」
ラフィネは注文票を持って厨房に下がっていく。
それを見届けたあと、ウェッドが俺を見てニヤニヤとした顔で。
「いやー、でもな、ジレイがなあ」
「……なんだよ」
「やることやってんだなあって」
「やってねえわ。やめろ」
「おうおうそう照れんなって。俺は嬉しいぜ?」
グッと親指を立ててガハハと笑うウェッド。くっ……!
くそ、茶化しやがって。別に恋人でも婚約者でもないって言ってるだろうが。
だが、何度言っても無駄なようで心底嬉しそうな顔で「式には呼んでくれよな」と気持ち悪いウインクをしてくる。殴りてえ……。
それから十分くらいしてラフィネがトレイに料理を乗せて戻ってきた。
「お待たせしましたわん! こちら私の愛を込めた特製オムライスです。私だと思って召し上がってください!」
てきぱきとテーブルの上に料理を配膳するラフィネ。俺の前に置いたオムライスの方にだけなぜか、でかい銀色の丸い蓋が被さっていて中身が見えなくなっていた。
「お、俺のにもフィナちゃんの愛が……?」
「そちらは普通のオムライスです」
「おぅ……」
特製って……何か変なもん入れてないよな? 食べたくなくなってきた。
恐る恐る蓋を開けようとすると、「ちょっと待ってください」とラフィネに止められる。そして、ででん! と自信満々な顔で何かを取り出した。
何だこれ……ケチャップ?
ウェッドが大げさに椅子から転げ落ちて慄いたような震えた声で言った。
「そ、それは……まさか! この店の伝説の裏サービス【大好き♡ケチャップメッセージ】!? 俺が何十回も通ってそれでもしてもらえなかったのに……!」
周囲の客からも「う、嘘だろ!?」「ただでさえフィナちゃんはサービスしないのに……」「あの男、何者だよ!?」と驚愕のざわめきが巻き起こる。
「少し恥ずかしいですが。ジレイ様のためなら……!」
ラフィネも頬を染めてそんなことを言う。それを見て、うおおおーっ! と店内の客たちは盛り上がりまくる。万来の拍手喝采。無表情になる俺。
「覚悟はできています。さあジレイ様――」
真剣な表情のラフィネ。ゴクリ、と客たちが息を呑む音が聞こえた。
まるで戦場かと思うほどの緊張感。いや、ただケチャップ盛るだけだろが。
四方八方から注目の視線を浴びながら、無心で蓋をあける。
"レイ♡LOVE大好き♡"
ぶちゃあ。
ラフィネの持っていたケチャップがぶちまけられた。
俺のオムライスに。
「さ、召し上がってください?」
「……な、なんか書いてあったんだけど」
「気のせいですよ? 何も書いてありませんでした」
にこにこと笑いながら首をかしげるラフィネ。目が笑ってない……。
「ちょっと、せっかく書いたのに」
ラフィネの圧に動揺していると、厨房の方から少女が出てきた。
その少女はわずかに頬を膨らませて、不服そうに睨みながらラフィネの前に対峙する。
格好はプロの料理人と言った出で立ちで、白のコックコートを着込み、腰には水色の前掛け。右手にお玉を持って、蛮族が剣で挑発するように左の手のひらをぺちぺち叩いて凄んでいた。
水色髪水色眼。白魔導士が本職の少女――イヴである。
「何がですか? 私は美味しく食べられるようにしただけですが」
「このオムライスはレイへの愛を込めて作ったの。私の愛の結晶。邪魔しないで」
「そうなんですか? でも運ぶときに私の愛で上書きされたので無効です」
「わたしの愛は上書きできない。そっちが無効」
「じゃあその愛をまた上書きします。はい、いまイヴの愛はなくなりました」
ぶちょり。
俺のオムライスにケチャップが追加された。
「それでも私の愛の方が強い。無効」
ぶちょり。イヴからさらに追加される。
「上書きします」
「無効」
「上書き」
「無効」
「いい加減にしてくれないー?」
ぶちょぶちょとケチャップが盛られ続ける俺のオムライス。見たことない物体になってんですけど。もはや名状しがたい赤い何かなんだけど。
二人はそのままヒートアップ。止める間もなく、俺を間に挟んで言い争いまくる。
「せっかくレイがわたしの為に来てくれたのに。ラフィネのせい」
「違いますイヴのせいです! それにジレイ様は私を見に来てくれたんですよ!」
「そんなわけない。わたしがレイにおもてなしするから。ラフィネはもう帰って」
「駄目ですー! 私がジレイ様にあーんとかするんです!」
「レイ、わたしの方がいいでしょ?」
「ジレイ様、私の方がいいですよね!?」
右にラフィネ、左にイヴ。二人の美少女から詰め寄られる。
集まる周囲の視線。二人の期待を含んだ瞳。緊張に包まれ、静まりかえる店内。
そんな中、俺が出した答えは――
「帰ります」
俺はそのまま帰った。
ちなみに……これは後に聞いた話だが、二人はこの後店長に「食べ物を粗末にしてはいけません」と叱られたらしい。
それからは反省して真面目すぎるほど真面目に仕事に勤しんでいた、という。
そのおかげかしばらくの間は俺を店に誘うことも減って、俺としては店長に深く感謝の気持ちを伝えたい所存である。