16話 儀礼剣
数日後。
「んおあー……」
目を覚ました俺は大きくあくびを出して、ぐぐーっと腕をのばす。
「あー、だめだまだ眠い」
起きようと試みるも、とんでもない眠気。俺は再び目を閉じる。
そのまま、安らかな眠りにつこうとするが。
「ぶっ!?」
腹に衝撃。
見ると、スヤスヤ眠っているレティの姿。
「……」
ぶん殴って起こしたくなったが我慢。代わりにレティを担ぎ、近くに置いてあった大きめのツボに入れた。しっかりと蓋を閉めて……と、これでよし。
一仕事終えた充実感のままに周りを見渡す。
足下には大量の藁。ヒヒーンと鳴く馬たち。うん、完全に馬小屋ですわ。
なぜ普通の宿屋ではなくこんなところに泊まっているのか……一言でいうなら金がない。
数日前、霊草の採取依頼を契約破棄という形で終えた俺たちは、夜も遅いしと宿屋で泊まることにした。勇者パーティーは無料ということで超豪華な宿屋を貸し切りできた……のだが。
何食わぬ顔で受付を素通りする俺。普通に止められて通常料金。払えなくて俺だけ退場。俺、泣く。
その後、頑張って泊まれる宿屋を探すもどこも空いておらず、というか金が足りず、結果的に馬小屋に五百リエンで宿泊することとなった。
ちなみに、百束あった霊草は通りすがりのおっさんに押し付けた。加えて、霊草の採取条件の情報を各所にばらまきまくった。もちろん出所は不明にして。
これでじきに霊草の価格は暴落し、霊魂酒の価値も下がるだろう。ちょっと高めの草と酒くらいの扱いになるはずだ。
噂では情報を独占していた商会が大慌てしているらしい。が、俺には関係無い話だ。かわいそうだねーって感じ。
まあそれは置いておいて、問題は、俺の手元に金がないことである。
ここ2日ほど色々と動いていたから依頼を受けて金を得ることもできなかったし、むしろ色々したせいで元々あった数少ない金すらも消えた。なんでだ。
そのせいで財布はすっからかん。むしろ契約破棄の違約金でマイナス。もちろん気持ちは最悪。数日間も馬小屋で寝泊まりしているのはそのせいである。宿屋の主人の憐れみの視線がね、日に日に増してくのね。
「まあ正直どこでもいいんだけど。寝れれば」
馬に顔を舐められまくってもまあ関係なく寝れる。だから別に、俺は気にしないのだが――
「じれいさまあ……だいふきでふ……」
「やったー! やくそくだぞししょー、ぱーてぃーに……」
「レイ、かっこいい。好き」
三者三様の寝言。俺は頭を抱える。こいつらはダメでしょ。
衛生的に女性はどうなんって思うんだが。ってか、レティとイヴは普通に泊まればいいだろ。ラフィネもほぼゼロってくらい安くなってたから泊まれよ。
なのに、なぜかいる。寝る前はいないのに起きたらすぐそばで寝てる。なんで?
何回も止めろって言ってるのに全然治らんし……ちゃんと戸締まりしたのにも関わらず、朝起きたら扉がこじ開けられてる。怖いって。
しかもここ数日、どこに行くにもラフィネたちがついてきて気の休まるところがない。いや、ちゃんと仕事してくれるから助かるんだけども。トイレまでついてくんなよ。
「……まあ、それも今日で終わりだし」
今日は待ちに待った魔導図書館に入館する日。これが終わればあとはもう自由!
己を鼓舞し、準備を始めようとする。
が。
グイッと、何かに引っ張られて動きを止めた。
「…………おい」
俺は振り返って、それに一声かける。離せという意味を込めて。
「……」
が、それは気にすることなく、離そうとしない。
「おいこら、離せ」
俺はぎゅっと腰にしがみついてきた少女――イヴから逃れようと試みる。しかし、がしっと掴まれているせいではがせない。このっ……!
ラフィネとレティは気持ちよさそうに寝てるからまだ分かる。けど……。
「起きてるだろ、おい」
「…………」
ゆさゆさと揺らすも無反応。でもがっしりと掴んだ手は緩まらない。絶対起きてるこの人。
「おい、起きろ。離せこら……おい!」
ぺしぺしと頭を軽く叩いて離そうとするも。
「すやすや」
寝てるアピール。何やってんだこいつ。
しまいには、手をごそごそと動かして……ちょ、おいまっ、そこデリケートなとこォ!
「起きろ、頼むから」
下手に出てお願いすると、イヴは抱きついたまま。
「おはようのキスしてくれなきゃ起きれない」
「すごいこといっちゃってる」
ふざけた返事を返してきた。寝ぼけてるのかな?
「じゃあハグでもいい」
手を広げて要求するイヴ。……どうやら頭がおかしくなっているようだ。寝起きだからね。
その後、わがままを言うイヴをずるずると引きずりながら身支度を始めた。やだやだって子供かお前は。
準備を終えて、構って貰えなかったからか少し不満げな顔のイヴが聞いてきた。
「でも、こんな時間にどうしたの。いつも起きないのに」
「……ちょっと野暮用でな」
「……そう」
それだけ言って、さっきまで駄々っ子だったイヴは素直に離れる。
実はまだ早朝。約束している魔導図書館の時間にはまだ早い時間だ。
のに、俺が起きているのはある用事を終わらせるためだ。本当はめんどい。でもあいつと約束したからやらねばならぬ。だるい。
「じゃあ時間になったら戻る」
「ん、いってらっしゃい」
イヴはふるふると手を振って見送ってくれた。どこか顔も楽しそうだ。
去り際、イヴの「いまの妻みたいだった」との嬉しそうな声は聞かなかったことにした。
◇
馬小屋を出たあと、街の外壁を抜けて森の中。
整備されていない獣道の草木をかき分けながら、俺は足を進ませる。
あの映像で見たから道はあっている。事前に《探知》で街全域を探したし、ここにいることも確認済み。だから迷うこともない。
「よっと……お、いたいた」
開けた場所に出て、目的の人物を見つけた。
その人物のすぐそばには、ツタまみれのボロボロの納屋。生活感もなく誰かが生活しているとはとても思えない。……変わってないな。
「よう」
軽く声をかける。
だが、その人物は振り返ることすらせず。
真紅の赤髪と、毛で覆われた獣耳。
エーデルフ騎士団の副団長で、フォルテ独立国の王子。才の勇者でもあるその男――
「何の用だ、D級」
ルーカスは冷たい声色で、そう答えた。
◇
「別に、ちょっと通りがかっただけだ。たまたまお前がいたから声をかけた」
「そうか。煩わしい《探知》が飛んできたのは気のせいと言いたいわけだな」
偶然を装ってとぼけるも、どうやらバレバレのようだ。気付かれないように《隠蔽魔法》を何重にもかけておいたんだが。無駄だったらしい。
「御託はいい。さっさと用件を話せ」
ルーカスはこちらを見ることすらなく、淡々と言葉を発する。……ほんと、可愛くないやつ。絶対に友達にはなりたくないタイプだろ。
「まあそう言うなよ。俺だって、お前と話したくないのに来てやってんだ」
「なら消えろ。貴様に時間を使うつもりはない」
問答無用で拒絶される。俺めっちゃ嫌われてるじゃん。
……まあいいけど。俺もこいつ嫌いだし。仲良くするつもりもないから。
「"ヘンリー"から頼みを受けて来た。お前にこれを――」
「なぜ、貴様が弟の名を知っている」
その名前を聞いた瞬間、一瞬で間を詰められ、首元に剣を突きつけられる。
「答えろ」
むき出しの敵意。さっきまで俺に興味すら示さなかったルーカスは、身体から魔力を展開させ、戦闘態勢を取っていた。
だが、俺はその問いに答えることなく。
「さあな」
持ってきていた《霊剣》を取り出して、放り投げた。ルーカスは剣を突きつけていない方の手で、宙に浮いた霊剣を受け止める。
「なんだ、これ……は……!?」
霊剣を見て、ルーカスは大きく目を見開いて動揺する。
「ヘンリーの儀礼剣を、なぜお前が……それに、この魔力――――まさか」
気付いたようだ。まあ、兄弟で親和性の高い魔力を持っているこいつなら、一目で分かって当然だけども。
「ヘンリー、なのか」
呆然といった声を吐き出し、ルーカスは答えに辿り着く。
その様子は明らかに動揺していて、いつも澄ましていた顔が狼狽している。幽霊でも見たかのように、霊剣を見つめていた。
「そうだ。その霊剣には、ヘンリーの魂が宿ってる」
俺はルーカスに対して、長々と説明を始めた。
俺が依頼を受けて、【霊樹の森】内の迷宮でルーカスの過去を見たこと。
その過去を見せてきたのが、弟のヘンリーだったこと。
肉体が悪魔に取り込まれていて、介錯を願ってきたこと。
それらを全て、俺が見てきたままに話した。俺が変な力を使って悪魔とヘンリーの魂を引き剥がしたことも全部だ。こいつには嘘偽りなく、真実を話す必要があると感じたから。
「……」
話した後、ルーカスは呆然と立っているだけで、何も言うことはなかった。
顔をうつむかせ、霊剣をただ見たまま、何かを考えるように手を握りしめていた。
俺は何も言わず待つ。
少し経ってからルーカスはようやく口を開いた。
「……ヘンリーは、どのくらいで目覚めるんだ」
「一年……いや、親和性が高いお前の魔力なら、早ければ半年だと思う」
「……そうか」
ルーカスはまた黙り込む。その声色は平坦で、感情は一切読み取ることができない。嬉しいでも悲しいでもなく、まるで感情がないかのようだった。
悪魔から魂を引き剥がす際、ヘンリーの魂を一時的に休眠状態にしたから今は眠っているが、いずれ目が覚める。十分な魔力源の近くにおいて魔力に触れさせておけば、目覚めるのも早くなるはずだ。兄であるルーカスならかなり早いに違いない。
「ただ、代わりの器が無いと霊剣の中から出すことはできない……って言いたいところだが」
目覚めたとしても霊剣の中に囚われて、ヘンリーは自由に動けない。それでもいいなら構わないが、食事も睡眠も取れずに生きるのは酷だろう。
だから――
「それは、俺がなんとかする」
はっきりと、俺はそう宣言する。絶対にできないことを可能にすると。
「目覚めたあと、俺がヘンリーを元の肉体に移す」
「……何を言っている。体は悪魔に喰われたはずだ」
「ああ。だから、俺が"作り出す"」
ルーカスは狂人でも見るような視線を向けてくる。……確かに、俺も言われたらこいつ何いってんだと相手にしない自信がある。
俺だって、できるかどうか疑っている。でも、悪魔ごとヘンリーを"食べた"瞬間、ヘンリーの持っているあらゆる情報が頭に流れ込んできて、肉体を作れると直感で分かった。
原理は分からない。まず間違いなく、今の魔法原理からはかけ離れた力だ。魔力を使っているわけでもないし、なんで使えるのかも分からない。
でも、俺にはできる。本来なら無理なはずの事を俺はできる。なぜだか、そう確信できた。
「……そうしたらお前ら二人で、騎士にでも何でもなればいい」
「っ……!」
ルーカスは顔をうつむかせ、震える身体を押さえるように拳を強く握りしめた。
嘘ではない、ということが分かってくれたのかもしれない。
そのまま、長い沈黙が続いた。ルーカスは霊剣を見つめたまま、佇んでいた。
数分ほど経っただろうか。
そろそろ帰ろうと思って足を動かすと、ルーカスは口を開いて。
「……小さい頃、俺は騎士になりたかった」
かすれた小さな声で、言葉を吐き出し始めた。
俺は足を止めて耳を傾ける。
「おそらく、憧れたんだろうな。人を助けて感謝される姿に」
「おそらく?」
まるで他人事のような言葉だ。自分のことだろ?
「今では、もう分からない。なぜなりたいと思ったのかも、自分がどうなりたかったのかも」
「……なんだそりゃ」
「貴様だってあるだろう? 志した信念が、刻が経ち変わってしまうことが」
「……まあ、そうかもな」
言われてみれば、俺だって勇者になりたくてずっとそれだけを考えて生きてきた。結果として諦めたものの、あの頃はくだらない信念を持っていて、それが今では無くなっている。
「俺は、この世界が嫌いだ。理不尽で腐ったこの世界が」
ルーカスは色の無い声で、静かに佇んでいる。
「知ってるか、D級。この世は正しく生きようとすると損をする。道を外れた者が得をし、正しい者がいつも泥を被る。まったく可笑しな世の中だ。面白いだろう?」
くくく、とルーカスは笑みをこぼす。どこか皮肉を込めたように。
「強者は弱者から搾取し、弱者は更に弱者を作り、虐げ続ける。口では平等だと言っておきながら、人種、考え方……些細なことで格差を作って生きている」
俺は黙って、ルーカスの独白を聞き続けた。
「正しく、善意ある者は搾取される。勇気を持ち、人々を助ける勇者なんてものは御伽噺の世界だ。実際に渦巻いているのは利権と醜い感情だけにすぎん」
ルーカスは「だから」と続けて。
「《攻》を見ていると、虫唾が走る」
「……」
「正義を振りかざし、損をする生き方を止めようとしない。愚かな生き方だ」
ルーカスはバカにするように鼻を鳴らす。
「アレは危うい。お前だって分かっているだろう?」
「……まあな」
こいつが言いたいことは分かっている。レティの純粋さが、勇者としての正しさが、美しくも危ないものだと言うことは。
あそこまで真っ直ぐに、不純な動機も無く前を向ける者はほとんどいない。
見返りを求めず、勇者として人を助けることができる心なんて、少なくとも俺は持っていない。俺は不純だらけで自分の為にしか動かないから。レティの生き方が、幸せなのかどうかも分からない。
……だけど。
「それが、間違っているとも思わない」
間違っているわけがない。それがレティの本当にやりたいことだと言うのであれば、邪魔をする道理もない。俺だって言われたら嫌だし。
「……フン。ならばよく見ていろ。失ってから後悔しても遅い。本当は勇者など辞めさせた方がいいがな」
「じゃあ、なんでお前は辞めないんだよ」
聞くも、言葉は返ってこない。
どころか何も言わず、出口に向けて歩き出し始めた。
俺もそれを見て、魔導時計を《異空間収納》から取り出して時間を確認し――うげっ!? もうこんな時間!???
やばいやばいと帰り支度を始める。遅刻じゃんやべえ。
慌てて帰ろうとすると。
「D級」
声をかけられ、顔を向ける。なんだ?
ルーカスはこちらを振り向くことなく、言葉を吐き出した。
「感謝する」
それだけ言ったルーカスは、返答を待たずに去ろうとする。
「……おう」
俺もそれだけ言って、ルーカスの背中から視線を外す。
ほんと、なんてかわいくないやつだ。マジでこいつ上から目線すぎるだろ。これならまだアルディの方が可愛げがある、見た目だけはだけど。
……まあ、でも。
間違いなくムカつく態度なのにかかわらず――不思議と、腹は立たなかったのだが。